第1章 【赤黒い靴】 4話 殺人鬼
ロザは店の近くまで戻ってきて、自分のポケットに突っこまれたお金を見つめ、肩を落とした。
「包帯……買ってくるの忘れちゃった。でも、あの人にまた会いたくないし……おじさんに謝って、後で買いに行こう……」
先ほど出会った怪しい旅人。彼女は彼から世にも恐ろしい赤い靴……『魔宝』を何としても守りたかった。だから、彼と再び遭遇することは避けたかった。
「……でも、あの人……案外簡単に見逃してくれたな」
旅人の事を思い返し、少し違和感を感じるロザ。それは確信を持てるものではないが、何処となくあの旅人が持っている雰囲気によるものだった。
怪しくはあった。『魔宝』を語る時の眼に狂気を感じた。
しかしなぜか、根拠もなく……旅人からは優しい、温かい何かを感じた。そして、その底に眠る悲しい何かがあった。
ロザが思い返してみると、それは彼女が感じた感覚というよりは、いま彼女が履く最強の魔宝『十三呪宝』の『赤黒い靴』から感じ取ったものだったように思われた。
「……あなたはあの人から何を感じたの?」
ロザは『赤黒い靴』に語りかける。もちろん返事は返ってこない。
ロザは軽くため息をつくと、店の中に入ろうとした。その時、ちょうどおじさんと向き合う男が見えた。
見慣れない人だけど……お客さんかな?
ロザがそう思いつつ、挨拶をしようと店に一歩踏み込んだ時、おじさん、ゴートはロザを見て、今までロザでさえ聞いたこともない大きな声で叫んだ。
「来るな!逃げろ!」
パァン!
え?
ロザは言葉を発することができなかった。
何かがはじけるような音、それと同時にゴートの腹に穴が開くのが見えた。そこから赤い液体が飛び出す。唖然とするロザのほうに人形のように首を傾けて、お客さんはにやりと笑った。
「たまらない……!見事……契約……不成立ぅ……!」
ロザもその視線をお客さん……黒いスーツの男に向ける。その手に握られているのは見たこともない黒い塊。先端に開いた穴からは少し煙が上がっている。得体のしれないその物体がゴートの腹に穴をあけた事をロザは無意識のうちに悟った。そして、それの放つ違和感を感じ、先ほど聞いた言葉をそのまま口から漏らした。
「ま……ほう……?」
男は首を揺らしながらギロリとロザを睨みつける。
「ご明答……だが、何故、それを、知っている……?」
不気味に首を揺らす男の眼は狂気に満ちていた。ロザが男から感じ取ったのは彼女が少し前まで知らなかった感覚、『魔宝』の話を聞かされた時、『赤黒い靴』がじわりと伝え、はじめて知らされた感覚……
常人には理解できるはずのないあまりにも深く、強すぎる『殺人衝動』だった。
自分の腕が震えるのをロザは感じ取る。
「……お前が……ロザ……?そうか、探す手間が省けた……」
男の狂気が徐々にロザに向き始める。しかし、ロザはその事に気づかずにあろうことか男に背を向けていた。
「おじさん……!おじさん……!」
男が見下ろされながら、ロザは倒れたゴートに駆け寄っていた。流れる血を見て、どうすればいいのかも分からないまま、ゴートに声を投げかけていた。その目に涙を溜めながら、ロザは一言も声を発しないゴートにただただすがりついていた。男は不機嫌そうその光景を眺めながら、その手に握る黒い塊を顔の前まで持ち上げると、優しく、優しくそれを撫でた。
「……無視か?……私を……誰だと思っている……?……ああ、殺したい……殺したい……死体を持って帰っても……いいのかなぁ?」
男は黒い塊の先端をロザの背中に向ける。そして、突起した部分に指をかけると、つい先ほど体感したその愛しい感覚を思い返すように不気味な恍惚とした表情を浮かべた。
「……ああ、もっと……もっと感じさせてくれ……我が『魔宝』……『火の矢』!!」
男がその眼を大きく見開くと同時に……大きな音が鳴り響いた。
**********
その女は非常に奇妙な格好をしていた。
その服はこの世界のどこを探してもそうは見つからない服、それはある地方のごく一部に伝わる特別な者達が着る衣装であった。
そして、顔に被った珍妙な仮面……それは人を化かすと謂われる獣『狐』をモチーフにしたモノ。
そんな奇妙な彼女がこの町の住人の視線を浴びずに立っているのは、彼女が町人たちの視線のはるか上……屋根の上に立っているからである。
普通の人間にはそう簡単に登れない高さ、そこに彼女は梯子もなしに乗っていた。その常人離れした能力をもつ彼女の一族はある地方では『忍』と呼ばれ恐れられた。
そんな彼女がこの町フーロンを訪れたのは、ある男の監視のためだった。
パァン!
何かがはじける音が聞こえる。
彼女はその音を聞いて、ため息をもらす。その音は避けるべき事態によって生じたものであり、彼女の任務開始を宣告する音でもあるからである。
「……さて、どう転ぶのやら」
できるだけ厄介事を避けたかった彼女は最悪のパターンを引き当てる事だけは無いようにと、手を合わせ願ったが、ある店の前に立つ町娘の姿を見て、先ほどよりも大きなため息を漏らす。
「……こうまでツキに見放されるか。これは最悪の状況が十分に起こりう……おっといかん、余計な事を言ってはまたも運が……」
言いかけて、彼女は言葉を詰まらせた。
喋りながら何気なく横を向いた彼女が見たものは、向こうから駆けてくる『最悪の状況』そのものだった。
「……一仕事……こなすとしよう」
**********
ガシャーーン!
鳴り響いた大きな音は、男の頭に横から直撃した瓶の割れる音だった。男は軽くよろめく。
「……誰だ……?……誰だァ!?」
男は目を血走らせ絶叫する。ロザはその声を聞いて、涙でぐしゃぐしゃになった顔を店の入り口に向けた。
「誰……ですと?……名乗るほどの者ではないですよ。僕はただの小粋な……『旅人』です」
そこに立っていたのは、大きな帽子をかぶった薄汚い男……『魔宝』を求めて旅する『旅人』だった。
「……私を誰だと思っている……!?」
「『焼殺人鬼ホムラ』……でしたっけ?人を『炎の魔法』で殺すことに快感を覚えてる変態さん……ですよね?」
男、ホムラは瞬間、手に持つ黒い塊を店の入り口に向ける。
「殺すぅぅぅぅぅぅぅ!!」
再び絶叫したホムラがその黒い塊の力を放とうとした時、すでに旅人の姿は店の入り口にはなかった。
「じゃ、なるべく急いだほうがいいですね」
旅人の声を聞いて、ホムラがその方向に視線を向ける。旅人はロザの横に腰をおろし、倒れたゴートの傷口を見ながら、大きな帽子に手を突っ込んで、1冊の本を取り出した。そして、小さな声でロザに呟く。
「……ロザさん。僕はこの方を治療しますので……ちょっと、あの変態を黙らせといてもらえません?」
「え……?え?」
突然の事で、状況が理解できないロザ。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」
しかし、後ろで叫ぶ男の声を聞いた時、彼女の足は反射的に動いた。
ドッ!!
鈍い音が響く。
「……ッ!?」
ホムラが悶絶する。放たれたロザの足はホムラの脇腹に見事にめり込んでいた。
目を大きく開いて、ホムラはそのまま店の外に吹っ飛ばされた。
「あ……え……?」
困惑し、動きを止めているロザに旅人は強い口調で叫んだ。
「ボーっとしない!守るんでしょう!?」
ロザの肩がビクッと跳ねる。旅人の真面目な表情を見て、ロザは少し平静を取り戻す。店の表で目をぎらつかせ、憎悪を燃やすホムラを見て、瞬時にやるべきことを悟った。
「貴様ぁ……よくも……よくもぉ……!!うおああああああああああああ!」
ホムラの絶叫が響き渡る。興奮し我を忘れた彼の目にはもはや、自分に蹴りを入れた町娘しか入っていなかった。それに対し、殺人鬼を目の前にした普通の町娘でしかないはずのロザは驚くほど冷静だった。
(大丈夫……これでいい。あいつは今、私しか眼中にない……)
店の表の通りには人が多くいた。叫ぶホムラに町人の視線が集まっている。本来なら危険な立場にある彼らは、ホムラの気がロザに集中することによって、命の危機を逃れていたのだった。
そんな判断が何故ロザにできるのか?彼女本人も不思議で仕方がなかった。まるで『靴』が語りかけてくるような感覚……今の彼女は曖昧にそれだけを感じ取っていた。
「ロザさん。あいつの持つ『魔宝』は『火の矢』。『引き鉄』を引くことで圧倒的な速さをもつ『球』を放つ魔宝です……あいつの『指』から目を離さないでください」
「……はい、やってみます。絶対に……守って見せます!」
ロザはホムラを睨み、足に力を込める。ホムラは目を血走らせ、『火の矢』をロザに向ける。
「ブチマケろッ、『火の矢』ァァァァァァァッ!!」
―――――――ホムラの叫びと共に、ロザは地面を強く踏み出した。