第6章 【崩界の針】 1話 全知全能の魔宝
「神様、どうか、どうか私の話をお聞き下さい……」
今日も哀れな子羊は神の元を訪れる。神の救いを求めて、神の言葉を欲して。本来なら神に届く筈もないその願いも『この山』ならば届けてくれる。そんな噂の広がりは留まる事を知らない。
『巫女』を務める私が言うのもおかしいが、『この山』には『神』などいない。
それは私の考えでは無く、『神』と呼ばれる『あのお方』が、自ら言う言葉。
「止めておくれよ~!ウチは『神』なんかじゃあ無いよ~?ただ、ちょっとだけ、ほ~んのちょっとだけ長生きしてるだけの、生意気なガキだよ?」
救いを求めるその男は、白い霧の中から姿を顕わした『あのお方』を見て、目を丸くした。
「あなたが……『神』?」
「違うってば!まぁ、そう呼ばれてるからそれでも良いんだけどね?ただ、あんまり期待してもらっちゃうと、ウチとしても困るし、本当の『神様』にも失礼に当たると思うんだよね!ししし!」
『あのお方』はいつでも客人を笑顔で迎え入れる。例え突然訪れようとも、大勢で押しかけようとも、失礼な態度を取ろうとも、どんなに歪んだ悪人であろうとも。
「ししし!さてさて、ウチの話は置いといて!どんな話をしに来たのかな?たとえば『危険な仕事に行かなければならない。下手をすれば命を落とし、家族とは二度と会えないかもしれない。しかし、その仕事を断れば、自分は今の職を失うだろう。いや、もしかしたら雇い主に命を脅かされるかもしれない。この人生最大の選択に悩んでいる。果たして仕事に行ったとして、自分は生きて帰れるのか?仮に家族と逃げたとして、自分達は逃げ切れるのか?できる事なら神様の予言を授かりたいのです』ってな感じの話?」
男は呆然としていた。そして、『全てを見抜いた神の言葉』に希望を見出す。今までにここを訪れた人間と殆ど同じ表情だ。どう思っているのかも明らか。『やはり神様は居たんだ』、きっとそう思っているのだ。
「は、はい!神様、お願い致します!どうか、どうかお言葉を!如何なる代償も払います!だから……どうか家族と生きる道だけは!お救いください!」
この男がどんな事情を抱えていようと、『あの方』は何も感じない。ただ、にっこりと笑って、『試すように』話をするだけ。
「う~ん、別に構わないけど……ウチ、君の『心の内』までは分からないけど……『君の今までやった事』ぐらいは分かってるんだよねぇ?」
男の顔色が目に見えて悪くなる。きっとこの男はロクな人間ではないだろう。しかし、神はそれだけの理由で彼を見捨てるような事はしない。あくまで『試す』。
「……なんてね!他人の過去の行いを咎める資格はウチには無いよ~!……たださ、君って……」
全てを見透かしたように、『あの方』は言い放つ。それはきっとその男にとって、『とても痛い所』なのだろう。自分でも気づいていなかった事。しかし、言われて初めて見つめ直す事。
「『本当に家族を……いや、子供を大事に思ってるの?』」
男は止まった。無邪気な笑顔で『あの方』は尋ねる。知っているのだ。男の過去に何があるのか、男の家族に何があるのか。それを知った上で、本人すら気づいていないその感情に火を付ける。それは『神の気まぐれ』か、はたまた『悪魔の悪戯』か。『あの方』は気に行った人間以外にはまずは『尋ねる』。
それは『試練』
『神に愛されるか』?それを左右する究極の問い。もしも、『あの方』が気に入る答えを導いた時、『あの方』は間違いなく『救う』のだ。
「…………私は……」
男の答えが導かれる。それは果たして正解か?はたまた不正解か?答えはまさに『神のみぞ知る』。
『神』と呼ばれる『あの方』は、男の答えをにんまりと笑いながら受け取った。それは悪意のない、ただただ無邪気な子供の笑顔。
「…………ししし!面白いね!じゃあ、あげようかな?ウチの……何てことないガキの生意気で下らない『予言』をさ!」
この神聖な白い山の中で、毎日行われる『神の遊び』。今日もまた、救われる魂が一つ、救われぬ魂が一つ。
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『神』
一言で言っても、その概念は様々。人によっても、国によっても、崇めるものは皆違う。
この国『シェンディア』では、国教として『カタラベ聖教』が指定されている。規律に厳しいこの国では、これ以外の思想は全て『邪教』とされ、淘汰されている。
「そんな中、『神』と呼ばれながらも『お咎め』を受けないその方は、国からも認められた本当の『神』である。多くの人からはそう言われています」
「ふむ……参考になりますね。非常に興味深いですね、その『神様』」
「よく分からないですけど……とっても凄い方って事ですか?」
「ええ、そうですね。そう思っていただければ良いでしょう」
白い馬が引く馬車の中。旅人一行を乗せるその馬車の中には、見慣れない姿が一つあった。
『…………なあ、ずっと思ってたんだが』
声を発したのは木彫りの蛇の置物。意思を持つ魔宝、『希望喰』。前の魔宝回収時、特に出番もなくに待機していた彼が、その疑問を投げかける。
『その女、誰だよ?』
優しげに微笑むその女は、金色の美しい髪を手で除けながら、挨拶をした。
「私は少しの間、同行させていただく事になりました、ティアと申します。宜しくお願いしますね、魔宝さん?」
『いやいや……自己紹介とかじゃなくて……どうして同行する事になったかってことだよ!』
「まあまあ、『希望喰』。落ち付いて下さい。ティア先生にも色々と事情があるそうですので」
『ステラ魔法学園』の信仰哲学教師、ティア。彼女が旅人達に同行するのには色々な事情があった。
ステラ魔法学園にて起きた『怪盗カタヴェリゴ』の騒動。それは思いのほか大きな事件となり、法治機関『ルーラ』が動き出すほどになった。
どうやらティアは『ルーラ』と接触することがどうも都合が悪いらしい。本人が言うには、彼女はこの国では『邪教』と指定されている『ヴィレフ教』の信者らしく、『ルーラ』に調べられると、厳しく罰せられるらしい。だからこそ、ティアは足早にあの場を立ち去りたかったのだが、学園の場所が場所だけに、移動手段に困っていた。
そこで、申し訳なさそうに旅人達に、暫くの間の同行をお願いしてきたのである。
旅人は、監禁されていたところを助けてもらった事もあり、快くそれを許可した。確かに『邪教』扱いを受けているが、旅人はその『ヴィレフ教』という宗教に関する悪い話を聞いたことはなく、彼女が悪人には思えなかったし、彼女を気の毒にも思った。
『まあ、大方事情は分かった。この国の規則にとやかく言うつもりはないが、まあお前がそうしたいならそうすればいい。でも、良くクロが納得したな?』
超絶ひねくれ者、クロがそれを快く受け入れるとは思えなかった『希望喰』。その考えは正しく、最初クロは反対していた。気の毒でもこの国では『罪人』。それを庇う事は勿論罪。そんな面倒事は嫌だとクロは言った。
「ええ、ティア先生のお土産が気に入ったみたいで……」
そんなクロが掌を返したキッカケは、ティアが持っていた一冊の本。『怪盗カタヴェリゴ』が盗むと宣言し、クロも並々ならぬ興味を持っていた、伝説の魔導師『シゲン』の書物『古代魔法秘集』。その『写本』をティアは持ってきていた。それを見せた途端、クロの態度は急変した。
「『偶然』、持ってきた本が気に行ってもらえて良かったです……」
「全く、クロは現金ですね。僕は君の鬼畜っぷりが怖いですよ」
『成程な……だからさっきから必死で本に食らいついてるのか』
クロは一人、本と必死でにらめっこをしていた。時折、ティアの袖を引いて、本の事を色々と尋ねている。エサを出されて、すっかりティアになついているようだった。そんな様子を見て、『希望喰』はぼそりと呟く。
『…………アンタ、中々にやり手だな?』
「あら?何の事ですか?」
ティアは目を細めて笑ってごまかす。『希望喰』は暫くの間とは言え、また厄介な奴が増えたなと心の内でため息を漏らした。
「それにティア先生は物知りですからね。色々教えて戴けて、僕達も助かりますよ」
「お役にたてて光栄ですわ。匿って貰っている身ですし、お役にたてる事は何でも申しつけて下さい」
ティアは優しく微笑む。
旅人達はまだ、彼女が『危険な存在』である事を知らない。
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「神の住む山『アクバハル』……確かに奴はそこに向かったのか?」
『ええ、間違いなく』
おもちゃの扉を象った魔宝『次元門』を通して、『門』は任務を終えた探偵の助手、バッカルゲンと通信する。
『……どうしました?声色がおかしいですよ?先生に代わりましょうか?』
「いや、いい!ゴーガンには代わるな!……ただ、気分が悪くなっただけだ」
『……『アクバハル』に何か?』
的確にゲートの心情を読み取るかのようなその質問に、ゲートはその部下の有能さを感じ取りながらも、自分の鬱憤を晴らすように、話を始める。
「……ああ、あそこには『大嫌いな奴』がいてね。思い出すだけでも虫唾が走る……!」
ゲートはギリリと歯を食いしばる。ゲートのあげる数少ない『憎い人間』の内の一人、『神』と呼ばれるその魔宝の所有者。
何度突き立てても通用しない刃。まるで『蟻である自分が、象に挑む』かのような圧倒的な力の差。絶望感。
かつて『魔宝の力』に絶対の自信を持っていたゲートの在り方を、粉々に打ち砕き、彼に非情な現実を思い知らせた『神』を思い出すたびに、ゲートは苛立つ。そして、認めざるを得ないその事実を口から零す。
「……アイツの魔宝は間違いなく『十三呪宝』最強だ……!忌々しい……アレさえ奪えれば、私の目的はとうに達成されている筈なのに……!」
『次元門』の向こう側で、バッカルゲンはゲートの怒りを感じ取る。それはゲートにしては珍しい剥き出しの感情。
「『崩界の針』……!」
ゲートはその『最強の魔宝』の名を忌々しげに呟く。そして、それの獲得に動き出した忌々しい男を思い浮かべて、にやりと笑う。
「…………ハハ、奴には無理だ、絶対に。」
ゲートは笑う。ただただ笑う。今回ばかりは、ゲートは魔宝に対して動きを見せない。それは諦め故か、恐怖故か、それを知るものは誰もいない。
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馬車が進む道の景色も大分変わってきていた。今までは草原の広がる緑の大地を進んできたが、徐々に木々や草に色合いが無くなってくる。砂地が目立つようになり、緑は徐々に色褪せていく。砂は風に舞い上げられ、周囲はぼんやりと霞み、遠くの景色をぼやけさせた。
「大分、気候も景色も変わってきましたね。そろそろ山は見えてくる頃でしょうか?」
「あともう少しではないでしょうか?霊山、『アクバハル』の周りは大分寂れた場所だと聞きます。あるのは小さな村くらいで、草木も殆ど生い茂らない土地だそうですよ」
ティアは馬車の窓から景色を眺めながら、語る。それに興味深そうに旅人とロザは耳を傾ける。
「草木も何もない土地ですが、『神』を訪れる者は後を絶たないようで、『アクバハル』の周辺に住む民族『ハルムリ』はその観光客から利益を得ているそうです」
「『神』が観光名物になっていると……そういう訳ですか」
旅人は少し難しい表情を浮かべる。
旅人の目的は勿論、『十三呪宝の回収』である。その入手法は、基本的には話し合いでの交渉。若しくは、魔宝を悪用する人間ならば『実力行使』。今まではそのパターンで魔宝の回収は困らなかったが、今回はそうもいかないようだ。
話によれば『神』は『魔宝』を持っているらしく、しかもそれで多くの人を救っているという。そして、その周囲に住む人々の生活もそれによって支えられている。こうなってくると、魔宝を『神』から入手するのは非常に難しい問題になってくるのだ。
『神』の恵みを受けている人々を不幸にしてまで、旅人は『十三呪宝』を奪う事は出来ない。
確かに『十三呪宝』は集めなくてはならない。それが旅人の旅の唯一の目的なのだから。しかし、他人を不幸にしてまでそれを実行する勇気は旅人にはなかった。心のどこかで旅人は『魔宝の所有者は悪』という認識を持っていたのかもしれない。そうでない事はとっくに分かっていたのに。
「……困りましたね」
旅人が一人頭を悩ませていると、ティアが突然声をあげた。
「あら、見えてきましたね」
「え?でも、あれって山には見えませんよ?……でも、何処か見覚えのあるような……?」
ロザが視線を向けた先にあったのはぼんやりと青白く光る塔。確かに山には見えないそれを彼らが見た覚えがあるのは当然の事。それは魔宝『真理の塔』が安置されていた塔とそっくりだった。
「あれは『エジスの霊塔』。各地に残る大昔の遺跡です。あれが見えてきたという事は『アクバハル』はすぐですよ」
かつて旅人達が見た『ギドの霊塔』。それとそっくりなその塔は、不思議な神聖さを醸し出している。
その塔の横を通り過ぎる頃、前方には白い山がその姿を浮かび上がらせる。
「…………あれ?」
本をようやく閉じ、見えてきたというその山に意識を向けたクロは怪訝な表情を浮かべる。そして、思わず、抱いたその違和感を口から漏らした。
「魔宝の気配が…………しない?」
****************
「ようこそ、『アクバハル』へ!」
山のふもとに佇む小さな村、『アクバハル村』。そこの住民たち『ハルムリ』は、総出で旅人達を迎え入れた。その歓迎に旅人達は思わずぽかんとしてしまう。
「さあさ!今は『案内の者』が山に入っている所なのでどうか暫くの間、この村でゆっくりしていってください!」
一人、前に出てきた若者は笑顔で歓迎の意を示す。その若者は他の村人とは少し服装が違い、一段と煌びやかな衣装を身につけている。どうやらこの村における有力者らしい。
「え?案内までしてもらえるんですか?別に僕達は勝手に……」
「駄目です!山には危険な『魔獣』がわんさかいます!それに山には木々の発する『迷いの結界魔法』が張り巡らされていて、下手をしたら遭難する恐れもあります。どうか、案内する『巫女』が山より戻るまでお待ちください!」
若者は慌ててそれを止める。魔法の力を持った獣、『魔獣』。その危険さは勿論、旅人達にも理解できた。恐らく撃退する事は容易だが、用心に越したことはないだろう。それに『結界』の話は無視できるものではない。それらを考慮した上で、旅人はそれを了承した。
「……なら少し待ちましょう!そう焦る問題でもないですしね!皆さんもそれでよろしいですか?」
「はい!」
「私は意見する立場にはありませんので、どうぞ」
「…………別にいい」
一行は暫くこの村の中を周る事にする。『巫女』と呼ばれる『アクバハルの案内人』が戻ってくるまで。
しかしこの時、旅人は『神』について考えを改めていた。
『神』と呼ばれ、人々から崇められるその存在。何処かで旅人はそれが『危険性のないもの』と判断していた。しかし、若者が話した事から、その存在は間違いなく『危険な存在』だと理解する。
『魔獣』の住む山で、何事もないかのように暮らしている……それだけでその『力』は相当のモノと言えるだろう。
もしも、『魔宝』を求めている事を伝えたとして、『神』が自分達に『敵意』を抱いたとしたら?得体のしれない寒気が旅人を襲う。それに加えてクロが馬車内で述べた言葉。
『この山には魔宝の気配がない』
その言葉もその謎に包まれた『神』の不気味さを際立てる。そして、数珠繋ぎに疑問がわき上がる。
『神』は何故『神』と呼ばれるに至ったか?『神』はいつからこの『アクバハク』に居るのか?『神』は魔宝の所有者ではないのか?考えればキリがないほどに多い謎。旅人は表現しようのない、今まで感じた事もなかった不安を抱きつつも、それを顔に出さないよう努めた。
謎多きアクバハルの『神』。その存在との対面は間近に迫っている。
旅人の不安をかき消すように、その神々しい白い山の木々は風に揺られて大きな音をたてた。
待ち受けるそれは旅人達全員にとっての『試練』。この旅さえも終わらせかねない非情なる『真実』。旅人の予感は、あながち間違いではなかった。