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雪ー過去の話1

 「何をしている」白い闇の中で、彼の嫌いだった師が怒鳴った。あたり一面は吹雪とガスで視界も利かない。その中を彼は僅か数歩前を行く師の踏みしめた足跡だけを頼りに進んだ。「早くしろ」さらに怒鳴り声が続く。「はい!」と彼は大声で応えをかえした。

 「道を違えるなよ!左側は崖になっているからな」一体こんな吹雪の中でどうしてそんな事が分かるのだろうと思いながらも彼は足を進めた。その左足が突然ずるりと流れた。彼は悲鳴をあげて唐突にベッドから跳ね起きた。


「どうしました?」と弟子の声がドアの向こうから聞えた。

「いや、ただ悪い夢をみただけだ」と彼は、ベッドの上から応えた。

「失礼しました」弟子は、夜遅くまで課題をやっていたせいかこれから寝付くところらしかった。錬金術師はベッドを出ると結露で真っ白に曇った窓に掌を置いてそっとなでるように露をふき取った。窓の外では暗い静寂の中を白いものがちらちらと降りてきていた。-雪か、この夢を見るのも道理だな,ジネット-ふと遠い過去の記憶に忘れ去られていた名前が何気なく出てしまったことに彼は、懐かしいような、悔しいような思いに囚われた。いいだろう、雪に免じて今日はあの日の思い出に耽っているのもいいかも知れない。オイルヒーターがカチリと音を立てた。彼は、本棚と化した部屋の一方の壁に近寄ると、綺麗に並んだ古書の間にポツンと置かれた細長い三角柱型のボトルを手に取った。そのラベルに描かれた鹿の絵は、今夜の雪に相応しいものに思えた。そして、その脇に置いてあった背の低いカットグラスに半分ほど注いでベッドの上に座り、一口を喉に注いだ。熱い液体が胃に向かって転げおちていった。



 体は雪の中を転げ落ち、手を使ってブレーキを掛けようと必死に指を立てたが、まるで空を切るように掴み所のない程の柔らかい雪だった。何度も何度も細い立ち木が彼を打擲した、彼はその痛みに悲鳴をあげ、それでも手に触れるものがあれば必死になって掴もうとしたが、その度に枝や葉はするりと手から逃げていった。落ち続ける彼をようやく止めたのは、一本の大きな木だった。最期の一撃を与えられたかのように彼はカエルのような声を出して息を吐き出し意識を失った。覚えているのは、もう駄目だという思いと、遠い故郷の景色だった。

 目覚めたのは、粗末な小さい布団の上だった。体をくねらせると何かがふれた

「大丈夫?」小さい声が微かに聞えた。声の主を求めてもまだ目がかすんでいた。それより寒いひどく寒い、彼は思わず身を丸めた。

「寒い?」その声に彼はうなずいた。

「ごめん、まだ囲炉裏に火が回っていないの、ちょっと待ってね」女性の声だった。それから衣擦れの音が聞えた。彼の背中の方で布団がめくられ、生暖かいものが背中に押し付けられた。それが女性の肌であることが彼には直ぐに分かった。腕がそっと彼の体に回され、力が込められると、なにかピリピリとしか感じが伝わると同時により肌が密着した。顔を振り向けようとすると。「だめ」という声でたしなめられた。「ごめん」と彼は素直に謝った。そのままじっと肌のぬくもりを感じていると、体全体が少しづつ温まってきて、やがて目蓋が重くなってきた。心地よく力が失われてゆくようだ。

 次に目覚めたとき、一人の女性が狭い小屋の片隅で沢山の衣類をより集めて座り込んだままじっと彼を見ていた。白い目、白い髪、白い顔、白い息、まるで老婆のような、しかし、皺ひとつない。張り詰めた肌を持った小さい顔。「気が付いた?」女性は言った。声からすると相当若い様に彼には思えた。

「うん」彼は、布団から出ようとして、何も身に着けていない事に気が付いて、思わずまた布団の中にもぐりこんだ。

「服は、そこにかけてあるわ」と女性は、目線で彼の上の方をしめした。彼がその視線を追ってゆくと、そこに彼の継ぎ接ぎだらけの綿入れの服がぶら下がっているのが見えた。「でも…」と彼が恥ずかしそうにしていると、女性はそっと横を向いた。彼は、夜の間に暖炉の火で乾いたと思われる服を急いで着た。すると、微かなぬくもりが綿の中に残っていたようで、部屋の寒さにも関わらずまだ布団の中にいるような気分になった。

「ありがとう」と彼は、着終わると女性に声をかけた。「僕は、ジャッド…この世界の名だけど」

「錬金術師ね…私は、ジネット、でも、貴方はもう此処を出ていった方がいいわ」

「そうだね、この小さい小屋じゃ二人は居られない」囲炉裏がひとつ、そして布団が一組、小さい土間がひとつ、それがこの家の大きさだった。

「そう、でもここは清めの小屋なの、貴方は居てはいけない」女性は、コホンと小さく咳をした。

「清めの小屋?」

「私は、隔離されているの。」

「病気の薬なら、いくつか持っているけれど…」

「病気じゃない、呪いよ」

「そんなのは迷信だ。呪いなんか存在しないよ」彼は、服が掛けられていた場所に下に置いてあった、大きな背負い袋の口に手を入れた。

「くれても飲まないわ」女性は、首を振った。

「でも、お礼ができるのは、僕にはこれしかないんだ」と彼は小さいすみれ色の小瓶を取り出すとそっと床に置いた。服の塊に包まった女性はそこから動く事なく首を横に振った。

「ありがとうでも、飲まないわ」

「気が向いたら使ってみて、師匠が君みたいな病気になったときにって僕にくれたものなんだ」

「師匠は?どうしたの」

「崖からおちたときにはぐれたんだ」

「あらあら、何処に行く気だったの?」

「べランドール村って言ってたかな?」

「じゃあ、此処を出て川沿いに降りて、橋を渡った先の十字路を右に行くと良いわ。私の村よ」

「ありがとう…えーと」

「ジネットよ。覚えてもらう必要はないわ、逢う事はないと思うし。」彼は、その女性をそっけない奴だなあと思った。きっと病気で隔離されているせいで性格まで悪くなってしまったのに違いない。


 彼が外に出ると、日差しが目に痛かった。顔をしかめながら左右を見れば、傍では小川が雪を寄せ付けることなく流れていた。道らしい道はない。振り返って見た小屋は、丸太で作ったログハウスのようなものだった。積み重ねた丸太の間からは、寒気が入らない様に詰め込んまれた苔が見え隠れしていた。彼は小屋に向かって軽く礼をしてから川沿いに歩きだした。放浪者というのは、決して歓迎されるものじゃない、お前は耐えることに馴れろ。と師匠が口煩く言っていた事がふと思い出された。こんな小屋でさえ、招かれないものなのか…。

 川沿いの道は、彼にとって思わぬ収穫があった、師匠から教えられた薬草や食草があちこちに見受けられたからだった。彼は、少量を採取しては小さい袋に詰めて降りていった。約2時間くらい歩き詰めようやく橋を渡った時には彼は汗を服の下にかき、手で額の汗を拭うほどだった。道は山に向かう道以外はどこも轍が付いて、交通が頻繁な事を示していた。彼は教えられた通りに歩き、やがて小さい村の入り口にたどり着いた。辺り一面雪原の中にある集落だった。きっと周りは畑なのだろうが、今の時期はすべて雪の下になっているのだろう。しかし幾つかの作物は雪の下で凍らないように糖分を蓄え、より美味しくなっているかもしれない。面白いことに、何人もの村人達が各々寒さを感じないかのように、雪原の上に敷物を敷いて各々自由な格好で上半身裸のまま日光浴をしていた。その行為の意味は師匠から聞かされていたものの、見ている彼の方が寒さを覚えてきそうだった。その中の一人が、彼を目ざとくみつけた様で、彼に手招きをした。彼はその招きに応じて敷物の縁まで歩いていった。緑色の肌をした人々が一斉に彼の方を見た。「どうしましたかな、異郷の若い人」緑の体のあちこちに皺のできた老人が上半身裸のまま敷物の上で胡坐をかいて訊いた。「こちらに、錬金術師は来ませんでした?」と彼は逆に尋ねた。「いや、来ていないなぁ、お前さんは、その錬金術師とやらを探しているのかい?」老人は訝しげに彼をみた。「ええ、僕はその弟子なのですが、途中ではぐれてしまいまして」彼は、ぽりぽりと恥ずかしそうに頭をかいた。「その錬金術師は、どちらから来なすったかな?」「ええと、エレンディールの村からです。峠を越える途中で僕は谷に落ちてしまったんです」「そりゃ、思い切り近道をしたもんじゃて」と老人は高笑いをしてみせた。「峠からこっちの道は、夏の台風で崖崩れを起こしてな…引き返して、エレンディールからエルマ、ポソクを経て遠回りをすることになるなぁ」「それって、どれくらい掛かるのですか?」「今年は雪がおおいかならぁ、早くても10日かな、それよりお前さんよくまぁ、崖から落ちて無事だったもんだ。」と老人の言葉に彼は、今までの経緯をかいつまんで話した。

「そうか、あの娘に逢ったか…おまえさん、体は大丈夫か?」老人はやや、不安そうな表情をみせた。

「ええ、おかげさまで、命拾いをしましたし看病してもらいましたから…」

「そうか、それは良かった。」老人は、笑みをもらした。「もし、お前さんさえよければ、師匠が来るまでこの村に泊まっていけ」

「本当ですか」彼は、喜びで声が裏返った。これからの旅を一人でできるとは到底思えなかったからだ。「もし、僕に出来ることがあればお手伝いします」

「ああ、実は、お前さんが会った、ジネットに飯を運んでもらいたいんじゃよ」老人は、彼の目の奥を覗くように見た。

「ええ、それぐらいなら」きっと誰かが今まで運んでいたものの遠いし、その間日光浴が出来ないのがきっと辛いのだろうと彼は思った。

「ありがとう、それから、あの娘の話し相手になってやってくれ」

「惚れるなよぉ」と誰かがからかうような声を出し、笑いが回りに波紋のように広がった。老人はすぐさま後ろを向いて、鋭い眼光で全員を睨みつけ皆の口を閉じさせた。

「まぁ、わたしゃ歳だから、これ以上陽に当たっても腹一杯にならんし。我が家に案内しよう」老人は、敷物の上にある着物を羽織るよう着ると。緩慢な動作で立ち上がった。「ついてきなされ」

 老人の歩みはのろかった、それは決して歳だけのせいではない事は、この世界で回ってきた村々でも誰もがゆっくり歩いていたことで分かっていた。ただ、こうして連れ立って歩くことが無かったので、彼は思わぬ苛立ちを感じていた。その思いを知ってか老人は歩みの遅さを詫びる様に「すまんな、わしらはみな動作が遅いのじゃよ」と言った。「いえ、構いませんので」彼は、笑みを繕って応えた。村の中の家は、どれも頑丈に出来ており、窓にはガラスが多用されていた。家の見栄えはどの家も古臭く、屋根の傾斜がきつい雪国特有の形状をしていた。しかし、電線が村の中をめぐり屋根についたパラボラアンンテナは、決してこの村が文明から取り残されたものでないことも物語っていた。なのに何故あんな小屋に女性を隔離して置くような迷信じみたことをするのだろうか、彼にはそれが不思議だった。


 老人の家は大きく、低いあがり框に彼が摘んだ草をいれた袋を置くと、それを興味深そうに老人が覗き込んだ。

「おやおや、あんたら錬金術師のやることは本当に私達には理解できないねぇ、みな毒ばかりじゃないか」

「そうですね、でもこれは他の世界では薬になるのですよ」

「そうゆうものなのかねまぁ、どうせ私達には関係のないことだ、さぁあがって、あがって…」彼は、中に沢山のボアが入った靴を脱いてで上がると、進めるままにスリッパを履いて、直ぐ左にあるドアの中に迎えられた。部屋の中は大きな窓から陽が入って心地の良い暖かさになっており、彼の張り詰めた緊張が緩んできた。部屋にはソファとテーブルがあり、骨董品のようなサイドボードが置かれていた。

「まぁ、座ってなさい、今お茶を用意するから」老人の言葉に断ろうかどうか逡巡しているうちに、老人は部屋から出てしまった。しばらくの間彼は部屋の中を見回した。テレビもある、パソコンもある、それと同時に非常に年代を感じる家具もまた置かれていた。相当古くから在る家なのだろう。それにしてもなんという心地の良い暖かさだろう、彼は目をつぶった、ふとあの女性の肌のぬくもりを思いだし、思わず彼の男性自身が膨らんでくるのを感じた。彼は、ひたすら旅を続ける一方でとても女性と親しくする機会は無く、さりとて歓楽街で遊ぶような金も持っていなかった。男女の交合は彼にとってまだ妄想の産物に過ぎなかった。それゆえか彼は、頭の中でジネットとの交合を想像してしまい、それだけで、膨らみが増してしまったが、彼はなるがままにまかせた。そんな自分に自問をして(なんで、異世界の女性とやらないといけないんだ。想像でも酷すぎる)そう思いながらも、その妄想からなかなか逃れられないでいた。ようやく、その空想の世界から離脱できたのは、老人の「お待たせ」の声のおかげだった。

 出されたお茶は、酷く苦かった。思わず顔をしかめると、老人は笑って、テーブルの上の小さい容器を指して「あんたらには苦いようだね、砂糖があるから入れて飲むといいよ」彼は、どうもと言うと。匙で3つほど砂糖を入れた。

 「まぁ、この世界で毒の無いものは、砂糖とお茶くらいだ」老人は、彼がゆっくりとお茶を飲むのを見ていった。

 「お前さん、いやそうや未だ名前を聞いていなかったな、私はケイン…ジネットの祖父でな…」

 「僕はジャッド錬金術師見習です。」

 「ジャッド君か、君はきっとさぞや私達が孫をあんなところに隔離しているのが不思議でたまらんじゃろうな」

 「ええ、あの人は、呪いだと言ってました」

 「そうだな、呪いだよ。あんたがた錬金術師が私達に残した呪いさ」

 「え…?」

 「おやおや、知らないのかい?でも仕方ないか凄く昔のことだからね、もう伝承からも消え失せてもおかしくないね。大昔はね私達の肌もこんな緑色ではなく、晒のように真っ白だったらしい。でもな、ここで採れるありとあらゆる植物はどれも私達にとって毒のあるものだったのさ、その毒を処理するために私達の肝臓は非常に大きいが、一日のほとんどを毒の処理に費やしているせいで、動作は酷く緩慢だったようだ。それを不憫に思ったのか、旅の錬金術師が私達の細胞の中に葉緑素を組み入れたのさ、そのおかげで、食物でエネルギーを取得する以外にも、陽にあたるだけで私達は、より活発に動きまわれるようになったのさ、もっとも陽にあたっても全ての栄養がまかなえる訳じゃないから、まだ食べる必要はあるのだけどね。でも、ときおりあの娘のように葉緑素が欠如して生まれる場合もあってね、光合成ができないのさ。唯一の救いは我々よりは食べるものの範囲が少しだけ広いということと、その分活発に動けるということぐらいでね。でもなかなか長生きはできないようだ。その上、あの娘は、光合成をするわしらと違って多くの食物を必要とするのでね。陽も弱く、作物も無いこの時期はわしらも弱っているから、あの娘にも、あの小屋で腹が減らないように、じっとさせているのさ。まぁ、あそこは遠い、当番を決めて飯をあげているのだけど、貴方のようにエネルギッシュな人が行ってくれれば非常に助かるのさ」

 「でもそれなら、この村の中に隔離しても…」

 「まぁ、そこは色々あってな」と老人は苦笑いをしてもう訊くなというばかりに顔をしかめた

 「よれより、君の旅の話でも聞かせてくれんかの…こんな村に一生いるとたとえテレビがあったとしても、珍しい話が聞けるのはなかなか無いからの」

 「ええ、いいですよ」と彼は、何を話したらいいものか頭の中で整理をした。



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