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ある記憶への献花(6)

 「さぁて、お宝を拝ませてもらおうかな」ラルフの店裏に馬車を着けるやいなや、将軍は馬車の中に入り込んだ。

 「おい、待てよ」と俺も将軍の尻を追いかけるように馬車の中に入った。そこにあるのは、一つの大きな木の箱だった。まるで棺の様にも見える細長い箱だ。蓋には背筋を伸ばして座っている猫が振り向いている絵が描いてあった。猫の横には太陽系の様な原子核の図案がある。その猫の意味するところは一つしかない。シュレーディンガーの猫だ。起こるかどうか分からない原子核の崩壊を何も知らずに待っている猫だ。


 そして蓋と本体を止めている蝶番の反対側には鍵が着いている。開けて下さいとばかりの安っぽい南京錠だ。しかしこれを開けるのは鍵や鍵のイメージではない、専用のソフトウェアだ。しかしこんな錠なら子供にだって開けられる。誰が見たって市販品の安い錠だ。錠が開いた瞬間、将軍はすぐさま蓋を外そうと手をかけた

 「中をいきなり見ないほうがいい」将軍が豪快に蓋を開けようとするのを俺は蓋を押して制止した。

 「なんでだ?」将軍は蓋に手をかけたままおれを振り返った

 「まぁ、みてろ」俺は、将軍を脇にどかすと手が入る程度だけ蓋を持ち上げて顔をそむけながら、手を差し込んで指先に触れたものを取り出した。透明な長方体のクリスタルが出てきた、

 「これが金か?」将軍が聞いた

 「そう、仮想通貨の元になるデータが入っている、しかし」

 「しかし、なんだ?」将軍が聞いた

 「暗号化されていると思う。ただ、箱に記載されているような暗号化ではない」

 「なんだ、そりゃ?」

 「箱に書いてあるのは、量子暗号化されていることを意味しているが、こんな金にそんなことをすれば使い勝手が悪い。一般的な暗号化だろうけど、この世界で俺たちがこれを観察すると自動的に解凍処理が行われるが、ほらじっと見つめるから、でてきた」

 俺たちの前にパスワードを要求する画面が空間に現れた。その下には、時間経過を示すプログレスバーがどんどん黒くなってゆく、そしてバーが黒く染まった時にクリスタルは俺の手の中で崩壊していった。俺の手の中にはガラスの粉の様なものだけが残され、それも馬車の床の上にさらさらと落ちていった。

 「使えないじゃないか!!」将軍は怒りの声をあげた。

  「ここじゃ、ただのデータだからな、これが仮想空間内の銀行で処理をすると初めてドルや円や元やユーロになるって寸法だ、無記名の仮想通貨だろうから、どこの銀行へ誰が持って行っても金にはなる。しかし俺たちのような奴が勝手に扱えば、パスワードが必要になる。この木の箱はデータを保護するためのものだ、銀行に行くまで大事にしろ」

 「ややこしいな」

 「ま、ここはそんなものだ」俺は掌についた粉を払った。

 「壊れた金は、あんたの授業料だ。俺への分け前はこのうち一本のデータで構わないからな」それだって相当な額にはなる。

 「おいおい、未だそんな事を言っているのかい俺は、仲間を裏切るような事はしないぜ」しかし、裏切るぐらいの事をしなければ悪党として成功できないのが世の習いだ。

 



 店の中では、男達がこれほど愉快な事はないとばかりに、酔い痴れていた。 仮想空間の中だけに実際には飲んでいなくてもソフトウェアは、実態の脳に偽装した信号を送りジャックインしている輩を酔いの状態にすることが出来る。

 当然、そんな偽装された酔いだけに覚めるのも早いし血液中にアセトアルデヒドも残さないから二日酔いにもならない、極めて便利なものだ。

 そういうデータを持つ飲み物をアバターは飲み、そして、叫び、笑い、泣き、あるいは喧嘩をふっかける。素面を気取ったままの俺は、あちこちに媚を売っているプログラムで動作している女達の一人の手を掴むと階段に向かった。黒髪で細面の女だった。マリアが、不機嫌な顔をして俺を見た。そのマリアを指して将軍が笑った。

 俺以上に素面なラルフが、グラスを拭きながら23号室と小さい声で言った。当然俺がこのデータだけの女と遊ぶものと思ったからだろう。俺は階段の上り口にある鍵置き場から一つの鍵を抜いた。



 階下からは、明け方前まで続きそうなどんちゃん騒ぎが聞こえてきた。女は部屋に入ると手際よく服を抜いで丁寧に畳むと籠の中に積み重ねた。

 俺は、そんな仕草をドアに寄りかかったままじっと見ていた。女は裸体のまま俺にすりより両手を俺の首に回した。

 「遊びましょう、お兄さん」熱い声が頬に掛かる。

 「そうだな…先にベッドの中に入っていてくれ」俺の指示に従って女は小さいベッドの上に仰向けになった。

 俺は、ベッドの脇に座りその女の体に手を這わせた。ゆっくりと行為を楽しもうというつもりではない、俺の手はそれとは気づかれない様にそっと女のデータとプログラムををいじりまわしていた。そして操作が終わると、俺はゆっくりと女に対して愛撫を始めた。期待通りにプログラムされた反応を女は示し、やがて部屋から漏れ出すような声が女の口から溢れてきた。そこで再度俺は女のデータを一部を操作した。レコード機能により記録された俺の行為が女性へのインプットとして永遠に繰り返すようにしたのだ。その為にベッドの上の女は、何もされていないのに、愛の行為が続いているように反応を続けていた。

 「すまない」俺は小さい声で詫びた。しかし、階下の将軍達は俺がせっせとこの女と行為に耽っていると思い込んで居るはずだ。

 もっとも、こんなつまらないプログラムの改ざんでさえ今の俺には疲労を増すばかりだった。あまりにも多くをやり過ぎた。


 分け前をくれる気の無い将軍と一戦交えるには、きっと一旦ログオフして、十分英気を養ってからじゃないと無理だろう、しかしそんな事をすれば、目の前のお宝は遠い国に行ってしまう。

 「頼むな」と俺はベッドの中の女に言うと、万が一しくじってウィルス弾を打ち込まれたときの用心にワクチンをファンクションの中に仕込んだ。もっとも市販のものだけにこれが最後の一回こっきりときたものだ。何発も撃ち込まれないことを天に頼るしかない



 部屋を出ると、室内に居る女の声が階下にも聞こえそうな音量で漏れてきていた。廊下にある窓をあけてそっと下をのぞきこんだ、安心しきっているのか将軍の部下は全く居ない、しかし、そこに例の馬車が未だ置いてあった。見張りさえついていない体たらくだ。

 俺は静かに飛び降りた。音も立てずに舞い降りる有様は天女の様だろうなと思った。 これが普通の世界なら、どすんと落ちて、足の一本は折っているだろうが、ここでは常にそれが通用するとは限らない、飛ぶことは難しくても俺に作用する仮想のGぐらいならごまかす事は可能だからだ。


 俺が場所の御者席に座ると、いつの間にか跡をついてきたのか、唐突にマリアが乗り込んできた。まったく、感の良い女だ。

 「ね、一緒に連れて行って、貴方もそのお金でここを元にもどしたいでしょ?」

 それもそうだが、この女と何処までも行く気にはなれなかった。独り占めする気なら金は多い方がいい、俺は、手綱を持ち、小さな掛け声と供に鞭を当てた。

  馬車は走り出した。静かに、静かに馬の歩を進めた。裏を周りそっと町外れを目指す。小さく鳴る蹄の音が俺には不気味な程に大きく聞こえた。将軍達は、俺が未だお楽しみ中と思って大きな声で騒いでいる筈だ。

 青白く輝く月が俺達の馬車の陰をぬかるみに落とした。馬車はのんびりと進んだ。マリアは無言のまま前をしっかり見ている。俺はここへ来たときの道をただ戻って行くだけだった。

 そして後ろで銃声が響いた。未だこの宿場さえ出ていないというのに、

 「気づいたか」俺は舌打ちをした。もっと距離を稼げると思ったのだが、そして馬に鞭を入れた。

 「裏切る気か!」将軍の怒号が聞こえた

 「分け前をくれたら、そのまま帰る気だったが」馬車の後ろの幌が開いて、中から俺のコピーが銃を乱射した。一掃するかのようなその銃弾の嵐に将軍達は銃を抜く暇もなく倒れて消えていった。

 ただしウィルス付きはもう無いのでやつらがログオフしてすぐに再びここにジャックインして来るのは間違いない、しかし、そのわずかな時間は稼げる筈だ。

 おれは、馬を駆りマリアはただじっと俺の隣に座っていた。町を離れそして俺はひたすらこの空間から脱出すべく急いだ。

 マリアが張り付けにされていたT字の十字架の横で一旦俺は馬を止めた。マリアは唾をその木に飛ばした。ここから先は、違う仮想空間に変わる。そうすれば逃げ切れるだろうと馬を出した瞬間馬車が傾いた。

 「なに!?」と後ろを見れば、車輪が車軸から抜け落ちて横に倒れているのが見えた。見張りが居ないわけだ。止め具を外して車輪が抜け落ちるように細工を施していたのだった。むしろ此処まで走れた方が奇跡だ。ずるりと大きな音を立てて箱が馬車から落ちた。

「金が!」俺は、命より大事なものが失われる思いだった。俺は御者台から飛び降りて箱に駆け寄ると、こぼれ落ちたクリスタルをかき集めた。そのクリスタルからパスワードを要求される画像があちこちに出現した。

 「だけ!やつらが来る!」マリアが大声を出して駆け寄った。その声が俺には届かなかった、俺にはクリスタルしか見えていなかったからだ、「危ないと」と彼女の悲鳴と銃声が響いてマリアの体が俺の前の箱を掠めて倒れた。

 その拍子に箱が裏返しになりそしてまた起き上がった。クリスタルは地面を被うようにこぼれていた。あたり一面にパスワードの花が咲き、そして時の経過と共にクリスタルが粉々になっていった。将軍は、俺の前で馬に跨ったまま残念そうに言った。

 「おいおい、どうやらこの女は、お前に心底惚れてしまったみたいじゃないか、そのままお前も道連れにしてやりたいが、生憎とウィルス付きの弾がもう無いのでな、それにしてもなあ おまえのおかげで折角の資金もパーじゃねぇか、普通なら弾さえあればこの女同様にウィルスを仕込んでやるが、お前には一度恩義があるしな、それに只じゃ殺したくもねぇ、体に戻りたくても戻れなくしてやる…おい ジャンゴ、泥棒に対する罰はなんだ?」

 「両手を切ることです。」ジャンゴと呼ばれた男が前に出た。

 「おお、そうだったな。命までとらないのがわれわれの優しい掟だ。」

 ガーン!ガーン!将軍の2発の銃弾が俺の両掌を打ち抜いた。痛みと衝撃で手を庇いながらも俺は泥の中に倒れた。顔だけを起こすと目の前には、苦しみにもがくマリアが居た。

 涙を流して俺を見ている。俺のための涙なのか、それとも死の恐怖にのたうつ涙なのか分からない、それでも俺は目の前でまた女が傷付いて倒れて行くのを見るのが辛かった。

 「ジャンゴ、やつの両手を砕きな」 傷は、仮想のものだ、しかしフィードバックされた感覚は本物だ。俺は、両手をかばいながら立ち上がろうともがいた。そしてまだなんらかのコマンドを入力できる内に手を打たないと。

 しかし、ジャンゴは俺を地面に押し倒して両手を左右に広げさせて、片方を足で踏みつけもう一方を銃把で思い切り叩いた。何度も、何度も…たかがデータ…しかし感覚が接続された手のデータが骨の折れる音と共に破壊されてゆく。痛みを通り越して感覚さえ失われてゆく

 そして、残った手も同じように潰された。将軍は、ぐだぐだになった俺の手の有様に満足したようだった。

 「行くぞ!」と将軍達は、俺達をぬかるみの地面に残したまま去っていった。

 「マリア…」俺は、苦痛にうめく彼女の傍に這い寄った

 「すまんな…俺に出来るのは、これしかない、なんとかして、ここから逃げろ、花畑はまた何処かで作った方がいい」俺は、ぶらぶらしたままの指の中でかろうじてまだ力の入る左の薬指で仮想のファンクションキーを叩いた。その指も鈍い音を出して使い物にならなくなった。

 「これでウィルスは削除できる筈だ」

 「あんたは?」

 「ここで死んでみせるさ、オフィーリアが待っている」俺は、ふらふらと立ち上がった。行くべき場所はあいつの眠る場所だけだ。

 「なぜ…死にたいの?夢は見ないの?」

 「そんなもの、もう忘れた」

 「そう?、私はここを花畑にしてそして、遠く宇宙の移民星でも沢山の花畑を作りたい」

 「移民星?」

 「そう、移民星」

 「そんな計画があったのかい?」初耳だった。もっとも夜の海の中で過ごし、ニュースなんてものには興味を示さなかったから当然か

 「ええ…素敵な計画よ」

 「なら、俺も連れて行ってくれ、この星以外なら、俺の住む場所くらいはあるかもしれないな、そして生きていたら、一緒にあんたと花を見たいものだ。」

 「一部でよければ空きはあるわ」

 「手以外なら乗せられる、俺はもう行くよ最後のけじめをつないと」

 「待っているわ、フォルスタッフ」悪いが、戻れる自信はこれぽっちもなかった。行く末は、広大な仮想空間に動かないデータとしていつかサルベージされるだけだ、そして

俺自身は、ちっぽけなマンションの一室の中で朽ちてゆくだろう。泥を踏みしめて俺は、前を見た誰も居ない町が小さく見えた。


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