第2章 【ユメハミ】 5話 無敵天敵
懐かしい景色。
懐かしい香り。
温かく優しいその人は
もう見せてくれるはずのなかった笑顔を
たしかに私に見せていた。
「お母……さん?」
**********
「…………打ち合わせ通り」
「はい……気を付けてください。無理だけは絶対に」
「大丈夫」
旅人と軽く確認をしあう。今起こっている最悪の状況を想定して立てていた、なるべく『避けたかった』プランの実行を決心し、クロは一歩バハクに近づいた。
「……乱暴しないでくれ。さっきのはちょっとした冗談じゃ。わしの話を聞いてくれ」
不敵な笑みを浮かべ、バハクは一歩後ろに下がる。クロの黒服の裾からするりと魔法札が現れる。その魔法札をひらひらと揺らしながらクロは冷たい目でバハクを睨みつける。
「…………話?……好きに喋れば?……痛い目に会う時間が……先に延びるといいけど」
「わしは『この子』に同情しとるだけじゃ」
バハクはキセルを咥え、体に巻きついた植物を指さした。
「さっきのは『希望喰』の言葉。この子は未来ある人間を心底憎んどる。未来がありながらそれに感謝せずのうのうと生きる人間にな」
キセルからぷかぷかとシャボン玉が浮かび上がる。それを見て、クロと旅人は警戒を強める。バハクが何かを仕掛けてこようとしているのは明白だった。
「この町は弛んだ人間が溢れとる。だから、この町だけ、この町にいる人間だけでいいからこの子の怨念を晴らす『生贄』にさせてもらえんか?勿論、この子の怨念が晴れたら彼らは呪縛から解放してやる。この子もきっと分かってくれるはずじゃ」
バハクは優しく微笑んだ。さも優しい事を言っているかのように。クロは一歩前に出て、尋ねる。
「…………で、その『怨念』が晴れるのは……何百年後の話?」
「……そうじゃな、多分……」
バハクの口がもごもごと動く……クロはそれに合わせて、小さく口を動かした。
「お前らが死ぬまでにはあり得ない話かもの!!」
途端、バハクの背後から風が押し寄せる。風はバハクの咥えていた『キセルらしきもの』から溢れた無数のシャボン玉をクロと旅人に向けて運んでいく。『風魔法』を使った事は分かったが、明らかに攻撃性能を持たないその魔法は手段にすぎず、明らかに本命はそのシャボン玉だと見て取れた。
「…………愚直。……『砂塵』」
クロは持っていた魔法札を地面に落とす。すると、魔法札の落ちた個所から『砂』が湧き上がり、クロの背後から吹いた風に巻き上げられる。風に乗った砂は正面から向かい来るシャボン玉を引き裂き、その全てを消し去る。
「成程、流石に読まれるか。いい手じゃな」
「……まだまだ」
バハクはその魔法『砂塵』は無数のシャボン玉を全て潰すための一手だと予想していた。確かにそれは間違っていなかった。しかし、彼が読めたのは正確に『一手全て』ではなくその半分以下に過ぎなかった。
サァッ……
『砂塵』がそのままバハクに向かってくる。主に目くらましに用いられる魔法を、バハクの攻撃の防御に使ったのはいい手だと思った。対峙するひ弱そうな少女がどんな一手を打ってくるのか、バハクは砂から目を守りながら考える。クロの詠唱に耳を澄まし、どんな魔法が飛んでくるのかを予想する。
「…………とった」
「な!?」
聞こえた声は目の前から発せられた声だった。そして、それは詠唱などではなく、少女が思惑を達成した事を意味する言葉だった。
体に巻きつく『希望喰』に細い指が引っ掛かっている。クロは『砂塵』の本来の用途、『目くらまし』に乗じて、見事にバハクとの距離を詰める事に成功する。
「不覚……!」
まさか、こんな少女が自ら掴みかかってくるとは思わなかった。魔法札を服に忍ばせていた事から、魔法を使った行動を主にすると勝手に思い込んでいた。バハクは身を引き、その手を振りほどこうとするが、体から引き剥がされそうになる『希望喰』を見て、回避行動を止め、逆に少女の手をつかみ前進する。目を守る手が退かされた事で、風に舞う砂がバハクの目に激痛を与える。
「この……糞餓鬼め……!」
たとえ老いた自分でも、この少女を力で抑え込む自信はあった。『砂塵』によって舞い上げられた砂にも限りがある。その全てが通り過ぎる位置まで少女を押し戻し、自分の切り札の一つであるそのシャボン玉を何とか喰らわせてやろうともくろむ。
何としてもこの『魔宝』は渡さない。その執念が、バハクに目の痛みを忘れさせた。
「……クク、弱いなぁ。所詮は餓鬼か?」
小さなクロの体を簡単に押し戻し、バハクは笑った。『砂塵』の中を突っ込んできたクロも、ろくに目が見えない状態にあるはず。恐らく目を瞑っているだろう。バハクは対抗手段もなく、こちらの手も分からないであろう相手を想像して、勝利を確信する。後ろにいる男も、このシャボン玉があれば簡単につぶせる、そう確信していた。
『砂塵』が過ぎ去り、バハクは咥えたキセルに息を吹き込み、終わりを告げるシャボン玉を飛ばす。
「じゃあの、おやすみ」
「あ…………」
クロが目を開けた時、目の前には無数のシャボン玉が迫っていた。もう次の魔法の詠唱は間に合わない。もちろん回避をする隙間などあるはずもなかった。
パチン!
シャボン玉がクロに当たってはじける。途端、クロの見る世界がぐらりと揺れた。急に訪れた『眠気』にクロは抵抗すらできず、そのままパタリと床に倒れ込んだ。
「クロ!」
「まずは1人……そして、すぐにもう1人……!」
無数のシャボン玉は続けて旅人にも迫っていく。旅人は顔をしかめ、上着のポケットから漁りだした魔法札をかざし、呪文を唱えながら後退した。
「これで何とか……!『大地の鎖』!」
ぐらりと旅人の前の空間が揺れる。そこに入ったシャボン玉の群れは、次々と地面に落ちていく。
「重力を操る高等魔法……やるのう」
バハクはキセルを手に持ち替え、余裕の表情を浮かべた。旅人はそのキセルを見て、苦しい表情を浮かべた。
「……『十三呪宝』以外にも『魔宝』を持っていたとは、予想外です。しかもそれは……」
「知っとるのか……お前さん、何者じゃ?」
バハクは握ったキセルを見せつけた。
「そう、これは『夢想の泡』という『魔宝』じゃ。この魔宝から放たれるシャボン玉は触れた相手を眠りに誘う……この『希望喰』と相性最高じゃろ?」
『大地の鎖』という高等魔法を使った事から、目の前にいる男が相当の実力者だという事はバハクにも理解できた。しかし、高等なだけで、実際には『何の使い道もない』その魔法を使った旅人を見て、バハクは勝利を確信する。
そんな高等な魔法を使える男が、何故、もっと実用的な『戦闘用魔法』で、シャボン玉と同時にバハクを攻撃してこなかったのか?その理由は簡単に理解できた。
まずはバハクと旅人の間で横たわる少女の存在。
彼女がいるからこそ、彼は『戦闘用魔法』で反撃をすることが出来なかった。この狭い廊下では彼女も確実にその魔法に巻き込まれるだろう。
もうひとつ、バハクが彼らに負ける筈のない絶対の理由。それはあらかじめ『呪い』を掛けた、ロザの存在だった。
彼らは『希望喰』の力を知っていた。ならば、彼らは知っているはず。だからこそ、眠っているロザを見て、あの表情を見せたのだ。
『希望喰』の『呪い』は、『根』が消えても消えない。『希望喰』で再びその呪いを『解除』する必要があるのだ。
だからこそ、彼らは『呪い』を掛けたバハクを殺すことなどできないと考えていたのだろう。バハクはにやりと不気味な笑みを浮かべる。
(まあ、どうせ『この呪い』は『わしにも解けない』のだがな……)
バハクはこの時、まだ理解していなかった。
自分が彼らの仕掛けてきた『一手』を完全に読み切れていないことに。
そして、彼らの方が、遥かに『希望喰』という魔宝のことを知っていた事に。
***********
「……まさか『ボクに会いたい』なんて願いを持ってここに来る人間が居るなんてね。君、何者だい?」
「…………さあ?」
クロは真っ白な『夢の世界』にいた。それは魔宝『希望喰』が創り出した空間である。
その白い世界で一際生える黒い少女の目の前には、対照的な真っ白でこの世界に溶け込んでしまったような少年が立っていた。
「……ボクは君の願いを叶えるだけだよ。さぁ、ボクに会って、君は何を欲していたんだい?」
少年の名は『希望喰』。彼は魔宝『希望喰』そのものだった。彼は眠りに落ちた人間から読み取る事が出来る。その力を行使した結果、目の前の不可解な少女の『求める夢』は『希望喰に会う事』だった。
しかも、それは前に始末した2人組の殺し屋の『魔宝を欲する』という意味ではなく、その中にいる魔宝の意思、彼自身を求めての夢だった。
「…………私の『友達』を……返せ」
「『友達』……?」
一瞬、彼女が何を言ったのか『希望喰』には分からなかったが、すぐに彼女の求めているものを理解する。
「…………ロザを……返せ」
「ああ……ちょっと前に来たあの子の事か」
『希望喰』は鼻で笑った。ああ、コイツ、嫌いなタイプだ。胸糞悪い、見ていて不愉快なタイプ。コイツにはちょっと、残酷な『現実』を、見せてやりたいな。
『希望喰』はその歪んだ感情に従い、目の前の少女クロに、『幸せな夢』を見せる事も『夢の中で殺す』事もしない事に決めた。
一生、苦しい、夢を、見せてヤル……!
「……『友達』ねぇ……君は彼女をボクの『夢』から解放する事が彼女にとっていい事だと思っているようだけど……彼女にとってはどうなのかな?」
「…………どういう意味?」
意地悪な笑みを浮かべる少年に、不快感を前面に押し出してクロは声を絞り出した。
「彼女には彼女の見たい『夢』があるんだよ?それから引き離される事が……彼女にとって『幸せ』な事なのかなぁ?」
「確かに君にとっては『彼女をここから連れ戻す事』が幸せに通じるのかも知れない。……でも、彼女にとってそれは幸せなのかな?彼女の気持ち……考えてるの?」
クロは口を閉ざす。
「君は理解していないよ。『幸せ』なんてものはね、人によって違うんだ。『友達』だとか『仲間』だとか、それは一方的な自己満足に過ぎない。ましてや『人の幸せを願う』だの『人を助ける』だのなんてのはね……自分に酔ってるだけの『迷惑』でしかないのさ!」
「人に自分の考えを押し付けるな!」
「でもね、一人でそんな『夢』を見る事は何も迷惑なんかじゃないんだ……ボクの『夢』に身を委ねたものは皆……『幸せ』だと思うよ?」
クロは、重々しい表情で、ぼそりと、弱弱しく、呟いた。
「…………ロザは『迷惑』なんて……」
「それが自分勝手だと言ってるんだ!」
少年が声を荒げる。
「……じゃあ、君に彼女の『夢』を見せてあげようか?きっと、今が、この『夢の世界』が彼女にとって『幸せ』なものだと……君にも理解できるはずだよ」
少年は絶対の自信を持って言った。そして、少女の『心』を折る為にさらに言葉を続ける。
「もしそれが理解できたら…………君は身を引いた方がいい。そしたら、ボクは君に、ずっと一緒にいてくれる『友達』を用意してあげるから。君を『迷惑』と思わない……本当の『友達』を」
―――――――――もちろん、そんなものをくれてやる気はないけどね……
少年は意地悪く心の中で微笑んだ。一生見せてやるよ、『裏切り続ける』『友達』を……。そして、泣きながら、苦しみながら、一生この『夢の世界』で過ごすといい……!
少年は指をパチンと鳴らす。すると一つの窓が白い天井に浮かび上がった。その窓はゆっくりと開くと、2人の女を映し出す。
「…………ロザ!」
************
ロザは、その温かい腕に抱かれながら、うっすらと涙を浮かべていた。
「お母さん……」
「なあに?ロザ?」
優しいその声は、懐かしいその声は、確かに彼女のものだった。ずっと聞きたかった、その声。ずっと欲しかった、その温もり。ロザはそれをはっきりと感じていた。
死んだ母がなんでそこにいるのか?そんな事はどうでもよかった。ただその『幸せ』だけが彼女を包みこんでいた。
「いろんな事があったんだよ……お母さんがいなくなってから」
「そうなの」
ロザは今までの出来事に思いをはせる。
ゴートの店で手伝いをすり日々
失敗ばかりする日々
突然訪れた、変化
そして、仲間との、友達との始まったばかりの旅……
…………ロザ!
聞き覚えのある声が、彼女の耳に、確かに、響いた
***********
「……おい、どうなってるんだよ?」
『希望喰』は奇妙なモノを見た。窓に映る光景に感じる違和感。
これは『夢の導入部』?
おかしい、こいつを引きずり込んだ時間から考えると、この進行速度の遅さはおかしい。
そして、気づいた。
コイツ……まさか!?
「ロザ…………!」
**********
ああ、そうだ。その人達に迷惑をかけたくないから私は仕事をしてたんだっけ?
確か今は休憩中で……
これは夢……?
「あ!私、寝ちゃってる!?」
……ロザ!イツマデ寝テルノ!休憩時間ハソロソロ終ワリデショ!
彼女をしかりつけるその声は彼女の履く靴、彼女の持つ魔宝『赤黒い靴』のものだった。『夢の世界』に居る彼女にも、『心に語りかける事が出来る』赤黒いは声を届ける事が出来たのだ。休憩時間中に居眠りを始めた彼女を『赤黒い靴』は母親のように起こそうとしている。
「大変!早く起きなきゃ!」
ロザはこれが夢だと理解した。起きようとほっぺたをつねろうとして、自分が聞いた声を思い返す。
それは『赤黒い靴』のもののはずだった。しかし、最初に聞こえた声は、少し違ったような気がした。それは彼女にとって初めてできた『友達』のものだったように思えた。
ロザはお別れする母親に、自分の最近の一番うれしかった出来事を報告する事にした。
「お母さん、私、友達ができたよ。楽しくお喋りできる友達」
「そうなの」
「私、行かなきゃ。起きなきゃ友達に迷惑かけちゃうもんね」
「そう、行ってらっしゃい」
ロザの母親は優しく微笑んだ。この『夢の世界』に彼女を引きとめることなく、娘の旅立ちを見送るように……
ロザは思い切りほっぺたをつねる。
――――――――そして、彼女の『夢』は再び最初から繰り返し続ける
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「アイツ……!『十三呪宝』の所有者か……!ボクの『夢の世界』に干渉してくるなんて……!」
「ロザ…………」
クロはちょっと恥ずかしかった。自分の声が彼女に届いたものかと思いきや、ただ『赤黒い靴』に叩き起こされているだけだったという結果を見て、自分が何かスベッたような感覚を覚えた。それと同時に、夢の中でも『友達』と呼んでくれた彼女、幸せな中に居ながらも自分達に気を配っている彼女を見て、こそばゆい感じがした。
「あの子は…………他人を蔑ろにするような子じゃない。……いつでも人の事を気にしてる。…………でも、私は彼女を『迷惑』とは思わない」
少年はクロを睨みつける。そんな少年にロザは、強い言葉で、『希望喰』を罵るかのように言い放った。
「…………人に自分の考え押し付けるな」
「…………てめぇ……!」
『希望喰』の中に明確な『怒り』が浮かび上がる。分かったような口をききやがって……!ボクの言っている事が何故分からない!?
「……よし、決めた!お前、嬲って、嬲って、嬲って、嬲って……ボクに跪かせてやる。『私が間違ってました。ごめんなさい』と言わせてやる。そして、一生この夢の中に『ひとりぼっち』で閉じ込めてやる……!」
少年が腕を前に伸ばす。その腕はみるみる変化し、不気味な黒い、悪魔の腕と化した。
ここからが本番……クロはそう意識し、身構える。
「夢の中で……ボクに勝てると思うなよ?」
クロは覚悟を決める。ロザを永遠の夢から救い出す、たった一つの可能性、自分を削ってでもそれを実行する覚悟を…………
悪魔の腕を振りかざし、襲い来る少年を前に、ロザは自分の胸に手を当てる、
バハクと対峙する前からの、ただ一つの彼女の狙い、それは……
――――――――『希望喰』を屈服させること