ある記憶への献花(5)
墓地には、一本の十字架が立っていた。花に囲まれる事もなく、泥濘の丘の上にある一本だけの十字架。その下には遺骸も彼女のメモリーもない、埋まっているのは俺が流しても流しても枯れることのない仮想の涙だけだ。
俺は墓の前で片膝をついた。風が吹いてきた。オフェーリア…いや、直美。戻ってきたよ。
「あんたの知っている人かい」いつの間にか、ラルフが俺の後ろに立っていた。
「ああ、婚約者だった」
「死んだのかい」 俺は頷いた。「殺された、ヴォルフに」
「じゃあなぜ逃がしたんだ?」
「そう簡単には殺しはしないさ」せめて、地獄を見てもらわないと困る。少なくとも彼女と同じ地獄をあるいはそれ以上の。
後ろでいきなり人の気配が増えた。振り返ると汚い背広を着た連中だった。馬にまたがって俺をじっと睨んでいた。
「お前か?ヴォルフをやったというのは?」 その中の一人が、俺に訊いた。どこかにおしゃべり がいるのか、あるいは、こいつらの誰かが見ていたのだろうか。
「ああ、まぁそうだな」 俺は、コマンドを打とうとした。
「動くな、手は下に下げていろ」
「俺は丸腰だぜ…」 俺が両手を挙げて反論すると、彼らの後ろから一人の男が馬に跨がったままのっそりと現れた。男達はそいつの為に道を開けた。
「よう、久しぶりだな。悪党。」女に鞭を打とうとしていた奴だ。ハンドル名は将軍と言っていた筈だ。
「こんな処で何をしているんだ、将軍」俺は、奴の仲間の依頼で、メモリ上に固定されるという刑 から奴を助け出した事があった。当然危険な仕事だけに金はたんまりふんだくってやった。
「革命の資金集めさ、フォルスタッフ。お前に払った金のせいで、俺達の金庫が空になっちまったからな」将軍は、本体はどこぞの国で革命軍を指揮している奴だ。悪く言えばテロリスト。もっともその国って奴も内紛続きでころころと大統領が代わっている有様だ。そんな見たことの無い国の事など知ったことか
「自由になれたんだ、それでも安いものだぜ」俺は、当然の様に言い返した。
「全くだ、それより。久しぶりの再開だ一杯やろう、奢るぜ」将軍は、大声で笑った。
「そうだな」俺は、この男に遇う手間が省けたことに、喜びを感じた。
「丁度、俺も話しがあったんだ」
*
ラルフの店は、一杯になっていた。仮想酔いの中で男達は魂の無いデータだけの女を抱いて騒いでいた。不機嫌なオーラを一人で振りまいているのはマリアだけだった。
彼女は、俺の隣でなんであんな奴と知り合いのかと同じことばかり何度もも問いただした。将軍にしてみれば、ヴォルフの勢力が弱まったこの時点でマリアの存在などどうでも良さそうだった。
「おい、フォルスタッフ、どうやって将軍を倒したんだ?」将軍は、テーブルに置いた大きなジョッキからビールを飲んでいた。
「幾つかのコマンドの複合と、そしてマシンガンのデータを使ったんだ。」俺は、そっと手を伸ばし、見えないキーボードを叩いた。居酒屋の中に、3人の俺が現れた、どれも手に機関銃を持っている。そして3人ともカウンターに銃口を向けた
「やめてくれ!」とラルフが叫んで、カウンターの下に身を隠すのと同時にマシンガンが火を噴いた。
カウンターの後ろに、飾ってあったウィスキーのボトルが次々と悲鳴を上げてガラスの破片を撒き散らし中の液体を床に落とした。僅かな時間の間に、飲むべきアルコールは全て消えた。尤も後で自動修復されるだろう。
「すげーぞ、同志!」将軍は、席を立って俺の肩を抱いた。
「で、あんた、こんなしけた場所でヴォルフとシマを争っているのだってな、何故なんだ?金にならんだろう?」
「金運びの仕事があるだろう…あれをヴォルフから横取りしてやるのさ」
「なるほど、そんなに良い金になるのか?」
「悪くはない」将軍は、きっぱりと言った
「その金を横取りできれば、もっと金になるぜ、あんたの言う革命の資金だってあっと言う間だ。」
「おーっと、そんな事をすれば、俺の本体がたちどころに蜂の巣だぜ…」
「ちょっと考えがあるんだが…」俺は、将軍に耳打ちをした。
「お前、俺より悪だな」 将軍が、げらげら笑いながら言った
「しかし、本当に上手くいくのか?」
「やってみなければ分からないさ」
*
将軍が望んだとおり、ブラックマネーの運搬の護衛は駒を失ったヴォルフには任せられないと言う事でお鉢が将軍に回ってきた。
悪人はそう簡単に正義の味方を護衛になんかつけたりしない。あるとすれば間の抜けた正義の味方がハメられた時くらいだ。できればヴォルフの奴が地団太を踏む顔を拝みたかった。しかもこの世界におけるハンフリー・ボガードのような顔ではなくて、奴の本体の顔でどんなしかっめ面をしたのかを笑って見てやりたかった。
考えてみれば、あいつの本当の名前も、国籍も年齢も分からない、俺達のような仮想世界にアバターを置く輩のコミュケーションは、全てホストコンピュータが翻訳してくれるから、この世界には国境というものが無い、全ての境界線は趣味や共通した世界観によって引かれているだけだ。
それを奴は荒らし、例えアバターとは言え、奴らは徒党を組んで、俺の目前でオフィーリアを強姦し、そしてナイフで彼女の仮想の体を傷付けた。
「なにさ、たかが仮想世界の出来事じゃないか俺達は俺達の楽しみ方を追求するだけだ」ヴォルフらはそう言い放って、去って行った。ここには、司法の力は及ばない、殺人も暴力も盗みも現実世界に与える影響が未知だからだ、それにそんな事があったとしても、一つのテレビゲームがゲームオーバーになった程度の事でしかない方が普通だ。
たかが、仮想世界の出来事、映画を観た後のように、あるいは夢から覚めたように、気が付けば現実に戻って彼女に元気な姿で居て欲しいと願っていた。
花畑の死角の様な場所で愛を語らっていた俺達は力ずくで離され、俺も彼女の十字架に貼り付けにされた。
やつらは、既に半裸だったオフィーリアの服を引きちぎり、俺の前で何度も交代して暴力を与え続けた。そんな彼女の口から出たのは、苦痛の悲鳴だけだった。
やつらが聞きたがった天国の階段を登る時の絶叫が彼女の口からは出ることはなかった。
彼女はアバターの機能にそこまで求めなかったからだ。俺達の行為もむしろよりプラトニックに近いものだった何時までも互いの存在を感じたまま精神のジョイントを続ける気分に酔い痴れていたいと彼女は良く言っていた。俺たちは互いに精神的に高め合うことに喜びを見いだしていた。
「独りじゃないって、こんなに暖かいんだね」つながったまま、彼女はそっと俺に言ったものだった。
「現実では何時も独りだったのに」
オフィーリアはこの世界にそよふく風に触れる感触、花の香りを感じるための嗅覚、そして美しいものを見る為の視覚をなによりも強化していた。
本当の体では、目が見えない彼女にとっては、この世界は、見るという行為に新しい世界を与えてくれるものだったのだ。そして世界が広がった事に喜びさえ感じていた。
その彼女のデータをやつらは文字通り八つ裂きにしてしまった。オフィーリアの世界を感じるために強化されたフィーッドバック機能は、やつらが彼女に与えた暴力が相手では仇以外の何者でもなかった。
必要以上の痛み、苦痛が彼女に大きな過負荷を与えた。彼女の命はそれに堪えられなかった。そして俺は独りの寒さに凍える日々を送る事になった。そして此処も寒い、泥濘に身を埋め、俺は待っていた。
*
馬の蹄の音が聞こえ始めた。金がやってきた音だ。金と言っても、それはデータとしての金だ。通常のルートでは流れる事のない金だ、なんと言ってもその金は単位さえ決まっていないのだ。現実の金とは異なるレートで取引される仮想通貨だ。
それを、こんな仮想空間で隠蔽しながら運ぶのは、どんな記録にさえ残したくないという顕れだ。昔、多くのアバター達が憩いを求めてここに出没していた頃はこんなものはここを通る事がなかった、ヴォルフがここをほとんど無人にしてしまったのは、こういうルートの開発を依頼されたのかも知れない
見れば肝心の通貨のデータを積んだ乗り物はここまで手の込んだ事をと思う位に見事な幌馬車だった。なるほど誰が見たって西部劇ごっことしか思えない。それがドロドロの泥濘地の谷間にある一本の道をゆっくりと進んでくる。
その周りを将軍達が相も変わらず汚い背広の姿で馬に跨って護衛をしている。マフィアの方といえばかなりまともな防護体制だ、黒い抗ウィルススーツを纏っているからだ、しかし全身ではない。しかもマフィアの連中は完全にこのルートに慣れきっているようで、だれた感じが俺にも分かった。
俺はフリーズさせたヴォルフの部下達を回りに集結させ、道を見下ろす高台の地面に這い蹲らせていた。銀色の服のアバター達は俺にハッキングされ俺がプログラムしたとおりに動くようになっていた。いわば、人形だ。そして俺は死を生む人形使いだ。そして彼らの武器もまた俺の用意したものだ。俺の隊は匍匐しながらゆっくりと進んだ、斜面の先端まで移動だ。眼下を進み続ける奴らの声が待ち伏せている俺に聞こえる
「…ヴォルフが…」
「よくわかんねぇが、流れ者の小僧にやられたらしい」
「ドジな野郎だ。その流れ者はまさかこれを狙っての事じゃないだろうな」
「さぁ、わかんねぇが、注意に越したことは無いだろう、むしろ俺はヴォルフの方が怖い」
「ああ、仕事をとられた逆恨みで、これを狙っているという噂があるな…そんな弾があれば仕事も捕られないだろうにな」
「なにかとんでも無いソフトウェアで襲撃をしてきたりしないだろうな」
「なにさ、なにがあったも、このツースで大丈夫さ」
「あんたらはな…」将軍は不服そうに小声で言った。
そう、面白いソフトウェアは沢山ある。俺達は泥の中から立ち上がった。人形化されただけじゃない、コピーされて総勢100名ってところだ。手には機関銃付きだ。多少だけ時代背景も一応考慮して、銃口がぐるりと円周上に並ぶガトリング銃だ。それが一斉に泥の中から立ち上がり、銃口から火を噴かせながら高台から谷間に向かって一斉に駆け下りた。 雄たけびの声と、ガトリング銃の音が谷間に木霊した。ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ…と隙間も無く飛ぶ弾丸が馬車に襲いかかる
ばったばったと将軍の部下が真っ先に倒れた。マフィアの連中は流石にしぶといが、こっちのコピーには、5歩進む度に2倍に数を増すようにプログラムを仕込んで置いただけに、むしろ精神的な圧迫が酷い筈だ。もっともそれが狙いなのだが…
こうなると流石に多勢に無勢と感じたらしい彼らはじりじりと後退して一斉に逃げ出した。泥濘地には、倒れた馬、将軍達が泥の中に横たわり、馬車がぽつねんと静かに立っていた。
銀色のガンマン達は制止して、ひとつづつ消えていった。デッキにつながっている本体は、ワイヤーにつながったまま口から泡を吹きながら気絶している頃だ。
俺は、倒れている将軍の部下達一人一人と馬に接しては、解毒プログラムを注入していった。そして、辛そうに一人、また一人と生き返った。馬のデータも元気に動きはじめた 彼らのアバターには抗ウィルスプログラムを既に組み込んでいたが深く入り込んだウィルスそのものの除去は難しい、俺の解毒プログラムはそれを追跡して破壊するプログラムだ。
「ひでぇ気分だ」将軍は、片膝を着き頭をぶるぶる周してから言った。
「どうやら上手くいったな」
「ああ、暫くすればヴォルフに向けてマフィアからの刺客が出るだろう」俺は、やつの最後を見ることが出来ないのが残念だったが、金が手中に入った事については、それ以上の成果を感じた。
「さぁ、もどって祝杯をあげようぜ!」将軍が、銃を片手に大声をあげると歓声が荒野に木霊した
「いや」俺は将軍の正面に立って言った。
「俺は、戻る。分け前をくれればいい」 やばい仕事では引き際が肝心だ。相手がマフィアとなればヴォルフをはめたとはいえ、奴らの情報網を甘くみることはできない
「何を言っているんだ、兄弟!先ずは祝いだ。これで、革命の武器も買える。バーチャルじゃあない本物の武器だ。成功の暁には、お前を政府の要人にしてやるぞ、そしたら、こんなのははした金だ。」
「いや、俺はそのはした金でいいんだ。」そして、どこかで静かに暮らしたい。贅沢も虚構もいらない。独りでゆっくりと過ごす時間と場所が欲しかった
「まあまあ、その話は、戻ってからやろうぜ、こんな場所でうろうろしていたら、やつらが戻って来るかも知れないしな」将軍は、俺の肩に手を回して言った。俺は、こいつは金を独り占めにする気があるように思えた。悪人は、そういうものだ。