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待宵草

 虫の音が聞こえる。四方八方の草むらの中から、個性的な音色が混ざり合って、不思議な合唱となって響き合う。僕は、河川敷のサイクリングロードを一人で歩いていた。夏の日中の暑さがようやく一段落したので、遅い時間の夕涼みといった処だ。それでも、どこかまとわりつくような暑さが残っている。


 空では、青白い月が月明かりに照らされた羊雲の中を、出たり入ったりを繰り返していた。日が暮れた頃から登り始めた月は、最初赤くどんよりした色だったが、今では、すっきりした様に外見では見える。


 しかし、僕に言わせれば、散々飲んだ挙げ句に、真っ赤になってから元の場所に戻ったものの、だんだん気分が悪くなって顔面蒼白となった様にしか見えない。日が沈む前の時間、暑い暑いと、お月さんは僕の部屋で散々冷蔵庫からきんきんに冷えたビールを取り出しては、がぶ飲みしていたのだから。


 私鉄の高架の下をくぐった処で、一人の少女がぽつんとサイクリングロードの片隅で河側に向かって坐って居るのが見えた。この辺りは治安は良い処ではあるが、こんな時間に一人でいるのは良い事ではない。


 サイクリングロードの住宅街側には、沢山の待宵草が咲いている。これから陽が昇るまで、黄色い花を沢山咲かせる。それを一本か二本切って部屋に飾ろうと思っていたのだ。

 深い意味はない、活ける花瓶も無いから、2リットルのミネラルウォーターのペットボトルの口の周りを切ったもので代用だし。


 この花の群落は私鉄の高架下からサイクリングロー沿いに大きな道路に突き当たるまで続く、僕の居る場所から、その大きな道路までは急な登り坂になっているので、ちょっとほろ酔いの僕は、そこまで歩いてまで良い形の待宵草を探すつもりはない。


 ちょきん、ちょきんと2本の待宵草を、あっさりと切る。少女は、まだ居る。ふと見れば、膝の上には一冊の絵本があった。


 薄くらい中、おかっぱ髪の少女の目は青白い月に向けられていた。

「月を見ているのかな?」と何気なく訊くと、少女は頷いた。そして膝の上の絵本をめくってそこに描かれている闇夜に浮かぶレモン色の月を指した。

「何時、こんな色になるのかしら?」


「うーん、月が昇り始めて少し経ったら黄色っぽく見えるけど、今はもうダメかな」僕は、白っぽくなった月を見た。「あとは、月が沈む時とか」実際に月が沈む時なんか見たことがない、いい加減に言ったまでだ。


「今は、見れないの」と少女は綺麗なレモン色の月の絵を小さい指でなぞたった。


「明日の夕方になればきっとみられるよ」と答えに困って返事をした。


「ダメなの」少女は首を横に振った、「夜にならないと出てこられないから」


僕は、ようやく少女がこんな夜更けに独りでいるかが判った気がした。


「これをあげる」と僕は待宵草を差し出した。


「?」不思議そうな顔を少女した。


「綺麗なレモン色をしている花だろ、これが咲き始めると、お月さんはどんどん白くなってしまうんだ。それは、月の黄色い色をこの花が吸い取ってしまうからなのさ」


「そうなの?」少女は、疑い深い目で花を見た。そして何度も、絵本の月と僕の手にある花を交互に見た。


「嘘だって判るわ」少女は、そう言って僕の手から花を受け取った。「でも、そう思うと何かこの花が愛おしく感じる」そして、絵本の中の黄色いお月さんの横にそれを置いた。

「同じ色だ」少女は言った。「そうね、きっとこれはお月さんの色ね」それから笑みを僕に見せた。


「やっと黄色いお月さんに出会えた、こんなに沢山あったのに気がつかなかったのね」少女は、後ろを振り向き、待宵草の群生を振り返って見た。僕も、少女につられて振り返った。


 何も言わない少女・・・気になる沈黙が辺りを覆った。


 気がつけば、少女はもうそこには居なかった。そこにあったのは幾つも置かれた花束、飲み物、お菓子、そして絵本。その絵本の上には、待宵草。


 突然、人を乗せていない回送電車が、大きな音を響かせて闇をヘッドライトで切り裂きながら走って行く。


 先週の夜、無灯火の自転車が大きな通りから、このサイクリングロードの坂道をものすごい勢いで下り、スーパームーンを見ようと独りで歩いていた少女に衝突した。

 少女は救急車で運ばれたが、まもなく亡くなったとニュースで見た。


「そう、天上に大きく輝く月の色は、花に吸い取られたんだよ」僕は、沢山の花束に向かって言った。「だから、この花は綺麗な黄色なのさ」


 ねっとりとした、夏の夜の空気は沈黙をしたままだ。僕は、新たに待宵草を切ると、自分のアパートに向かった。


 空の上でお月さんが、「嘘つき」と呟いた。


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