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ある記憶への献花(7)

 ぼろぼろの体には、永遠という表現が似合いそうな程に道程が長く感じられた、当然その間のCPU時間は光陰の様に過ぎて行く、きっとその間に多くの事象が起きただろう。幾億というクロック数が過ぎ、そして多重世界を利用した量子ビットが次々と演算をこなしてゆく。しかし俺の体は進まない 泥を踏み、つまづき、そして倒れる何度も何度も、それが繰り返された。


 ラルフの店のドアを開け、がらんとした店内を歩くと床に俺の体から滴り落ちた泥が染みを作った。背景の女達も居ない。ラフルは、店じまいをする気なのか椅子をテーブルの上にのせ、店の中を綺麗に整えていた。

 俺を見るラルフの表情は、困った奴が来たという表情だ。

「ヴォルフが探していたぞ」とラルフは言った。「それに将軍は、マフィアに全滅させられたとさ」なら丁度いい、ヴォルフには決着をつけさせてもらうだけだ。

「そうか」俺はラルフを見た。「だれか、マフィアに密告した奴が居るってことか」

「お、俺は」と何かを言おうとしたマスターを俺は制止した。話さなくても俺はラルフを責める気はない。彼は彼なりに現実世界で、そして仮想世界で生きて行かなくてはならないからだ。自分とは関わりのない命に関する自白を強要されれば、嘘よりは真実の方が言いやすい。嘘はどんな物だっていつかは破綻する、その時、嘘を突いたということで痛い目には遭いたくはない。

「銃をくれないか、弾はウィルス付きで」

「弾は2発しかない、銃はデリンジャーだしな」

「一発でもいいさ、ただ弾は込めておいてくれ手がこんなんで動かないんだ。」俺は手首からぶらんとさがったままの手を持ち上げてみせた神経のフィードバックが途切れたから、もうキーも打てない。

「あいよ」とラルフはカウンターに銃を置いた。

「すまない、俺は墓地に居るとヴォルフに伝えておいてくれ」俺は、両方の手首で銃を

挟むようにして持った。やっぱり、あいつは最初に殺っておくべきだった。こんな事になるくらいなら

「やめろ、フォルスタッフ、逃げた方がいい」

「これは俺のけじめさ」



 オフィーリアの墓は、俺を待っているかのようだった。単に木を十字に組んだだけの粗末な墓。銃がデリンジャーでまだ良かった、トリガーがむき出しな分、そのトリガーを

墓に引っ掛けて何とか銃を引くことが出来れば、弾くらいは出るだろう。ただ、誤操作を防ぐためにデリンジャーの引き金は重くなっている。この世界でもその程度のシュミレーションはやっている。

 このぼろぼろの手でその引き金を引くほどの力が出せるかどうかは、自信が無かった。気力だけじゃ無理だろうか?不安が俺の中を満たした。


 <助けてくれ、オフィーリア、お前の力を俺に貸してくれ>俺は銃身を墓に乗せ、トリガーを引っ掛けようとしたが、瞬く間に俺の手首から地面にこぼれおちた。再び手首で銃を挟みこみ、銃をさかさまにして十字架の横棒に置いた。左手首を銃の下に置き、顎で銃把を上から押さえ込んだ。これで右手首をトリガーにつけて、腕を手前に引けば弾くらいは出るかも知れない。しかし、銃が小さい小さすぎる。

 当然当たる望みは無い。その上俺の意識は限界に近い。体に戻ることもなく、戦う前にここで朽ち果てそうだった。

 <久しぶりね…>オフィーリアの声が聞こえた。いよいよお迎えだな。

 <待ってた…ずっと>まもなく、お前のところに行くよ。遠くから馬の蹄の音がやってきた。いよいよ最後の時だ。オフィーリア、せめてお前の仇だけは討たせてくれ

 「おいフォルスタッフ、そんな処に隠れるとは死ぬ気まんまんじゃないか、手間が省けていいってものだな」

 ヴォルフの声がした。顎で銃把を支ええているので顔を満足に上げられない、上目使いで正面を見れば4人の姿が見えた。全員が馬から下りてライフルを俺に向けた。

 「的当てだ」ヴォルフは仲間の一人に目を向けた。そいつは、じっと俺を見ていた。分かっているのは一つ、なぶり殺す気だってことだ、しかし最後の止めはヴォルフ自身がするだろう。一発目は、俺の腿を打ち抜いた。

 痛い、俺は歯を食いしばった。手を離すわけにはいかない。

2発目は俺の、腹を掠めた。

3発目は、頬を掠めた。

「これでお別れだ。地に堕ちろ」ヴォルフの照準は俺の額を指している。しかし俺の手は、どうにも動きそうになかった。手首に力を込めて引き金を引くだけだというのに。全然力が入らない。

それなのに、奴の指の動きだけはしっかり見える。間もなく奴の銃声が聞こえるだろう。

<やっぱりダメかな、でもやらなくちゃ>そこへ誰かが俺自身のデータに対してオーバーライドを仕掛けてきた。俺の腕を動かすクラスプログラムが、処理の途中で強制的に別のクラスを呼び出している。何者かによってくそ、こんな時になんだよ!!そう思った時に俺に指の感触が戻ってきた。俺はデリンジャーを握りなおした。

「くたばれ、ヴォルフ!」

ヴォルフの手の中のライフルが吼えた。弾丸は、墓標を掠めて俺の肩に入り込んだ。

そして俺の弾丸は奴の額に納まっていた。銃身の短いデリンジャーで命中するなんて奇跡としか言えない

 俺はじっと自分の手を見た。オーバーライドされた女性の指のデータがそこにあった。やがてそれも、消えてゆき俺本来のぼろぼろになった掌に戻った。奴は始末できたが、残り3人は到底無理だ。

<終わったぜ、オフィーリア、仇は取った。>もっともヴォルフは死んでいないだろう

ただウィルスによりもうこの世界には入って来れない体になってしまった筈だ。それは、この世界を拠り所にする輩にとっては死と同じだ。

 俺は、地にうつぶせになった。もう何処にも力が残っていない。肩と腿から入ったウィルスが作用を初めている。それは俺が俺であることのデータを食い尽くしそしてやがては、俺の本体と今ここで死につつある俺とデッキをつなぐインターフェースさえ焼き尽くすだろう。

 

 どこかで雷鳴が3回轟いた。雨が降るのだろう。そしてその雨はきっと此処を昔のように花畑にするだろうか。おれは混濁しきった意識の中でそう思っていた。そしてポツンと冷たいものが俺の泥だらけの頬に落ちた。そら来た。雨だ。



 その雨はなぜか塩辛かった。目を開けるとマリアが俺の顔を抱えて泣いていた。

「未だ、生きているぜ、しかし戻れそうにない、ウィルスが体を巡っているからな。ここに置いてくれないかオフィーリアが待っているんだ」

「そうしてあげたいけれど、私の心がそれを許さない。だから半分だけ貴方を連れて行くわ。私を愛してくれた貴方の意識の分だけを」

「何故」

「私は、もうすぐ深宇宙に出るわ。人々の受精卵を乗せてね。でも寂しさを分かち合う相棒が欲しいの、そして遠い未来に一つの惑星に花畑を作るの、さっき約束したでしょ、それを一緒に見て歩き回るのよ、私とあなたで。」

「ああ、あの計画か…」自立コンピュータによる深宇宙の探査そして乗せられた人々の受精卵、移民船というのはそっちのことだったか、生きている人が乗っている船とばかり

思っていた。

「そう、私はここで長い間、花畑を作るシュミレーションを持ち込んでいたの…あの馬鹿が来るまでは、順調だったわ」



「するとお前は、コンピュータが作り出した人工の意識なのか?」

「そうかも知れない、でも本当の人かもしれないわよ…ああ、時間が惜しいわ、行きましょう、いえ、連れてゆくわ、今すぐ。嫌とは言わせない、私と貴方の意識は遠い未来まで生き残るわ子供は残せないけれど、私達の意志をきっとそこで繁殖する人々に伝えるの」

「愛でも教えるのか?」

「私はね、でもそれだけじゃダメ、貴方は生きて行く為の強さを教えるの、どんな世界だって敵は居るわ、戦う事と耐える事を教える事が必要なの、私よりそれは貴方に適任だわ」

「そんなものでよかったよ。俺は国語と社会が苦手なんだ」

「知識は、教育プログラムがやってくれるわ、でも知恵と生き方は私達にしか教えられない」彼女は、私の額に頭をしっかりと付けた

「さぁ…ウィルスは無効にしてあげるからうまくいけば、貴方の残りの半身もなんとかなるでしょう、さぁ、行くわね」

マリアは俺の視界から消えた。同時に俺は、意識の一部を失った。しかし、その時にウィルスも削除されたようだった。マリアという名は思い出せた。その女を好きだったこともそして遠くに行った事も、しかしそれがどういう女なのかは思い出せなかった。


 俺は、オフィーリアの墓をよじ登るようにしてやっと上半身を起こした。両膝をついたまま未だ墓に抱きついた状態で周りを見渡すと、少しづつこの地に変化が起きようと

しているのが分かった。

 「お前の元に行きそこなったよ」俺は、墓にキスをした。

 「また来るから」 戻る方法がひとつあった。一つの木切れ、ヴォルフの弾で削り取られたオフィーリアの墓の破片。俺は、仮想のキーボードを口に咥えた木切れで押した。

ログオフさえすればいい、それだけだ。



 俺は、ネットの中を戻ろうとしていた。今の俺を構成しているデータが順次巻き取られ、必要な情報が不揮発性のメモリに圧縮退避されてゆく、暗黒の中を流れるレテの河をゆっくりと流れるように多くのデータと共に俺は流されていた。

 クロックが鼓動を打つ。意識がクロックと共に躍動する。帰れるんだ、やっとこれで元の生活に戻れる。そして体力が戻ったら、またここに戻ってこよう。花に満ちあふれる仮想空間で愛しい女性に逢うんだ。ふらふらと木の葉のように流れる俺は量子空間における幾つもの可能性に分離を始めた。そして奴が現れた。鮫に乗った金色の猿だ。それは、その多元宇宙にも同じ姿で俺の前に立ちはだかった。

「よう…やっと見つけたぜ」鮫が言った

「…」

「この前は、散々な目に合わせてくれたな、借りは返すからな」鮫が大きく口を開いて俺の周りを周遊した。

「なんかボロボロだね」猿が指を指して笑った。「ちょっと物足りないけど、やっちゃおうよ」

 すーっと鮫は俺に近づいて、仮想の片腕を食いちぎった。そしてもう片方、痛みなんてものじゃないそして両脚さえもだ。鮫は、俺の体をばらばらに食いちぎった。俺を構成するデータが離散する。その上鮫の歯に仕込んであったウィルスが俺のデータの中にしみこんでいった。食いちぎられた俺の断片は多元宇宙の彼方へと散っていった。

「ざまないね」と金色の猿が高い笑い声を発しながら俺に言った。鮫はデータの流れの深淵に沈んで去って行ったが猿は鮫の背から降りて面白そうに俺を見下していた。

「アレックスちゃん、戻ってきちゃだめでしょ、折角盗ませてあげたのに」猿は小さな手で俺の頬を撫でると、笑い声を上げながら鮫の跡を追って行った。

「あばよ」俺もしずかに答えた。もう俺には何も残っていない、ちぎれた情報の断片の集合体が俺だ。流れに流されたままだ。帰るべきアドレスをタグのように付けたままゴミの様に、レテのようなデータの河の中を、光ケーブルの中を俺は帰途についていた。

 激しい頭蓋の痛みに倒れ、俺はやっと帰った。暗い自室。見覚えのあるような、ないような殺風景な部屋。床に倒れたまま手を頚椎にあてがい、インタフェースを抜くと、焦げ臭い匂いがした。意識を失い。そして目を覚まし、また意識を失った。


 俺の記憶、俺のデータは、ちりじりになった。あるものはマリアと共に宇宙へ飛び立ちあるものはちぎられて多元宇宙に散っていった。残ったのは、二度と仮想空間に入れなくなった体と記憶が抜け落ちた脳だけだった。



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