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こおろぎ

 秋の風が時折肌に感じる頃。最近よく見かける子は、何時も虫かごを肩から下げて、片手には白い捕虫網を持ち、むぎわら帽子を被っていた。

 この辺りには、まだ少しはそういった自然は残っている。学校に居る筈の年齢なのに少年は捕虫網を片手にこの辺りを巡って虫を採取していた。しかし何故か夕方近くになるとバッタや蝶や蝉が雑多に入った虫かごを二つに開いて逃がしてしまう。ちょっと不思議な少年だった。


 夕涼みがてらに外を歩いていたら、コオロギが鳴いていたので、「ふーんコオロギかぁ」なんて独白を呟いたら網を肩から担いだ少年が僕の声を聞いてか、後ろから甲高い声で言った。

「コオロギっていう名前のコオロギは居ないんだよ」

「へぇ、じゃあ、なんと言うんだい?」僕はちょっとその少年を生意気な餓鬼だなと思った

「この声はツヅレサセコオロギっていうんだよ」と少年は胸を張って言った。

「なんか難しそうな名前だね」僕は、不思議に思った。普通に居るコオロギなのに、なんでまたこんなおかしな名前なんだろう。普通に居るアゲハやテントウムシなんて、ナミアゲハとかナミテントウという当たり障りのない名前を付けられているのだから、ナミコオロギでいいだろうなんか思ったりした。

「なんで、そんな名前なんだろうね?」

「うーん、わかんない」と答えた少年は何か目を輝かせていた。

「おじさんは、何時もこの時間に居るの?」

「まぁ、涼しければ散歩しているよ」

「じゃあ、調べておくからまた明日、ここでね」と少年は、そういうと。虫かごをぱっと開いた、蝶や蝉が飛び出し、バッタが跳ねて草むらを目指した。

「なんで、折角採ったのに逃がすの?」僕は自分が子供の頃は、家に帰って自慢し、そして可愛そうだからと家族に咎められるまでは離さなかったものだ

「持って帰れないの」少年のその時の顔は、なにか寂しげ悲壮なものに見えた

「おじさん、明日ね・・」ともう一度念を押して彼の姿は夕日の中に溶けていった。

 その約束は、果たせなかった。翌日僕が夕涼みに出ても少年は来なかった。


 ススキの穂が銀色に輝く頃、未だツヅレサセコオロギは鳴いていた。きっと、冬の準備を煽っているのかも知れない、僕はちょっとお月見がてらにススキの穂を少し刈ってふらふらと歩いていた。


 一冊の古ぼけた本を持った男が回りを観察するように歩いていた。そして、コオロギの声を聞いてあの時の僕のように「コオロギか」と言った。

「僕は、いえコオロギというコオロギは居ないのですよ。あれは、ツヅレサセコオロギ」と言うと。男は、びっくりしたように、僕をまじまじと見た。

「どこでそれを聞きました?」僕は、その少年の話をした。


 道がてら、僕は男の話を聞いた。少年は、男の息子であって、この夏の間重い病の為にずっと入院していたと話した。少年は夢の話の中で、何時もこの河原の話をして僕に逢ったことを話したそうだが翌日には、危篤状態に陥ってしまったらしい。

 外に出歩けないにもかかわらずどうしてここまで鮮明な夢の話をするのか不思議でたまらず彼の父親はここに来たとの事だった。

 そして、彼の父親は一枚の紙を僕に渡した。安い図鑑ではなく、よく書かれた図鑑の一ページを切り取ったものに小さい字で注釈が追加されていた。昔の人にはこのコオロギの鳴き声が

「はやく冬に着るものを縫ってしまいなさい」と聞こえたのだそうだそこで「綴れさせ」となった。と書いてあった。しかし少年は、冬の準備をするまでもなく逝ってしまった。


 僕は、部屋でその切り取られたページに載っているツヅレサセコオロギの解説を見ながら、お月見をしていた。外に出ることだけが夢で、毎日を図鑑を見ることで虫取りをしている気分でいたのだろう。


 お月さんに、そのことを話すと。そういえば、人でないものがふらふらと歩いていたよね。それから、外に出て見なよと言うので、出てみれば青白いものがふらふらと一つただよっていた。

 魂魄がまだ迷っているんだねとお月さんが言った。そういっている間に、一匹の蛾がその青白い明かりに触れ、明かりのかけらを持ち去りそして蝉がその残りを持っていってしまった

「魂は蛾が天に運び、魄は、蝉が卵に託して地下に持って行ってもらうのだろうね」

部屋のどこかに居るコオロギが、まだ冬の準備をしなさいと鳴いている。


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