吾亦紅
日当たりの良い土手の斜面で、吾亦紅が風になびいていた。それを、いくつか鋏でちょきんちょきんと切っては集めている、男がいた。
いつもは、うさんくさい格好をしている錬金術師だった。いつもは・・・と前置きした通り、今回の彼の姿は、流石に暑さにはたまらんといったようで、白のTシャツに、デニムのバミューダと若々しいコーディネイドに何故か麦わら帽子を被っていた。
その彼が、これまたしぶい吾亦紅を集めている。
また、なにか怪しげな実験でもするのかい?と背中に声を掛けると、彼の背中がびくっと反応した。
「いや、そういうものじゃなくて」彼は、ゆっくりと振り向いて僕の姿を確認すると、言葉を返した。しかしその声色は怪しげというか自信なさげというか、何時もの自信たっぷりのではないのが、僕の琴線に触れた。-何か、企んでいるな?-
しかし、彼の左手に握られた野草の花束は、まるで活ける為に切ったかのように、同じ長さで切りそろえられている。きらびやかさのない、どこか寂しげな葡萄色の楕円の花が、彼の手からすっと伸びた先でうなだれている。
「そういうものじゃあない」彼の口から、同じ文句であるが、彼らしい声色が発せられた。そうとう僕の目付きが悪かったからだろう。
「ふうん、そうなんだ」と僕は、それでも意地悪そうに言ってみた。ちょっとカマを掛けて、らしくないことをしている理由が知りたかったからだ。
それが、自尊心の高い彼に、ちょっと響いたようだ。
「まぁ、あんたならいいだろう、付いてくるかい?」と彼から言う気になったようだ。
「なにかの実験の立ち会いでもできるのかな?」僕の、わくわくとした言葉に彼は怒りが混じったような声で返した。「そういうものじゃあない」
僕らは、錬金術師が土手の近くにある、パーキングに停めてあった。J54に乗り込んだ。古いジープはバイオリン弾きから借りたのだろうと思った。
吾亦紅は、彼が車に置いてあった新聞紙に丁寧にくるまれ、大事に扱えという命令と共に僕の手に渡された。
しかし、フロントガラスをボンネットの上に倒しているものだから、風当たりが酷くて僕は、花束を股ぐらに挟むようにして持つほか無かった。
これで、流れの良いバイパスとか高速とか行ったら風圧でかなり辛そうだ。もっとも、法令を守るつもりなら。そもそもフロントガラスは倒して走行するのは、駄目だったと思うのだが・・・と、警察に捕まらないことを願っていた。
着いたのは、郊外にある変哲のないマンションだった。施設内に入る手前には、太い鎖が張られた車止めがあり、その前で車を止めて、暫くすると鎖がゆっくりと下に降りて、通路に掘られた溝にすっとはまった。
そこで、車を発進させたので、僕が後ろを振り向くと、鎖が再び元の位置に上がってゆくのが見えた。
「高級そうなマンションだね」ゆっくり構内を走っているおかげで、口を利くことができた。
「マンションという訳でもない」彼は、構内に作られた駐車場にJ54を入れた。
僕が手にしていた吾亦紅を、受け取ると花束に瑕疵がないか、しっかり見つめてから、彼は、車を降りて建物に向かった。
僕は,マンションではないなら何?と何度も彼に尋ねながら彼の背を見て歩いたが、やがて建物の中に入ったときのあまりの静寂さに、違和感を感じた。
エントランスにあるカウンターには、一人の案内係と思われる女性が私たちを見ていた。とても存在感の薄い女性だった。そこへ錬金術師は、歩みよると何事かを話し、やがてカウンターでペンを走らせてから戻ってきた。
「行こうか」と彼は、僕を促して白い廊下を歩き、エレベータの前で止まった。しかしそれがエレベータとしてはかなり高機能なものに思えた。上下を押すボタンがドアの横に無いのである。それでも、エレベータの扉は、僕らの前で扉を開いた。そしてかごの中にも、ボタンが一切なかった。
かごが一気に上昇する感じはあった。しかし、普通ならあるはずの階を示す表示もない。それでも、チンという音と伴にかごは止まり、扉がたのもしく開いた。
願わくば、異世界でない事を祈るのみだ。
扉を出て、左右に伸びる廊下は、白く窓もない、マンションというより、テナントが沢山入っていそうなビルのようだ。錬金術師は、右方向に歩いた。その右手には等間隔でドアが並んでいるが、部屋の番号もテナントの名前さえもなかった。やがて、ドアの上で青いランプが点灯しているドアの前で、彼が立ち止まると、音も無くそのドアが開いた。
部屋の中もまた、白一色。入ってすぐ右と左にドアがあり、奥は広々としており、ベッドがひとつ鎮座しているだけだった。
そのベッドの脇には、小さな装置が置かれ、ケーブルやカテーテルの管がそこからベッドに向かって伸びている。明らかに病室というべきだろう。ただし、錬金術師が来たということは、僕と同じ空間に住む人達向けの病院ではないということだ。
僕らはベッドの脇に移動した。錬金術師は、窓際にある空になった花瓶を手にすると、僕に手を差し出した。その掌の中に、河川敷で手折った吾亦紅の束をそっと乗せた。
彼は、入ってきた方にある一つの扉の中に、消えた。僕は、ベッドの中で静かに息をしている少女の顔を見下ろしていた。とても病気には見えない、瓜実顔の中には、閉じられた瞼を覆う様に長い睫、小さい鼻、薄い唇がほどよい配置で並んでいる。そしてでストレートの白く長い髪が、布団の中に消えている。
-綺麗な人だな-と思った。その瞬間、少女の目が大きく開いた、赤い瞳。そして彼女は、ぐるる・・・とうなり声を立てて僕をにらみつけた。その有様に僕は背筋が凍るような旋律を覚えた。
-なんだ?まるで獣のような?-飛びかかられたらどうしようかと、一歩後ずさりをして、錬金術師が入ったドアを振り返った。こんな時ほど、時間の経過が長く感じられるものだ。僕は、うなりごえを続ける少女と、睨みあう状態を続けた。
「おや、起きたみたいだね」と錬金術師が、花瓶に吾亦紅を入れて戻ってくると、その声に反応したかのように、少女のうなり声が止んだ。彼は、花瓶をもとあった場所に置くと、ベッド脇の丸椅子に座り、少女の頭をゆっくりと撫でた。すると、それで安心しきったかのように、少女は目をつぶり寝息を立て始めた。
「この子は?」僕は、小声で訊いた。また少女を起こして怖い思いをしたくなかったからだ。
「沢山のものを、前の世界に置き忘れて、こっちに来てしまったんだ」彼は、少女の頭を撫でながら言った。「種族によっては、移送機は危険なものにもなる、彼女は、心と体が離れてしまって、こうなってしまった。」
「元の場所に、戻せないのですか?」
「体を失った心は、死んでしまうんだよ。彼女は、ここで新たに心を育んで行くしかない、多くの時間を使ってね」
「さっき、僕にうなり声を上げてましたよ。」
「見知らぬ者がいるからね。怯えたんだろう。こんな状態でも、感情はあるし、記憶することも出来るんだ。ただ、それを表現することが出来ない。」
「可哀想に・・・」
「そうだね、可哀想な子だ。でも、元いた世界では、心も体も傷ついていたんだ。生きる価値がないと蔑まれていてね」
「生きる価値がないなんて、そんな事が許される筈がない」
「しかし、社会が人に対して有用性を求め続けるなら、それから外れる人は必ず居るものだよ。バイオリン弾きは、音楽が必要でない社会では、無価値だ。箒乗りは魔法が悪とされる世界では、疎まれる存在だ。発明家は、どこでも重宝されそうだが、彼の知識が及ぶ範囲に限られる。私は、そんな社会の異端者を運び続けてきたよ」
ベッド脇の機械が、音を立てた。太く透明なチューブの中を茶色いものが流れ始めた。そのチューブの行き先は、ベッドの中に隠れて見えなかった。多分、液状化した食料なのだろうなと、思った。胃瘻が作られているのだろうか・・・僕の視線の先を、錬金術師も見ていたが、やがて再び僕を見た。
「中国という国で、こんな名言があるらしいね。黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ。しかし、鼠を捕らない猫も居る。全く、知的生物ってやつは、いつから他人の有用性を判断できる傲慢さを持つようになったんだろうね。」
「僕は、判断できる立場じゃあないなぁ、こっちも充分社会の落ちこぼれだ。」僕は、先ほどの怖い表情を見せた事を思い起こしながらも、可愛い少女を見つめた。
そのとき、空間がゆがんだような気がした。入ってきた扉の方が、陽炎がたったようにゆらゆらと見えた。
「やっぱり、来たか」錬金術師は、小さい声で呟いた。
すると、剣のようなものが唐突に、空中に現れ、続いてそれを握った腕。黒い服に纏われた体と-如何にも危なそうな人物が、この部屋に出現した。
それは、僕たちを一瞥もする事もなく、剣を振り上げ寝ている少女に襲いかかった。素手の僕たちには、この侵入者を止める術が無く、成り行きを見届けるしか無いようだった。
が、突然ぽんぽんという連続的な破裂音のようなものが、部屋の中で発生した。
「??」床を見れば、吾亦紅の花が床に飛び散っていて、未だ花瓶に活けられた吾亦紅の花が茎から激しく飛び出して、侵入者にぶつかっていった。
花なんか、当たっても痛くないはずなのに、侵入者は何故かひるんだ。床に散らばった吾亦紅の花を踏むと、妙に硬い。
そして、布団がふわりと浮いたかと思うと、体中にチューブやらケーブルを付けた少女が、侵入者に挑みかかり、白く細い腕の先の、白魚のような指先から伸びた、ナイフのような爪が侵入者の首を横一文字に切り裂いていた。
侵入者は、チラリと僕たちを見たようだった。何事かを呟いて、後ろに飛びすさるとまだ、ゆらゆらしている空間の中に逃げて行った。
少女は、体中からチューブやケーブルを垂らしながら、侵入者が消えた空間に向かって唸っていた。白い布団や、床には赤い染みが付いていた。
錬金術師は、唸っている少女に近づくとその頭をゆっくりと撫でた。
「良い子だ、良い子だ。もう行ってしまったよ」
すると、少女はベッドの中に潜り込んでしまった。
「なんですか?あれは」と錬金術師に訊いたが、彼はベッド脇のナースコールを押し、僕の問いには答えなかった。
「どうしました?」と男の声がどこからか響いた。
「侵入者だ、掛け布団を変えてくれ」彼は、ぶすっとしたまま答えた。
「判りました、直ぐに伺います」
僕は、自分の問いが彼の耳に入ったのか、判らないまま、しばらく彼の横顔を見ていた。沈黙が、僕達の間を暫くの間、埋っていた。
唐突に部屋のドアが、開くと両手に掛け布団を抱えた看護士が、入ってきて、布団を交換したが、床の染みを残したまま部屋を去って行った。
「さっきのは、見た通りの刺客だ」彼は、やっと答えた。「この子の部族では、働けないものは処罰される。惑星の環境を破壊してしまい、その復興予算の捻出のために、福利厚生の予算は全て削除されてしまったんだ。税金で人を養う事をやめ、替わりにその対象となる存在を抹消することになった。この子家族がその対象になってね、そこから逃げたのさ、しかしこの子には、思い人がいたせいで、心をしっかりとここまで連れて来られなかった。そしてこの子もまた、抹消される対象にされてしまった」
「酷い」僕は、そうとしか言いようがなかった。そして、部屋を出た。
「静かだな」J54が信号待ちをしている時に、錬金術師が言った。「ショックだったかな?」
「いや、僕の有用性について考えていた」継ぎ接ぎだらけの記憶、知識。そして、混乱の元。特異点。マイナスな方ばかりが思い浮かぶ。「彼女の世界に居たら、僕なんか即あの世行きだ」
「そんな事は、考えない方がいい。そもそも自分の有用性なんかそうそう気づかないものさ、自分には判らなくても、他人はお前に有用性の一面を知っているかもしれないし、その他人でさえ、お前がいなくなって初めて、失ったもののの大きさに気づく時もある。
だから今は誰かに認められたいとか、人の上に立ちたいとか、思う必要なんかない。
自分で思っているほど、他人は期待している訳ではないしね。なんでもいい、今できることをしてみる、とりあえず今日の糊口をしのぐ、それをひたすら積み重ねるしかない、そして以外と振り返ってみると、たった一人かもしれないけど、お前の有用性を見いだす人が居たかもしれないと気づきがあるかもしれない。そして、愛してくれる人が居るというのも、その一つだと思うよ」
「愛か、それさえも今は、無縁だな」
昇り始めたお月さんが、「そりゃそうだ」と真っ赤な顔で笑っていた。