第8話 神秘とかそんな生易しいもんじゃない
三崎あかりは異変に気づく。
身を捩れば捩るほど下着が食い込んでくるような感覚は、後にも先にも今この瞬間においてが初めてであり、下半身から伝わってくる未知の感覚が彼女の思考回路を電流のごとく刺激させてしまうのは時間の問題であった。
“パンツの中に何かが入っている?”
そんな最悪な予感が彼女の脳裏によぎったのも束の間、慌ててスカートの裾を捲る。
彼女が最初に感じたのは“何かが動いている”という感覚であり、よもや“パンツ自体が動いている”とは頭の片隅にも思うことはなかった。それもそうだろう。普通に考えて「パンツそのものが動く」という発想はどんな境遇を生きた人間でも簡単には思いつかないだろうし、そういう予兆さえ普通の日常生活圏内では起こり得ないのが通例だ。とは言え“パンツの中に何かが入っている“という疑問が湧く時点ですでに非日常的であり、急を要する事態であることには変わりない。”まさか虫?!“と咄嗟の考えが頭によぎる中、慌てて手を伸ばしたのだ。さっきから恥部を刺激してくる“得体の知れない何か”。それを今すぐにでも確かめようと下着の縁に指をかける。そして、それが”地獄”の始まりだった。
あかりは焦っていた。本当にそれが“虫”なら急いで問題を解決しなければならない。呑気にソファの上でスマホをポチポチといじりながらくつろいでいる場合ではなく、直ぐにでも除去して身の安全の確保に努めなければならない。だがみなとはそんな彼女の挙動をよそに1人格闘していた。パンツとしての体の動かし方や息の仕方、理性と人格を保つための涙ぐましい必死の努力。目を閉じていなければならないとか匂いを感じてはいけないだとかの細心の注意はどこへやら。とにかく今の状況を突破するための最善の方法についてをことさらに考え続けていた。もがきにもがき、なんとか自由に動けるかもしれないという光明を掴みかけていた矢先だった。あかりがスカートを捲り、下着に指をかけるまでの数秒。突然視界がひらけたように明かりが差し込み、動悸が一気に加速する。
スカートの中から視えていた景色とはまるで違う、色鮮やかな質感に彩られた世界。
あかりはソファから立ち上がり、焦りながら下着を腰から下ろした。みなとはなす術もなく、——というよりも何が起こってるかの整理が追いつかぬまま、この世界で最も神秘的で美しく、荘厳な景色を目の当たりにすることになる。
——俺は見てしまった。
いや、「見てしまった」というよりは、「強制的に見せられてしまった」と言うべきだろう。
三崎あかりが焦った様子でスカートを捲り、パンツを腰からスルリと下ろした、その瞬間。
みなとは彼女から切り離され、布としての肉体を脱ぎ捨て、ほんの一瞬だけ宙に浮いたような感覚を味わった。
(……あ、自由だ……! ついに俺は解放されたんだ……!!)
長きにわたる「布の監獄」からの脱出に思わず歓喜したのも束の間。
彼の疑似視界の先には、世界で最も“刺激が強すぎる風景”が超ド直球のアングルで広がっていた。
そう、いわゆる「真下から見上げる」という、人類史上誰も想定していない位置取り。
美しい彼女の身体のもっとも神秘的な領域が、みなとの視界を完全に埋め尽くしていたのである。
(お、おおおおおおおおい!?!? おい神様、これはいくらなんでもサービスが過剰すぎだろッッ!!!)
脳内に雷鳴が轟き、心臓はドラムロールのごとく乱れ打つ。
視界いっぱいに広がる“禁断の聖域”は、まるで世界遺産を真下から仰ぎ見ているかのような荘厳さ。
いや、そんな例えで誤魔化すことすら不可能だ。彼の語彙力はとうとう崩壊した。
「し、神秘的……いや違う!! これは神秘とかそんな生易しいもんじゃない!! ただの直視即死級の大惨事だぁぁぁ!!!」
必死に理性を掴もうとするが、脳の処理能力は完全にオーバーヒート。
「見てはいけない」「でも見えてしまう」「いや今さら目を逸らすなんて無理」——そんな無限ループに陥った彼は、まさに絶望の螺旋階段を駆け下りていた。
その頃、あかりはといえば——。
パンツを下ろし、じっと下半身を確認していた。
「……な、なんにも入ってない」
そう、彼女の疑念は「虫が潜んでいるのでは?」という一点に集中していた。
だから当然、“新戸みなと”=男子校生の魂がそこに意識として存在していたなんて夢にも思っていない。
彼女にとっては「ただ下着を下ろして確かめたら、空っぽだった」というだけの話だ。
だが、みなとにとっては話がまるで違う。
パンツから切り離され、真下から見上げるという歴史的事故。
しかもその対象がよりにもよって三崎あかり。
彼が生まれて初めて恋をした、あの完璧美少女である。
(こ、これ以上は耐えられねぇ……! 俺の精神ゲージが……! いやもうとっくにゼロを突き抜けてマイナスに突入してるッ!!)
呼吸が荒くなる。
いや、呼吸というより“意識の震え”そのものが荒ぶっていた。
頭の中で鐘が鳴り響き、血管はパンク寸前。
理性という名の防波堤は完全に崩壊し、津波のように押し寄せる「刺激」が俺を容赦なく呑み込んでいった。
そして——。
「うぷっ……」
みなとの視界は真っ白に弾け飛び、そのまま奈落の底へ一直線に落ちていった。
そう、彼は——失神したのだ。
(だぁぁぁめだ……これ以上の刺激は、俺の脳のOSじゃ処理できねぇぇぇ……!! 完全にフリーズだぁぁぁぁぁ……)
バタン、と頭の中で何かが倒れる音。
Windows98がフリーズした時みたいに、もう何をしても再起動するまで反応しない。
そんな状態に陥った彼は、ただただ意識の闇に吸い込まれていった。
その間も、現実世界では——あかりが何事もなかったかのようにパンツを確認し、「虫なんていなかったか……」と胸を撫で下ろしていた。
彼女にとってはただの小さな勘違い。
だがみなとにとっては、人生最大級の精神攻撃を食らった地獄絵図。
(……マジで……こんな死に方、前世でも今世でも聞いたことねぇぞ……)
そう心の底から嘆きながら、彼の意識は完全にブラックアウトしていったのだった。




