彼岸花
秋風が、川面を駆け抜ける頃、土手の一カ所に真っ赤な彼岸花が群生をなして
一斉に開花する場所がある。
自然とそうなったのではなくて、当然人の手により、株分けしては増やしていった
結果だ。その手入れをしているのが、彼岸花じいさんと呼ばれる好々爺だ。
花の時期以外でも、肥料を施したりしているし、花の時期には悪戯に人がそこに立ち入らないように、ロープで囲いを作ったりしていた。
暇そうな時でも、土手の上に椅子を持ってきて、のんびりとポット持参でお茶を飲みながら景色を楽しんでいたものだ。
TVとかで紹介されたりはしないが、僕ら地元に住む者にとっては、小さいながら秋の名所であり、写真撮影をしてネットにあげても、結構立派な写真が撮れることもあった。なんといっても、空気が澄んで、夕焼けともなれば、山の端がくっきりと浮かぶ富士山と曼珠沙華のツーショットも撮れる時があるくらいだ。
もっとも、写真の腕に覚えが無い僕は、雑然と彼岸花の群生を撮るだけなので、実際にそれを見たときの感動が写真を見てもちっとも浮かんでこない。
花の時期、じいさんは、ニコニコして花畑の側に何時もいた。
「綺麗ですね」と僕が、お世辞で無くじいさんに挨拶をすると、じいさんの笑みは、曼珠沙華のように、ぱっと広がる。だからと言って、そこから世間話みたいに、話しを続ける事もないし、じいさんも言葉を発したことが事が無い。
ただ、近所の人達は、そういう爺さんだと理解していたし、あえて会話の相手にしなくても、じいさんの笑顔を見れば、こっちも心が和んだものだった。
さて、或る秋の事だ、普段なら既に草刈りが終わっている筈の土手に、草刈りの業者が遅れて作業を始めた。おりしも、彼岸花が満開の時にだ。
そもそも、土手というものは、私有地ではない。土手の側に住む人が、庭の延長の様に植木鉢を並べたり、綺麗な草木を植えたところ、お役所から撤去するようにとの、立て札を立てられ、仕方なくそれらを廃棄していたのを思い出す。
撤去できなかった木については、お役所がチェンソーでばっさりと切り倒してしまった。中には、良い感じで育った桜や蝋梅もあったけど、理屈では確かにお役所に部がある。
さて、刈られてしまった彼岸花。さぞやじいさんも辛かろうなと皆で、話していたものだった。土手には、すっかり刈られた花が、散らばっていて、中には勿体ないと、家の花瓶に入れるのか、数本拾っては持ち帰る行く人もいた。
その日の夕刻に、刈った草を集める作業をしていた人々の間で、悲鳴があがった。土手の土の中から、ごろんと生首がひとつ出て来たのだという。
警官が呼ばれる前、地元の人々が野次馬で行ってみれば、その生首は彼岸花爺さんの頭だったという。
流石に、そんなものをずっと晒してもおけないと、後でブルーシートで覆い、そのまま警官が来るのを待ったのだが、いざ警官がやってきて、ブルーシートを外すと、すでに生首は無くなっていたとのことだ。
ただ、そのときにいざ爺さんの家族に連絡しようにも、そもそも爺さんがどこに住んでいるのか、誰も知らなかったとのことだ。土手で見かける事はあっても、この河川敷沿いに並ぶ住宅街の道路で爺さんを誰も見かけた事がないというのだ。
翌年、再び彼岸花が咲き乱れた。爺さんも、ニコニコしながら、花を見ていた。地元の人達は、なんだ、生きていたんだとほっとして、何時ながらのように、綺麗ですねと言うと、爺さんは満面の笑みを見せたものだ。