月草
今度こそようと箒乗りは、コップの冷酒を飲みながらぐすんと鼻をすすった。今度こそいけると思ったのに。なかなかあれ程の良い男は見つけられないっていうのにさぁ、あー悔しい!!と同じ台詞を繰り返していた。
ちゃぶ台の上には、秋田産の6号酵母で作られた純米酒の一升瓶が一本あるのだけど、殆ど彼女が9割がた飲んでしまっている。残りはあと2杯程度ぐらいだ。
肴には、初物の秋刀魚を3枚に下ろして皮の方を少し炙って叩きにしたもの、秋刀魚の塩焼きーこれは塩に凝ってどこぞの有名な塩ではなくて、ちょっと高い塩漬けのケイパーをせっせと微塵にして塗りたくったもの、秋刀魚に片栗粉をまぶしてフライパンで
焼き、そして甘辛いタレをからませた蒲焼そして茸のホイル焼に少量の蓮の実。初物だけどたまたま安かったのだから秋刀魚ばかりになるのは当然の結果だ。
まぁまぁ。今夜ばかりは飲んで下さいとばかりに、僕は空になった彼女のコップに何回目かのお酌をした。
「お前良い奴だなぁ、好きだぞ、今晩右手の代わりに相手でもしてやろうか」箒乗りは、じっと僕の顔を見た。箒乗りは、真っ赤な顔をして、ぼさぼさに戻ってしまった癖毛なので、角を着けたらさぞや美人の鬼になるように思えた。その彼女のでかい目が覗き込むように僕の顔を見た。
「あー、酔っても、顔も足の長さも好みじゃなぁい、国産不細工の見本市だぁ、お前、整形でもしたらどうだ?いい男に変わるかもしれないぞ」
余計なお世話だ。
「まぁ今更見てくれはどうしようも無いが、性格は好きだぞ、お前も飲め」と僕のコップにも酒を注いだ。それが溢れて、僕のズボンを濡らした。
「勿体ないなぁ、もう酒無いからね」実際、僕がいくら隠してもアルコールが入っている飲み物は、誰かれが来て飲んでしまって、在庫が無いのだ。
「無いだと・・・」目がすっかり据わっている箒乗りは
「酒が無いと言ったか?」僕が布巾でズボンを拭きながら頷くとずんずんと迫ってきて買って来いとドスの効いた声を出した。そして胸倉をいきなり掴んで
「酒がなきゃ、やってられない気分なんだよぉ」と僕の体を揺すった。
「分かった、分かったから」と僕は怖気ながら限りなく空に近い財布の事を考えた。そしてついつい消毒用のアルコールでも水割りにしたらどうかなといけないが頭を過ぎった。
そして、酒ぇと一言吼えるように言うと彼女はいきなり僕の首根っこにしがみついてきた。やばい、こいつ感がいいから危ないことを考えて居たことがばれたかと思った-が-
耳元で泣き声と一緒にチクショー!チクショー!って声が何度も何度も聞こえた
酔っ払いの行動は予測がつかないが、この夜ばかりは、そっと話を聞いてあげるしかなさそうだった。
同じ言葉を酒臭い息で繰り返す彼女、慰める言葉も思い浮かばないまま、僕は彼女の痩せてはいるが酔っているせいで、相当重く感じるその体を受けたままぽんぽんと背中をあやすように叩きつづけるしかなかった。とっても長い間そうしていたがやがて彼女の手に力が篭った。
「しばらくこのままで居させてくれよ」耳元で悪魔のような囁きが聞こえた。
*
僕らは頭痛とけだるさで朝を迎えた。僕は、未だ寝息を立てている箒乗りの髪に手を差し込んだ。癖毛が花火のように散らばっている。それが妙に愛らしく思えた。
うーーん、とうめき声と共に彼女は片目を開けた。そして
「頭痛てぇ」と言いながら彼女は僕を見た。「ごめんな、付きあわせてしまったな。」
「ううん、別にいいよ。」僕は、どう答えるべきか一瞬躊躇した。
「優しいね、あんた。でも、どこか冷たい優しさがあるよ。ここに眠っている昔の女が記憶の中で泣いているくせに」と僕の胸を指した
「そうかい?」
「勘違いかもしれないけれどさ・・・そんな気がする。」箒乗りは酒臭い欠伸をした。
「優しかったのかい、今度の男?」
「さぁね、どうでもいいよ。お願いだから話しかけないでくれ、眠らせてくれ」
「目が覚めたら、その男の顔で迎えてあげようか?」
「やだね、あんな奴。」
「惚れていたくせに」
「ちがうちがう、モノに出来なかったのさ、最高の出来の媚薬だったのに、たった一日しか効かなかった。おかけで二日目はこっちが赤っ恥だ。」
「そんな事だったのかい?」
「そんな事とは言ってくれる。こっちは魔法使いのプロだ、その自尊心を足げにされてしまった悔しさは凡人のお前には分からんだろうな」彼女は僕の頬を思い切り抓った。いてて・・・と、言いながら僕はどこか嬉しそうだった。泣いている彼女よりは、こうした姿の方が見慣れているからだろう。
「調合を間違ったんじゃないの」僕は、抓られながらも言った。
「そんな事はない、ただ。・・・」と箒乗りは思い出すように口を一旦閉じた。
「そういや、青い花を使うのだけど、今回は月草を使ったな。」と僕の頬はやっと痛みから解放された。
「きっとそれだよ、月草って染めても色が定着しないから水で色が流れてしまうのさ。そんなものだから昔から、和歌なんかだと心変わりや、儚さを表すのに使っていたんだよ」
「一瞬染まった心が、あっと言う間に流れ落ちたと言う事か参ったな。次は違う花を使うか」彼女は、ゆっくりと目を閉じた。息が穏やかに聞こえる
「トリモンド・・・」
「ん?珍しいな、名を呼ぶなんて?」目を閉じたまま彼女は言った。
「姉妹と離れて寂しくないの?」
「寂しいさ、でもそれがどうした」
「なんでもない」何でもないことはない、きっと寂しいのは僕の方だ。そして同じように寂しがっている友人を求めている。
「トリモンド?」
「ん?」
「なぁ、今度、箒に乗せてくれないか。」
「何処に行くんだい」
「何処でもいい、高く、高く飛んで欲しいんだ。息が出来なくなるくらい」
「はぁ?本気かい?」
「ただ連れて行ってくれるだけでいいよ」とても高いところに、その女性は行ってしまった。逢える訳はないけれど、すこしでも傍にゆけるものなら行ってみたい。
「ああ、構わないけど覚悟しておけよ、本当に寝る」やがて、箒乗りの寝息が鼾に変わった。僕は暫くその寝顔を忘れないようにじっと見てから目を閉じた。こういう顔を見るのは、きっと最初で最後だ。
肌掛けの下で指さきがトリモンドの熱い指にふれた、そっと握ると一瞬鼾がやんで軽く握り返してきたが直ぐに指の力が緩み鼾が響き始めた。遠くで、元気そうにはしゃぐ子供達の声が聞こえた。