第6章 【崩界の針】 3話 抉り取る言葉
「お姉さんは『シゲン』って知ってる?」
「……知ってる」
エインは初めからその返答が来る事が分かりきっているかのように頷いた。魔法の開祖、偉大な魔術師として語られる男、『シゲン』。昔から魔法に並々ならぬ興味を持つクロが知らない筈もなく、彼はクロの憧れる人物の一人でもあった。
「シゲンは昔言ったんだ。『誰かが望む時、魔法は生まれる』」
「……知ってる。……それより何でシゲンの話を?」
「ああ、ごめんよ。ちょいと大昔の『親友』の言葉を借りたかったのさ。1000年以上前だったかな?」
クロは少し驚いたように目を少しだけ大きく開く。エインはその様子を見て、嬉しそうに笑った。
「……あなたの持つのは不死になる魔宝?それでシゲンと知り合いなの?」
「今はウチの魔法の話はどうでもいいだろう?まあ、シゲンとはさっきも言った通り『親友』さ!なんせ長生きだけはしてるもんでね。それよりもシゲンの話、もっと聞きたくない?」
「……」
クロはシゲンに憧れを抱いている。その話を聞きたくない筈もない。エインの魔宝も気になったが、クロは口を閉ざし、話を聞く姿勢を見せた。
「じゃあ、続けるよ。……シゲンは結構ロマンチストでさあ、その言葉を聞いた時は思わず笑っちゃったよ!でも、アイツらしいよ。格好つけても『的を得ている』」
「……『的を得ている』?」
「そう。シゲンはこの世界で唯一、『魔法の真理』に辿りついたのさ。その正体、その存在の意味、そしてそこに連なる世界の真理もね」
『魔法の真理』、そのいかにもな言葉にクロは心惹かれた。普段は消極的なクロもこればかりは目を輝かせ、何かを楽しむ子供のように足を揺らす。
「『魔法の真理』って?」
「ああ、ごめんよ!ウチは『全て知っている』けど、『それは誰にも教えない』んだ!」
「ケチケチすんな」
「お姉さんの気持ちも分かるけど……ウチが『全て』を人に語ると、それだけで『世界が動いちゃう』からね!でも、全て語らない訳じゃないからさ」
クロはむすっとふくれっ面を作った。エインの遠回しな語りにいらいらもしたが、シゲンの見つけた『真理』をそう易々と聞かされても、有難味もない。クロは機嫌が悪そうな素振りを見せながらも、別段これ以上の文句を言う気も起きなかった。
「まぁ、この言葉を言った時はシゲンは『魔宝』の存在までは理解できていなかったんだけどね。その一点についてだけ、シゲンは年を取るまでずっと悩んでいたのを覚えているよ。ウチに『ヒントくれヒントくれ』ばっかり言ってさ!もしも、あの時ウチが根負けしてヒントをあげてたら、シゲンはこの世界全てを解き明かしていたかもしれないね!」
懐かしそうに、嬉しそうに語るエイン。その表情は、子供にしか見えないその姿とは似合わず、何処か大人びた雰囲気を感じさせるものだった。もしかしたらエインの言う事は出鱈目かもしれない。しかし、何故かクロにはエインの言う事は嘘には思えなかった。それはエインから感じる『年季』というものだろうか?直感的にクロはエインの言葉の隅々に『重み』を感じていた。
「……まあ、その『魔宝』の話が君達にとっては重要な話になって来るんだけどさ」
急に声のトーンを落とすエインにクロはびくりと肩を震わせた。その瞬間に周囲の空気の温度が徐々に落ちていくのをクロは感じ取る。もしかしたらそれは気のせいかもしれない。しかし、クロは明らかな異変を感じ取っていた。目の前に居る子供が、『神』と呼んでも疑えないほどの気配を漂わせ始める。息を呑み、エインを睨みつけるクロの様子に気付いたのか、エインはにっこりと笑って緊張を解こうとした。
「ごめんごめん!結構、重要な話だから気合入っちゃった!だからそんなに睨まないでよ!」
クロはエインには『敵意』が無い事は理解している。しかし、何処かエインからは得体の知れない不気味さが感じられる。クロは警戒しつつも、エインに向けた敵意を解き、呼吸を整えた。
「続けて」
「うん!……でさぁ、さっきの『誰かが望む時、魔法は生まれる』っていうシゲンの言葉、あるよね?これってさあ『魔宝』の事を考えるとおかしいと思わない?」
それはクロにも分かる事だった。『魔宝』は人の『負の感情』から生まれてくる。魔法のような不思議な力を持ちながら、それは望まれて生まれてくるものではない。生まれた後に、欲される事はあれど、始まりは忌み嫌われるものである。
ならば望まれて生まれてこない『魔宝』は『魔法』では無いのだろうか?
「……クロお姉さんはさぁ……『十三呪宝』が揃った時……何が起きるか知ってるかな?」
「……」
それは『知らないよね?』というようなニュアンスだった。クロは今まで『魔宝』に対して特別に何か思う事がある訳ではない。自分の人生を台無しにした『丑の釘』の事があっても、他の『魔宝』について別段興味があるわけでもなく、ただ旅人に付いてきているだけだった。
「……興味無いの?『魔宝に』?『君のお父さんを奪った魔宝に』?『君のお父さんを奪った男に』?そして、『全ての元凶に』?」
「……何が言いたい?」
エインは笑う。何もおかしいことなど無い。しかし、笑う。何処かで、人の苦悩を楽しんでいるかのように。
「う~ん、言いたい事は何もないよ?ただ……『何で君は旅をしているの』?って思っただけさ。『君のお父さんを壊した男と一緒に』……」
「うるさい……!」
「うるさくないよ!これはとっても重要な事さ!君は心の奥底で、本当に『彼』を恨んでいないと言えるのかな?」
「黙れ!」
クロは叫ぶ。エインの言葉を覆い隠すように。それと同時に巨大な火球がクロの頭上に現れ、真っ直ぐにエインに向かって飛んでいく。
「ありゃりゃ、怒らせちゃったかな?」
エインは悪びれる様子もなく、けたけたと笑うと、すくっと立ち上がり、手もかざさず、ただ立ったままその火球を見ていた。火球はエインの目の前まで迫り……
**************
「あ~、やっぱりお酒はいくつになっても駄目だね……」
「私も駄目そうです……」
ロザの誕生日祝いにとエインが出した酒を、二人は口にした途端に顔を歪ませ、俯いた。どうやら酒は駄目だったらしく、二人は別に用意してあったジュースに口をつける。
「いや~、ジュースうまうま!ロザちゃんはどう?」
「あ、はい、美味しいです」
けらけら笑うエインに対し、ロザの表情は何処となくぎこちなかった。というのも、『自分の母』の話を突然、持ち出されたのが気になっているらしく、それにばかり意識がいってしまっているようだ。それを分かった上でエインが中々話を始めないという事に気付く事もなく。
「ん~~、どうしたの?そんなに早く話を聞きたい?」
「は、はい……」
ロザは申し訳なさそうに返事をする。エインはそれに対し、にっこりと笑顔を浮かべる。ロザはその表情を見て、少しだけ気を抜いた。
「だね!勿体ぶるのがウチの悪い癖でさ……こればっかりは何百年も治らなくてさ!じゃあ、ぼちぼち話し始めようかな?」
エインはジュースを注いだコップをコトリと切り株に置くと、軽く首を回して、腕を上にぴんと伸ばした。ロザは緊張した表情でそれを見つめる。
「その前に、申し訳ないんだけどさ、一つだけ聞いてもいい?」
「は、はい。何ですか……?」
エインは笑顔を崩さない。しかし、ロザの目にはそれが逆に不気味に映った。エインはそのままロザの足元に視線を向けると、その『質問』を投げかける。
「ロザちゃんはお母さんの事、知りたいんだよね?だったら『赤黒い靴』に何か教えてもらった?」
「え?」
「だって、君のお母さん、『ガーネット』は『赤黒い靴』の以前の所有者だったんだよ?それは知ってるよね?だったら、『赤黒い靴』は『ガーネット』の事、知っててもおかしくないよね?」
ロザは自らの履く魔宝『赤黒い靴』に視線を落とした。ロザはしょっちゅう『赤黒い靴』と話すが、今まで母、ガーネットの話を聞いたことは一度もない。
「……それは……靴さんは覚えてないんじゃないんですか?」
それは都合のいい解釈。鈍いロザでも分かっていた。『赤黒い靴』はガーネットの事を知っている。その上でロザに何かを隠している、と。でも、ロザは『赤黒い靴』に懐疑の目を向けたりはしない。
「そうかなあ?『都合の悪いことだから隠してる』んじゃないの?」
「……そんな言い方しないで下さい。例え、靴さんが本当にお母さんを覚えていても、話したくない事は無理に聞きたくありません。だって、靴さんだって……」
「『負の感情』の被害者だから?」
エインはロザの言葉を遮るようにぴしゃりと言い放った。それはロザの言いたい事そのままだった。
「本当にそう思う?それって綺麗事なんじゃないかな?確かに『魔宝』を受け入れるって姿勢は立派だけど……君はまだ『魔宝』を知らないでそれを言っている。それって危険な事じゃないの?」
「危険……なこと?」
「しょうがないか、君は知らないんだよね?『何で君の母、ガーネットは命を落としたのか』」
「何で……?お母さんは……『何か』理由があって……?」
「『赤黒い靴』さん、教えてあげたらいいんじゃない?ロザちゃんにちゃあんと、『自分のせいであなたのお母さんは死にました』……ってさ!」
黙レ……
ロザは足元の『赤黒い靴』が声を発した時、始めて靴がふるふると震えていた事に気付く。足元を伝って来るのは計り知れないほどの憎悪。その憎悪は真っ直ぐに目の前のエインに向けられていた。
「靴さん?どうしたの……?やめて……」
「黙ってたんだよね?ロザちゃんに嫌われるのが怖くて。捨てられるのが怖くて。正直に言えば?ロザちゃんはきっと理解してくれるさ!」
黙レ……!
「エインさん!止めて下さい!そんな事言わないで!」
「ロザちゃんは知らないんだよ。『何が悪くて、何が正しいか』をね。君の足元の靴は……本当に『いいモノ』なのかな?」
黙レ!!
ロザは自分の体ががくんと揺れるのを感じた。そして直後に、自分の体が浮かび上がっている事に気付く。足に無理矢理体を持っていかれるような形で、ロザの前進は空を舞っていた。その赤い靴をはいた足は、ロザの意思とは関係なく、一直線にエインへと向かっていく。
ゴッ!
激しい音と共に、エインの座っていた切り株が粉々に砕け散る。エインの姿はいつの間にかその横へと移動していた。
「靴さん!?何してるんですか!?止めて!」
潰ス潰ス潰ス……!コイツ、絶対二潰ス!!
「おお、怖いなあ。ウチは『本当の事を言っただけなのに』。まあ、いっか!……ねぇ、ロザちゃん」
エインの地の底から響くような不気味な声に、ロザは体を震わせた。
「見てなよ。これが君の魔宝……『赤黒い靴』の本性さ」
ロザの体が再び引っ張り上げられる。ロザは大声で靴に呼び掛ける。しかし、その声は届くことなく、靴はエインの目の前に迫り……
***********
「君は『十三呪宝』と呼ばれる魔宝について、何かおかしいと思った事はない?きっと無いだろうね!大丈夫、これは何もおかしい事じゃないからさ!」
エインは黙る旅人を前にぺらぺらと喋る。旅人の意思など意に介さぬと言わんばかりのマシンガントークに旅人は割って入る事は出来なかった。
「『何で君がそれをおかしいと思わないのか』?その理由もあるけど、それは後回し!まずはその疑問を提起しよう!君は『何故、一部の魔宝に『十三呪宝』という称号が与えられたか』疑問に思った事はない?」
『十三呪宝』、そう呼ばれる13の魔宝。旅人はそう呼ばれる魔宝を集めている。そして、そう呼ばれる魔宝が世界に存在する事も知っている。それは『ある人』から聞かされたことで、その存在が一際強力な魔宝であるという事以外は旅人も良くは知らない。
「『誰が『十三呪宝』の呼び名を与えたのか』?『誰が『十三呪宝』を選んだのか』?『その呼び名はいつから浸透したのか』?不思議に思わない?思わないよね?だって、そういうものだから!ししし!」
「その答えはたった一つ!たった一つなんだ!その呼び名を与えた『誰か』も、それを選んだ『誰か』も、その呼び名を浸透させた『誰か』も……いや、『誰か』と呼んでいいのかな?」
「君は本当に聞きたい?興味がある?それともそんな事は知らずとも、『魔宝を集めれば』それでいい?『彼女』の為?『彼女をロクに守れなかったクセに』?」
「……あなたは何処まで知ってるんですか?僕の事、魔宝の事……そして、何を言いたいんですか?」
旅人はようやく口を開いた。少し、険しい表情で。
「おお怖い。そう睨まないでよ。……まあ、ウチは色々知ってるよ。君の事も、魔宝の事も、君達のしてきた旅の事もね。何が言いたいか……その質問には答えられないな。ウチの言いたい事も分からないようじゃあ、言っても無駄だからね♪」
エインはすくっと立ち上がり、服に付いた土を払うと、ぴょんぴょんと飛び跳ね、準備運動のような動きをし始める。その様子を不思議そうに眺めている旅人に対し、エインはちょいちょいと手招きをした。
「君は分かってないよ。今まで、君は魔宝を集める事しか考えていなかったようだけど……『魔宝を狙われる』事は考えてた?考えてないよね?その時は返り討ちにするなんてふざけた答え、返すつもりだった?残念、それは無理かもね。君は何も知らなすぎるんだ。あまりにもね」
エインは旅人に喋る暇も与えずに、指をパチンと鳴らした。それと同時に旅人の視界からエインの姿が消える。エインの姿が旅人の後ろにある事を、旅人はその声が響いた時に気付く。
「暴食の魔宝『悪食王―蠅―』、その所有者『悪食王百鬼撰』……そのくらいは知ってるよね?」
「『悪食王百鬼撰』……大陸最強の『国落とし』の『剣士』……?彼が魔宝の所有者なんですか……!?」
「『剣士』じゃなくて『侍』だよ。彼も魔宝自体は狙ってないけど……『強者』を求めてるからね。『魔宝の所有者』は例外無くターゲットだろうね。それは勿論、君だけじゃなくて……ロザちゃんもクロちゃんも含むね」
パチン!
指を鳴らすと同時にエインの姿が再び消える。旅人が周囲を見渡すと、その姿は木の上にあった。上から足をぶらぶらと揺らしながらエインはけたけたと笑う。
「彼だけじゃない。君が憎くて、憎くてたまらないあの男も狙ってくるよ?空間を支配する魔宝『次元門』の所有者……『門』」
旅人は表情を険しく作り替えていく。
「『百鬼撰』や『門』がやって来た時、君はあの二人を守れるのかな?それとも『彼女の時』みたいに二人を失っちゃうのかな?いや、それとも君にとってあの二人は……『あまり大切なものじゃないのかな』?ただ魔宝のオマケ程度にしか思ってないんじゃないの?」
「……馬鹿にしないで下さい。二人は僕の大切な仲間です……あまり、過ぎた事を言うと……僕も黙ってはいられませんよ?」
「へ?じゃあ、二人を守り抜けると?ウチの見立てだと……君は『百鬼撰』は勿論、『門』にすら及ばないと思うけど?」
「だったら…………その認識を改めさせてあげますよ……!」
旅人はその袖に潜ませた魔法札をするりと滑らせ、手に取って、呪文を唱えた。その直後、光の球が現れ、エインの座る位置を爆発させる。
「人を弄んで楽しいですか……『神様』?」
「ししししし!楽しいさ!なんせ、まともにウチと遊んでくれそうな相手はそういないからね!」
旅人は一瞬、耳を疑った。その声は、『自分の背後から聞こえてくる』ような感覚を覚えたからだ。それは耳の錯覚ではなく、確かにエインは後ろに居た。
「ウチに喧嘩を売ってきたのは……『君達』で3度目だよ……!」
旅人は振り向きざまに裏拳を叩きこむ。しかし、その姿はまたも消え、旅人の真後ろから再び声が響いた。
「じゃあウチが試してあげよう……『君が本当に守る力を持っているか』?『君は魔宝を集める力があるかどうか』?……遠慮せずにかかっておいでよ♪」
パチン!
指を鳴らす音。それと同時にエインの姿は旅人の正面へと現れた。腕をぶんぶんと振り回しながらエインはふざけた戦闘態勢を見せる。そして、楽しそうに、楽しそうに笑いながら手招きをした。
「きなよ……ガキンチョ。『年季の違い』、見せてあげるよ」
**************
クロの放った火球は『止まっていた』。エインの寸前で、綺麗に、ぴたりと。火球の表面を走る炎の揺らめきさえも、まるで絵に描いたかのようにぴたりとその動きを止めていた。
「怖いなぁ。お姉さんはこんな可愛い子供にこんな怖い魔法をぶつけるの~?ああ、ごめんごめん!ウチは生意気なガキだったっけ?なら仕方ないね!」
「……やっぱりね」
クロは構わずに火球を連射する。エインはその火球を避けようともせず、ただけらけらと笑いながらその火球を見ていた。当然のように全ての火球は最初の一撃のように『停止』する。
「怖い怖い!目の前にこ~んなにいっぱいの炎が迫ってくるなんて!こんな経験は『第二次魔導戦争』の時以来だね!」
「長生き自慢は気が済んだ……?」
クロはくいっと指を動かす。その動きを見て、エインは少し首をかしげた。その動作の意味が分からないといった感じでエインはクロを注視した。クロはそんなエインを見て、意地悪な笑みを浮かべ、口を開いた。
「バーカ」
「へ?」
ズドン!
エインの体がガクンとよろめく。その背中にはかなり大きな岩石が激突していたのだ。クロは得意げな表情で地面に倒れ込むエインを見下ろした。
「さっきの火球はフェイク…………本命は今の岩。あなたの魔宝は…………『時を操る力』を持っている。だから、不意を付けばこのとおり」
クロは大分前からエインの魔宝の能力を推測していた。『気付かぬ間に隔離された』、『永い時を生きている』、それだけでは確信には至らなかったが、先程の攻撃でクロはその能力を確信する。
元々、エインが持っている魔宝は首にかかった『時計』だと予想していたクロは、今までの要素と『攻撃を停止させた』という状況から、曖昧ながらその能力の大まかな予想を立てたのだ。ならば、『時間を止める判断』をする間もなく、倒せばよい。それがクロの考えた解決策だった。
「どう?効いた?なら、生意気な口は利くな」
エインは地面に倒れ込み、動かない。クロも魔法の規模は加減したので、死んではいないとは思っていたが、気が立ってやりすぎたかも知れないとも思い始めていた。しかし、そんな心配無用と言わんばかりに、そのけらけらと喧しい笑い声が響き渡る。
「残念でした!ウチの『崩界の針』は『時を操る魔宝』じゃあないよ~!ま、惜しいんだけどね?」
クロは声のした上の方を向く。そこには目の前で倒れている筈のエインの姿があった。木の上からクロを見下ろすエインの体にはすり傷一つない。
「……どういう事?」
「着眼点はいいけど、『崩界の針』はそんなに甘っちょろい魔宝じゃないよ?ま、ウチに魔法でも打ちながらもっと考えてみなよ!ウチは君に大切なお話をしながら、全部軽くあしらってあげるからさ!」
「舐めるな…………!」
クロはぎゅっと唇を噛みしめ、手を前にかざす。それを見て、エインは嬉しそうに笑い続ける。
「もっと感情をむき出しにしなよ!そしたら気付くさ!『自分の本当の気持ち』に!その魔宝、『丑の釘』に抑え込まれてる、君の本当の気持ちにさ!」
エインの言葉に嫌な感覚を覚えながらも、クロは呪文を唱える。何故、自分が怒っているのかも分からぬままに。
*****************
「ほら。君はやっぱり『同じ過ち』を繰り返すんだ」
エインは目の前の『赤黒い靴』に語りかけた。皮肉を込めた笑みを浮かべながら。ロザの体をひっぱり、エインに蹴りを叩きこもうとした『赤黒い靴』。しかし、ロザの体はエインの目の前に足を突き出したまま、ぴたりと止まっていた。
「『赤黒い靴』、君の目には……いや目なんてないけどもさ、ロザちゃんの顔が映ってないのかな?」
ロザノ……顔?
『赤黒い靴』はその視覚をロザの顔に向ける。そして、その表情を見てしまった。エインの力で完全に停止したロザのその顔を伝うものを見てしまった。
「君は忘れてないよね?君のその勝手な『殺意』が、ロザのお母さんを、ガーネットを死地に追いやった事を。……もしも、君がまた、『あの男』に会ったら……同じ事をするのかな?」
パチン!
エインは指を鳴らし、ロザの拘束を解除する。それと同時に、『赤黒い靴』の暴走から解放されたロザはガクンと地面にへたり込んだ。その眼に浮かぶのは『涙』。『赤黒い靴』はパートナーに掛けるべき言葉を見つけられず、沈黙する。
「もう……止めて……!」
ロザは悲痛な声を漏らす。それを見て、エインは少しだけ暗い表情を見せた。それは、まるで『何かを諦めた』かのような表情でもあった。エインはやがて首を振ると、地面にどかっと腰を降ろし、退屈そうに口を開いた。
「やっぱり駄目だね。君は、君達は、『旅を続けるべきじゃない』。これは意地悪で言ってるんじゃなく、『善意』で言ってるんだよ?」
「……」
「お話しようか。『赤黒い靴』が、ロザちゃんに話したくない『過去』を。そして、『魔宝』の事を。それを聞いた上で、『旅を続けない方がいいという事』を理解してもらうよ」
エインは語る。純粋な『善意』によって。全てを見通す『神』は、ロザには旅を続けられないという事を『予言』した。
エインが何を思い、こんな事をするのか?それはまさに『神のみぞ知る』。
白い山の中で、救われぬ羊がまた一匹……