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カシスは何知る何を見る  作者: アーサー・ウェルズリー


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第一話 カーディナルとキール

 赤ワインとカシスリキュールを四対一。

 美しい丸みを帯びた深いグラスに、決められた分量の二種の紅を注げば出来上がる。甘く麗しく、それでいて気付いたらアルコールに包まれてしまっているような、そんなカクテル。


 夜も眠らぬ繁華街で、そのカクテルの名を冠したバーが今日もその扉を開けた。バーの名前は「バー・カーディナル」。一歩足を踏み入れれば、必ず貴方も虜になるだろう。

 

 さて、何の虜になってしまうだろうか。

 

 質のいい木材で設えられた、落ち着いた雰囲気の店内か。

 寡黙で凛々しい顔立ちながら、どこか子供のような印象を持たせる男性ウェイターか。

 まるで陶器の人形のように美しい顔立ちをした、笑顔の絶えないマスターバーテンダーか。

 彼女の作り出す色とりどりのカクテルか。

 

 それとも、彼女たちが持つ暗く薄汚れた情報か。


 あなたがもし、表の世界で胸を張って生きられないような人間であり、あなたの仕事に関連する何かの情報を得たいのであれば、マスターにこう注文すると良いだろう。


「カーディナルを一つ。赤を白へ」


 白ワインとカシスのカクテルを受け取ることが出来たならば、あなたは「バー・キール」の客人だ。

 一つ、このバーには決まりごとがある。ここでは争わないこと。ここは全ての関係の中立地帯であるから。


 キールの客は皆、真っ赤なコースターを配られている。同業者を見つけたならば、情報や金品の取引、協力関係の締結、暗殺者への依頼、なんでもできるだろう。ここではそれが許されている。

 同業者が見つからなければ、マスターに声をかけるのも良い。彼女はあらゆる情報をもたらし、依頼の仲介をしてくれる。——そうそう、彼女も1人、腕の良い暗殺者を囲っているとか。

 天からの美禄は全てを許し、全てを助けてくれるだろう。


「いらっしゃいませ。ようこそ、バー・カーディナルへ」





 カラリ、と音を立ててドアベルが客の来訪を告げる。仕事帰りなのだろうスーツ姿の男性客は、ウェイターに促されるままにバーカウンターへと腰を下ろした。

 初めて来店したのか、彼は興味深そうにキョロキョロと店内を見回し、カウンターの向こう側に立つバーテンダーへと視線を定めた。にこやかに笑うマスターは水の入ったグラスをそっと男の前に置いて口を開く。


「ようこそおいでくださいました。何かお好みのお酒の味はございますか」


 軽やかで柔らかい女性の声が、丁寧に言葉を紡ぐ。男性はあまり慣れない様子で言葉に詰まると、恐る恐る口を開いた。


「こういう所初めてで……。甘いチューハイとかはいつも飲んでるんですけど」

「甘いお味がお好きなのですね。では、カシスの味はお好きですか」

「カシスですか? そうですね、大丈夫です」


 甘い味、と聞いて店主の指先は迷いなく一つのボトルへと伸ばされた。味の好みを確認しながら、手慣れた手つきで他よりもかさの減ったボトルをワイングラスへと傾ける。

 トクトクと注がれた赤い液体に客が目を奪われているうちに、グラスの上でもう一つのボトルが封を切られた。


「カシスのリキュールと赤ワイン。たった二つでとっても美しい一杯が出来上がるのですよ。――お待たせいたしました。こちらはカーディナルというカクテルでございます」

「ああ、お店の名前の。看板見ました」


 店前のネオンには「バー・カーディナル」と美しい字体で綴られていた。見慣れない響きにつられて、彼は普段入らないような店へと足を踏み込んだのだ。

 バーでの作法があるのかないのか、カウンターの離れたところに座る他の客はとても慣れた様子でグラスを傾けている。


「畏まらずにお好きにどうぞ。お酒を楽しむのに難しいことを考える必要は無いですから」

「マスター、注文いいか」

「はい、お伺いします」


 ふわりと微笑んでくれたマスターは、他の客に呼ばれて忙しそうに次のオーダーへと向かってしまった。

 目の前には、赤いカクテルが入ったグラスがひとつ。


「あ、おいしい」


 一口含めば、甘いカシスの味が口内に広がった。爽やかに鼻まで上がってくる香りの中に、赤ワインの風味が混ざっている。

 一口、もう一口と味わっていると、——不意に背後から軽く男性の声がかけられ、目の前に小さな白い器が置かれた。


「どうぞ」


 小皿に数種類盛られたチーズ。カクテルに合いそうなそれを置いたのは、最初に案内してくれた物静かそうなウェイターだった。特に説明はなく、そのまま音もなく去ってしまう。

 そのまま彼はバーカウンターの中まで歩いていき、少し身をかがめてマスターへと耳打ちをした。マスターは少し目を見開いて驚き、柔らかくウェイターに笑いかけている。


「ハル君、貴方らしくないわね」

「別に、霞さんの真似をしただけです」


 従業員は彼女ら二人きりのようだ。仲の良いペアなのだろう。親しげに話をしている。

 今日見た中で一番自然な笑顔だ。なんて、客の男が思いながら眺めていると、こちらを向いたマスターと目が合った。可愛らしい笑顔のまま、パチリとウインクを飛ばされる。


「そのおつまみは彼からのプレゼントだそうです。初めてのバーにうちを選んでくれたお礼なのですって」

「ああ、そうなんですね。ありがとうございます」


 プレゼント、と聞くと不愛想な彼の態度もなんだか和らいで見えて。知らない世界に飛び込んでみるのもいいものだな。客はそう小さく独り言ちた。


「マスター、注文を」

「はい、只今」


 奥のテーブル席から他の客の声がかかる。注文を聞きに行ったウェイターの姿をなんとなく目で追っていると、彼が身に着ける腰巻きエプロンのポケットに手を入れるのが見えた。

 赤く丸い何かを取り出し、またすぐにポケットに入れてしまう。それが見えた途端、バーカウンターの向こう側が動き出した。


 マスターが手早くカクテルを作り、ウェイターが丸いトレーに乗せる。奥の客に提供されるとき、淡い赤色のカクテルが入ったグラスの下に、カクテルよりも赤い何かが挟まれたように見えた。


 自分のグラスの下に挟まれたコースターは白い。近くに座る客のものもそうだ。

 何か特別なカクテルなのだろうか。自分と同じカクテルに見えるのに。


「あの、あれって」


 客の男は疑問を抱えて口を開く。

 言葉の続きを紡ごうとして、単語が出ることはなかった。先ほどの年相応だろう笑顔とは真反対の美しい笑顔で、マスターが笑いかけてきたから。


「一つ、お教えしましょうね」


「夜の世界には、知らない方がいいことと、お酒のせいにして忘れたほうがいいことがあるのですよ」


 ああ、知らない世界には、こんなにも美しく触れられないものもあるのだな。

 背中を冷たい汗が伝うのを感じて、客の男は疑問を酒で押し流すためにグラスに手をかけるのだった。


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