星粥
深夜零時を回っているにもかかわらず、甲高い音を発生させるロケット花火を飛ばしては、歓声をあげていた若者達の声が唐突に静かになった。やがて、遠くで花火の代わりに甲高い声が聞こえた「あ、また流れた!」「うそぉ、見てないよぉ」「ほらまた!」「みたみた!!すごーい、いっぱい飛んでいる」その騒ぎは、やがて河川敷沿いにひろがるぬばまたの闇の中で増えていった、それでも機械的なロケット花火の音よりはずっとましといえた。
ちょっとした騒ぎの原因は、誰も予報もしていなかった流れ星がすーっと夜空を駆け巡っては消えるという光景が長々と続いたからだった。まるで、なんとか流星群が突然やってきたみたいに沢山の星が夜空を過ぎった。前もってニュースとかにならないのも道理で、実際はお月さんのクシャミで飛んだ唾が夜の中で燃えながら落ちてきただけの事だった。青白い月がゆっくりと過ぎって行く姿は、哀れにも思えた。さて、余りにもかわいそうなので、僕はちょっと知り合いに何か良いアイディアでもないかと電話で訊けば「お前、酒あるかい?できれば旨いもの」と言うので
「うん、奈良の風の森があるけど、最近のお気に入り」と答えた
「よし、じゃあちょっと待ってな」と相手はそそくさと電話を切った。
思えば、お月さんの自業自得とも言えるのだが、と僕はベランダからそっと空を仰ぎながら昨日の事を思った。西風が強く、風の中に湿気が多く感じた。そんなものだから酷く蒸し暑くて寝苦しい夜だった。そんな時に突然空に稲妻が走り驟雨が一瞬にしてあたり一面の気温を下げた、一昨日も全く同じ状況だったのでこれで二日間深夜に極めて大きな積乱雲が発生したことになる。確かニュースでは一部の地域で雹が降り注いだらしい。さて、雨でおかげで涼しくなりこれで気分良く眠れそうだと思った時に、トントンと僕の部屋のドアを叩く音がした。さてこんな時間に訪問するといえば、奴しかいない、そう思ってドアをあければやはりお月さんが立っていた。当然と全身ずぶぬれだ。また図々しくビールでも飲みに来たかと思えば、どこかちょっと元気がない。
「わりぃ、ちょっと休ませて、この雷雨の間だけでいいから」とため息を付いくと台所の床にぺたんと座り込んで壁に寄りかかって深い息を続けた。
「どうしたの?風邪かい?」
「たぶん、そう思う」とお月さんは、口を利くのも億劫そうに話した。
「昨日もこんな感じの空模様でさ、暑いからってちょっと雨にあたっていたんだ。そして雲が去ってからまた空にあがったのだけど、寒いのなんのって、でさ、それでもずっと一日空でがんばっていたのさ、そしたら今日の夕からずっと調子がわるくてさ」とお月さんは小さく咳をした。その口からなにか光るものがぽんぽんと広がっていった。やがて雨があがると、「仕事しなきゃ」とお月さんはゆらりと立ち上がって外に出ていった。「大丈夫かい?今日くらい休めばいいじゃないか」と背中に声をかけると、背を向けたままお月さんは返事を返した「げほっ、できればそうしているよ…」
多分、そのまま治っていないのだろうな。そう思っていると、やがて黒雲があたりに広がり始め、よろよろしながらお月さんが降りてきた。
「だめぇ、ちょっと横にならせて」と青白い顔のお月さんは僕の布団に入ってしまった。
「大丈夫?」と聞くと
「駄目、お願いちょっと休ませて」と本当に苦しげに声を出した
僕は、冷蔵庫から氷を取り出して洗面器にあけ、水を注いで、タオルを浸してそのタオルよく絞ってからお月さんの額にのせてあげた。それで良くなるかどうかは知らないけれど、僕が、お月さんの風邪の手当ての仕方を知っている訳が無い。
「ありがと」お月さんは弱弱しく小さな声を出した。
暫くしてから、近くを大きなエンジン音が近づいてやがて止まった。それから、外で二人ほどの足音が近づいてきて、ドアがノックされた。助っ人が来てくれたかなとドアをあけてみれば夏だというのに、黒い外套を着た自称連金術師と名乗る奴と、バイオリン弾きがのっそりと入ってきた。
「珍しい病人が居るのだってな」錬金術師は、何が面白いのかくすりと笑ってみせた。
「分かっているのに、こっちこっち」僕は、部屋の奥に案内しようとした
「言われなくても、こんなウサギ小屋だ。」錬金術師は、ふんと鼻を鳴らして奥に入って行った。
「ねぇ、機嫌悪いの?」と僕がバイオリン弾きに聞くと
「さぁ」と肩をすぼませてみせた。「電話で呼ばれて彼を運んできただけだし、でも月の風邪ってちょっと面白いかもね」
「おかげで、ずっと流星騒ぎだよ」僕は、外がいかに煩かったかを説明した。
お月さんの寝ている布団の脇にくると、錬金術師は片膝をつけてお月さんの額に手をあてながら言った。
「こりゃまた、酷い風邪にかかったものだな」そして、僕の方を向いて鍋とボウルはあるかい?と聞いた。
一応独身ながらも料理を心得ているつもりの僕は台所に戻ってステンレスのボウルとゆき平鍋を老人に見せた。
「こりゃまた、えらく安物だな、金や銀のボウルや鍋は無いのかい?」錬金術師は、眺めてまたフンと鼻をならした
「あるわけないでしょ」僕はむくれて、出した調理器具を引っ込めようとした。「魔法使いの家じゃあるいまいし」
「まま、ないよりはましだな」と僕を引き止めて僕から鍋とボウルを取り上げた。
「で、例の酒はあるかい?」
「うん」とまだ台所に戻ると、冷蔵庫に入れてあるとっておきの4合瓶を取り出して持ってきた
「どれ、味見させてみな」と未開封だった蓋を開けていきなり一口飲んだ。
「んー、貧乏な割には良いのを飲んでいるな、上出来上出来」
「貧乏は余計ですけど」と僕が横から言うと。
「あー、そうかいそうかい、じゃあこれを全部ボウルに空けてな」
「全部ぅ?」
「そう、全部。貧乏じゃないなら、後でまた買えばいいだろう」
僕は、てっきりそれで卵酒を造る程度に一合程度しか使わないだろうと高をくくっていたので、かなりショックだった。で、泣く泣く瓶からとくとくとボウルの中に注ぎ込んだ。
「それを持って、外に出て。星の明りをその酒に映してきな、今、月はこうして臥せっているから、そこここ姿をあらわしているだろうし」
「でもさっき雲が出ていたからねぇ」
「なぁに、すぐに雲は切れるさ」錬金術師は、にやりと笑ってみせた。
お天気おじさんじゃあるまいし、どうして分かるのさ!!と心の中でぶつくさ言いながら僕は、ボウルを持って外に出ると、人気の絶えた河の土手道に上がり、馬鹿みたいに立ちんぼをした。横には、面白半分に付いてきたバイオリン弾きが、Tシャツに短パン姿で、空を眺めていた。今ではすっかり驟雨が上がり、涼しい風が漂っていた。バイオリン弾きは、「いい風だなぁ」と言うとポケットからハーモニカを取り出して、静かに吹いた。こうして彼の曲を聴いていると、あれこれ棘のある言い方をする錬金術師の口調も忘れそうになる。
やがて、雲が切れ始め、その間から星の明りがすーっとボウルの中に落ちてきては、瞬きながらよろよろと沈んでいった。それが、連鎖反応のように続いたものだからほんの十分程の間に、ボウルは瞬く星の明かりで一杯になった。それで、頃合いかなと思って、部屋に戻ると錬金術師は勝手に僕の冷蔵庫を開けてビールを飲んでいた。
「な!」僕は、思わずボウルを落としそうになった
「まま、気にするな若造」暑苦しそうな外套を着た男は、既に缶ビールを3本も空けて、赤い顔をしていた。
「星は沢山採れたか?」僕は、彼にボウルの中身を見せた。
「まぁまぁだな」と彼は言うと、鍋に米と星が沢山入った酒をいれた。それから、コンロに火を入れてから僕に向き直った。
「こうして、粥にしてきゃつに食わせれば、なんとか治るだろな」そして、僕にしゃもじを持たせると
「焦がせるなよ」と一言言ってさっさと僕の部屋のドアをあけて出て行った。その後ろをバイオリン弾きが付いて行き、ふと振り返ると「またね」と言った。
いくら驟雨で一時の涼しさがやってきたといえ、夏の最中に粥を煮るのははっきり言って暑い、僕は汗を流しながら粥を時々かきまわした。米がすっかり柔らかくなったところでお茶碗一杯分だけよそって、スプーンを添えてお月さんの近くに持っていった
「星粥だよ」と僕が差出すと、お月さんは食べたくないと首をふった。
「駄目、駄目、食べないと体力が落ちてしまって余計に悪くなるよ」
そう言われてか、どうなのか、お月さんは口を小さくあけた。僕は、まるで子供にお粥を与える様にひと匙づつ、息を吹きかけては冷ましてから弱弱しく開いた口の中に時々輝きをみせる粥を与えた。
遠くで夜の蝉が騒いだ。その粥を食べおわった頃に、仄かにお月さんの顔に赤みがさしてきた。
「なんか、すこし良くなった感じがする」
そして目をつぶり、僕の寝床を占領したまま気持ち良さそうな寝息を立てはじめた。
*
僕は、台所の床の上に竹マットを敷いてブリーフひとつの姿のまま大の字になった。床がひんやりとしているので夏といえば大体ここが寝る場所の定位置なのだ。
翌朝、起きてみればお月さんは書き置きを残して出かけた後だった。書き置きには明日の夜になったら、どこかの浜においでと書かれていた。よかったら錬金術師も呼んでくれとも書いてあった。
ただ、タイミング悪く、バイオリン弾きはジープに乗ってどこかに行ってしまったので、お手ごろな交通機関の無い僕と錬金術師は二人で電車とバスを乗り継ぎ、そして、夕暮れの漁村の中を歩き、人気の少ない小さな浜にやって来た。寄せる波の音を聞きながら、僕と錬金術師は冷たい缶ビールを飲み、するめをかじって世間噺をして過ごした。ロケット花火が夜遅くまであがり終バスの時間もとうに過ぎた。近くで咲いていた百合に似た白い花が闇の中で浮んでみえた。やがて、波の音しか聞こえなくなった。
僕も錬金術師も話す話題は無くなった、いや、ひとつ聞いておきたいことがあった。
「ねぇ、なんで何時も外套なのさ、暑くないの?」
「どこでそんな古臭い言葉を覚えたんだ?いまどきそんな言い方するやついないぞ」と錬金術師は驚いたように僕を見た
「せめて、コートと言ってくれ、またはちょっとコートに似たマントとかな」
「で、そのコート暑くないの?」
「涼しいくらいだ」と彼は、にやりと笑ってみせた
「うそ」
「ためしに着てみるか?」と彼はコートを脱いで僕に差し出した。僕はそれを受け取り羽織ってみた。暑くなかった。確かに彼の言うとおりに涼しいくらいだ。「うそ、なんで?」と僕が訊くと、彼はにんまりして手を差し出した、さっさと返せということだろう
「沢山ある宇宙の各々はな、それぞれ異なる物性が支配してるのさ、普通はこっちに持って来たとたんに、それがこっちの物性に変わってな、結構面白い性質を示したりするのさ、で、こいつは温度によって分子を通過したり、跳ね返したりする性質があるのさ…ま、そういう面白い性質を宇宙を巡りながら探し出すのが、それがおれの仕事みたいなものさ」
「金を合成するとかじゃないの?」
「そんな古臭いことするかよ」錬金術師は、むっとして僕をみた。
「結果が分かりきっているような事ばかりしたって面白くないだろう、好奇心がなきゃこんな仕事やってられんよ、さもなくば野心とかて惰性がないとな」
「惰性ってのは、なんだ変だけど」
「しかし、惰性の中でこそ時折光明が見つかるものさ」
「そうなのかな」
「そうさ、お前さんみたいに、毎日毎日が同じ様に過ごしてもその中で見つかるものだってあるさ」
「まぁ、確かに俺の生活は惰性みたいなものだけどね。何も変わらないかな」
「そうでもなかろう、月がそうさせてくれないしな」
「ま、それは言える」
しばらくすると、お月さんが捕虫網のようなものを肩にかついでやってきた。
「昨日はどうも」とお辞儀をして、へへと笑うとめざとく僕らのビールをみつけた。
「飲む?」どうせ飲まれるのは分かっているから先に差出してあげると、遠慮もせずに受け取ってゴクゴクと飲んだ。
「風邪をひいて汗をかいたせいか、喉が乾いちゃって」そして、ふうと大きく息をして、ひとつゲップをひとつしてからおもむろに、波打ち際にまで行って網を何もない空に向かって振り回し始めた。誰もいない浜を、網を振り回しながら一人で何度も往復して駆け回っていた。これじゃまるで気が触れた昆虫採集マニアみたいだ。
「なんだろうね」僕は砂浜に坐ったまま、錬金術師に聴いた。
「さあね」彼の返事はそっけのないものだった。
やがて、息を切らしたお月さんは僕らの前にやってくると、来て、ちょっと来てと僕らを煽ってから海に向かって走りだした
「早く!早く!」
僕らは、重い腰をあげて波打ち際までやってきた。そして、お月さんは僕らが傍にやってきた事を確認してから網をそっと海に浸してなんどもゆすった。そのゆする度に、ちいさな青白い光が網から漏れ出て来て四方八方に同心円を描きながら波の中で広がっていった。きらきらと、それは何処までも広がってゆく。缶ビールを手にしたまま、僕はその明りに見とれていた。海も夜空も、満天の星空だった。さらに、幾つかの灯りは、浜辺に這い上がりまるで芋虫のようなのろさで、ゆっくりと陸に瞬きながらあがってくるものさえあった。まるで光の洪水だ。
しばらくしてから、魔法が解けたように網から灯りが出なくなった。お月さんは僕らの顔色を伺って、ちいさな声でおしまいと言った。
「その網は何だい?」とこういうものが滅法好きな錬金術師が聞いた。
「星網」お月さんは、小さな声で言った。
「見えない程の小さな星の光をすくうのさ、すくった光は夜光虫や、ホタルに食べられたりするけど、光は長い間残っているんだ。こういう日は、小さな
光が良く見えるでしょ」なにか、お月さんはしおらしく言った。何時もの酔ってはくだを巻いているときとは別人にみえた。
海の中に散っていった灯りは、やがて薄れて闇に溶けて行った。ぼくらは、ぼんやりと語っては、また黙り込み、夜が更けるにまかせた。
何時の間にか寝てしまったらしく、僕は寒気で目が覚めた。日が昇りかけるころ、僕は痛い喉とあふれる鼻水を流しながら、朝一番のバスを待った。ケホンケホンと立て続けに咳がでた。外套を羽織ったままの錬金術師が何気なく僕との距離を置いた。
「後で、誰か看病に行かせてやるからな」と彼は、哀れむように僕を見た
「今日は、さっさと帰って寝たほうがいい」
「そうするよ」僕はまた咳をした。「で誰を看病に?」
「箒乗りかな、一応女だし」
「あいつか?やだなぁ、余計悪化するかも、俺にも星粥を作ってよ」声がガラガラした声になってきた
「あれは、月用だ。お前さんは普通のを彼女に作ってもらいな」やがてバスの姿が見えてきた
「人様に感染すじゃないよ」彼は、諭すように言った。
「誰かを同じ目に合わせたい気分だ」僕は咳を出しながら、彼を見た
「まぁ、安静にしてなよ」バスが止まりぼくが乗り込む後ろから彼は声をかけた。
誰も乗っていないバスの一番後ろの席に座り僕は目をつぶった。