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ある記憶への献花(3)

 夢の中で忘れてはいけない用を思い出し、俺は初電で帰る為に身を起こした。店のカウンターには、何時の間にかハルに代わって黒大根が座っていた。最近雇った若い奴だ。ハンドル名通り日焼けで黒い顔をした奴だ、こんな街のビルに埋もれているよりは、日差しの中でサーフィンでもしていたほうが似合っているように見える。

 奴はハル同様に無口だが、ハル程には役には立たない。口は堅いがエンジニアとしての技術は無く店番以外の事をやらせることは出来そうにない。彼の教育については、ハルに委ねているが、ハルはこれまた人に物事を教える事に関しては大の苦手ときている。

 黒大根は、「お疲れ様」と俺の背中に向かって言った。俺はあとは宜しくとだけ言って。夜と朝の狭間の路地に脚を踏み出した。街は、未だ昨晩の続きのままだ。しかし誰も彼も流石に疲労は隠せないようだ。酔いで意識も混濁しているだろう。飲み疲れで言葉少なく駅に向かう人々が徐々にばらけながら千鳥足で駅に向かって歩いている。

 電車の中では多くの若者が酒臭い息を吐きながら、眠りこけていた。混雑はしていないが席はあらかた埋まっている状況だった。

 通路の中を掃除ロボが人々の足に触れないように動いていた。空気の中にある、不快な酸っぱい匂いに引き寄せられてそれに向かってるのだろう。

 俺は、ドアにもたれかかったまま車窓の向こうで東雲色に染まりつつある空を見ていた。俺の知っている空は、この色か夜空ばかりだ。家の窓には始終厚いカーテンがかけられているからだ。洗濯機には乾燥機も除菌装置も付いているから外に干すなんてこともしない、マンションのベランダには花なんて置きもしない。青い空が無い分、俺にはネットがあると信じていた。そして、その世界を通じて金が転がり込む。情報と金、それがが全てだ。


 俺は、マンションの一室に戻ると、再び寝る間も惜しんで、ジャックインした。広大なネットには地図はない、あったとしてもそれは常に変化をする。進化と消滅を続ける空間なのだから、1秒後には意味を成さなくなる時もある。しかし、変わらない場所もある。

 俺は、喪服姿のアバターで、一つの世界に入った。想像力を疑いたくなるような、何もない世界、しかし、そこには俺の昔の恋人の墓がある世界でもあった。

 かつて、俺達は愛し合っていた。体のみならず精神さえもネットの中で融合させていた。しかし互いに深く電脳空間に没入させて行為に耽っている時に、あいつが現れ、俺達を引き裂き、彼女は精神をずたずたにされた。現実の墓は、彼女の実家に置かれ、俺は仮想空間に彼女の墓を建てた。俺が彼女を殺させる原因を作ったのだと、彼女の両親は俺をひどく憎んでいたからだ。それまでは、俺と彼女と彼女の両親とは上手く行っていた方だと思うし結婚だって真剣に考えていた。


 昔、この仮想空間には多くの花がイメージされていた。楽園の花園と呼ばれていた。そして多くの人々が此処を訪れて憩いのひと時を楽しんでいたものだ。

 俺と俺の思い出の中にしかいない彼女ともそういう一時を此処で共有していた。しかし、いまや其処にあるのは泥だらけの荒野だ。誰のイメージがそうさせたかは不明だが、ろくな奴ではないだろう。俺の居る場所の周りには岩や壊れた馬車が放置され、ここからら下る道はぬかるんでさえいる。下り坂の途中には何に使うのか分からないT字型に組まれた木が、俺のこれからの行く手を阻んでいる様に見えた。


 俺は、色の少ない風景を見下ろしていた。遠くには、町のようなものも出来ていた。この辺りが花畑だった頃は小さい観光客向けの店が幾つかあっただけだったが、今は見るからにゴーストタウンのような寂れた町並に変わっている。それも西部劇に出てきそうな作りになっている。きっとマカロニウェスタンのファン達が作り直したのだろうと思った。

 こんな景色なら、喪服よりは、ガンマンの格好の方がお似合いだったかもしれない。いずれにしろ、俺は墓参さえ済ませたら帰るつもりでいたから、着替えをする気もなかった。アバターとはいえ此所に相応しくない格好をしていたら面倒な事に巻き込まれるだけだ。


 下りのぬかるみに踏み出したとたん、女性の悲鳴と馬の蹄の音が響き、俺は辺りを見回して腰ぐらいの大きさの岩陰に隠れた。

 これじゃ本当に西部劇だ。女性は、町の方から両手を縛られたまま馬に引きずられるようにして、こっちに向かって来ていた。その女性の周りには汚れたツィードの背広を着た男達が奇声を張り上げ、女性の周りで馬を駆っていた。俺の中で過去の忌まわしいイメージがそれに重なった。そして、いかにもリンチか処刑としか思えない行進が停止すると、助けを請う女性の両手の縛めが解かれて、その代わりに無骨な男達の手が女性の動きを封じ、T字の木に向かい合わせた格好で両手を木に結わえられた。まるで張り付けの刑だ。俺はどうしたものか躊躇していた。

 「この女は、俺様を裏切りやがった」と叫ぶアバターには見覚えがあった。少し前に、精神を封じ込める刑に処せられた奴で、過去に俺がこいつの仲間からの依頼で逃がしてやった奴だ。犯罪者と知ってはいたが、金になる以上なんでもやるのが俺の商売だ。


 「だがなマリア!俺達の法は、てめえの様な女でも優しく処する事になっている。おい、ジャンゴ!言ってみろ」ジャンゴと呼ばれた男は、しどろもどろになりながら

 「鞭打ちの刑です」と答えた

 「そうだ!!、鞭打ち30回だ!」男達はさらに奇声を揚げ銃声を空に向けて放った。

 男は、女性の着る赤いドレスのうなじ部分の首許を掴むとそれを思い切り下に引いた。悲鳴と伴にドレスは破け、背中が丸出しになった。俺は実行可能ないくつかのコマンドを呼び出す準備をした。

 仮想世界の中とはいえ、暴力に合うと外的損傷は実体に無くても、酷い精神的な外傷を受けることになる。最悪そのまま廃人になる。俺の恋人もまたそうだった。むしろ、仮想世界の中で一発で殺した方が無難が方が多い。それは単に、接続を切る為の処理に向かうからだ。

 助けるべきかどうかと考えていると、降って湧いたように正義の味方達が現れた。いや本当に正義の味方がどうかは分からない、そいつらは、皆銀色に体を染め上げていた。俺は、一瞬我が目を疑った。どうやら、墓参だけでは済まなそうだったからだ

 銀色の連中は、銃を乱射して、背広の男達を蹴散らした。殺してもいいが、どこかからまたジャックインして湧いて出て来られるのがやっかいだからだろう。


 やはり、銀色のやつらの方が性質が悪そうだった。一人の男が銃を取り出して女に向けた。

 「裏切り者は死ね」それが普通の銃なら俺だって何も手を出しやしない、どうみたって、ウィルス付きの奴だ。仮想空間の人格どころか本体までイカれてしまうだろう。ともすれば、ジャクインするコネクタ、デッキ、脳味噌まで焼けてしまう。

 俺は、何もない空間から銃を取り出した。魔法使いもびっくりだが、ちょっとした仕掛けくらいなら俺はいつでも用意している。

 俺は、岩陰から立ち上がると、銃を銀色のやつらに向けた。本物の銃ならきっと一発も当たらないだろうが、仮想空間ならではの魔法だってある。俺は俺自身のデータを瞬間的に仮想空間のメモリ上にコピーして乱射してやった。銀色の奴らは、次々と姿を消した。強制シャットダウンされたからだ。次のログインまでさようならだ。

 俺は複写を解除すると、ついでにガンマンの格好になってみせた。しかし、俺自身である個性は大事だ片目だけ長い付けまつげをしてやった。クリント・イーストウッドでも名乗ろうかそれとも、リー・バン・クリーフがいいかな、

 


 映画の中のゴーストタウンの酒場と言えば大方こんなものだろう、けだるそうに暇をもてあます美人じゃない売春婦数名と、コップばかり拭いているやる気のない店主、そして気の弱そうなピアノ弾き、アバターというより、電脳世界で通信販売している動く背景みたいだ。俺は、助けた女を支えながらその酒場に入った。

 「その女を何処で拾ってきた?」店の主人は、手にしたコップを置くと、カウンターの向こうから訊いてきた。女達は、俺の傍によってきて、遊びましょうとかお酒飲む?とか、決まりきったような口調で誘った。こいつらは背景の女性達だ。擬似人格がプログラムされている為に、それなりに動作はするが、仮想空間で進行する物語には付いてくることができない。店から出たら、きっと消滅する女達だ。

 「世界の果てでね」俺は、女を椅子に座らせてから、主人の問いに答えた。仮想世界とはいえ、精神的疲労を感じている筈だ。

「そいつは、疫病神だ。連れて出て行ってくれ」主人の命令に俺は従う気などなかった

カウンターに座り、主人をじっと見た。丸い顔、髪の無い頭、小さい目に団子鼻、場所柄悪くないセンスだ。

 「知ったことじゃない、俺は連れてきただけだ。出て行くか、どうかはあの女が自分で決めることだ」

 「あんたは、ここがどんな場所か知っているのか?」店の主人は小声で言った。

 「花畑が広がる綺麗な高原さ」俺は昔を思い出して言った。

 「昔を知っているのか、そう、昔はそうだった。俺は、ここで喫茶店をやっていたし、多くの人がここを訪れて、景気も良かった。ヴォルフって奴が現れる前まではね。」

 「ヴォルフ?」

 「そう、仮想空間荒らしのヴォルフ、奴のせいでここは売春宿に変えられてしまった。ま、商売としては悪くは無かったけどな、そしたら今度はジャガーって奴が仲間を引き連れてここに来て縄張り争いを始めたのさ…昔の管理人は、逃げてしまったんで、花畑は手入れされないまま、どろどろの地べたになっちまった。そして、現状はこのように閑古鳥が鳴いているのさ、ヴォルフとジャガーのやつらで戦争を続けていてな。ここで殺しても直ぐにアバターで戻ってきてしまうから、全然収まる気配さえない、ここに居れば、巻き添えを食らうのが関の山だ」

 「じゃあ、尻尾を巻いて逃げるさ。で、あの女は?」

 「昔の管理人の後を引き継いだ奴さ、ヴォルフの女になってみたり、ジャガーにも媚を売るものだから、両方から、スパイだ、裏切り者だと追われている」

 「昔の様にしたくないの?ラルフ?」女は汚れた顔のままで言った。弱い声だが決意に満ちた声だ。

 「でもなぁ、無理だよ。あの二人には逆らえない、ここにはもう俺たちのパラダイスじゃないよ」

 「だから、和解させようと頑張ったのに、なによあいつら!!」

 「だから、出て行った方がいい、マリア。ここはもう駄目だ。私も、見計らって出て行こうと思う。花の丘はまたどこかの仮想空間にでも作ればいいよ」

 「いやだ。」マリアは汚い泥だらけの床を見ながらつぶやくように言った。「此所がいいの、此所をもう一度花で埋めてみたいの」

 「諦めよう、マリア。俺たちの手に負える奴らじゃあない」

 「いやだ」

 「逃げるんだ、また奴らが来る」


 「部屋はあるか?」俺は、ラルフに聞いた。

 「ひとつ空いている、キーは階段の横にある」俺は、そのキーを取って、マリアの居るテーブルの上に置いた。

 「まだこの店に居る気なら、隠れて休んだ方がいい」マリアは、俺を一瞥すると、キーを握りしめて立ち上がった。

 「あんた、名前は?」マリアは脚を進め、ちらりと俺を振り返った。

 「フォルスタッフさ」

 「こりゃまた、とんでもないハンドルだ」ラルフが、けらけら笑った。「マリアを連れてきた褒美に勲章でもあげようか?」

 「ふん、名誉で腹が膨れるか。」俺はお決まりの様に言った。そして飯を注文した。仮想空間の中で飯を食っても意味は無いが、時間を潰すには丁度いいマリアは2階に上がり、俺は仮想のスープを飲んだ。ピコ秒の中で、多くの野菜や肉のデータをぶち込んで、シュミレートして作ったものか、出来合いのスープのデータから作ったのかは不明だ。しかし、悪くはない出来だ。

 「そろそろ、ヴォルフの連中が来る時間だ。」ラルフがそわそわとし始めた

 「この酒場はどっちの味方なんだい?」俺はスープを飲みながら訊いた

 「中立さ、酒を飲んで女を抱けるのはここしか無いからな、ヴォルフとジャガーで互いに顔を合わせないような時間帯にしか来ない。」

 「ヘンな所で律儀なものだ、酔ったところを襲撃すれば、カタが付くというのに」俺には、理解できない連中ということだろう。

「それにしてもヴォルフの奴はみかじめ料だけでこの世界を運営しているのかい?」

俺は気になっていたことを訊いた。仮想世界とはいえこの広大なメモリやCPU時間は決してタダということはあり得ない。

 「カネの運搬の護衛をやっているからね」

 「この辺りにネットバンクがあるのか?」

 「ああ、このエリアの近くに銀行があるよ。もっともブラックマネー専門らしいけどね。そのカネを届ける車が此処を通るんでね、その時の護衛がいい収入になるとよ」

 「ヴォルフなら、そのカネさえ手を出しかねないけどね」実際そうだ、奴がはした金で何時までもそんな商売をするとは思えない。

 「いくらなんでも、そんなカネに手を出したらこっちの世界どころか、本体の世界であの世行きだ」ラルフは、常識的に答えた。


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