第1章 【赤黒い靴】 3話 赤黒い靴
女は息を切らしていた
目の前に横たわる大男
眠っているだけ
まだ生きている
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ
いずれまた目を覚ます
そしたら……
やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ
女はその細い足で大男を踏みつけだした
それが無駄な行動だとは気づいていた
でも、踏み続ける
祈りながら
潰れて、潰れて、潰れて、潰れて、潰れて、潰れろ、潰れろ、潰れろ、潰れろ、潰れろ、潰れろ、潰れろ、潰せ、潰せ、潰せ、潰せ……
ツブセ……
それは過去に起こった悲劇
とある殺人鬼と『魔宝』が生まれるきっかけ
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「『赤黒い靴』、それがあなたの履く『魔宝』の名です」
「マホウ……?」
何処となくふざけた雰囲気を醸し出していた旅人の顔には少しずつ真面目な色が見えだしていた。ロザは聞きなれてはいるものの、どうやら自分の知る意味ではないその言葉を聞き、首を傾げた。
「ああ、失礼。簡単にいえば『魔法の宝』と言ったものですかね」
「魔法の宝?……この靴がですか?」
自分の履く少し古びた赤い靴を複雑な表情で眺めるロザ。旅人は軽く笑い声を洩らすと、何度か頷いた。
「……魔法の宝ってどういうことですか?一体何があるんですか?」
「まぁ、お急ぎなんでしょうけど順を追って話しましょう。まずは『魔宝』がどんなモノか、とか」
旅人は1枚の紙とペンを取り出すと、説明をしながらさらさらと何かを書き始めた。
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「この世界に古来から伝わる技術、『魔法』。
それは様々な手順を踏んで、特別な現象を引き起こすといったものです。
たとえば、呪文を唱えるとか、術式の書かれた札を使うとか、瓶に閉じ込めておいた魔力を使うとか……まあ、手順は無限大といっていい程多いですね。
とにかく、全ての魔法には本来、3つの要素が必要になるわけです。
1つ目に『過程』、2つ目に『種』、もっとも重要な3つ目『使おうとする意思』。魔法を扱うものがその魔法を『欲する』時に魔法は力を発するのです」
旅人は簡単な図を描きながら説明を続けていく。
「はぁ、なるほど。ちょっとくらいは知ってましたけど……」
「そして、ここからが重要です。あなたにも大いに関わる問題、魔法の宝『魔宝』についてです」
旅人は新しい紙を取り出し、説明を続ける。
「『魔宝』とは、その名の通り『魔法の力を宿した宝物』といったところですね。しかし、それはよる知られる魔法の『過程』や『種』に用いる魔法用品とは意味合いが違いますよ?」
『魔宝』はそれ単体で魔法の力を発する。それには『人の意思』など必要なく、魔法を生む根源『種』も使わず、魔法を作り出す『過程』すら飛び越える。
『魔宝』はある時突然、未知の何かの手によって、認識できないほど多くのものが生まれ、世界に散らばり、その力を人との関わりも持たずに垂れ流していた。
『魔宝』は時代の流れとともに生まれ、育ち、人にも認識されるようになっていった。
やがて、『魔宝』を研究する者も現れ、その発生のメカニズムが徐々に、残された謎は多いものの、理解され始めていった。
「……」
ロザは静かに話を聞き続けている。いつしか旅人の顔からは一切の笑顔は消えていて、ただただ無機質に説明を続けていた。
「『魔宝』を生むもの……それは怒りであったり、悲しみであったり、憎しみであったり……まとめて言えば『人間の負の感情』です」
「負の感情……」
ロザは静かに息をのんだ。旅人の雰囲気に飲まれ、いつしか頬を汗が伝っていた。その強張った表情を見た旅人は、はっと何かに気づいたような表情を見せ、頬を緩めた。
「おっと失礼。関心事にはのめり込むタイプでして……リラックスしてくださいな」
「え……あ、はい」
持ち上がった肩を降ろしたロザを見て、改めて旅人はにっこりと笑った。
「嬉しいですねぇ。僕の趣味のお話を真面目に聞いてくれて……とまぁ、長話もそろそろ終わりにして、あなたの『靴の話』をしましょう」
ロザは言葉を発することができなかった。『魔宝』というモノの存在、そしてそれが『負の感情』から生まれたモノだという事、そして自分の履く母の形見が正しくソレであるという事……
旅人の口から語られる『靴の話』を聞く事が少し怖くなっていた。
**********
昔、ある男と女がいた。
男は女を愛していた。
女は男に興味がなかった。
男は女に迫った。
女は男を拒んだ。
男は湧き上がる感情を抑えきれずに女に襲いかかった。
逃げ回る女。
追いかけまわす男。
泣きわめく女。
声を荒げる男。
男は躓いて倒れた。
打ち所が悪く気を失った。
女は安心した。
しかしいつ起きるかは分からない。
女は男を殺そうとした。
何度も何度も踏みつけた。
非力な女に男は殺せない。
はずだった。
潰せ潰せと何かが女に語りかける。
何度も振り下ろされる女の足は。
少しずつ早くなっていく。
潰れるはずのない男の体は。
気づけば少しずつ変化していった。
赤い赤い肉片に。
女の足も赤く染まった。
足を止めた時。
女は気づいた。
これは私の足じゃない。
赤く黒く染まったその足は、その靴は、ずっと、ずっと呟いていた。
ツブセ、ツブセ、ツブセ、ツブセ、と。
女の眼に映ったその足は、まるで『悪魔』のモノのようだった。
恐怖に包まれ、顔をあげた女の眼に映ったのは。
恐怖に染まった眼で女を見つめる。
何人もの。
殺したはずの男だった。
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「う……!」
「……気分が悪くなりました?すいませんね、加減を知らないモノで……」
手で口を塞ぐロザの眼には涙が溜まっていた。旅人が語るに連れて、まるで目の前で起こっているかのように流れる不気味な光景、その光景は今まで何も知らずに生きてきた町娘には重すぎた。
「その女はその後も、何人も、何人もの男を『蹴り殺した』そうです。女はやがて謎の死を遂げたそうです。しかし、血で赤黒く染まったその靴は他の持ち主に引き継がれ、何人もの『殺人鬼』を生みだしました」
ロザは自分の履く靴をもう見ることができなかった。
「履いた者に『悪魔の足』を与えるその靴は、『魔宝』の中でも一際危険な存在、『十三呪宝』と呼ばれるようになりました……僕の話はここまでです」
語り終えた旅人はふぅと一息つくと、まるで何事もなかったかのようににっこりと笑って話しだした。
「あなたが意識してない時にもその靴の力は顕れていたんじゃないですかね?足が動かしづらい事、ありませんでした?」
ロザは眼を見開いて、肩を揺らした。息も絶え絶えに、いつも自分が感じている違和感を思い出す。
「……どういう訳か、あなたには『赤黒い靴』が芽生えさせる『殺意』が現れなかったようですが……それがどんなモノであるかは……分かりましたよね?」
そんなはずない。
その一言が出てこなかった。自分が履いている赤い靴は、まるでその事実を全て認めるかのように、さっきまでは感じられなかった不気味な空気を漂わせていた。
これが『魔宝』?なんでお母さんはこんなモノを?この靴を履いていたお母さんはもしかして?この靴を履いている私も?
頭の中で黒い何かが渦巻くのをロザは感じた。大事な母の形見の正体がそんなものだと信じたくない気持ち、靴から漂う不気味な雰囲気が肯定するその事実、それが複雑に頭の中を駆け回る。
しかし、旅人が放った次の一言で、ロザは気を持ち直す。
「そんな恐ろしいモノ、持ってられないでしょう?それ、僕に譲ってくれませんか?」
駄目だ。
ロザは確信した。
こんな怪しい人間にこれを渡したら、きっと酷いことが起きる。これは守らなきゃいけない。お母さんはとても優しい人だった。きっとお母さんも私と同じことを考えていたんだ。
この靴を守り抜く。
お母さんがどうやってこの靴を手に入れたのかは分からない。でも、きっとお母さんはこの靴を人を傷つける人間に渡さないように守っていたんだ。この靴は絶対にそういう人間には渡してはならない。それだけは確実。
私は今まで人を殺したいなんて思わなかった。きっと、この靴を守れる。
これからは私がこの靴を守っていこう。
そうだ、私が守らなきゃ……!
「ごめんなさい。これは渡せません。では、私は用があるので」
ロザの眼は覚悟に満ちていた。彼女はきっと、突然押しつけられた事実に屈する……そう考えていた旅人の予想は見事に外れた。
ロザは立ち上がり、旅人に背を向けた。そして、力強い足取りで走り出す。『赤黒い靴』を履いた彼女の速さは、確かにそこらの人間には追いつけないほどのものだった。
「いやぁ~~~、やっぱり足が速いですね。流石は『十三呪宝』と言ったところ……」
「…………行かせていいの?」
今までずっと黙っていたクロがぼそりと呟いた。
「……まさか、あんなに真面目な子だとは思いませんでしたよ。怖いはずの『赤黒い靴』を投げださず、怪しい僕に譲ることを拒むなんてね」
頭を抱えて苦笑いする旅人。ゆっくりと腰を上げると、帽子を被り直して、腰を回した。クロは口元をピクリと動かすと、また呟くように尋ねる。
「……どうする気?」
旅人は胡散臭い笑みを浮かべていつもの調子で格好良さそうなポーズを決める。
「彼女に……ロザに会いに行きましょう。『僕が怪しい』なんて誤解は早々に解くべきかと」
「……十分怪しい」
クロは聞こえないほど小さなため息をついて、立ち上がる。
「……気をつけたほうがいい。……この町に……『もう1つ』……『魔宝』の存在を感じる……」
「……ソレは大変だ。急いだほうがいいかも知れません」
旅人は何かを決心したかのような表情を浮かべた。そして、何かを見透かしたようににやりと笑った。
「ところで……なんで私より先に……『赤黒い靴』の事、気づいたの……?……私がついて来る必要……あったの?」
「たまたまですよ!クロの力が必要なのは変わりませんよ!……理由を簡単に言うなら……」
クロが何処となく不満げな表情を見せながらぼそりと尋ねる。
それに対し、旅人は石の道路についた足跡の上をぴょんぴょんととび跳ねながら自慢げな表情を見せた。
「足跡……ですかね?」