第2章 【ユメハミ】 4話 希望喰(ユメハミ)
「いない!?」
「え、ええ……」
旅人はあらかじめ取っていた宿の受付で確認をとる。2人の部屋には誰も帰ってきていないらしい。安全は確認できないものの、休むつもりならばここに帰ってきているはず。2人が『眠った』可能性は低いだろう。
しかし、まだ安心はできない。旅人はすぐに賑やかな町中に戻り、再び駆けだす。
「どうか……無事で……!」
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「悪いの。普段できない事を片づけたくてね」
「いえいえ、短い期間ですし。出来るだけ普段できない大変な事を手伝わせてください!」
ロザは朝の配達を終え、店に戻って倉庫の整理を手伝っていた。バハクに言われる通りに、倉庫の中の重い箱や、無数の空き瓶を片づけていく。『赤黒い靴』の力を知ってから、その制御に彼女は大分慣れており、日常生活にその力を還元できるようになっていた。少しだが、靴を知り成長した自分を実感するロザ。しかし、頬を緩め、気を抜いた途端にいつも通りに足がもつれる。
「うわわっ!」
ドシン!と鈍い音と共に、大きな箱が崩れ落ちた。
「大丈夫か!」
バハクが重い腰を運び、歩み寄る。
「は、はい……大丈夫です。すいません……」
「いいよいいよ。……配達も結構な量があったしなぁ、少し休憩するかい?」
「い、いえ!まだやれます!」
「無理はしちゃいかんよ、無理は。夜も寝れなかったんだろう?」
バハクはごそごそと倉庫の箱を漁る。そこから1枚の魔法札を取り出すとロザの手にそれを握らせた。
「これって……『清めの雨』の魔法札ですか?」
「配達と倉庫整理で汗もかいたし、服も埃まみれだろう?それで綺麗にして、少し休むといい」
ロザがお世話になっていた、ゴートの魔法用品店にも置いていた見覚えのある魔法札、『清めの雨』。簡単な呪文で使える生活用魔法の札である。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、少しだけ休憩を頂きます」
バハクの好意を突き返すのも失礼だ。ロザは素直にその好意を受け取る事にした。狐の面の女性が言っていた「施しを拒むな」という言葉も思い出しつつ、ロザは貸してもらっている2階の部屋に向かう事にした。
「……遠慮してばっかりでも駄目なのかな?」
女性の言っていた言葉をぶつぶつと繰り返しながら、今までの自分を思い返す。しかし、世間知らずで人との接し方もいまいち理解できていない彼女にはまだ難しかったようだった。
「考えないとなぁ……もっといろいろ」
ロザは部屋に入り、自分の鞄にある一冊の本を取り出す。何枚かの魔法札などが挟まったその本をぱらぱらとめくり、『清めの雨』のページを開く。
「……あ、この呪文だったかな?……ちゃんと覚えとかなくちゃ」
短い簡単な呪文を見て、こんなものも覚えていない自分の記憶力に悲しくなりつつ、貰った魔法札をつに持ち、一言ほどの呪文を唱える。札が煙のように消え、きらきらとした綺麗な霧がロザの身を包み込む。体や服の汚れを落とす『清めの雨』は生活必需魔法の一つである。ロザの服や体はみるみる内に清潔さを取り戻していく。
「……これでいいかな?」
ロザはふうと息をつくと、ごろんとバハクが昨日、用意してくれていた布団の上にごろんと寝ころんだ。
「あれ……?」
ふとロザは違和感に気づく。バハクさんは何故、私たちが眠っていなかったのを知っていたのだろう?話声が聞こえてたのかな?バハクさんもずっと起きてたってこと?
ロザが天井を見上げて、考えていると、視界にふわりと丸いものが飛んできた。それはロザも依然見た事のあるものだった。
「シャボン玉……?」
光を反射しながらきらきらとふわふわと舞うシャボン玉。窓から入ってきたのかな?と窓の方を見ると、窓はぴったりと閉まっている。おかしいな、と思いつつロザは入り口のドアの方を見ようとした。
その時、パチンと頭の上のシャボン玉がはじける。その途端、猛烈な眠気がロザを襲った。
「あれ……?変だな……とっても……眠く……」
朦朧とする意識の中で、ロザはドアの隙間から顔をのぞかせるキセルを咥えた老人の姿を見た。
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「…………来る」
クロは急速に迫る、魔宝の気配を感じ取った。それは彼女が以前から知っている気配。気取られぬよう、ギリギリまでその気配を引きよせ……
「……えい」
「あべしっ!?」
彼女は振り向きざまに顔面に向けて右ストレートを放った。そこにはクロの予想通りの旅人の姿があった。
「い、いきなり何を!?」
「ストレート」
どこか自慢げに右拳を突き付けるクロ。旅人は顔を真っ赤にしながらも、少し強い剣幕でクロの肩をつかんだ。
「ロザさんは!?」
「見つけたけど…………それが?」
「今どこに!?」
普段とは違う旅人の様子から、非常事態が起きている事を察したクロは、それでも焦らずに状況を確認した。
「落ち着いて…………ロザならむこうの魔法薬のお店。……何があったか……教えて」
「この町にある魔宝の正体がわかったんですよ!」
クロは最強の魔宝『十三呪宝』の一部についてはあらかじめ旅人から聞いて知っていた。だからこそ、その名前を聞いた時、この町を包む不思議な気配の正体に納得がいった。
「『希望喰』……!この町で起こっている事態から間違いないでしょう!」
十三呪宝、『希望喰』。姿形こそは旅人もクロも知らないが、その力と特性だけは知っていた。
『希望喰』は、ある場所にとどめておくと、暫くしてからその周囲に霧状の『根』を伸ばす。『根』が張られた地域はたちまち『希望喰』の支配領域と化す。
『希望喰』の支配領域内で眠りについた人間は、その『夢』を支配される。『夢』を支配された人間は、『夢』から覚める事が出来ず、ずっと眠り続けるという。
「広がった根……これがこの町に感じた……『もや』の正体……」
自分の探知の邪魔をしていた、『もや』の正体を知り、クロは軽くうなずく。同時にこの町全体を覆っている気配が、何を意味しているのかも悟った。
「大分……根を広げてる……この町全体にまで…………」
クロは気づく。『希望喰』はその特性の通り、自分で動くような魔宝ではない。つまり、誰か……その『所有者』がこの町に『希望喰』を持ちこんで、意図的にこの事件を起こしているはずだ。
もし、意図せず持ちこんでいるのなら、その誰かはとっくに眠りについているはず。そうすれば同じ場所で『希望喰』が留まる事など考えにくい。放っておけば誰かに処理されてしまうか移動されて『根』が張れないはず。
『黒幕』の存在に思考を傾けた時、クロは、自分の最大の『ミス』に気付いた。
町全体に広がる『根』。空気中を経由して広がるそれは恐らく、均等に四方八方に広がるものだと考えられる。という事は、この『丸い』『町全体』を『丁度よく』『覆い尽くす』『根』を張る『希望喰』のある場所は自然に浮かび上がる。
クロの無機質な顔がさーっと青ざめていく。恐らく、旅人も気づいてはいるだろう。しかし、『ソレの意味する事』を知らない旅人がクロの反応を見て、不思議そうな顔を見せるのは、仕方のない事であった。
「ロザが…………危ない……!」
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少年は不治の病を抱えていた。
医者はもう長くは生きられないと言った。
彼にはもう時間が残されていなかった。
少年はいつもベッドで寝ていた。横にある窓からいつも外をのぞく。そこではいつも同い年の子供たちが楽しそうに遊んでいた。
「楽しそう……」
少年がそう思った日も『昔は』あった……しかし、時間のない『今の』少年の内に渦巻く感情はもっとどす黒く、禍々しいものだった。
「ずるい……!ずるい……!何で……あいつらだけ……!」
それは深い深い『妬み』。何故あいつらにだけ未来がある?何故ボクには未来がない?そんなの不公平だ。そんなの不平等だ。
アイツラノ未来モ……消エテシマエバイイノニ……!
それは勝手な願いだった。しかし、強く理不尽なその感情は、その願いを叶える事となった。
少年の姿は醜く歪んだ『樹木』となっていた。少年は目に見えない呪いの『根』を未来ある人間達に伸ばし始める。
――――――――そして、ボクは、『希望喰』となった
ほら、幸せだろう?こんな素敵な『夢』を見れて?
『未来』のあるお前らはその『ありがたみ』をどうせ知らないんだ!
だったら『希望』はおいていけよ……!
ボクが変わりに……永遠に……素敵な『夢』を見せてあげるからさ……!
独り占めしろよ!
他人なんて眼中にないだろうが!?
一人で!
永遠に!
『夢』の中に引き籠もってろ!
あはははははははははははははは!!!
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――――――――――中央部 『魔法薬専門店』
「ロザ……!ロザ……!」
クロの顔からはいつもの無表情が剥がれ落ちていた。この世の終わりのような表情で、誰もいない魔法薬専門店の階段を駆け上がっていく。昨日、2人で話をした部屋の扉のノブをつかむと、今にも止まりそうな心臓の鼓動を抑えるようにして、思い切り扉をこじ開けた。
「クロ…………?」
息を切らしながら追いかけてきた旅人は、凍りついたクロの表情を見て、その先にある光景を察した。
「…………やだ」
ほんの1%でも信じていた、『希望』が、その魔宝、『希望喰』によって、完全に、食い潰されていた。
穏やかな表情で眠るその表情はとても『呪い』に捕らわれたものには見えなかった。
ロザは、静かに、穏やかに、うっすらと微笑みながら、目を閉じ、横たわっていた。
クロの黒い瞳が2階の奥の方に向く。深い闇を秘めた目が、その憎悪をむき出しにして、そこに佇む老人を捉える。
「そう怖い目で睨まんでくれ……お嬢ちゃん。仕方なかったんだ」
キセルを咥え、にたりと笑う老人。服を脱ぎ、露わになったその体には黒い捻じれた『植物』がぐるぐると巻きついていた。町に広がる気配を漂わせる『ソレ』は不気味に揺れていた。
それに撒きつかれた老人の眼は、魔宝の狂気にふさわしい、歪んだ、おぞましい感情を揺らめかせていた。
「わしには時間がもうないのに……不公平だろう?お前らにだけ……『未来』があるなんて……」
「…………じじい……!」
普段感情を表さないクロが、旅人にすら初めて見せる表情、感情。それは底知れぬ怒り。
「クロ……少し……」
忠告しかけて旅人は止めた。その眼に怒りを宿しながら、すでにいつもの無表情を作るクロを見て、彼女が冷静さを保っている事を察する。クロは手をグーパーさせ、湧き上がる感情を落ち着かせると、老人バハクを指さし……
「…………私の『友達』…………意地でも……返してもらうから……」
不敵な笑みを浮かべ、キセルを握るバハクに対し……クロは宣戦布告した。
「…………歯ぁ食いしばれ……くそじじい……!」