第7章 【悪食王‐蠅‐】 5話 信じるモノ
私は甘かった。
今まで『権威』という名の『力』に胡坐をかいていただけの私は
決して『強い』存在ではなかったのだ。
外の世界に出れば、私はたちまち『力』を失う。
本当の『力』に捻じ伏せられる。
私はまさに『井の中の蛙』だった。
弱い私の声など届く筈もなく、力ある者に踏みにじられる。
しかし、彼は、『本当の力』を持っていた。
鬼と呼ばれた侍、我が盟友『蠅』。
彼の力は、外の世界でも十分すぎるほどに通用した。
何時しか強き彼の言葉は力を帯びて、私以上に人々を揺り動かすようになっていた。
それに寄り添う『だけ』の弱き私の言葉など意味を成さない。
結局、私の言葉は『虎の威を借る狐』の如く、私自身には『何もない』。
何時しか私は欲しくてたまらなくなっていた。
人を捻じ伏せるだけの『力』が。人を説き伏すだけの『力』が。
『蠅』のようになりたかったのだ。強く強くただただ強い、『鬼』に。
気付いた時には私ハ、盟友ノ肉ヲ、喰ライ、貪リ、啜ル、本物ノ『鬼』ニ成ッテイタ。
美味クテ優シイソノ肉ガ、私ヲ強クシテクレル。
『蠅』ガ私ト一ツニナル……『蠅』ノ力ガ我ガ身ニ宿ルヨウダ……
私ハ蠅ト『一ツ』ニナリ、強クナッタ、アレ、ソウカ、人々ノ隔タリヲ、失クスノハ、簡単ナコト、
『全部、私ニ、ナレバ、イイ、ジャナイカ』
美味、美味、美味、美味、美味、美味、美味、美味、美味、美味、美味、美味…………
モット沢山、モット強ク、モット美味ク、
モット、モット、モット、モット、モット、モット、モット、モット、モット、モット、モット!
**********
「呑みこめ!」
ケイティが叫び、その水流をうねらせる。蛇のようにその形を曲げながら、立ち上がる水柱はケイティと共に百鬼撰に襲いかかる。次第に見えてきた百鬼撰の不気味さ、それに怯える自分を誤魔化すように勢いよく無謀に我武者羅に。
「『水龍』」
百鬼撰が刀を振り抜く。それに付いて行くように、水の激流が線を作る。槍のように伸びる水流、それを睨みつけながらケイティは吠える。
「『水』であたしに勝てるかよッ!」
ケイティは『水』に関しては、『門』から与えられた魔宝『畜音箱』を抜きにしても、絶対の自信を持っている。それは自身が『最強の水使い』と自負している訳では無く、彼女の持つ『体質』に由来する。
ケイティは体を捻り、足をかける『牙』と共に自らの水流から離れる。そして、百鬼撰の放つ水の槍、それをさも『自身が生み出した水』であるかのように、自らの乗りモノへと変貌させる。
百鬼撰の刀が生み出した水流を、器用に乗りこなしながら、ケイティは水流を辿り、その発生源である百鬼撰へと突撃する。対抗して、百鬼撰も刀一振り追撃の水流を放つ。
仮に、ケイティにその水流を足蹴にされても、水流のコントロール権は百鬼撰にある。細い水流の上にケイティの逃げ場などない。
「……王手」
「言ったろ?『水』であたしに勝てるかってなぁ!」
軽く岩でも貫ける程の水流。百鬼撰が今まで出会った中で『最強の水使い』の誇る貫通特化型水魔法『ブルーランス』。それは確かに余裕の表情を浮かべるケイティの額を捉えていた。しかし、その額に赤い穴を空ける事は叶わない。
ケイティの額に直撃した筈の水流は、それがまるで弱々しい水かけ遊びであるかのように、飛沫となって消え去る。
「な……!?」
「ゲートの魔宝を手に入れる前のあたしはねぇ……決して『最強の水使い』じゃなかったんだよ……あたしが絶対に『水』に負けない理由……それはあたしが『最強の水耐性を持つ女』だという事!」
驚き、身を引く百鬼撰。彼の放った水流に、さらに自分が召喚した水を含ませながら、ケイティは勢いを増す。
人はある種の魔法に対し、時に『耐性』を持つという。『火』に焼かれない者、『寒さ』に強い者、『雷』を平然と受けきる者、それは先天性の体質であり、立派な『魔法の才能』でもある。ケイティはこの中でも、『水』に対するずば抜けた耐性を持つ。
『彼女にとって如何なる水も、雨の一粒に等しい』、それがケイティの『水』に対する絶対の自信。
「死ね!死ね!死に晒せぇ!」
猛スピードの彼女を迎え撃った時点で百鬼撰は完全に手遅れ、身を引こうとケイティのスピードからは逃れられない。ケイティの乗る鋭利な『牙』が、容赦なく百鬼撰に襲いかかる。
ドスッ!!
鈍い音と共に、ケイティの『牙』が百鬼撰の体に突き刺さる。鋭い盾のようなケイティのその武器は百鬼撰の腹を抉り、血を滴らせる。
「ごがっ……!?」
百鬼撰の口から、籠り気味の声と血が吐き出される。以前に、ある戦士から奪った『硬化魔法』によって強化された体を易々と貫いたその武器が、並々ならぬものと気付いた時には時すでに遅し。突き刺さった百鬼撰の体を物のように蹴飛ばし、ケイティは百鬼撰を地面に突き落とす。
「硬い体……でも、コイツは止められないけどねぇ!これが、あたしの『奇跡』!」
『七つの奇跡』。ゲートによって雇われた『奇跡』を起こした七人。それは絶体絶命の死地からの生還であったり、不可能を可能にしたり、とにかく並々ならぬ偉業を成した者達。
「こいつは、あたしがぶっ殺した魔物から作ったモノでね……かつて海の支配者と呼ばれ恐れられた魔物……『海龍バイアス』の強靭な牙から作った、あたし本来の武具、名付けて『大海を統べるモノ(サーフファング)』!波を支配し、その鋭さは鉄さえ切り裂く!」
『死地からの生還』、そして『化物の討伐』、そんな二つの『奇跡』を成し遂げた、海賊『ケイティ・キャット』。勝ち誇った表情で、地面に転がる百鬼撰を見下ろす彼女の視線に、無数の氷柱の雨が降り注ぐ。
ドスドスドスドス!
僅かに動く百鬼撰の体に次々と突き刺さる氷柱。その攻撃の主、白い男を振り返り、ケイティは舌打ちしつつもにやりと笑った。
「コールズ、美味しいところ取りかよ?」
「……手出し無用と判断。故に我は不動」
血に塗れ、体に無数の氷柱を突き立てた百鬼撰。それ以前に、ケイティの攻撃で普通の人間ならばとっくに死んでいてもおかしくない所に、白い男コールズの更なる追撃。これを喰らって、生きている人間などいる筈も無かった。
**********
ロザが紡ぎ出した言葉は、旅人が想像だにしなかった、恐らく誰も予想だにしなかった、突拍子もない、あり得ない一言だった。
「悪食王百鬼撰…………あの人を、仲間に出来ないでしょうか?」
「…………はい?」
無意識の内に、作っていた厳しい表情を崩していた旅人。目を丸くしながら、ロザの放った言葉を心の中で何度も復唱する。そして、そのぶっ飛んだ意味内容を少しずつ自分の中で整理し、自らの聞き間違いが無い事を、聞き間違えようの無い事を確認し、それを理解した時、旅人は素っ頓狂な声を上げた。
「……えええええええええええええ!?あ、痛っ!」
大声を出し過ぎて、体の痛みに再び悶え苦しむ旅人。ぴくぴくと体を震わせながら、強い視線を送るロザを睨み返し、その言葉が何の冗談でも無い事を理解する。そして、真剣に、痛みを噛み殺して、その言葉の真意をロザに問いかけた。
「……どういう事ですか?意味が分かりません!一体、今の話からどうやってそんな話に!?」
ロザは話した。エインが語った『悪食王百鬼撰』という男の過去を。そして、百鬼撰とロザを繋ぐ忘れていた過去を。
『優しい鬼』を連れ、不意を打つように鬼を殺し、その肉を喰らい、その刀を奪い、『人を喰えば、その力を得られる』と勝手な妄想に捕らわれ、無数の人々を殺し、喰らい、歪んだ『醜い鬼』の話。
その歪みに歪んだ『悪意』から、何の力も持たない刀を『十三呪宝』に昇華させ、その後はその力を持って殺戮の限りを尽くしてきた『極悪非道の鬼』。
さらに、ロザの母親の命を奪った張本人。そんな彼に対して、ロザが恨みを、嫌悪を抱かない筈がない。抱かない人間が居る筈がない。
「『悪魔』ですよ!?ロザさんの話を聞く限り、そして噂で聞く限り、あの男はとても人間の血が通ってるとは思えない!そんな人間を仲間に!?何を言うんですか!」
「私が伝えたかったのは、そんな事じゃない!」
ロザは声を張り上げた。旅人は、その迫力に僅かに怯むも、そこは『譲れないライン』。それこそ、ロザの生死に関わるかもしれないライン。譲る気など全くない。
そんな、不動の旅人に、ロザは自分の伝えたい事をはっきりと伝える。
「確かに、あの人は、酷い事をしてきたのかも知れません!私も、お母さんの事、割り切れる訳じゃありません!でも、あの人は最初、『弱い人達の為』に、立ち上がったんですよ!?」
かつて、『黄金の国』の貴族だった百鬼撰は、低い身分でありながらその力を評価されていた鬼、『蠅』を誘い、身分の差で苦しむ者、貧富の差で苦しむ者を救う為に世界へと発った。
「そんなのは騙す為の嘘じゃないですか!?」
百鬼撰がそんな言葉を蠅に持ちかけた理由、それは自分が敵ではない事を示してその不意を突く事。旅人はそう考える。
「そんなの決めつけないで!」
ロザは強く返す。根拠もない都合のいい妄想を信じて。
「確かに彼は『暗い何か』に屈したのかも知れない……でも、始めの言葉が嘘だなんて私は思わない!それが嘘だったら、飾り付けだけの中身の無い言葉だったら、どうして蠅さんを動かせたんですか!?」
あくまで妄想。しかし、百鬼撰を『悪』とし、憎むよりもずっと眩しい妄想。
「それに……彼は、お母さんを殺した時に、私を凄く辛そうな目で見たんです!私から家族を奪った事を、悔やむように……!」
ロザが思い出した、百鬼撰の顔。母の返り血を浴びながら、ロザという娘の存在を知った時の『絶望の顔』。そして、ロザを憐れむような目。
「それに……彼は私から、『辛い思い出を全部、取り去りました』!これは紛れもない事実です!ただ、非情なだけの人が……こんな事しますか?」
エインによって、取り戻された辛い記憶。当時のロザが、それを覚えていたらどんな生活を送っていただろうか?
「『彼の心』なんて、私には分からない……でも、疎むべきなのは、『彼自身』じゃなくて、彼の中にある『暗い何か』何じゃないですか?」
『悪意』、エインに聞かされた魔宝の根源、ロザがそれを指して話をしている事は旅人にも分かった。
「確かに彼のしてきた事は許される事じゃない。でも、だから彼の全てを否定するのは間違いだと思います。それは彼だけじゃない。『魔宝』だって、許されない過去を歩んできたんです。それを集める私達の旅は……そんな彼らを『許す』事に意味があるんじゃないですか?」
『許す』。それがロザの選んだ道。
「旅人さんも、魔宝を忌むべきモノとするならば、見つけ次第に処分すればいいだけじゃないですか。それを集めるってことは、その罪を背負う事……魔宝を悪と割り切るのなら、どうしてわざわざそんな事をするんですか?」
押しつけがましいことだとロザも分かっていた。でも、旅人に問う。魔宝との接し方を、魔宝に対する想いを。
「彼らを『許す』事は誰にでもできる事じゃない。だからこそ、私達が魔宝を集める意味があるんじゃないですか?」
旅人は最早、言葉を返さない。熱くなるロザの言葉をそのまま受け止める。
「だから……私は彼を『許したい』。そして、彼をもっと『知りたい』。勝手だって分かってます。でも……それは不可能な事じゃないと思います」
難しい顔で俯く旅人に、ロザは加えて、頭の足りない自分なりに考えたメリットも提示する。
「そ、それに……彼も『国を取り戻す』、その為に力を集めてるんですよ?だったら、十三呪宝を追う私達とも協力できるんじゃないですか?私達が魔宝を集めれば、『禁断の林檎』は蘇り、『黄金の国』は帰って来る。彼の力を借りれば魔宝の収集もより捗る……ほら、メリットはあるじゃないですか」
「…………」
黙りこくる旅人。ロザは話し過ぎたかも、と少し気まずそうな顔をして、肩をすくめた。暫くの沈黙の後、旅人は険しい表情で言葉を発する。
「…………デメリットは考えていますか?それこそ、彼と話ができる保証は?」
「信じてます。彼が完全な『鬼』じゃない事を」
「…………保証は、と聞いているんです。貴女の想いに興味はない」
「……………………大丈夫じゃないの?」
険悪な雰囲気の旅人とロザ。その間に割って入るように、投げやりな、小さな声が飛び込む。二人が声の方向を向くと、そこには何時の間にやら壁に寄りかかりながら立つ、全身真っ黒の少女、クロ。クロはすたすたと旅人のベッド脇に歩み寄り、空いている椅子に腰かけた。
「クロ!何時からそこに?」
「大体、話は聞いてた…………全く、熱くなって気付きもしないなんて……」
呆れたようにため息をつくと、クロは自らの見解を述べた。
「多分、大丈夫。……百鬼撰の力がロザの言う通りのモノならば……ロザのお母さんの力を奪ったそいつが……わざわざロザを殺す必要なんてないから」
「…………む」
『殺した者の力を奪う』、ロザがエインから聞いた百鬼撰の十三呪宝『悪食王‐蠅‐』の力。さらに、隠された『とある制約』。それを考えると、百鬼撰が無駄な殺生をする事、ましてや『能力被り』のロザを殺す事は考え辛かった。しかし、旅人は腑に落ちないような表情で口を曲げる。
しかし、クロは旅人がそういう表情を見せる事を見抜いていたかのように、『追加条件』を提示した。
「…………そんなにお前がロザを心配するなら…………私が付いて行けばいい」
「な……!?」
「え!?」
クロの言葉に旅人もロザも驚きを示す。
「…………『身を削る呪い』なんて、百鬼撰も欲しくないでしょ。それに、万が一の事があっても……私の『丑の釘』は……『必殺』だから」
「クロ!『丑の釘』は使わないで!私一人でも……」
「ちょっとは自分の心配もしなさい…………ロザは勝手すぎ」
「うぅ……」
エインにも咎められた悪癖を、クロにも注意されてロザはしょんぼりと肩を落とした。一方の旅人は、クロの言葉に賛同できずに声を上げる。
「駄目です!何でさっきから根拠の無い自信を……!もしかしたら、百鬼撰は考え無しに斬りかかって来るかも知れないじゃないですか!」
「だから、私が一緒に…………」
「危ない事は許しません!」
「誰もお前の許しなんて欲しがってない。怪我人は黙って寝てろ……」
声を荒げ、体を起こす旅人の額をぐいっと力づくでベッドに捻じ伏せるクロ。
「…………少しは信用して。私も……ロザも……そんなに弱くない。だから…………あなたは休んでて」
クロは旅人を気遣う。その時見せたクロの穏やかで、何処か薄暗い表情は普段見せない旅人への心配を、直接的に、はっきりと示していた。それはクロが、ロザも、旅人も、どちらも気遣って導き出した答え。
「何で……!」
「…………ロザの案、私は支持する。…………だって、戦わないで済むなら……それに越したことはない……違う?」
ここに百鬼撰が居るとすれば、クロは自分たちがすべきことは『逃げる』か『話し合い』しかないと考える。『丑の釘』があるとはいえ、心配するロザと旅人を無視してそれを使うつもりはない。ロザの『赤黒い靴』の力も持つ百鬼撰に、ロザが勝てる筈もない。ボロボロの旅人が戦える筈もない。
だったら『逃げる』か?それもありかもしれない。むしろ、それが最も確実だろう。
しかし、クロはロザに賭ける。百鬼撰、悪逆非道のその男も、まだ『人の心』を持っていると信じる。
それに例え逃げても、いずれは百鬼撰との衝突は避けれない。ならば、ここで彼と何らかの協定を結ぶのも悪くはない。彼を戦力に引き込めば、それは計り知れない利益になるだろう。
分の悪い賭け……しかし、クロはそれに乗る。
最も理想的ともいえる、その解決法に……
旅人は頭を抱えながらつぶやく。
「ロザさん……貴女は綺麗事ばかりだ……少しは人を疑う事も……」
旅人の小言。それをつっ返すように、ロザは明るく、声を上げた。
「綺麗事も言えないで……どうして魔宝集めができますか!」
「…………はは、違いない。僕らは魔宝を集めて、『悪意』から世界を救うヒーローになるんですからね」
旅人は呆れ顔で笑い、諦めたように息を深く吐き出した。
「……仕方ない。言っても聞かないでしょう、どうせ。ただし、『僕も付いて行く』、この条件付きなら許しましょう」
「…………休んでろって言ったでしょ」
「そうですよ!休んでて下さい!絶対、大丈夫ですから!」
付いて行く。旅人のその申し出を、クロとロザはつっ返す。しかし、それは譲らないと、旅人はベッド脇に置かれた帽子の中から、一冊の本を取りだした。
「『暫く痛みを忘れろ』」
『独裁者の経典』、十三呪宝の絶対の命令により、自らに鞭を打ち、動かない体を奮い立たせる。体をゆっくりと起こし、旅人は強がりにも見える笑みを浮かべた。
「こんなボロボロ男の力、百鬼撰が欲しがると思いますか?」
「…………ロザ、こいつ、結構頑固だから」
「……私が背負っていきます!」
「いや、それはちょっと恥ずかしいので……」
「いえ!無理を言っているのは私です!だから旅人さんには無理をさせないように……」
三人は立ち上がる。
十三呪宝『悪食王‐蠅‐』、その所有者『悪食王百鬼撰』。彼を仲間に引き込むために。この選択が、結局は悪食王百鬼撰という哀れな鬼の運命を『ほんの少しだけしか』変える事が出来ないとは知らずに……
**********
「ちっくしょおおおおおお!この化け物があああああ!」
ケイティは吠えながら、殺した筈の、死んだ筈の百鬼撰に襲いかかる。百鬼撰は体に氷柱を突き刺し、血を滴らせながら立っていた。にやりと不気味な笑みを浮かべ、刀をケイティに向ける。
「何で生きてやがる……!?あれで死なない人間なんて……!」
「……まさか拙者を『人間』だと思う輩がまだいたのか」
百鬼撰の体に刻まれた傷が徐々に塞がっていく。そして、肉が押し上げるように、刺さる氷柱を地面に落とす。ぺろりと口から滴る血を味わうその姿はまさに『鬼』。
「治癒術『創世』……拙者に刻まれる如何なる傷も、全て一瞬で消え往く運命。故に拙者を殺す事は不可能……」
ケイティはガチガチと歯を鳴らしながら、『畜音箱』で更なる水流を召喚する。それらを集め、『大海を統べるモノ(サーフファング)』を『牙』であるかのように突き立て、水流の集合体を巨大な『水龍』へと創り変える。
「死なない人間なんているものか……!だったら、再生する間もなく、ぶっ殺してやるよ……!」
巨大な水龍、その鋭い一本の牙に乗り、ケイティは加えて、『切り札』を取りだす。まずはゲートから与えられた魔宝の一つ、『酒神祝砲』。筒状のその魔宝は、魔法無しで自ら『爆発する球』を射出する、強力な炎の魔宝。さらにもう一つの『切り札』、魔宝『次元門』。雇い主、ゲートによって与えられた緊急連絡用のそれは、本体の『片割れ』である。しかし、持つ力は本体と同様。
ケイティは、ゲートから支給された魔宝以外に、もう一つ、この十三呪宝の片割れを、『武器』として受け取っていた。
空間を操り、ポイントとポイントを結ぶその力により、ケイティは水龍のあちこちから、渦巻き型の門を開放する。そこから呼び出すモノは、彼女の相棒にして、最強の武器。
「お前等ぁ!戦闘準備だ!」
水龍の水門から、無数の巨大槍が、筒状の『魔法射出機』が顔を出す。無数の殺戮兵器を体から突き出す水龍、それを見上げて百鬼撰はなおも余裕の表情を崩さない。
「ほう……」
「これがあたしの自慢の船『キャットキング』!」
ケイティがゲートに要求した事、それは『自らの船の兵器と、自分の水の門を繋ぐ事』。今まさに、ケイティの船と化した水龍は、百鬼撰を睨み、その大きな口を開ける。
「攻撃…………開始ィ!!」
『次元門』の向こう側に居る船員達に、号令をかけるケイティ。それと同時に、待機していた彼らは、一斉に攻撃を開始する。魔法射出機から、無数の魔法攻撃が放たれ、巨大槍が空を飛び、ケイティ自身も『酒神祝砲』による砲撃を開始する。
それはまるで『戦争』。ケイティの戦力は最早、一国の軍事力に相当する。
周囲の地形を変えるほどの猛攻、それを刀一本でいなしながら、百鬼撰はなおも笑う。
「『赤駆』」
百鬼撰の足が赤く光る。その瞬間、ふっとその姿は消える。否、『見えないほどの速さで走り出す』。実力者ケイティはかろうじてそのスピードを目の端で捉える事ができるが、大まかな一斉砲撃では捉えきれない。
「畜生、畜生!」
『飛び道具は当たらない』、そう判断したケイティは『酒神祝砲』を投げ捨て、地上を這いずり回る百鬼撰目がけて、水龍を傾ける。自ら最高の武器、『大海を統べるモノ(サーフファング)』でズタズタに切り裂く為に。
しかし、彼女が近づくまでもなく、大きくし過ぎた水龍のコントロールに気を取られたケイティの隙を突き、百鬼撰は彼女の目前まで迫って来ていた。『ケイティの水龍を駆け上がりながら』。
「水の上を走って……!?」
時既に遅し。俊足の百鬼撰はケイティの目の前まで迫り、その刀を構えていた。
「『回転鋸』」
黒いオーラが『小さな刃の集まり』となり、刀の周りを高速回転する。ガジの魔宝を模したその禍々しき攻撃は、不快な騒音を上げながら、ケイティの首目がけて振り抜かれる。
あ、死んだ。
一瞬、時が止まったかのように、ケイティは錯覚する。
真っ逆さまに地上に落下する自分の体。様々な思考が頭を駆け巡る。
落下する彼女が最期に見たのは……
「…………は?」
自らが操っていた水龍が、『氷の龍』となって、百鬼撰の体をズタズタに切り裂いている光景。
「…………え?」
落下しながら、首筋に手を当てる。切れていない。それどころか血すら出ていない。
……百鬼撰の攻撃は届いていなかった?
なら何故、あたしは落ちている?
ズンッ!
「かはっ……!?」
地面に叩きつけられ、ケイティは強い衝撃にさらされる。水龍に乗り、彼女は相当な高さまで登っていたらしく、地面に叩きつけられるダメージは計り知れない。それこそ『人間は生きていられないほどに』。
ケイティの口から血が吐き出される。体の中の何かが、破裂したかのような嫌な感触。意識をロクに保てない、それほどの激痛に、短い声を何度も漏らしながらも、ケイティは指一つ動かさない。
「…………あ……が……?」
歪に曲がった彼女の体。薄れ行く意識の中、彼女は自らを見下ろす白い男の笑顔を見る。
「御苦労。貴様の水、少々拝借」
ケイティは、何故、自分が地面に落ちたのかを理解する。白い男の笑みと言葉が示す事。それは、『彼女のコントロールする水龍の支配権を、白い男に奪われた』から。自分を支える土台を奪われたからだと気付く。
「て……め……」
「『殺されたら、力を奪われる』……ならば、『仲間に殺されて』本望……同意を要求」
男は狙ってケイティを地面に落とした。力無い目で、白い男を睨みつけるケイティ。その全身に、『ケイティから奪った水から作った氷柱を無数に落とし』、白い男は見るも無残な肉片へと姿を変えたそれに、最後の言葉を贈る。
「『ついでに』……これで『報酬』、我が独占……!」
息の無い彼女に贈る、男の『本音』。無数に突き刺さる氷柱の隙間から、彼女の魔宝『畜音箱』三つを取りだすと、白い男はそれを自らの懐に収め、『氷の針に生けられ、その鋭い視線を送る百鬼撰』を見上げた。
「大分……消費。大分……分析。……………………おっほん」
咳払い、それはまるで彼のスイッチを入れたかのように、その目付きを鋭くする。
『さてさて、ここからが本番だ、百鬼撰。駒は揃った。盤面は整った。これから魅せよう、我が力』
口を閉ざす白い男。しかし、その口からは何故か声が漏れる。
周囲の空気が徐々に冷たくなっていく。
「…………戯言を」
『ンッン~~~、戯言?それは我が力を見てから言うべきだ』
冷たい空気が渦巻く。白い男の足元が徐々に色を変えていく。荒れ果てた戦場、かろうじて生き残った草木が次々と枯れていく。空は黒く濁り、太陽を遠ざける。
生まれたのは『白銀の世界』。その中心で、支配者は口も開かずに無表情で腕を広げる。
『我が名は『コールズ・ウィドウ』。貴様等、温室育ちのヌルヌル野郎から、大地を奪う者。人は我を』
『『侵略者』と呼ぶ』
**********
「おい、しっかりしろ」
無表情な男は、怯え、震えるエイミーの背中を擦る。兄達が殺され、錯乱状態にあった彼女も、徐々に呼吸を整え、その言葉に返答する。
「兄ちゃん……兄ちゃん……!」
「……ここから少し離れるぞ。おっさん。こいつ運ぶの手伝え」
「あ……ああ……」
無表情の男は、もう一人の男と協力して、エイミーを持ち上げ、背負う。コールズが、ケイティに手をかけた時点で、その危険を察知し、『戦えない二人』を安全な場所へと連れていく。もう一人の男は、淡々と非難をする無表情な男に問いかけた。
「…………あんたは、どうして俺達を守るんだ?コールズみたいに、使えない俺達を切り捨てて、手柄を一人占めする気はないのか?」
「……俺は『人間』だからな。そんな残酷な真似、出来るか」
無表情の男は、眉一つ動かさずに言った。
「海賊女に、こいつを頼まれた。おっさんの生きなければならない理由を聞いた。それだけで十分だ」
「だって、俺は『人間』だから」
今、まさに牙を交えようとしている二人、百鬼撰とコールズ。その二人は、実力、その性質、どちらを取っても『化物』と言える。そんな二人を軽蔑してそんな言葉を使っているのだろうか?おっさんと呼ばれる男は、無表情な男の背中を追いかけながら、思う。
「生き残れるさ」
無表情の男の突然の言葉、おっさんと呼ばれる男は、黙ってその言葉を受け止めた。
励ましのような、その言葉を、目も見ずに無機質に告げる男。それは妙な頼もしさがあり、おっさんと呼ばれる男は、いつしか、その僅かな希望を信じ始めていた。
「いざとなったら……俺が守るよ。何たって、俺は…………『人間』だからな」