フキバッタ
河川敷沿いの一角に、雑草だらけの敷地があった。雑草という名の草が無い言うなら、薄とイヌキクイモあとは名前は知らないけどイネ科の植物がやたらと生えている原っぱと言うべきだろうか。
その原っぱ、周りを黄色と黒のだんだら模様のロープに囲われ当然至極の如く立ち入り禁止の札がそのロープにぶら下がっているが、経年劣化の為に木の札からも、人の意識の下からもその文字は消えかかっていた。
そんなものだから、そのロープを跨いで中に入り込み捕虫網を持ってうろついている僕の存在は、決して怪しい存在ではない、なにしろ獣道の様に人が歩いて出来た道が縦横無心に作られているのだから。
その道を手をつないでもっと深い藪に行くカップルや、子供と一緒に網を持って大汗を流しているお父さん、ラジコンのグライダーのカタパルトを持ち込んでいるマニア-この原っぱを抜けると大きな河原に出るので、そこでラジコンのグライダーを飛ばしているのは見たことがある-とかが入り込んでくる。一番驚くのは、迷彩服におもちゃの銃を持って、サイバイバルゲームをやっているお兄さん達だが,ばったり出くわすと腰を低くして移動している姿のままさらに腰を曲げて「すみません、すみません」と横を駆け抜けて行く。
僕の虫かごには、イナゴが何匹も入っていた。これは、捕獲する目的で捕ったのではなくて佃煮にされて、僕の腹を満足させる義務を負っている。見た目だけは食べにくい存在だけれどもいざ食べてみれば以外と美味しいのである。
*
そのイナゴの中に、2匹ほど羽の無い奴がいた。可愛そうに、幼い内に僕の腹の足しになるのか、南無南無・・・と祈りながら、鍋で湯を沸かしているとチャイムが鳴った。邪魔が入った様な気がして居留守でも使おうかなと思った矢先に「客だぜ」と聞き慣れた声がドアの外でした。玄関からやってくるとは珍しやとレンジの火を止めてドアを開けてみれば見慣れた顔と、見た目にも人間じゃないのが並んで立っていた。顔だけ蟷螂そっくりでそれ以外は人そのものである。それが山高帽を被って大きな目で僕を見るやそっと帽子を脱いで、お辞儀をした。頭には短い2本の触覚のようなものがポツンとあるだけだ。
「この人が、お前に是非とも相談があるっていうから連れてきたけど、話だけでも聞いてやってくれよ、俺はちょっと仕事があるからさ」とお月さんは、それだけ言ってひょいと空に上がってしまった。
「突然失礼します」と見るからにその異形というか異星人なのかが、もう一度お辞儀をしてもじもじとしていた。さて、どう会話を切り出したものかと思いつつもまさかこんな姿で玄関前に立たせて置くわけにもいかず。
「中で話しを聞きましょうか」と僕はドアを大きく開けて中に誘った
「あ、申し訳ありません、巣の中に入れていただけるとは」とペコペコしながら中に入って来た。しかもきちんと靴を脱ぎ玄関に二足丁寧に揃えて上がってきた。しかし、巣とはねぇ。そして、入ってすぐの台所で「これです!」と声をあげた。なんだ?と思って振り向くとその蟷螂顔は僕が採ってきたバッタが沢山入っている虫かごを指していた。
「バッタが何か?」
「はい、実は」といいながらゴクリと喉が鳴る音が聞こえた。
「私達は、このイシイオタッバ・・・あ、スミマセン、貴方達いうところのイナゴですが、これを食料としていまして」なるほど、それで喉は鳴らすし、目つきも物欲しそうな訳だ。
「私達の宇宙船にも、沢山のバッタを積んでおりましてイナゴの食料となる草と一緒に、宇宙船の中にイナゴ牧場を併設しているのであります。しかしながらどういう環境のせいか、作られてから100年以上も無事だったこの牧場に異変が起きましてどれもこれも飛蝗になって、全ての草を食べてしまった挙句に死んでしまったのです。いまやわれらの仲間は、保存しておいた冷凍の蝗を細々と食べている始末でして、できれば貴方さまが捕られたイナゴを分けていただけたらと思いまして。こうして参った訳なのでございます。」
宇宙船内に飛び交う蝗の群れを想像したら思わず想像疲れを感じた。それに、何か、この異星人が哀れに見えてきた、蟷螂に似ているせいか、手も足も胴も妙に痩せ細っている気がするし。というか、早く帰ってくれないかなという思いがかなりあった。
「よろしかったら、どうぞ」と虫かごを差し出す僕まで言葉遣いが丁寧になってしまった。
大きな目をうるうるさせて、ありがとうございますを連呼して異星人は虫かごを大事そうに抱いた。
「そうこれこれなので、ございますよ」と虫かごの中に居るあの羽の無いバッタを指して異星人は言った。
「ん、ああ、まだ幼虫なのでしょうね」と僕が言うと、異星人は頭をぷるぷると振るわせた、まるで目覚まし時計の頭についているベルのようだと変な連想をしてしまった。
「いえいえ、これは立派な成虫です。羽が無いのは、きっと進化の過程で不要になった
のでしょう。」
「そうなのですか」僕は関心しながら答えた。
「はい、私達の昆虫に対する研究は多分貴方達よりはずっと深いものがあると思います。ただ、長い歴史の中で、遺伝子操作を行う研究が禁止にされてからは、自然にある昆虫
達を可能な限り自然に近い形で増やさなければならないのです。多分、この羽の無いバッタは食料にするという観点からは、私達にとっては非常に貴重な存在になることは間違いありません」
「はぁ・・・」と僕は頷くしかなかった
「では早速このバッタを調べて見たいので本日は、バッタだけにバタバタして申し訳
ありませんが、早く宇宙船に戻りたいと思いますので失礼させていただきます」
寒いギャグで身動きが取れない僕を尻目にとっとと帰ってしまった。
ネット調べてみれば、あの羽のないバッタはフキバッタという種類らしく。飛んで移動することができないだけに、生息地域毎に固有な特徴があると分かった。
長い間放置され続けた、某官公庁の所有する土地の中でしっかり根付いたのだろう。
きちんと調べたら、珍しい変化でもしているかもしれない。また、明日にでも捕りに行こうと思いつつ睡魔に襲われるままに僕は、布団の中にとろけるように倒れた。
*
「立入り禁止」の札は新品でより強固なものになって自己主張をしていているし、ロープもだらんとしたものから有刺鉄線に変わっていた。
そして、この広大な虫達の放牧地の横には、無骨な重機が出番を待つかのように止めてあった。工事は明後日には始まり、ここをすっかり均したあとで資材置き場を作るような説明が一つの立て札に書いてあった。なんて横暴なと言いたくもあるが、ただ非常に長い間放置してあっただけで、いよいよこの土地が目的の為に使われ出すというだけのことなのだ。そもそも、僕らの遊び場としての場所では無いのだから諦めざるを得ない。
ラジコンを持った人、迷彩服を着た若者、虫かごを持った子供やお父さん、手を握り締めてやってきたカップル、ここを遊び場にしていた人々は唖然とした表情をして一瞬立ち尽くし、それからため息をついてとぼとぼと引き返して行った。
僕もまた、捕虫網を肩に担ぎ、虫かごを手にして麦わら帽子を被った格好でどうしたものやらと立ちすくむだけだった。
目の前のすらりと長い葉っぱの上で休んでいるフキバッタと目が合った。よく見れば食べるには可愛そうなほどあどけない顔をして、逃げるタイミングを伺っているようだ。姿の見えないヨシギリがギョギョと啼いていた。思えばここを唯一の世界と思って住んでいる生き物達には、まさに世界の終わりが来ようとしているのだろうなと哀れむ事しかできなかった。そして僕は僕で、イナゴの佃煮を作る為に他の草地を探さなければならない。空の籠を肩に掛けたまま僕は家に帰った。そういえばあの宇宙人もさぞやがっかりするだろうな。歩いている内に雲が厚くなりだして、ポツポツと小粒の雨が降り出した。
*
「そんな勿体ないことをするなんて!」蟷螂顔の宇宙人は、声をあげた、
「まぁ、こっちのお上のすることだからね。」僕が悪いわけじゃないけれど、まるで人類を代表して僕が責められているような気分がした。
「貴方方は、生態系とか考えないで環境を破壊してしまうのですか?」 だから、僕を責めないでよと思いながら、仕方ないのだよねと答えた。
「僕らが便利で安心できる環境を作らなければならないのだから」僕はやや頭に来ていたかもしれない口調がきつくなった。それに対して蟷螂顔は、ゆっくりと応答した。
「責めるつもりは、ありません。我々もそうでしたから、人口が増えれば増えただけ、服も車も食料も売れます。増え続けることができれば、その国の経済も生活も上り調子になるのは当りまでです。でも、いつかはそれは破局がきます。なんと言っても面積には限りがあるのですから、私達も故郷を捨てて放浪する事になったのもそういう経緯があったからなのです。私達は、宇宙船という限られた空間の中で生態系を維持しなくては、私達自身が生きられません。それを思うと思わず勿体ないとか、残酷なとかそういう考えになってしまうのです。」
「僕も、あそこは大事に放っておいて欲しかったよ」バッタを捕まえるだけじゃない、秋にキクイモの黄色い花が並び、薄の穂が銀の波をうつ景色は、時折僕の心を癒してくれたものだ。
「よかったら、私をそこに連れていってもらえませんか?」蟷螂顔は言った。
「どうせ雨だし、傘を差して行けば姿を見られることもないかな」
「やぁ、何こそこそ話しているんだい?」とそこへお月さんが、やってきた。
*
雨の中、僕らは土手の上から、広大と言っても決して過言とは思えない草原を眺めていた。
「向こうの河川敷のグラウンドがあるでしょうそこから、ずーっと、あの高速道路の下まで全部、工事で使うみたい。もっとも河川敷は全部お役所のものだしね」全部綺麗につぶせばちょっとした陸上競技のグラウンドでも出来そうだ。
「一昨年かな、大雨で護岸のブロックが壊れてしまったから補強するのだってさ、何で今になって始めるのか分からないけどね」似た風景は他でも見たことがあった。大きな敷地内に何百というブロックの型が置かれ、その型にその場でコンクリートを注ぎ込み固まった順に河の岸沿いに並べて行くのだ。
「人の生活を守るためには仕方ないことなのだろうね」しかし、ニュースで聞かれる各地の自然災害は規模が大きくなる一方、どれほどの物を作る気なのか僕には分からない。100年に一度の台風でも平気な構造物を作ったと自信満々に言えば、1000年に一度の台風が来てあっさり壊れてしまうし、過去に起きた大地震規模なら大丈夫といえば、それ以上の地震が起きる。更にいえば、そんなのが複合的にいちどきに発生したりもする。自分で、作るのは仕方無いと言っておきながら、自然のパワーにはどんな人工物も勝てないのではないのかと思えるようなニュースもあった。どうせなら、いっそ壊れてもいいのを作ればいいのにと思ったりもする。より強いエネルギーを抑え込もうをすればするほどそれが壊れたとき、抑えきれなかった力が一気に人家に襲いかかるように思えたからだ。
「この土地、全部潰してしまうのですよね」と蟷螂顔が言った。
「なら、貰っても大丈夫でしょうかね?」
「買うの?」まさか、宇宙人に売るとは思えなかった
「いえいえ、まさか。私達の正体を明かす訳にはいかないでしょう。」
「いいんじゃない?」とお月さんが横から声を出した
「どうせ無くなるなら、持っていけばきっと更地にする作業も楽になるしさ」
「そうですよね」蟷螂顔は安心したような声をだした
「ではさっそく上で相談してみます」と腕に巻きつけた小さなモニターみたいなもののを指先でポンポンと押した。やがて上から青白い光のようなものが降りてきて蟷螂顔の体をすっぽりと包んだ。
「明後日に、また会いましょう」と手を振りながら、蟷螂顔の姿が薄くなって消えてしまった。
「あんな無責任な事を言っていいのかい?」僕はけしかけたお月さんを非難の目で見た。
「別にいいだろう?あの面積をそっくり奪うわけじゃないし、住んでいる小さなものまで、その役所やらの所有じゃないだろ?」と口笛をふきならしながらふらふらと夜空に帰って行った。
*
そしてその、翌々日の朝、騒ぎが持ち上がった。当然あの宇宙人の仕業だろうとは分かってはいたが警官やパトカーや野次馬がうろうろする中で、あの原っぱを見れば、その一体はそのまま大きな穴になっていた。深さはおおよそ1メートルほどだろうか
まさに根こそぎってやつだ。警官達は、手帳や小さいレコーダを手にして野次馬達を相手に聞き込みをやっていた。これだけの大きな工事を一晩でやってのけるとなれば、相当な規模であっただろうと考えるのが普通だ。
当然物音も酷かったに違いないから誰彼か深夜にその物音に気づく筈だ。そういう質問をする声が僕の耳にも入った。遥か遠くからやってきた宇宙人の仕業なんて誰が思うだろう。
*
「助かりました。」蟷螂顔は、僕の部屋でのんびりとお茶を飲みながら言った。よくよく見れば、本当に顔が正三角形を逆さまにしたような格好であることを除けば普通の痩せた人と同じ様にしか見えない。
「まぁ、ちょっとした騒ぎにはなったけど一夜にしてしかも無音のまま、あんなことをすると、暫くは犯人宇宙人説が飛び交いそうだね。」お饅頭もお茶美味しいものなのだけれどなんとなく味気ないというか、喉通りが悪い。
「ええ、でも続けてこんな事が起きなければ直ぐに人の記憶からは消えてしまいますよ。きっと訳が分からないまま謎として残るだけで」 蟷螂顔は、お茶を苦いという顔もせずにすすって饅頭を食べた。味覚とか同じなのかしらと疑問を抱かずに居られなかった。
「超常現象を扱う雑誌だけは、しつこく扱ってくれると思うけど、そういうのの興味を持つ人も少なくは無いからね」
「興味を持つことは、良いことですよ全ての始まりは、そこですよ。すると自ら知識を得ようとしますからね。私の惑星ではロケットも未だ無かった頃にたった一冊の空想の話と思えなかった宇宙旅行の話に魅せられた少年が、宇宙への道を開きました」
「へぇ、同じだね。こっちでも「月世界旅行」というSFが発端になってロケットが作られたようなものだしね」
「そうなのですか・・・似ていますね」蟷螂顔はふと何かを考えていたようだった。
「そういえばさ、バッタはどうやって食べるの?」まさか、佃煮はあるまいと思って訊けば蟷螂顔はふぉふぉと笑い声のような音を立てた
「貴方も好奇心が一杯ですね。よかったら私の船に来てみませんか?丁度試食会をしている所ですよ」
*
宇宙船は、丁度月の裏側に停泊されていると言う。
「行くまでどれくらいかかるの?」と訊けば
「そんな質問が不要なくらいですよ」と蟷螂顔は答えた。加速で酷い思いをするというわけでもなく、彼らの小さいシャトルに乗せられて着いてみればその宇宙船の全貌さえつかめない程に大きな宇宙船が、月の影になって浮いていた。
「あれが宇宙船・・・ってまるまる都市一個分かそれ以上だ」
「都市なんて言う程のものではありません。自然公園と村が一つ程度です。生態系を維持するのにあれだけの大きさが必要になってしまったのです」
中は、白い清楚な通路が縦横に走り、あちこちに扉とその向こうをのぞく大きな窓やディスプレイが設置されていた。
「こちらに、あの土地が移動させられています。」言われて窓をみれば、そこには大きな原っぱがさやさやと葉を揺らしていた。
「これから大小を問わずここに住む生物達の生態を調査します。その中で例のフキバッタでしたっけ。それを、食用に加工したり、増殖に必要な手段も考えます。。」
「いっそバッタだけ増やせばいいのに」と僕が言うと。
「なかなか、そうも行かないのですよ」蟷螂顔は、残念そうに答えた。
「たとえば、私達はあなた方のリンゴに似た食品を食べます。これは虫媒花なので、虫たちが居なければ果物を採ることはできません。でも、この虫の卵に寄生する虫が居ましてねそれを排除するようにしたら、寄主まで減ってしまったのですよ」
「なんでまた?」
「調べたら、宿主の卵は全部雌でしてね。なんと寄生された卵の中で生き残れたものが雄に変わっていたのですよ。まったく奇妙な出来事でした。ただ一つの種がじゃまとか大事とか言っても、それだけを観察している訳には行かないのですよ。さぁ、そんなことより、貴方の好奇心を満足させてあげましょうね」
*
僕は静かに、異星人達の中で静かに食事をした。それは皆が静かに食べていたからだった。ペーストにされたもの、から揚げにされたもの、手足だけを取ってカリカリとした食感を楽しむもの、串焼きにしたもの香辛料を利かせたもの、スープの具にしたもの、油で焼いたもの、饅頭みたいなものの具にしたもの、燻製にしたもの よくここまで考えるなぁと思いつつ、僕はついついあちこちに手を出した。
*
「さて、そろそろ私達は出発しなければなりません」蟷螂顔は、ソファでくつろぎつつ暗い月の裏面を見ている僕に言った。お腹が一杯で身動きが取れないまま、展望室に連れて行ってもらったからだった。そして蟷螂顔の言う意味も分かった
「うん」と僕は返事をしてた。
「ねぇ、月がなかったら、僕らは宇宙に行く時期は遅れたのかなぁ」
「それどころか、生命も発生していない可能性が大きいですよ」蟷螂顔は、答えた。
「海は、原始的なたんぱく質を生む事はできますけどそれを複雑な生命の元になるようなたんぱく質や糖を生むには、濃縮したり、触媒が必要になるのです。干潟でその複雑な過程が行われたのであろうというのが私達の間では定説になっています。そして、干潟を作るには干満の自然現象が必須なのですよ。」
「そんなものには思えないけれどなぁ」僕は、振り返りながら月面を見ていた。どうして世の中って以外なものがこうも影響しあっているのだろう。
*
暫くすると、例の空き地には沢山のテトラポットの型がずらりと並べられた。そして一本の太い道まで作られて、トラックがひっきりなしにそこを往復していた
虫たちには、あれでよかったのだろうか?本当に宇宙で生きて行けるのだろうか?僕にはなんとも言えない。ただ、工事が終わればきっとしたたかな植物や虫達もまた戻ってくるだろう。あのフキバッタをのぞけば。何年後か何十年後かは知らないが。
「すっかり無くなってしまったねぇ」と誰かが僕の隣で言った
「工事が終われば、戻ると思うのですけど」僕は答えつつその男を見た、サングラスをした浅黒い顔にロールアップの袖のシャツを着ている。
「いや、涸澤への入り口がね」そう答えた男はそのまま立ち去って行った。