表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/155

スタージョンムーン

 真夏、葉月、何時ものなら儚いほどに小さい光が集って満たされる天空を大きな満月の明かりが支配している。


 夢/現実?


 僕の虚ろな意識は、窓から入ってくるフェーン現象の風に辟易としつつ、パンツ一丁の半裸の状態で寝苦しさと戦いながら、網戸の向こうの満月を見ている筈なのだ。しかし、同時に僕は、高原の頂上にも居るような感覚にもとらわれていた。そこでの僕は、空を支配する大きな月を見上げながら恨みつらみをぶつける先を探そうとしてるようだ。


 壊れたエアコン/壊れた怨恨


 網戸からはなま暖かい風が吹き込む、エアコンが出す風も部屋の気温と変わらない。寝返りを何度も繰り返す。汗が止まらない。暑い、暑い、暑い。喉も渇くが、だるくて台所までゆく気力がない。ふと、自分を見下ろす自分の存在を感じる。俯瞰する僕。


 僕は、高原から遠くに見える街を俯瞰している。かつては、一面きらびやかな宝石をちりばめたような街の明かりが見えたものだ。いまは、空より暗い地上が広がり、そこでプロミネンスのような炎が時折、立ち上るのが見える。そこで聞こえるであろう人々の悲鳴を僕は想像していた。熱い、熱い、熱い、助けて。


 意識を奪いつくす暑さ/命を奪いつくす熱さ


 僕は、何度も何度も寝返りを打つ。じめっとした空気は、常につきまとう、意識が現実に引き戻されないように、目を開かぬようにつむる。現実に戻れば眠れなくなりそうだ。

 高原の僕は、破壊されつつある街の現実を見たく無いので、一度目をつむり、それから後ろにある建物に目を移した。そこにはやるべき事柄がまだ残されていた。


 眠りに向え/現実に向え


 暑さのせいか、眠りに向っているからなのか、現実と夢の境がまざっている感覚。僕は、後ろの建物に中に入ろうと、扉を開けた。そのとき、ふと大きな満月を振り返った。

「お前は見ているだけでいいな」と思うが、言葉にはならない。8月の月。スタージョン ムーンと僕はふと思い出している。


 スタージョン・・・ふぅん、この月の満月をそういうのか・・・知らない筈の呼び名を何故知っているのだろう?僕が知っているスタージョンというのは、原子力潜水艦シービュー号の原作者というくらいだ。


 何故知っている?/何故覚えていないのだ?


 僕は、建物の中に入る。そこには沢山の大きな生簀が並んでいる。空気ポンプが生簀に空気を送っている音がひっきりなしに聞こえる。ここは、良い場所だったのに、と僕は悲しみにくれている。高地で寒暖差があり、水も豊富だ。

 

 遠くから、大きな爆発音が響いてくる。


 誰かが僕を呼んでいる声が響いてくる。遠くからの声。大丈夫かと悲鳴に近い声だ。ああ大丈夫、声にはならないが、心で返事をする。多分大丈夫みたいだよ。


 轟音を響かせて、ジェット機の編隊が上空を飛んでゆく音が聞こえる。空気が悲鳴をあげているようにも聞こえる。


 自分の鼓動が聞こえる。必死になって血液を送りだそうと動いている。どくんどくん。どくんどくん。なんでそんなに頑張っているんだ?鼓動が体に響き渡り不快だ。


 ドッドッドッドッ空気を震わせて大きなヘリが低空を飛ぶ。大きな空気の震えは、体にも響く、炎の墓場へと向うのだろうか。不快な振動、不愉快な未来が通過する。



 ため息を付き、網を生簀にいれて、長細い一匹の大きな魚をすくった。


 夏、大きなお腹に卵をかかえた、チョウザメだ。


 皆で資金を出し合って初めた養殖。高値で売るつもりのキャビア。しかし街はもう灰になりかかっている。


 売るべき相手は、全て死に絶えただろう。しかし借りたお金を返す相手も居なくなっただろう。


 チョウザメを腕に抱える。立派なサイズだ。魚は人間の体温ですら、火傷をすると

誰かが、言っていた。しかし、僕の手も腕も冷たい。可愛い魚よ。


 暴れるチョウザメをまた生簀に放した。昼の太陽光発電で、蓄電された電気。さらに余った電気は水素として溜めてあるから、このシステムを壊されない限り、ここはずっと動き続けるだろう。


 やるべきことは、日々の定期的な機器のチェック、そして、自動給餌器には多めの餌を入れておく。ここで、育った魚達を逃がしてあげるような自然の湖は近くにない。餌がなくなれば、皆ここで死ぬことになる。


 しかし、一縷の望み、だれかが此処を引き継いでくれるかもしれないという願いが、頭の片隅に残っている。


 僕は、部屋の片隅にある蓄音機のスイッチを入れた、形だけレトロなレコードプレイヤーだ。レコード針を周り続ける黒い円盤に静かに落とすと、一度、バリッという音が響いた後に、前奏が始まった。


 音楽を聴きながら、自分の過去を思い出す。砕け散った氷ような、記憶の断片。あるものは、本当にあったことのようで、あるものは、作られた記憶のようだ。断片は、時間とともに風化し、破片同士を組み合わせようとしても、どこかかみ合わない。


 しかし、どの断片もクリタルのように透明で、美しく見える。


 そっと自分の手を見る。樹脂で覆われた金属製の指、腕。医師は、かつて人間だった体は死に、記憶だけをこの体に複写したのだと言った。それが私に唯一残された人生の継続方法だとも言った。しかし、全ての記憶が移植できる保証はないけどねとも。


 ふと、ある女性が思い浮かんだ。記憶にない女性。夢を追い求めて、火星に旅立った女性。音楽が、記憶を掘り起こしているのだろうか?


 大きな爆発が起きたようだった。空気が重く振動する。レコード針が飛び、前のフレーズに戻った。


 振動の原因が知りたくなって、外に出ると。遠くの街は完全に炎に覆われていた。先ほど頭上を飛び去った飛行機達の影は見えない。その炎の中を、大きな大きな機械が移動をしている。火柱が幾つも立ち上がる。機械は、火まみれになっても、進み続けている。


 僅か一月前に、世界のあちこちにいきなり出没してきたそれらは、世界中を焼き尽くしながら、前進をしているという。落ちてきたのではない、まるで空気の中に扉でもあったかのように、巨大機械は現れたというのだ。


 僕の記憶を返してくれないか?ふと自分の声に振り向くが、そこにあるのは、粗末な養殖場の小屋だけだ。


 君の記憶を平和なこちらに差し出してくれないかな?後ろからではない、声は自分の頭の中からだ。


 僕は、混乱をしている。


「どうしたかな?」と優しそうな声色が聞こえた。


 声のする方をみれば、いつの間にか、僕の横に、頭に鳥の羽の飾りを付けた半裸のお月さんが地面にしゃがみ込んで街を見て居た。たしか、スタージョンムーンの名の由来は、アメリカの先住民が発祥だったか、それにしても、酷い格好だ。先住民が止めてくれと泣きをいれそうだ。


「自分で自分が分らなくなっただけ」僕は、お月さんの顔をちらりと見てから、炎にまみれた街に目をやった。「でも、まもなく僕は居なくなると思うから、悩むこともないかな」


「難しいお年頃かな」お月さんが、訊いた。まるでからっているような口調だ。


「ううん」と僕は赤く染まった街を指した。「あの街のどこかに、サーバーに格納された僕の記憶の本体があるんだ。ここにいる僕は、いわば端末のようなものだからね」


サーバーは、テロ行為や自然災害や核ミサイル以外の武器に耐えられるようになっているし、地下には核融合炉が鎮座して長期間にわたりエネルギーを供給してくれる」


しかし、僕の目の片隅では、さっきからアラートが見えている。サーバーが機能を停止しつつあるのだ。


「君は、空の上で極楽とんぼだね」僕は、座っているお月さんの飾り羽を指先ではじいた。



「当たり前だ、俺に何ができる?俺はひたすら見ているだけだ。」


「あれは、どこから来たと思う?」僕は訊いた。


「多元宇宙のどこかのひとつだよ」お月さんは、答えた。


「なんでこんなところに来て破壊を繰り返すのかな、生き物が嫌いなのかな」


「さあね、俺からみれば、まるで何かの本能のようだよ。でも、ここだけじゃないよ、他の地球でも起きていることだ。」お月さんもじっと炎にまみれた街を見ている。お月さんは、余所でもこんな光景を見ていたのだろうかと、僕は思った。


「あちこちで?」ごくりと僕は唾を飲んだ。


「平和なところもまだ残っているがね」お月さんは、ふうとため息を付いた。「そこもあいつらに見つからなければだが」


「時間がない、はやく君の記憶の破片を返して」頭の中で声がした。赤いアラート文字が激しく点滅を繰り返す。


「頭の中で声がするんだ」僕は、自分のぼやきをお月さんに聞いて欲しかったが、すでにそこにお月さんは居なかった。ただ、満月が、けむりに巻かれてけむそうにして、空に鎮座している。


「ああ、返すよ」僕は、空に向って言った。「だからどうなるってんだ?」


アラートが消えた。


僕が目を開けると、僕は白いベッドの上に寝ていた。左右をみれば、左腕に点滴の針が刺さっていた。ベッド脇には、椅子に座った錬金術師が片手をかるく上にあげた。


「よっ、戻ってきたな」彼は、低い声で言った。


「僕は、どうしたの?」思わず訊いた。


「熱中症で部屋でぶっ倒れていた」彼は、腕組みをしたまま言った。「危ないところだったらしい」


「そう・・・あんたが助けてくれたの?」


「まぁ、たまたまそういう事になっただけだ」


「夢を見たよ」僕は、ぼそっと言った。「怖い夢だった」

そして、僕はそういったとき、何か、わすれかけていた何かを思い出した。とるにたらない、誰もが忘れてしまうような、小さい頃の思い出だ。


 そうか、返してくれたんだ・・・何故かそんな気がした。誰が返してくれたのかは分らないけど、それもまた僕自身なのだということはなぜだか分った。

 戻ってきてあるべき場所に鎮座してしまうと、昔からそこにあったかのような記憶の断片。ただ忘れていただけのような思い出。


 やがて、何を忘れていたのかさえ、思い出せなくなってきた。クリスタルのように透明で、存在感に欠ける思い出。しかし、しっかりあるべきところに収まったような安心感が僕をそっと包んだ。


「何か、欠けていた自分の何かが戻ってきたみたいな感じなんだ」僕は、自分の思いを口に出した。


「じゃあ、きっとそうなのだろうな。」錬金術師は、静かに答えた。「俺や、箒乗り、発明家、バイオリン弾き、皆他の世界からここに逃げてきた。お前が、他世界を計算で使う量子コンピュータの中でばらばらにされたというなら、その中の断片が戻ってきたのだろうな。そして、この宇宙と、断片を持っていたお前の分身が居た宇宙とのつながりもそれで切れた。」


「切れたことで、私の宇宙に侵入してきたようなやからは、ここに辿り付く一つの道を失ったことになる」女性の声だ、その方を向けば、壁にもたれるようにして箒乗りが腕組みをして立っていた。


「意味が分らない」僕は、身を起こした。「何を言っているんだ?」


「分らない方が身のためだ。」錬金術師が答えた。「元気になったようなら、私達も帰るとしよう。救急を呼んだのは私だが、入院の手続きとかは、箒乗りがやってくれた。退院したら、酒でもおごってやれ」そして病室の明け放れた出入り口に向った。


「美味しいお店なら、紹介するよ」箒乗りがにこりと笑うと、錬金術師の後ろに続いた。

「じゃあ、私もあとでご相伴にあずかろうかな」とどこからとなく現れたお月さんが、箒乗りの後ろについた。その背中に、一枚の羽が付いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ