吹毛求疵、やりにくいね。
前回のあらすじ。
鬼がこわい。
ささくれ立った丸太の床に座るのは、太めの棘が当たって堪え難い。座布団でもあれば、ここがバンガローの劣化版程度に感じられるであろう。壁の隙間から差し込んでくる光で、明かりがなくとも活動は可能。しかしここは山の中であるため、細かい作業をこなすような光量は期待できない。
冷静な時にはここで文句をたらして遊びのネタになっていた。しかし今は私の命を一瞬で握りつぶせる有角の妖が二匹、目の前で私を品定めしている。正座をしていて姿勢が良くなっているのにも関わらず、自分がいつもより一回り小さくなったかのような感覚がある。
「さて。勇儀もいることだし、改めて自己紹介でもしようかねぇ」
見た目はまだ一人で眠れない年齢の幼女、だが長い時を生きて得られる貫禄がある、二本角の鬼が言った。喋ると酒臭い。
「私の名前は酒呑童子、伊吹の萃香。見ての通り、誇り高き鬼のイッピキさ」
伊吹萃香は拳で自分の角を軽く叩き、それから側に置いてある瓢箪に手を伸ばした。持ち上がった時にタプタプと鳴り、伊吹萃香は満足げにその中身を飲む。酒だろう。
そんな微妙な間をとってから、隣の鬼が口を開いた。
「星熊勇儀。人間からの呼ばれ方は星熊童子、力の勇儀と、そのまんまだね」
伊吹萃香の幼さとは対照に、大人の容姿をしている星熊勇儀。体操着のような私服としてはあり得ない、野暮ったい半袖Tシャツを着ているが、むしろそれが大人の魅力を引き出している。出る所は出て、締まる所は締まる美しい体つきには、思わず憧れを持ってしまう。
はいているスカートは赤と青の縞模様で、青い部分は透けている。『見えそうで見えない』を狙ったデザインだから安全なのだろうが、私には恥ずかしくて着られないなあ。
星熊勇儀の額からは赤い一本角が生えていて、長い金髪と合わせると目立つ。全身黒タイツで雪の上を走り回っている人ぐらい目立つ。さらに角には星マークがついていて、一層派手になってしまっている。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙。二人はまた私をじっと見ている。私も相手のご機嫌伺いに必死。
このにらみ合いに堪え兼ねたのか、赤い顔の伊吹萃香が惚けた顔で一言。
「…………自己紹介、しないの?」
「あ」
心証が一個、ぶっ壊れた。観察に必死で一向に名乗らない無礼少女の寿命が縮まる。
「わ、わわわわわわたたすぃ」
「何もしないから、何とも思ってないから、とりあえず落ち着け」
パニック状態の私に対してああもう、と伊吹萃香は頭をかく。星熊勇儀が釈然としない表情をしていて、ここままでは危ない気がする。
「勇儀、あれ、私が描いた地図を持っていたんだ」
「へー、え!? あれが? なんでまた」
「その事情を聞き出したいからさあ、あんまり怖がらせるなよ」
「そうか。鬼が弱者に気を遣うってか。ま、たまにはいいかもね」
そういうことを本人の前で言ったら意味がありません。
「……木葉、緑です。組長に貰った地図を見てここに来ました。妖怪やっててすみません」
「よし。じゃあ早速力比べでもするか」
伊吹萃香が繰り出す、会話の流れをスルー。
……気を遣ってくれるんじゃなかったの!? 何もしないんじゃないの!? 何故力比べ!?
「どっちとやりたい」
これから遊びに出かける時の顔で、私に死に方を選ばせる。息が上手く吸えなくなってきたよ……。視界も、暗くなって……。
「だからねぇ。……あんた一体鬼を何だと思っているんだい。無駄な殺しはしないから、そんな警戒しなくてもいいよ」
「萃香も私も、ここにいるやつは決して嘘を吐かないと決めてんだ。だから素直に信じな。それとあんたもこの場にいる以上、嘘は許さないからね」
死なないのは分かった。でもまだ植物状態が残っているじゃないか!
「さあ、どっちだい」
「萃香は技、私は力、自信のある方を選びな。言っとくけど、簡単な方なんてないんだからね」
私は日常生活が得意だ。戦闘力は妖精に負けるレベルだ。
無理。
「す、すいかさんかな」
されど、三つ目の選択肢は用意されていないんだ。適当にあしらうのも許されない、対等な立場での勝負。
全く戦闘ができない訳ではない。今まではただ単に、自分の戦い方を見つけようとせず、よく考えないで身を守っていただけだ。何でもできる能力があるのに、その燃料である妖力を無駄に使って自分の首を絞めてしまう。
「ようし! じゃあ表に出ようか! 少しは粘ってくれると嬉しいモンだねえ」
「私は、ここで酒でも呑んでるよ。大して面白そうじゃないしね」
等価交換は、連鎖する。
一つの現象が触媒のように働くことで、別の現象を誘導する。それは、化学反応のように『見える』現象や、人間の感情を変化させるような『見えない』現象がある。
例えば、ここに燃料、コークスと呼ばれる炭素の塊、鉄鉱石があるとしよう。ここで私がするのは、ただ燃料に火を点けるだけだ。
しかし燃料を消費して熱を得るという一つの現象が触媒となり、鉄鉱石とコークスは鉄と二酸化炭素に変化する。さらにこの現象が元となり、どっかの知らない人間が鉄を使って道具を作る。植物は漂ってきた二酸化炭素を使って栄養を作る。
燃料を燃やすというたった一つの作業だけで、いくつもの結果が生まれるのである。
問題なのは、鉄を使う人間や二酸化炭素を使う植物がいない時、現象が連鎖しなくなるのだ。そういった点は、事前に考慮する必要がある。
これまでの私はまさに考慮しない人であり、ただ欲望に従って能力を使っていた為、貴重な燃料を使って暖をとって満足して終わり。と、空しい結末ばかりを量産していた。そこに紫さんでも呼んでおけば、好感度がアップしたかもしれないしね。
「……ほら、萃香はもう行っちまったよ。あんたもさっさと覚悟を決めで立ちな」
ずっと考えていたんだよ。まあ、遅れて怒らせるのはよろしくない。私は宮本武蔵ではないんだから、相手の気が立たないうちにじっくりと戦おうじゃないか。
星熊勇儀が片手で持っていた巨大な杯を傾け、顔が隠れる。私はそのうちに立ち上がり、杯を置く音に見送られて外に出る。そして建物の前に広がっている、運動場のように開けた空間を右へ左へと見渡す。
地べたの上でも気にせず胡座をかき、瓢箪をひっくり返す伊吹萃香が見えた。どいつもこいつも酒飲みやがって……!
酔いが回って頭がふらふら揺れているている鬼は、その場から動く気配がない。ここで戦いを始めるつもりなのだろう。でも、そんな状態で動けるの?
「酒がなくなった〜。早く始めよーよ」
私は何の作戦もたてられないまま歩み寄る。よっこいしょ、と立ち上がる伊吹萃香は身長が低すぎて、とても強そうには見えない。
「勝負方法はそっちが決めていいよ……と言いたいところだけど。今回は純粋な力比べをしようか」
「厳しいですよ……」
「そんなのは分かってるさ。そうさねぇ、あんたは私に一撃でも与えられれば、勝ちってことにしてやるよ。ちなみに私は好きなようにやるよ」
手加減はなしですか。実力差は分かっていらっしゃるでしょうに。
そんなのカンケーねーとやる気を出している伊吹萃香から目を離さないようにして、戦略を考える。
どうせなら派手に行きたいね。だったらオチは爆発にしよう。定番である。爆発には火薬が必要だね。えーーーー、窒素とか固めればいいのか?
戦いが始まる前に色々仕込むことができて便利だ。私は萃香の後方にある木に注目する。
(妖力で木とか空気を硝酸カリウムにできたら……いいな!)
恐怖を抑えるための空元気で自分を奮い立たせる。願望でも能力はちゃんと発動してくれる。伊吹萃香の後方にある木は瞬きをする間に消え、少量の黒い塊に変化した。同時に隙間を埋めるような風が一吹き。
硝酸カリウムは、窒素と酸素とカリウムをくっつければ簡単に出来上がる爆発物だ。ただそれは能力があるからであり、実際作るとなると微生物にお願いしてこねこねして貰わなければならない。そして今ので木の一生分に相当するであろう妖力が星になった。私はこの木より長く生きているため、持っている妖力にそれなりの重みがあるのだろう。だからなのか、失う妖力は全体の四分の一程度で済んだ。
作った火薬は、花火に入っているような割と身近にある危険物だ。火の花を咲かせるようなものだから、威力は結構なもの。生物に使えば一溜まりもない筈だ。
硝酸カリウムとかよく覚えてたな、と自分の記憶力に感心する。経験は忘れやすくても知識はずっと残っているものなのか。
「さあ、はじめるよ」
伊吹萃香が立ち上がる。
火薬を爆発させるには、熱や衝撃が必要だ。伊吹萃香にダメージを与えつつ、火薬に衝撃を与え、かつ確実に爆風を当てられるトラップは何だろう。
「んんん……?」
「大丈夫かい? ボーっとして」
「あ、大丈夫、です」
考えすぎ。時間切れになってしまった。これはもう、伊吹萃香自身を起爆装置にするしかないね。吹っ飛ばしてやるぜ。
「じゃあ、私が投げる石が地面に落ちた時。勝負を始めよう」
そう言って、伊吹萃香は左手に持っていた漬物石を、二三回軽く上に投げる。ここら辺には大きい石が落ちていない。漬物石は事前に用意していたのだろうか。
「……それっ」
漬物石が投げられ、スローモーションのように落ちていく。伊吹萃香が向かってきたら能力を使って火薬の方向に飛ばす。伊吹萃香は自由落下のダメージを受け、同時に爆発が起きる。運が良ければその爆発で木が倒れ、追加ダメージも期待できる。
大して連鎖しないボロボロな手順を再確認すると、石と地面が接触する。
瞬間。
「え?」
伊吹萃香の姿は跡形もなく消え去り、辺りを見回して探していると、目の前に私のお腹に拳を突き立てる伊吹萃香が現れた。現れたらすぐに離れて行く。あれ、これは私が移動しているのか。
痛みは感じていたのかもしれない。自分が吹っ飛ぶほどの強い一撃を入れられたのに、驚きと混乱の方が強すぎて、違和感を感じる程度でしかなかった。
けれど、私の体が地面にこすれて、止まった時に、お腹で核融合でも起きているかのような、アタマがおかしくなる痛みが。それは色となって視界を灰色に染め、音となって鼓膜に地震を発生させ、風となって南極の風よりも冷たい空気を吸っていると勘違いさせる。体は宙に浮いている感覚で、もう自分がどこにいるのか分からない。
「……私は言った筈だ」
地震が起きているところとは別の次元で、無邪気な子供の声が鳴る。
「嘘を吐いたらタダじゃ置かないと」
相変わらず核融合が止まらないが、段々と五感が帰路につく。自分が置かれている状況が、箱を開けて中身を確認するかのように分かってくる。
伊吹萃香はワープができる。どういった仕組みかは不明だが、遅いとも速いとも言えない速度でワープする。姿が消えてから辺りを見回す時間があったのだから。
やっぱり無理なお話だったんだ。戦闘初心者が戦略を考える間もなく戦場に繰り出されるなんて。しかも相手はその手の業界の第一人者。餓死寸前の人がお相撲さんに勝負を挑むのと同じことだったんだ。手出しするどころか、触れる前に相手に張り倒される。押し出される。投げ飛ばされる。
ああでも悔しい。餓死寸前の人だって、ブルドーザーを持っていればお相撲さんに立ち向かえる。僅かな力を振り絞ってアクセルを数秒間踏めば、お相撲さんを土俵の淵まで押すことができるのだ。
「都会の生き物って言うのは、どうしてこうも嘘を吐きたがるのかねえ」
私はブルドーザーを持っている。掟破りのブルドーザーを。二度と使う機会に恵まれたくない、掟破りの能力。
ね、ちょっと噛み付かせてよ。
「……木葉組。お前は自分が組長じゃあないように振る舞っていたけど、名前からして組長はおまうぇっ…………!」
強制等価交換。『私が失った体力の分と同じ対価を、相手に支払わせる』という秘奥義。
私が喰らったダメージを、相手にも味わわせてやる。
「ぅ、いて」
私が殴られたところと同じ部位をさする伊吹萃香。その表情は、見えないところのデキモノを手で探っている時の、何とも言えない表情。
体力の最大値が違いすぎる。というか、鬼が無駄に頑丈なのだ。誰だって自分で自分を本気で殴ったら、気を失うところまでは行ける筈だ。なのに伊吹萃香は平気そう。きょとんとした顔で私を見ていて、すでに戦意はなさそうだ。
「……いやまあ、一撃でも入れられたらあんたの勝ちって言ったし。最後の最後で逆転勝利ってことでいいよ。うん。鬼は嘘を吐かない」
そのルールを守りたいがために私を勝たせたの? 全然勝った気がしないんですけど。
「歓迎するよ、木葉組組長」
その豹変ぶりはなんだ。
それよりもお腹の核融合が限界だ。色々考えるのは後。戦闘のような何かが早く終わったことを記念して、私は夢の世界へ旅行に行ってくる。ばーい。
・・・・・・・・・・・
伊吹萃香が運んでくれたのか、目覚めた場所は漢のログハウスの中だった。漢の建物なのにいるのは全員女っていう。
カラスがカーカー鳴く声と、微妙に差し込んでくる真っ赤な光を認識すると、一本角のお姉さんが近づいてきた。
「よお。萃香に勝ったって? 一応」
一応ね、という意味を含めてうなずいてみる。
「なんであんたが組長なんだい? 部下の方が強いだろうに」
私はただの被害者なんです、という意味を込めてうなずく。
「はあ。人生何が起きるか分かんないモノだしねえ」
ところで伊吹萃香はどうしたんですか、という意味を込めてもがいてみる。
「ああ、萃香かい? なんか中途半端な表情で座ってるよ。隅の方で」
見てみると、形容しがたい表情でお腹をさする伊吹萃香を発見。
「ところで、どうやってアイツに勝ったんだい? あんたの方がボロボロだけど」
等価交換する程度の能力を使って秘奥義を繰り出したのです。一撃にカウントされましたが、相手は平気そうだったのです、という感情を込めて首を振る。
「……口で言わなきゃ分かんないよ。頑張って話しな」
さっきまで意思疎通してたじゃん。痛みが今も続いていて、話すには話せるが、その気にならないのが今の現状である。だからといって、うなずいたりもがいたりするのも結構辛い。でも喋るよりかは面倒臭そうではなかったので、星熊勇儀に対して使っていた。
「あの、外、出ていいですか」
外に火薬を置きっぱなしだ。いくら体が痛くたって、危険物を放置しておく理由にはならない。なるべく早く処理しないと、鬼が触って怪我をしてしまうかもしれない。
「そんな体で大丈夫か?」
「な、なんとか」
一度起こすとちぎれるような痛みを発する体に逆らって、星熊勇儀に愛想笑いをする。息づかいと力の入り方で、必死に痛みをこらえている顔になっているかもしれない。だが、星熊勇儀はそんな私にうるさい言葉を掛けることはなく、代わりにふっと微笑んだ。
「倒れないうちに戻って来な。今日は多分宴会になるだろう」
ある程度さばさばしていた方が、行動しやすくていい。黒花のこととか私のこととか、向こうには聞きたいことがいっぱいある筈だ。それでも私の意思を優先してくれるのは、相当の勇気がいる。このまま私は逃げてしまうかもしれないからだ。見ず知らずの人間を無条件で信用するのは無理なこと。さらに、自分にそんなつもりはないが、私はさっきまで嘘つきだったのだ。そんなすかすかなヒトを信じる鬼って、この家みたいに漢らしい。
「腹空かせてついでに覚悟もしときな。鬼の宴会は戦だぞ」
その言葉で逃げたくなった。
☆秋姉妹的はるどぇすよ
「静葉です!」
「穣子です!」
「うおーーーーーー! はーるでーすよー! はるですよーーーー!!」
「お姉ちゃん! もう寝て!」
「穣子、桜はすぐに散ってしまうわ。お花見しましょ」
「エッケンコウイだよ! あとは春告精に任せるべきだよ!」
「お神酒を片手に唐揚げ、川魚、ジャガイモタケノコふきのとう。素朴な料理をつまみながら、桃色の雨に吹かれたいわ」
「うわあ、いいなあ……。じゃなくて、春眠! お姉ちゃんが遊びすぎたせいで冬眠してないんだからね!」
「白石さんや虹川さんも呼んで、にぎやかにやりたいわ」
「おお、楽しそうだね! でも寝るよ!」
「穣子、秋は仕事、ほかは休暇なのよ。その辺の線引きを学んでほしいわ」
「し、仕事じゃないよ! 元気になる季節だよ!」
「春は何もしなくたって桜が咲く。でも秋は私が葉を赤く染めなければならないのよ」
「嫌ならやめればいいじゃん!!」
「いや、それはちょっと……」
「でしょ! 仕事なんかじゃないの!」
「穣子、楽しむのはいまでもできるわ」
「…………もう。宴会やったらすぐ寝ようね!」
あとがき。
等価交換といいますと、某錬金術師が思い浮かびますが、その内容はよく知りません。
ずっと昔に、某錬金術師を読んだ理科の先生が、等価交換について語ったのが強く印象に残っていて、あんな能力が生まれたのです。