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熱帯夜の来訪者

 蒸し暑くて眠れない夜、深夜にコツコツと僕の部屋のドアをノックをする音がした。こんな夜中に誰だろうと思い、小さくドアをあけて様子を見れば、そこには灯篭を下げた一人の女性が立っていた。

 和服に身を包み、長い髪を腰まで下げている。顔は白く太い眉に、切れ長の目とその下の涙黒子、筋の通った鼻、そして薄い唇。

 その懐かしい顔に僕は戸惑いを覚えた。思えば、今日がこの女性の命日だったのだ。彼女は笑みを浮かべて小さく頭を右肩の方に傾げた。

 昔、よく見せたポーズだ。この幽霊に帰れと言っても、彼女はきっと入ってくるだろう、ずうずうしい性格が変わっていなければだ。しかしこんな眠れない夜に彼女の話でも聞いてみるのも一興とも思えた。

 僕は、ひとつ欠伸をしてドアを広く開いた。「迷ったのかい」彼女は、首を横に振って音も無く中に入ってきた。今まで隠れていた小物の幽霊達が、ざわざわしながら、陰から顔を出して、彼女をものめずらしそうに様子を伺っている。

 彼女はちゃぶ台の前に座り、僕は彼女の対面に座った。

「相変わらず汚い部屋ね」彼女は、部屋を見回しながら言った。その顔の横に、支えるもの無しに灯篭がふんわりと浮いている。ちゃぶ台の上には、汁がたんまり残っているカップラーメンがそのまま置かれている有様だ。それが、蒸し暑い部屋をラーメンの匂いで満たす元凶になっている。

「余計なお世話だい、なんだいお前こそ未練たらたら化けて出てきて何か用か?」この部屋の有様に恥ずかしさとかで、僕は赤面しそうだった。昔からこの女は言いたいことを平気で言ってくる。そのくせ、僕にはどうしても憎めない奴だった。そもそも心の機微を捉えるのに苦手な僕にとっては、言いたい事をはっきりと言ってくれる方が付き合い易いタイプだったのだ。

「いや、今宵はこの世とお別れで、その挨拶がてらに寄ってみたのよ、ただそれだけ」そして、なにか不快そうな表情をして「折角の着物が汚れる気がする」と座ったまま少し浮いてみせた。勝手にしろだ。男のひとり住まいは汚いのが相場だ。

「ふーん、死んでからずっと迷っていたのかい?」僕は、せめてカップラーメンくらい捨てようとそれを手にして台所に行った。

「いやいや、自殺した方が気の迷いみたいなものでね」彼女の声が後ろからかかった。

「確かにお前には一番相応しくない最後だった。俺はむしろ殺される方だと思っていたからね」ついでに冷蔵庫の中からビールを取り出した。

「まぁ、憎まれっ子だったからね、私。自分でも信じられないと思ったよ、そんなだから、納得のいく理由が欲しかったし、なにより道連れに相手が欲しくてね。」にかっと笑う顔が恐ろしいほどに可愛い。

「まさか、俺じゃないよな?」

「なんであんたなんかを道連れにするかよ。私だって選ぶ権利はある」

「あんたなんかは、無いだろう。俺だってお前のこと・・・」分かっているよと彼女は、頷いて僕の言葉を切った。

「私が自殺をした元凶の男を憑り殺すことができたの、というか、これで奴を本当に私の男にできたからね」

「やつに振られのに?」



 そう、彼女は、数年前に自殺をした。原因は当時付き合っていた男に振られた事だった。そもそもそんな事であっさり命を絶つような女ではないと信じていたのだけど。 唐突に呼ばれた病室で、未だ息のある内に僕は彼女と最後の面会をしたものだった。

「奴に振られてついついかっとなってこんなことしちゃったよ」彼女は、小さい声で言った。体中には多くの機器やカテーテルがつけられて痛々しい。

「悪いね呼び出してさ、なんかあんたの顔を見たくなってね」

「元気になれば、いくらでも見れるさ」僕は、もう彼女が長くないことを聞いていた。今こうして居られるのも強力な痛み止めのせいらしい。だが、やや蒙昧状態も続いていると聞かされていたので、話も意味があるものなのかは不明だった。

「あんたさ、自分にもう少し素直になりなよ、我がままって言われるくらいにさ」彼女は、痛みがふと襲ってきたのかイテっと呻いた。

「それが出来れば、片思いなんかで終わる恋なんかしないさ」

「あんた、私の事を好きだったんだって?」いきなり弱い所を突かれた。僕は、頷いてしまった。

「悪いね、私は我がままで見栄っ張りなんだ」彼女の彼氏は、まさにいい男だった。容姿も性格もよかった。そんなのを前にしたとき、僕の告白は出来なくなった

「でも、あんたで我慢しておけばよかったかもね」

「そうして欲しかったけど、お前は俺を絶対選ばないさ」僕の言葉を聞いていたのか居なかったのか、彼女は深い息をして目を瞑った「

「頑張れよ、目を開けた時きっと素敵な王子様が此所にいるさ」そして僕は病室を去った。その3日後に彼女は他界した。



 結局、彼女はそれでも男をモノにしようと頑張ったのだろう、そしてその満願が叶ったわけだ。

「まるで牡丹灯篭みたいな姿だ」

「似たようなものかしらね、双子の妹と騙って、夜な夜な通って取り殺してやったわ、でも、あいつも可愛そうなやつでね。病気でもう長くないと想っていたみたい。本当は、それが分かってから私を振ったらしいの」

「彼も正直にそう言っていれば、お前のことだから、最後まで連れ添ってしまっただろうね。」こいつのいい所があるとすれば付き合いだすと、えらく義理堅い所があることだろう

「多分そうね、そうすれば今ごろ、未亡人になっちゃったって、愚痴を言いにここに来ていたわ」

「でも、きっとそれだけだろうね」互いに踏み込めない感情の壁がそこにあるから

「ごめんね、貴方を愛することは出来ないと思う、でも多分一番大事な友人だよ。」

「ありがとう」

「僅かな時間だったけど、逢えてよかった。なんなら周りにいる幽霊もつれて行こうか?」

「頼むよ」それだけでも僕には幸福の神様だ。そして、空から一本の光の回廊が降りてきて僕の部屋の中に入ってきた、いつの間にか窓辺には、かつての彼女の恋人が浮いて待っていた。

「じゃあ、何時かまたね」

「ああ、何時か」


しかし、幽霊は幾らでも見たことはあったが、残念ながら何時か言う名の物は未だかつて見たことがない。




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