表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/155

雪ー過去の話2


 朝に渡されたのは、幾つかの握り飯と肉と野菜を煮たものだった。彼はそれを持って村を出た。この辺りでは天候が変わりやすいのか、灰色の雲が立ち込めて、帰りの天気が危ぶまれた。昨日の道をそのまま辿り、小屋に着くとジネットは、「なんで貴方が…」と白い顔をさらに白くして言った。

 「僕の師匠がまだ村に到着しないから、それまで泊めてもらう代わりにご飯を持ってゆく約束をしたんだ」と彼は、囲炉裏の傍に持ってきたものを置いた。

 「貴方が食べなさい」とジネットは、静かにいった。

 「でも、これは…」

 「いいの、私は少しだけで十分、私は残ったものを食べるわ」

 「本当にいいの?」彼は、村で出された夕飯と朝食の量の少なさにかなり腹が空いていたので、正直嬉しかった。しかし全部食べるのは、どうかと思い握り飯を一つ残した。

 「おいしかった?」と訊かれて彼は、頷いた「まぁ味がちょっと薄いけれど」

 「全部食べてもいいのよ」

 「それだと、貴方が飢えて死んでしまう」

 「大丈夫、私には毒は効かないからこの周りにあるものは食べられるの」

 「そうなんだぁ、でもこの辺りは凄いですね。手付かずの薬草が沢山あるのだもの」

 「あら、そうなの…」

 「本当さぁ」

 「他にも色々ある場所を教えてあげましょか」そう言うジネットの顔が優しく見えた。

 「そうしてくれると嬉しいです。じゃあおにぎり、いただいちゃいますね」

 「どうぞ」と彼女は、頷いて言った。

 食べ終わって、彼が満足そうな顔をみせるとジネットはそっと立ち上がってから「行ってみます?」と訊いた。

 「はい、是非とも」彼も立ち上がり小屋に外にでた。灰色の雲が、白いものを空から散らせ始めた。

 「大丈夫かな、吹雪にならなければいいけれど」彼は空を見上げた。

 「今日は、これ以上崩れないわ」彼女もまた空を見上げて言った。「さぁ行きましょう」と彼に白い手を差し伸べた。彼は一瞬躊躇したのち、その手を掴んだ。電気のような痺れが走ったように思えたが、それは直ぐに暖かで柔らかい女性の手の感触で打ち消された。照れくさそうに、彼の顔が赤くなったのを見てジネットは、「あら、女性と手を繋ぐのは初めてなの?」とからかうように言った。本当は、こんな風に優しく手を差し伸べられたのは初めてだったが「そんなことないです」と彼は小声で返した。「綺麗な人とは初めてだけど…」

「まぁお上手なこと、さぁ行きましょう」彼女はぐいと手を引っ張った。

 ジネットと川を上りながら歩くとあちこちに多くの草が青々とした葉を雪の間から除かせていた。ジネットはひとつひとつの草を手にとっては、彼に説明をしてみせ、その度に彼は、驚いては「あとで師匠に見せて訊いてみます」と袋の中に押し込んでいった。そしてひとつの崖下のところに来ると、「ここが貴方が落ちてきたところ」と解説をした。

 「こんなところに」と上を見上げると、たしかにずっと上に道があるようだ。そこから落ちてきたとなると、生きていたのはよほど運がよかったとしか彼には思えなかった。ともすると、死んだと思って師匠は全く別の街に行ってしまったかもしれない、そんな不安が彼の脳裏を過ぎった。もしそうなら、これから先の旅はどうすればいいのだろう、日時計の操作をまだ教わっていない彼には、旅はここで尽きてしまうに違いない。

 「どしたの?」と彼女がそっと彼の背中からよりそった。胸が彼の背中に触れ。彼の心臓が大きく高鳴った。

 「うん、もし僕がここから落ちて死んだのだと、師匠が勘違いをしていたらどうしようかと思って」彼は、平静を装いながら答えた

 「大丈夫よ、あの村に行くと言ったのでしょう?」

 「うん」

 「なら、錬金術師は行くわ、あの人たちは何時も行く先を決めているから」

 「そういうものなのかい?なにか、いつもふらふらしているようにしか思えないけれど」

 「まぁ、弟子の貴方がそういう内は、まだまだってことね」ジネットは、ポンと彼の頭をたたいた

 「未だ、見習いだからさしょうがないさ」彼は、振り向いた。その直ぐ先にジネットの顔があった。そして彼女の顔がもっと接近して彼女の唇が彼のに触れた。ピリりという感触と柔らかく官能的な感覚が同時に襲いかかり、頭の中で何も考えられなくなって、彼は硬直したまま彼女に身を任せた。妙にだるい、ここちいい気だるさが、このままで居たいという気持ちにうって変わった。しかし、彼女の唇は、それを味わうまでもなくうたかたの夢のように、離れていった。彼は気が付かない間に目を閉じていた。「そしてオトナの見習いね」彼女の指先が彼のおでこをピンと突付いた。「さあ、帰りましょ、散歩で思わぬ時間を使ったから、早くしないと貴方夜の中を帰ることになるわよ」

 「ええ!」思わず、正気に返って。彼は、辺りを見回した。灰色の空は全然変っていない、雪の量が少し増えたみたいだった。小屋に戻り身支度を整えていると、ジネットは薬瓶を差し出した。「これ返すわ、私が遺伝性の病気であることは聞いたでしょ」彼は小さく頷いてそれを受け取った。妙に疲れた気分だった。

 「また、明日お食事を持ってきてね」彼女は、度口で彼のおでこに唇をつけてから見送った。



 村長のケインは、彼が戻ってきたのを不思議なくらい喜んでいた。料理も多く供されたが、それは彼だけの為であり、緑の肌をした村長の家族は、少しばかりの野菜をつまんだ程度だった。それだけに、彼はなんとなく居心地の悪さを感じたが、夕食が終わって彼の旅の話を聞きに村の人々が来ると彼は、有頂天になって多くを語った。夜が更けてようやくお開きになると、皆彼に向かって「また明日」と声を掛けて去って行った。

 寝床に入ると、彼の頭の中をジネットへの思いが激しく募ってきた。初めてのキス。彼はたまらなくなって自分の荷物袋の中から柔らかい紙を取り出すと彼女の名前を頭の中で呼びながら、ひたすら自慰行為を続けた。また、明日逢える。逢えるんだ。と思いながら。

 翌日も彼女は彼を、山の中に案内をした。ずっと手を握り、そして帰り際に昨日より長いキスをした。彼はふっと「ずっとここに居たい」と呟いた。

 「おませさん、それは駄目よ」とたしなめた。「貴方は、旅を続けないといけないのよ、錬金術師になるのでしょう」

 「あんな奴、嫌いだ。本当は一緒に居たくないんだ」本心でそう思った。女衒に買われた童のように、彼もまた師匠に生まれ育った村から口減らしもかねて売られたようなものだ。

 「いいえ、貴方の心はもう旅を続けないと駄目なようになっている、野草を見る目にそれを感じるの」

 「そんなことはないよ、旅なんて嫌いだ」

 「でも、ここに居てどうするの?」

 「ここで薬草をとって暮らす」

 「でも、ここでは薬草じゃあない、他の世界にもっていかないと」

 「…帰る」彼は、言い返す言葉に詰まった。

 「ええ、また明日ね」

 なぜか帰りの足は昨日よりもっとだるく、村長の家でまっている料理を思い浮かべながら、雪の中をひたすら歩いた。家の中での食事、旅の話とまるで日常と化していきそうな不安を彼は感じた。しかしそんな思いが現実になったかのように、同じパターンの日が続いた。



 その日の帰りは、突然吹雪になった。彼はジネットを見ながら「どうしよう」と言った。

「この前みたいに泊まるって訳にいかないわね。私に食べられちゃうかもしれないし」それならどんなに嬉しいことだろう思って、次の言葉を彼は待った。「しかたないから、家まで送ってあげる、隔離されているけれど、、まぁ病気ってわけじゃないから一日くらいなら大丈夫でしょう」二人は、手を繋ぎながら川沿いの道を下った。視界のまったく利かない世界なのにまるで体内に正確な地図でもあるかのようにジネットは、先を進んだ。橋のところでは、山から降りてきた濃いガスの影響で全く見えないという状況ですらあった。彼は彼女の手の感触だけを心のよりどころにして、不安感を飲み込みながら共に進んだ。

 家にたどり付くと、村長は、ジネットの顔をみておどいた様子をみせた。「ごめん、この子が道に迷いそうだから来ちゃった」ジネットはぺろっと舌を出して言った。

「まぁ、しょうがないだろう。お前は今夜だけ離れに泊まってゆきなさい」村長は、そういって二人を食卓に誘った。そして、また彼は村人達の前で、旅の話を続けた。そして、ジネットもその中に加わって聞いた。しかし、他の村人とは違って妙にいらつくように指先で床を叩くしぐさを繰り返し、時に険しいまなざしを彼に向けた。その眼がとても怖くて、彼はそのつど思わずどもってしまうほどだった。

 皆が帰途につき、部屋に彼とジネットだけになると、彼女は声を荒げていった。

 「分かったわ。あんたは、ここでずっと過去の話をしていたいのでしょう…ここで安穏と楽をしたいのよ、もう老い先のない老人のようにね!ここの人たちは貴方が同じ話を何回したってきっと喜んでくれるわ、だって退屈なんだもの、そして貴方は話している間は、みんなから認められている存在になるものね、ちょっとしたヒーロー気分でしょ」

 「そ、そんな事ない…」

 「じゃあ、貴方の未来ってなんなの?私は、こんな体だから未来なんて望んでいないわ、それだけに、未来を見ているひとって大好き、だってどこかきらきらしているでしょ?でも、あなたは、とても短い今までの人生にしがみついてこれからを生きようとしているにしか見えない、体はりっぱだけど、なかみはよぼよぼの老人よ」

 「じゃあどうすればいいんだよ、師匠はいないし」

 「今はいなくてもいいなじゃい、きっと何時かは来るわ。だって錬金術師だもの。だから貴方のこれからの夢を聞かせて、明日、それが聞きたいな、私」ジネットはそういって部屋から出て行った。彼は、誰もいない部屋のなかでポツンと呟いた。俺の未来か…



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ