第6章 【崩界の針】 最終話 神のみぞ知る
旅人は先程の43号の攻撃で、その能力の高さを理解していた。『黒化』、『悪意』をその身に宿すというその呪法は旅人の想像以上に強力なものだった。
正面からぶつかっても分が悪い。
そう判断した上で、旅人は再び正面から真っ直ぐに43号に向かう。
旅人が43号の意識を逸らし背後を取った時、魔宝『独裁者の経典』を取り出す際に、他にも『戦闘用』の道具を複数取り出していた。
恐らくは、帽子に手をかけた途端に、その隙を突かれる……それ程に43号は速く、強い。そんな相手を前に、武器を用意できたのは大きい。
普段は帽子に収納したそれらを、警戒なしで袖や懐に忍ばせた旅人は、さらなる攻撃パターンを得た。これを組み立て、目の前の化物の攻略を考える。
初手、43号は再びの突撃にさらなる奇襲を警戒し、動きの観察に一層の力を注ぎ込む。身に宿る『悪意』を目に集め、その眼力を強化する。
旅人はその目が赤く染まったのを見逃さなかった。43号の『悪意』を帯びた四肢が黒く染まる光景を覚えていた旅人は、彼女が次はその目に力を注ぎ込んだのを察知する。
旅人は即座に、袖に潜ませた魔法札を選択し、それを取り出す。そして、非常に簡潔な呪文の詠唱を終え、その魔法を放つ。
「『閃光』」
一瞬、強烈な光が周囲を照らす。その強烈な光は、周囲に居る者全ての目を晦ます。それは、使用者である旅人も同様である。
『閃光』と呼ばれるその魔法は、強烈な光を放つという非常に簡易な魔法である。低級魔法に属するそれは、主に目くらましに使われるが、使用者自身にも効果を与える事から、非常に使い勝手の悪い魔法と知られている。本来なら、自らが受ける光を遮断する魔法と組み合わせないと使いモノにならないが、あえて旅人は『単体』で使用する。
「うっ……!」
ぼんやりとかすむ視界。目に受けた痛みに表情を歪める旅人。それでも、低級魔法。それほど長い時間視界を潰すほどの効力はない。しかし、43号にとっては違った。
「いやあああああああああああ!あああああああ目っ!目がっ!」
絶叫。
その光は、強化された視力には予想以上のダメージを与えた。暗闇の中の塵さえも捉え得る視力があだとなり、43号はその視界を完全に奪われた。互いに目にダメージを負ったものの、その量は43号の方がはるかに上。怯む時間もより長くなる。それも旅人の狙い。
「『人喰い泥沼』
既に新しい魔法札を取り出し、新たな呪文の詠唱を終えた旅人は、その魔法札をもがき苦しむ43号の足元に放り投げる。すると、その足元はどろりと液状と化し、43号を呑みこんでいく。
「お……のれぇ……!」
43号は痛む目を抑えながら歯軋りした。自他共に認める手練である彼女は、現在対峙する敵もまた手練だと考えていた。故に、上級魔法入り乱れる戦いを意識していた彼女は、予想外の早い詠唱と予想外の低級魔法に完全に意表を突かれる。度重なる自分の失態が、彼女をよりヒートアップさせていく。頭を冷やせぬまま、ずぶずぶと地面に沈んでいく43号は自らの片目に突然『指を突っ込んだ』。
勿論、それで視力を取り戻せはしない。ただの八つ当たりである。
「……そろそろですかね」
『人喰い泥沼』、地面を沼のように変えるその魔法で、43号は既にニの腕の辺りまで地面に沈み込んでいた。そのタイミングで、旅人は沼に浮かぶ魔法札に火球の魔法をぶつけ、詠唱を破棄する。
途端に沼は元の地面に姿を戻し、沈み込んでいた43号は地面に『生き埋め』状態で完全に拘束された。
「……これで僕の勝ちです。何で『独裁者の経典』が効かなかったのかは気になりますが……これでもう動けないでしょう」
「あ、はは……あはははははは……!」
回復しつつある視界、徐々に見えてきた今の様子を把握して、43号は何故か笑いだす。腕も動かせなかったら、まともに魔法も使えない筈。故に、今の状況から動ける事などあり得ないのだ。しかし、旅人は言い表せぬ不安を信じ、警戒を強めた。
「降参したらどうです?僕は貴女を殺す気などありません」
「……うふふ♪何を馬鹿な事を……!殺されずとも……あたくし、とっくに『死んでますわ』!」
ぎょろりと残った片目が旅人を睨みつける。
「『死体』にとって『地中』は……最高のテリトリーですわよ?だって、『墓穴』がお家ですもの!」
「旅人さん!後ろ!」
聞き覚えのある声。それに反応した旅人は、背後に迫る『危機』に気付く。
ジュッ!
旅人の帽子が僅かに焼け焦げる。咄嗟にしゃがんだ旅人の上を通過したのは、『燃え盛る腕』。背後を振りかえった旅人が見たのは、ボロボロの体を引きずる、どう見ても『致命傷』と言える損傷を背負った『燃え盛る男』。43号と同じく『動く死体』をと言えるそれはぎちぎちとぎこちなく動く首を傾け、旅人を見下ろした。
その男も勿論気になったが、その男と43号から距離を置いた旅人は聞き覚えのある声の方を向く。その近く、白い大樹の上、声はそこから聞こえた。
「……ロザさん……クロ……!?」
そこに居たのは、ロザとクロ。驚きを隠せない旅人に背中のエインがくすくすと笑いながら説明する。
「ああ、彼女たちも『試験』を終えたみたいだね。それにしても危なかったね、今のは」
「……二人も?」
それは、少し前の事……二人もエインの言う『試験』を終えていた。『合格』という結果を迎えて。
**********
突如、目の前に現れたエイン。心臓を握りつぶされるようなプレッッシャーがロザの汗をどっと噴き出させる。それはロザがエインに対し、始めて感じた『恐怖』。ロザが理解の遥か外側に存在する『神』を知ったその瞬間、エインは不気味な笑みを浮かべてゆっくりと唇を動かした。
「ご~~~かっく!」
「…………え?」
ロザはその言葉の理解が遅れる、というよりもロザは恐らくその言葉の意味を絶対に思いつかないだろう。きょとんとしたロザを見て、愉快そうに笑うとエインはとんと軽くロザを突き飛ばす。ロザはされるがままに後ろにへたり込んだが、その体は地面に落ちず、そのままいつの間にか用意されていた木でできた椅子によって支えられた。
「え?え?え?」
おどおどと戸惑うロザにエインは口元で指を立てて、口を紡ぐように促した。そして、今まで自分がやってきた事を説明し出した。
「悪かったね。君の嫌な思い出を弄くり回して。でも、別に君に意地悪したかった訳じゃないんだよ」
ロザが瞬きをした間に、いつの間にか現れた木の椅子にエインはぴょんと腰を下ろす。魔法のようにぱっと机までもが現れる。カップ、ジュース、お菓子、次から次へと現れるものは、山の中を一瞬でくつろぎの空間へと変貌させた。
「『試験』、上から目線で申し訳ないけど……ロザちゃんの旅、正直危なっかしくて見てられなくてさ。『心構え』を試させてもらったんだよ」
「『心構え』……ですか……?」
ようやく、まともな言葉を発したロザにエインは微笑みかけた。その柔らかな笑顔を見て、ロザはようやく肩の力を抜く。
「そう。君は『ただ何となく』、旅をしてただろ?『百鬼撰』の事も知らずに、『赤黒い靴』の事も知らずにさ」
ロザは俯き、ぼそりと小さな声で「はい」と言葉を吐いた。「別に叱ってるわけじゃなくて」とエインが落ち込むロザを慰める。
「怖いんだよ。君がもし、何の準備もなしに『百鬼撰』と再会した時、『赤黒い靴』の暴走にぶつかった時、『君が壊れてしまわないか』ってね。事実、君は『赤黒い靴』の暴走を前にして泣いちゃってたしね♪」
クッキーに手を伸ばし、楽しげにエインはケタケタと笑った。しゅんとするロザに、これ以上構わずに勝手に話を続ける。
「でも、君は、『強がり』にしか聞こえないけど、自分の意志を示した。知ってる?『言葉』にする事って意外と大きい事なんだよ?」
エインは『それ』を手に取り、ぽいっとロザに放り投げる。顔を下げて落ち込んでいたロザは目の前に滑ってきた『それ』を見て、目をぱちくりと動かした。
「でも、残念。『60点』!ギリギリ合格の最低評価!」
投げられた『それ』、十三呪法『崩界の針』。それをロザは静かに手に取る。何の濁り気も感じない、純粋な『清さ』を放つそれは不思議とロザの心を安らげる。困った表情でエインの顔を見るロザにエインは『足りないモノ』を言い渡す。
「君は『自分を大切にする』事が抜け落ちてる。『自分を犠牲にする』事が『善』では無いよ。もっと、自分を大切にしな。それが君が落とした『20点』!」
「はい。…………それで、あとの『20点』は?」
エインのアドバイスを素直に受け止め、ロザは尋ねる。エインはにっこりと笑うと、最後の『20点』を語った。
「それはあとで話すけど……今、君の為に言うならば、『負の感情』といわれるモノを……そんなに嫌わないでほしいな。『感情』は宝だよ。怒りたきゃ怒ればいい。憎みたきゃ憎めばいい。悲しみたきゃ悲しめばいい。その『感情』には罪はない」
理解できない、といった表情のロザにエインはにこりと笑って、分かりやすく一言で纏めた結論を与えた。
「『素直になりなよ』。その上で、その感情に折り合いをつけな。何時か、それが君の財産になるからさ」
「……はい!」
『神様』の言葉をしっかりと受け取って、ロザは力強く頷いた。その意味がはっきりとは分からないが、ロザも何かを得た事はしっかりと理解していた。
「さて、いい顔ができるようになったね。じゃあ、少しお話しよう。君とも、『赤黒い靴』とも、ね!」
今までとは違う、『含み』を持たないその笑顔。今度は何の『意図』もない話をしよう、その笑顔はそう語りかけるようだった。そういった遠回しな言葉が苦手なロザもその意図を読み取れた。
勿論、『神』と呼ばれるほどに浮世離れしたエインの『意図』など、読み取れる筈もなく、その『話』が本当に何の『意図』も持たないのかは誰にもわからない。
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十三呪法『丑の釘』、相手に強力な呪いをかけるが、それを打ち付けられた者にも相応の痛みを伴わせる禁断の魔宝。その力を再び紐解こうとしたクロの手は、何時の間にか目の前に現れていたエインによって掴まれ、止められていた。
「ししし!流石にソレはウチもヤバいんでね!止めさせてもらうよ!君の事は十分に分かったしね!」
分かってはいた。エインは『想像の外側』に居る敵であると。この命懸けの攻撃でさえも、どうにでも出来るほどに圧倒的な存在であると。しかし、その突然の接近にクロは始めて鮮明な恐怖を覚えた。腕を握る力は強くない。しかし、もっと強い何かが体ごと握りつぶそうとする、そんな錯覚をクロは覚える。
「……そんな怯えないでよ。傷付くなあ」
クロはその時、始めて自分がその顔に『恐怖』を浮かべている事に気付かされる。『丑の釘』、その力で心を押し殺すされるようになって、始めて自らの体の震えを抑えられなくなっている事に気付く。そんなクロを見て、エインはゆっくりと、見せつけるように唇を動かした。
「合格だよ。ま、『60点』、ギリギリ合格って所だけどね♪」
「…………は?」
「ま、分からないよねぇ。ごめんね♪ちょいと煽るような事いっちゃってさ!」
意味が分からないといった表情で固まるクロの手を離さずに、そのままエインは話しだす。
「確かめたかったんだよね。君がちゃんと考えを持って旅をしてるかさ」
「考え?」
エインは質問じみたクロの声には答えない。一方的に、押しつけがましく、自らの『心配』を吐く。
「君は何の為に生きる?ウチは君にそれを聞きたかった。惰性で旅を続けるだけじゃあ、君は何時かその疑問で足を止める。だからこそ、ウチは君に『生きる目的』を持ってほしかった」
クロの目から、敵意が消えうせていくのを確認すると、エインはぱっと手を離した。そして、軽くクロを突き飛ばし、いつの間にか用意されていた椅子に座らせる。
「……それが『選ぶ』事と何か関係があるの?」
「あるさ。君はどう思っていたのか知らないけど……傍目から見たら君は結構危ない位置に立っていたからね。だって、君は素直じゃないから」
「……答えになってない」
不機嫌そうに口をとがらせるクロを見て、エインは愉快そうにけらけらと笑う。
「そうだね!答える気なんてさらさらないさ!だって、君は話を聞かないからね!ししし!」
「…………ふん」
クロにはエインの言いたい事が分からない。しかし、何となく、『生きる意味』という言葉が意識に強く焼きついた。
「……別に、『生きる意味』なんて聞かれなくても……私は自分から死んだりしない」
「へえ、分かってはいるんだね。人の心配ごとが」
エインはぽいっとクロに向かって、何かを放り投げる。それを受け止めたクロは少し驚いたような表情を見せ、それとエインの顔をを交互に見た。
「ま、最初にシゲンの話をしたのも『旅を終えたあと』の生き甲斐ってものを見つけて欲しかったからなんだけど……必要なかったかもね。君はそこまで馬鹿じゃなかったようだ」
「…………」
エインはそこで、クロが少し不満そうな顔を見せた事に気付く。そして、その不満の意味を即座に理解し、にんまりと笑った。
「ああ、シゲンの話は聞きたかった?それに『魔法の真理』の話も?」
「…………べ、別に……聞いてやってもいいけど……」
「頼まれないと嫌だな~、ウチだって気前のいいだけの神様じゃないからね~?」
一瞬、クロはむっとする。素直じゃないクロに、意地悪な笑顔で煽りをかけるエイン。クロはやりにくくて仕方がないエインという相手に折れたように、恥ずかしそうに『素直な気持ち』を吐いた。
「…………聞きたい」
「よろしい。一部は『あとで』話すけど……君の探究心を盛り上げる程度の話はしてあげようかな?」
パチンと指を鳴らし、エインは机と自分の分の椅子を出現させる。ぴょんと椅子に飛び乗り、机に一瞬でお茶やお菓子を出現させると、目を輝かせるクロに自分の知る魔法の話を始めた。
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「……参りましたね。僕は未だに合格には程遠いというのに……しかも、ロザさんに助けられて……」
旅人は苦笑する。しかし、それは力の至らない自分を卑下する意味合いなど持たず、強いて言うならずれた事を考えていた自分に対する嘲笑のようなもの。
「勘違いしてましたよ。『守る』どころか、僕が助けられる位にロザさんもクロも『強い』じゃないですか」
「まあね。ようやく少しは見えてきたかな?何もウチは『一人で戦え』なんて一言も言ってない。確かに君は彼女達に対して責任を持たなきゃいけない立場だけど……仲間ってのは持ちつ持たれつの関係……そうだろ?」
「……ですね。でも、今回ばかりは彼女を食い止め、僕が力を示す必要がある……そうでしょう?」
「それが意識出来れば上出来。君の意識不足はもう問わない。最後は純粋に、君の力試しだ!」
43号の視線が声の方向を向く。燃え盛る死体に地面から引き抜かれ、その身を焦がしながら、にやりと笑う。旅人はそれを見て、覚悟を決める。
「……お仲間?あちらからも魔宝の気配が……いいですわね。ぜぇんぶ、ぶっ殺して、ぜぇんぶ戴いてきましょ♪」
もしも、彼女が今から方向を変え、ロザとクロの二人に向かっていった場合、その時はもう小細工は通じない。『力づく』で彼女を食い止める必要性が出てくるのだ。旅人はその手に『独裁者の経典』を握りしめ、その力を『試す』事を決めた。
「…………エインさん。『独裁者の経典』は、どうして彼女に効かなかったんでしょうか?」
「簡単さ。『彼女は命令に抗った』、ただそれだけ」
「もう少し分かりやすく教えてもらえません?……いや、今はやっぱりいいです。でも、これだけは確認してもいいですか?」
「……言葉にしなくてもいいよ。もし、『失敗』してもウチがフォローしてあげるさ」
「……『可能性は自分で模索しろ』、そういう事ですか。まあ、保険があるだけ助かりますよ」
旅人はその『可能性』に賭ける。今まで、知ろうともしなかった『独裁者の経典』、その秘められし可能性に。
「……どちらから狩りましょ?どちらにせよ……思いっきりぶち殺しますわ♪」
43号はゆらりと地面に突き刺さった大剣に歩み寄る。その後を追って、燃え盛る死体も続く。地面に刺さる大剣を片手で引き抜き、燃える死体にもう片方の手を乗せると43号は旅人を睨み、にやりと笑った。
「魔法は体に宿る……!貴方はどんな魔法を持ってるの?」
炎の死体がぐしゃりと潰れて、骨の大剣と化す。二つの骨の大剣を両手に持ち、43号は軽々とそれを振りまわした。右手の剣は風を纏い、左手の剣は炎を纏う。呪文もなしに魔法を纏うその大剣を構え、43号は旅人に向かって歩み出す。
「『風の魔導師フーロ』、『炎の剣士メルトゥ』……彼も仲間に引き入れて差し上げなさい!」
「『……我が身に命ず』」
「させるかッ!」
旅人の行動をもう許さない、今までしてやられた経験から即座に距離を詰め、旅人にその刃を振り降ろす43号。今まで『僅かにセーブしていた』スピード、そのリミットを外したスピードに旅人は意表を突かれた。
間に合わない……?
直撃するかと思われた刃に旅人は思わず目を背けた。しかし、刃が届く事はない。
ボン!
その破裂は旅人の目を再び開かせる。それは横から飛んできた一発の火球。43号の振り上げた大剣に直撃し、その態勢を大きく崩させた火球は、木の遥か上、クロの掌から放たれていた。
「…………ヒーローの変身は黙って見てるのが、悪役のルールでしょ?」
クロの小さな声は、隣にいるロザとエインにも聞こえない。その恥ずかしい台詞に僅かに顔を赤らめるクロも、平静を装いながら、木の上からロザと一緒に旅人を見守る。
「邪、魔、者、がぁぁぁぁああああ!そっちから先にぶっ殺されてェかぁぁぁ!」
43号の視線が木の上に向く。その隙に旅人は、自らに『命令』を与え終える。
「『その枷を解き、秘められた力を引き出せ』!」
旅人は自らの『体』に命じる。体が壊れぬように抑えつけられた『限界』という名のリミッターを解き放つ事を。本来なら引き出す事の出来ない、人間に隠された大きな力を、無理矢理解放する事を。
43号は標的を変える。ソレは『どちらから相手にしても問題ない』という圧倒的な力に対する自信から来る判断である。
地面を強く蹴り、あり得ない脚力で跳躍する43号。木の上で邪魔をする人間を死体に帰る為に、上空でその大剣を振りかざした43号の目の前に迫ったのは、今ターゲットにした人間達ではなく、先程までのターゲットだった、『子供を背負った男』。
「飛んできた……?どんな魔法を使ったのかしらぁ?」
想定外ではあったが、ここまでなら彼女の思考を紛らわせるほどでもない。何故なら、今の彼女にとって、目の前に立ちはだかる人間など、全て『紙くず』に等しい。何が、どうやって目の前に立ちはだかろうとも、彼女はただその両手に構える大剣を振るうだけ。
炎と風、強力な魔法を纏う二つの刃が空気を引き裂く。その強靭な腕力で振り抜かれた大剣は重量、速度、どれをあげてもとても止めることなど出来ないレベルである。逃げ場のない空中でこれをかわす、あるいは止めることなど不可能。
「魔法……?そんなもの使ってませんよ」
旅人の手が、ぼんやりと光を帯びたように『見える』。それが本当に光を帯びたのか、それは分からない。しかし、少なくとも旅人と対峙する43号のその目にはそう見えた。
「しし!さあ、見せてやりな!『独裁者の経典』は、君が『彼女』から貰った力を極限まで引き出すよ!」
「……『天球』!」
かわす事は不可能、止める事も不可能、故に旅人は『受け流す』事を選んだ。まるで球体を形作るように滑らかに動かされる掌。風の刃は球体を這うように後ろへ流れ、炎の刃はその熱を空気で押さえられながら逸らされる。交差するように振り抜かれた二本の大剣、その重量は強靭な腕力を得た43号にも大きなモノなのか、流れに身を任せるかのように、43号の腕を大きく広げさせ、その体を無防備な状態にする。
「ぐっ……!おの……れっ!?」
顔をしかめる43号の視界が突然暗くなる。何が起きたのか理解できないまま、43号はいきなりの出来事に混乱の絶叫を上げる。パニックのまま手から大剣を離した時、ずしりと体に重量がのしかかったかと思うと、そのまま体が落下しだす。最早、何が起こっているのか理解する気もないままされるがままにその身を落とす43号。強い風が下から体を打ち付けるのを感じながら、43号は叫ぶ。
「これで終わりです…………貴女に『命令』が効かないのなら……『他の相手に命令すればいい』!」
旅人の声、それを聞いた43号の視界が突然拓ける。風に舞い上げられ、飛んでいく一枚の魔法札。そこに刻まれた呪文をその強力な視力で確認した43号は自らの視界を塞いだ魔法の正体を悟る。
「『黒眼鏡』……!」
『視界を黒で塗りつぶし、光を遮断する魔法』、主に『閃光』と併用される低級魔法だ。それが分かった途端、43号は屈辱に絶叫した。
簡単に予測できたことなのだ。『閃光』の存在を確認した時点で、『黒眼鏡』の存在も。それが分かっていれば、目にくっついた魔法札を引き剥がすだけで、その視界は回復した。それを勝手なパニックで棒に振った今、最早旅人の次の一手を防ぐ余裕などない。
「『木々よ、43号を拘束せよ』!」
『自らのリミッターを外す』、実験的に行ったその命令と違い、今度は確証を持って実行するその命令。ほんの少し前、『空中での方向転換』を実現する為に足場となる木の枝をコントロールする為にそれが有効であることを確かめた命令は見事に機能する。
白い木々は、その枝をロープのように急激に伸ばす。それは落下する43号の体を綺麗に捕縛し、その動きを完全に封じ込めた。
「うああああああああ!」
叫び声をあげながら足をバタつかせるも、白い木々は43号を離さない。普通の木とは違う、その特殊な『白い木』は直接的な破壊力を持つ魔法以外を遮断する結界を纏う。それは43号の自慢の魔法『死霊使役』をも封じ込め、地面に潜ませた残る一体の死体のコントロールをも完全に封じ込める。
「これで……終わりですよね?」
地面に降りた旅人は、深く息を吐き出し、背中につかまるエインに首を傾ける。エインはその背中からぴょんと飛び降りると、その姿を瞬時に旅人の前に移動させ、にっこりと笑った。
「ご~かっく!」
**********
旅人達は準備を終え、馬車の前に立った。エインの手伝いもあって、必要物資の積み込みなどを手早く終えた旅人達は、三人そろって見送りをするエインの前に立つ。その横には、巫女ハルカ、ここまで同行してきた女教師ティアの姿もあった。
「本当にいいんですか、ティアさん?」
「ええ、私はここで降ります。神様から有意義なお話を聞けましたし、もう随分と学園から距離をおけましたしね。同行を許して頂き、誠にありがとうございました」
畏まり、お辞儀をするティアに旅人達も釣られて頭を下げる。学園からとある都合で距離を置きたかったティアは、ここに残るらしく、旅人達を見送る側に立っていた。彼女もエインから何かを聞いたようで、何処か晴れやかな、何かふっ切れたような表情を浮かべた彼女を無理やり連れて行くつもりなど、勿論旅人達にはない。
「ししし!ま、楽しかったよ!またいつか、ここに来てくれると嬉しいな!」
エインは子供らしく無邪気に笑いながら、子供らしい言葉を贈る。そして、まずはクロに歩み寄り、個々の為の言葉を贈る。
「クロちゃん、折角色々教えてあげたんだから……『魔法の真理』、是非とも見つけてよね?君ならシゲンの意志を告げると信じてるよ」
「言われなくても分かってる……」
その言葉にクロはそっぽを向いて、無愛想に返事を返した。エインの時間支配下における長いお喋りで、少し打ち解けたのか、その表情はそれほど固くなく、何処か照れくさそうにも見える。その片手に、エインから与えられた貴重な『魔導書』を握りしめ、差し出されたエインの手にもう一方の手を差し出し、柔らかく握手した。
エインは次にロザの前に立つ。
「ロザちゃん。無理しちゃ駄目だよ?でも、頑張ってよね!君は数少ない魔宝の『理解者』になり得る存在なんだ。きっと、君が助けになれる魔宝もあるよ。何処かにきっとね!」
「はい!ありがとうございました!」
ロザも明るい表情で返事を返す。エインに聞かされた様々な話が影響してか、その表情は過去の出来事を思い出した時よりも明るかった。迷いのない真っ直ぐな瞳でエインと向かい合えるその姿は、この山の中に入る前よりも何処か力強くさえ感じられる。差し出されたエインの手をがっちりと握り、元気よく握手する。
最後にエインは旅人の前に立つ。
「……『十三呪法の集結』、その先に何が起こるか、それを知っても君の意志は変わらないんだね?」
「……ええ」
エインに聞かされた『十三呪法の秘密』。それを知った上で旅人は、余裕のある穏やかな表情で頷いた。
「何時か、必ず起こりうる事ならば……僕が、僕達が何とかしますよ。魔宝を知った者として、自分達の意志で。そして、知りたいんです……『彼女』がどうして魔宝を追っていたのか。これは『彼女の意志を継いで』、じゃなく『僕自身の意志』で、ね」
「うん、それならいいよ。でも、厳しい道のりになる事は覚悟しておいてね?」
エインの手を取り、旅人は微笑んだ。
「ありがとうございました、『神様』」
「ししし!嫌だなぁ!ウチはただの生意気なガキさ。そんな大層なモノじゃないよ!」
旅人達の胸には、一つずつの『時計』がぶら下がっていた。それは全て十三呪法『崩界の針』そのもの。エインが別の時間から持ってきた、複数の『崩界の針』。エインはそんな反則技で量産した魔宝を指さし、最後の注意を与える。
「それを持ってれば『十三呪法の集結』の『崩界の針』の枠は埋まるよ。だけど、その魔宝は扱いが難しいからね。『絶対に使っちゃ駄目』だよ?それこそ『世界を崩壊させかねない』からね。まあ、ウチの、『神様』が与えた『お護り』だとでも思って持っててよね!」
「一人に一つずつ渡す必要は……?」
「ないけど、まあ、『記念』に……ね?」
思わぬ事に、同時に三個、手に入れてしまった『崩界の針』。三人はエインの言葉を素直に受け止め、それを『お護り』として首からぶら下げる。
「では、良き旅を!ししし!」
旅人達は馬車に乗り込む。
馬車は進みだし、徐々にエイン達の姿が離れていく。何時までも手を振り続けるエインに、手を振りその姿が見えなくなるまで、旅人達はその姿を見送った。
そんな中、旅人は一人、二人に悟られぬよう少し複雑な表情を浮かべながらぽつりと呟いた。ソレはエインから告げられた『十三呪法』の真実を知り、浮かび上がった一つの疑問。
「…………『ディーバ』、貴女は一体……?」
**********
『悪意』、それは人間の世界に存在しえぬ『純粋な悪意』さ。
魔宝には例外なくソレが込められていると思っていいよ。
人間の世界に存在しえぬソレが何故存在するかって?
簡単さ。堕とされたんだよ。
『神の世界』からね。
君達には認識できないだろうけど、実は世界は『複数』ある。これは十三呪法『次元門』が証明した隠しようのない事実。
それぞれの世界には世界を納めるいろんな『神様』がいる。複数の神を持つ世界もあれば、ただ一人の神を持つ世界もある。
ウチ等が住むこの世界には、天に住む一人の『神様』が納めているんだよ。
その『神様』はとても、とても潔癖症でねぇ。
自らに集まる『負の感情』、それだけを切り離して地面に少しずつ、少しずつ投げ捨てていたのさ。
悪い部分だけ抜き出され、捨てられた『負の感情』。そこに何の『善意』も込められない……純粋な闇、それが『悪意』
徐々に積もった『悪意』は次第にその力を人間界に染みわたらせていった。
それは邪悪な力を宿した獣、魔獣を生み、邪悪を宿す魔法の道具、『魔宝』を生んだ。さらには徐々に人々の心を蝕み、人間の世界に『悪』が生まれた。
勿論、『悪意』は神の片割れ。それを宿す者はより強大な力を得る。それこそ『神に等しい力』をね。
まあ、これが『悪意』の起源。信憑性は、あらゆるモノを無限の時間をかけて観察してきたウチが保証しよう!
……んで、もっと重要なのは『十三呪宝』の事……だよね。
そもそも、何故『十三』なのか?他の魔宝と一線を隔す理由は?
それを語るには『十年前』を語る必要があるね。
**********
それはある日、突然堕ちてきた。
黒い、黒い、大きな、大きな、歪んだ『何か』。
それは神が、うっかり落とした溜めこんだ『悪意』の塊。
今までにない規模の大きな塊は、まるで『意思』を持つかのように、不思議な形状を形作る。
人間界に落ちた巨大な塊
世界中の人がそれを見れるほどにそれは大きく、世界中の人が感じ取れるほどにそれは禍々しかった。
塊は明確な『意思』を持っていた。
その『意思』は、世界中に散らばる強大な『悪意』を秘めた魔宝達に語りかける。
『集メロ、集メロ』と。
特に強大な力を持った『十二』の魔宝、それらの所有者の頭に響く不気味な声。
巨大な悪意の塊は、その魔宝達にその『称号』を与える。
自らを頂点とした、最強最悪の魔宝の集合。
『十三呪宝』の称号を。
地に落ちた『ソレ』は、その力を蓄える為に眠りに付く。
その圧倒的な力で、『十三呪宝』に関わらぬ全ての人間の記憶を、そしてそこにあった島国一つを地図から消した上で。
限られた人間のみが覚えている。
地図から消えた国、そこに眠るソレを。
『十二個の十三呪宝』、その全てに『悪意』の回収を任せ、未だに眠るソレ。
その奇妙な形から、そのおぞましい力から、それを覚える者達は『十三番目の十三呪宝』であるソレを
『禁断ノ林檎』
そう呼んだ。
**********
『禁断ノ林檎』、謎だらけの『十三番目の十三呪宝』。
エインの言う、『十三呪宝の生みの親』にして、『十三呪宝の称号を生んだモノ』。
全ての人の記憶から、とある国と共に消え去ったその魔宝、勿論旅人達はそれを『覚えていない』。
旅人は思い悩む。エインに告げられた、『十三呪宝収集の先にあるモノ』。
「十三呪宝、その『十二』を集めた時……『十三番目』、『禁断ノ林檎』は復活する」
旅人は悩む。
『彼女』は何を想い、魔宝を追ったのだろう?
そして、『禁断ノ林檎』が復活した時、世界はどうなるのか?
しかし、引き返せない。
何故なら、『それを狙う者』は無数にいるのだから。
「守らなければいけませんね…………そして、絶対にあの男には渡してはならない……」
旅人は、『禁断ノ林檎』を渡したら『最も危険な男』を即座に思い浮かべる。
「『門』……!」
奴はこの事を知っているのだろうか?もし、知っているのなら、奴にそれを渡したら世界はどうなるのだろうか?
答えなど見つかる筈もない。
ただ、ただ、旅人は『強い意志』を持って、進む。
引き寄せられるように集まりつつある十三呪宝の運命に、導かれるように。
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「エイン様……随分とあの方達に肩入れするのですね」
ハルカは馬車が見えなくなった頃、ぼそりとエインに尋ねた。今回、エインはやたらと旅人達に『道』を示した。今までの客とは違うその扱いにハルカは妙な違和感を覚えていた。
「あの方達が気に入ったですか?」
「…………ししし。ハルカちゃん……冗談きついよ」
エインは笑う。ハルカは長くエインの近くに仕えていて、その笑みを見せた時のエインが、『楽しんでいる』事を知っていた。
「……『神様』はさ、誰かになびいたりしない。常に『公平』、それが『神様』さ」
「……?」
ハルカにはその言葉の意味は理解できない。エインの不敵な笑みを見下ろすハルカの横を、二人の女が通り、歩いていく。
「……とてもタメになりました。まさか、彼が『独裁者の経典』の所有者で、『そんな思想』の持ち主だったとは……!」
不気味に微笑みながら、歩いていくのは女教師ティア。
「……うふふ。ありがとう、神様。あたくしの『シスベノ杖』、ようやく取り戻せますわ……!約束通り、『この村の人々には手を下さず』、帰らせていただきますわ」
くすくすと楽しそうに笑いながら去っていくのは、『動く死体』43号。
不気味に、不敵に、エインに感謝の言葉を捧げ去っていく二人の女に、嫌な感覚を覚え顔を歪ませながらハルカは尋ねる。
「……エイン様。あの二人に何を吹き込んだのですか?」
「……人聞きの悪い。ウチは二人が欲した『答え』を与えただけさ」
「しかし、あの女はともかく、もう一方の『死体女』はこの村に、この山に、エイン様に害をなそうとした……!」
「五月蠅いよ」
エインは冷たくハルカの言葉を遮った。その時、ハルカは再認識させられる。
この人は、やっぱり、『恐ろしい神様』なのだ、と。
「言っただろう?…………『神様』は何時だって『公平』。例え、『いい顔して送り出した子羊達』が、後々『酷い目』に会おうとも……ウチはどんな『子羊』にでも事実を伝え、導くだけさ」
ティアは微笑む。
「いずれまた、お会いしましょう……旅人さん……。次に会う時は……ふふ……!」
43号は歯を鳴らす。
「あたくしの『シスベノ杖』…………!ようやく、ようやく……!」
去りゆく二人はいずれまた旅人達と交わる定め。
エインの楽しげな笑みを旅人達は知らない。
ハルカは最後に、エインに尋ねた。
「…………例え、世界が滅ぼうとしても……あなたは何にも傾かないのですか?」
当然といったように、エインは答えた。無邪気に、無邪気に、無邪気に、微笑みながら。
「あたりまえじゃないか」
「ウチが望めば…………世界なんてどんな方向にでも傾くのだから」
かなり長くなりましたが、第6章はこれで終了です。
ここまでが中間地点といった感じです。
設定や次回予告を挟んで、第7章をスタートします。