ある記憶への献花(4)
やがて、律儀に時間を守る男達が扉を開けてぞろぞろと順番に入って来た。今度は、全身が銀色のタイツ姿ではなく、この雰囲気にぴったりのガンマン姿だ。ただ銀色がこの集団のカラーなのか、銀色のマフラーみたいのを首に巻いていた。
先頭は、きっと露払い役の子分だろう強面のアバターだが、椅子を引いたりとか後続のメンバーの為にいそいそと働きだした。そして続々と本当の強面のお兄さん達になって、最後にヴォルフ本人が現れた。ハンフリー・ボガードもびっくりの渋さが光る良い男だ。悪人だけに顔を売る事も商売の一部だから、昔から全く変わっていない。
むしろ変わってしまったのは俺の方だろう、奴は俺のことなど覚えてもいやしまい、もっとも奴ほどの悪人が昔の悪事の一つくらいでも覚えていれば見つけものだ。
俺は、カウンターの椅子に座りずっと戸口に顔を向けていたが、連中の姿を見飽きてきたので顔を元に戻して、未だ残っているスープを啜った。
そして誰かの手が俺の肩に乗せられた。「どきな、そこは俺の席だ」
振り向くと、いかにもワルという感じの男が、頬から口に渡って付けた傷を見せびらかすようにして立っていた。俺は、そいつを一瞥しただけで、スープの残りに取り掛かった
「おい、てめえ!」と俺に襲い掛かりそうになったそいつの目の前に俺は銃口を突きつけた。
「飯の最中だ、黙っていろ」人の飯を勝手に邪魔されたら、誰だって怒るだろう。悪人面は、じっと目を細めて俺を見返した。銃口にびびる気はなさそうだ。どうせ一発貰って死んでも一時的にログアウトさせられるだけだ。もっともウィルスが仕込んであれば話は別だが。
ヴォルフの部下達がこっちを注視していた。そしてヴォルフ自身もだ。緊張した時間が過ぎてゆく、
「銃を置いて出てゆきな、これだけの相手に、勝てる見込みはないぞ」ヴォルフ自身が静かに言った。
「そうかな?」 おれは、仮想の手を動かしていくつかのコマンドを入力した。そのコマンドは、俺が作ったプログラムを動作するようにしたものであり、仮想空間内での俺自身の処理を最優先で行うというものだ。本来は各アバターには同等の処理時間が振り分けられる様にデフォルト値が設定されているものだが、管理者権限に書き換えてある俺のアバターはその優先度を最高レベルまで書き換え可能だ。
つまり、ヴォルフのやつらが、一つの動作を行う間に、俺は100回もの動作が可能になっている。西部劇の世界でいえば、早撃ちってことになるだろう。そういう事で、誰も身動きしない間に俺は部下数人の腕ばかりを狙って撃った。
撃たれた奴には最悪のケースだ、実際の体も神経のフィードバック効果により腕を痛めている気分になるし、腕が使えないとログオフコマンドさえ入力できやしない。
一瞬の出来事に、ヴォルフは目を白黒させた。俺がなんらかのコマンドを使ったのは分かっただろうが、頭の悪いやつには、それがどういうものかは検討つくまい。俺は、経験と知識でもって、この仮想空間で使用される多くのAPIの存在を知りそしてそれを自由に操れるのである。おれは、それに多くの投資だってしてきたんだ。
ヴォルフは、俺を睨みつけた。そして一言だけ言った。「この町から生きて出られると思うな」覚えている気にもなれなかった。彼らはおとなしく店から出て行き俺は食事に戻った。
「凄いなあんた…」ラルフは、おそるおそる俺に近づいてきた。
「しかし、ヴォルフはきっと仲間を連れて仕返しにくるぞ」きっとそうだろう、しかし俺は負けない自信があった。
「できれば、そのブラックマネーの輸送の事を詳しく教えてくれないか?」俺は身を乗りだしてラルフに正確なところを聞き出した。
*
夜になってもヴォルフは来なかった。きっと仲間を呼び集めているのだろう、来るとすれば明日の朝かと考えるしかなかった。俺の本体も腹を空かしそうだ。
いくら仮想空間でたんまり食っても実体は衰弱する一方なのだから。たまったものじゃないしかし、ここで会ったが100年目という気分だった。俺には、まだ体に戻る気にはなれなかった。仕返しと、金の欲望を満たす事に俺は夢中になっていた。
俺は、ちょっとした作戦を練る為に、部屋を借りる事にした。
「わるいな、マリアの部屋でも使いな、他は全部使い物にならない」ラルフは申し訳なさそうに言った
「悪い子じゃないから、今宵、相手でもしてやったらどうだい?どうせ仮想空間の中のことだしな俺も寝た事ぐらいあるしさ」
「考えておく」 俺は、階段を上がった
ドアをあけるとマリアは、窓辺の椅子に座っていた。彼女の傍のテーブルには45口径が置かれていた。おおかた、クリント・イーストウッドのファンだろう。
「助けてくれてありがとう」マリアは、俺を見ると薄明かりの中で笑みを漏らした
「ああいうSMみたいのは好きじゃないのでね。もし、好みでやっていたら謝る。」
中には、確かに好きな奴はいるだろう、されるのが好きな奴だっている。しかし、俺の趣味じゃない。
「フォルスタッフ、腹も出ていない道化師さんもっと気の利いたこと言えないの?」
「たとえば?」
「一目で、君が気に入ったから助けたんだとかね」
「悪いが、俺の好きな女は決まっているんだ、ただ…」
「なに?」
「よく見れば、あんた似ているな」
「貴方の彼女に?」
「ああ、死んでしまったけど」
「死んでしまった女性のことなんか忘れた方がいいわ、そうしないと、貴方まで死んでしまうわよ」 分かっている、それは十分過ぎるほど分かっている。しかし、残念なことにその言葉は遅すぎる。もう俺の心は死んでいるのだから。
「それより何時まで、そこに立っているつもり?」マリアは汚れたままの上着を脱ぐとベッドの中に潜りこんだいい体だった。
「別に貴方をこの心地よいベッドから追い出したりはしないわ」
「いいのかな?」
「もちろん、貴方は素敵だわ。特にその目が可愛いわね」
俺が、上着を脱いでマリアの横に入ると、彼女はそっと俺の頬を指先でなぞった
「髭が硬いわ、これで背中を掻いてもらうと気持ちいいかしらね」
オフィーリアが傍に居た頃、俺の頬は彼女の肌が痛くならないように何時も剃っていたものだった。そうたとえ仮想空間の中でもだ。しかし、今は違う。それにマリアは彼女ではない。
*
マリアの体からは、花の香りがした。こんな殺伐としたデータの中でどうして、こんな香りを作り出せるのかが不思議だった。そして俺は、その香りが好きだった。恋人が好きだった香りだったからだ。
朝早くから俺は、居酒屋の前に樽を並べた。もちろん銃撃に備えて、隠れる場所を作るためである。そして、やつらが来るまでの間に使用可能なコマンドをファンクションキーで実行可能な状態に置いた戦いとなれば、逐一コマンドを入力していられないからだ。
ワンアクションで全てを決めなくてはならない。居酒屋の2階の窓からは、ラフルとマリアが顔を並べて俺を見下ろしていた。その多大勢の女達も他所の部屋から顔を出していた。
そして、こちらの準備が万全になったところでヴォルフの一味がぞろぞろと街の中に入ってきた。あの銀色の不気味なアバターでだ。その姿は一見安直そうだが、その体に映り込む周りの景色まで丁寧に描画されているのを考えると結構手間がかかっているかもしれない。うまく使えば光学迷彩の代わりにも出来そうだ。
総勢おおよそ100人か…集めたものだ。そいつらは勝ち誇った面構えをして、ゆっくりと俺に向かってきた。そして各自銃を手にしている。そしてその弾丸にはウィルスを仕込んであるだろう。二度と俺を、この世界に入れないために、そして最高の苦痛を与える為にだ。
そして俺の慈悲深い弾丸には、アバターのまま精神を仮想世界に釘付けにするソフトウェアを組み込んだ。あとでゾンビーとしての役割を演じて貰うためだ。これに当たった奴は、暫くの間CPUから時間を貰えない。コンピュータでいえば、フリーズ状態になってしまうのと同じ効果をもたらすと言っていいだろう暫くの間ってのがミソではあるが。
俺は樽の陰に隠れ、その間から様子を伺った。大事なのはタイミングだ。一網打尽に
するなら、奴らにはもっと近づいて欲しい、だが奴らが発砲する前に先手を打ちたい。
多分ヴォルフの命令で一斉にウィルス付きの弾丸が俺に向かって来るだろう。その1クロック前に俺は手を打たなければならない、流石にこれだけの人数から一斉に発射される弾丸を貰っては、その全てを避けたり、無効にするのは至難の技になる。
ヴォルフは一番最後に街に入ってきた。白い綺麗な馬に乗りゆっくりと歩を進めている。彼らの視線が俺ではなくヴォルフに集まった。命令を待っているのだ。
「小僧、今日がお前の命日だと思え」 ヴォルフの声が響いた。
「何か残す言葉はないか?」おれは、何か格好のいい台詞を考えていた、その間が
奴の気に食わなかったらしい。奴の表情がむっとしたようだった。
ヴォルフの右手が馬の手綱を離れた、それがゆっくりと上に向かって伸びてゆく、奴の子分達の視線がヴォルフから再び俺に向かってくる。
顔が俺の方を向き、各自の銃を持った手が上がり始める。俺は、仮想のファンクションキーを押した。
「くたばれ!」と俺は叫んで樽から上半身を見せた。ただし、一人ではない。10人のマシンガンを持った俺だ。ヴォルフの部下には誰一人引き金を引かせる余裕を与えなかった。
銀色の衣装の連中は、次々とその場でフリーズされ、朽ちかけた家の柱は、仮想の弾丸に木屑を舞い上げて削り取られ、地面からは泥が飛び散った。一斉に背を向けて逃げる奴らにもお構いなく俺の弾丸が遅いかかる。
ヴォルフは、恐怖に引きつった顔をして脱兎の様に逃げ出した。何人かの部下がそれに続いた。俺はコピーモードを解除すると、普通の銃に持ち替えて引き金を引いた。それはヴォルフの馬に当たり、奴は顔からぬかるんだ道に突っ込こみ、そのまま必死の呈で逃げて行った。
「こりゃたまげた。どうやったんだ?」ラフルが、店から出て来て周りを見渡しながら言った。
「ヴォルフも、この中にぶっ倒れているのかい?」
「いや」と俺は、銃をメモリのどこかにしまいこんで答えた
「やつは逃がした」
「なんでだ、また仕返しにくるぞ」
「やつの部下はこの状態で暫くは仮想空間上で動けないし、やつには未だ役にたってもらわないと」
俺は、ゆっくりと泥の道を歩いた。そしてヴォルフが出て行った街の門を抜けて、更に歩いた。