第7話 やべぇやべぇやべぇ……!
ソファに腰を下ろした彼女の体重が、じわり……と俺にのしかかってきた。
(ぐぬぬぬぬ……!! お、重いッ……! いや、待て落ち着け……! これは“彼女のお尻の感触”なんかじゃない! これはただの“重量データ”だ! 質量保存の法則! そう、物理現象! 感触なんていう幻想に惑わされるな俺ッ……!!)
必死に自己暗示をかけるも、事実として俺の“視点”は今まさに彼女の真下に固定されている。
ソファの沈み込みに合わせてぎゅうぎゅう圧迫されるこの胸郭的感覚。
布きれであるはずの俺が、なぜか肺活量ゼロの中で呼吸困難を訴えているのだ。
(やっべぇ……! 息苦しい……! っていうか、布なのになんで息苦しいって思うんだ俺は!? これはもう物理法則どころか存在意義を揺るがすレベルだろ!?)
——いや、違う。
理屈は理解している。
俺の「ギフトステップ=魂付与」は、付与した対象に応じた内的構造が“そのまま投影されるわけではない”。
付与した対象の構造や物的性質の形容に問わず、俺自身が持つ感覚や人格を投影し、そこから世界を体験するものだ。
つまり。
物体に宿った俺の魂は、その材質や強度に応じて“痛覚”や“圧迫感”を自動的に補完してしまう。
鋼鉄なら鈍い衝撃、紙なら裂ける恐怖、そして布なら……そう、“伸びきる苦しさ”だ。
(……だから俺は今、パンツとして“息苦しい”んだな……!? な、なるほど、完全に理解した! いや理解したところで地獄は地獄なんだけどな!!)
耐久性を超える圧力を受ければ、当然“破れる”という痛覚が走る。
その限界を避けるために、布なりに少しでも楽な体勢へと自動調整が行われる。
それが俺の無意識の“モゾモゾ”動きとして具現化されてしまっているのだ。
(うおおおおッ……! 動くな俺! 耐えろ俺! これは緊急回避動作なんかじゃない! ただの不審者挙動だッ……!!)
だが、悲劇は起こる。
いや、起こるべくして起こった。
彼女が無造作にソファへ背を預けるたび、その重みが俺にさらなる圧迫を強いる。
逃げ場を求めて布の繊維がわずかに身をよじる。
その結果——
「……っ」
ごく微かに、彼女の喉から小さな吐息が漏れた。
太腿が上下に動き、パンツの食い込みがさらにキツくなっていく。
(お、おい……!? なんか今三崎さん変な声出してなかった!? まさか今の“モゾモゾ”が……!? いやいや、そんなバカな……!?)
だが、俺の動きは“意思ある挙動”ではない。
布きれに生まれ変わったばかりの俺は、どう力を逃がせばいいかまるでわからない。
人間なら「のけぞる」とか「体勢を変える」とか、逃げるための動作が直感的にできる。
だが、パンツという構造は……上下と左右に伸びるだけのシンプルな“布”。
逃げ場はない。
その結果、俺の全力の“もがき”は奇怪な方向へと暴走していく。
(ちょっ、待っ……! 俺はただ苦しくて体勢を変えたいだけなんだ! 決していやらしい意図は——!!)
ぎゅ、ぎゅう、と繊維がきしむ。
布の張力を必死に逃がそうとする俺の“調整”は、しかしことごとく彼女の敏感な箇所へピンポイントで圧力をかけてしまう。
「……っひ」
あかりが不意に小さく身を震わせ、思わずスカートの上からパンツ部分を押さえた。
(や、やめろおおお!! そんな仕草されたら、俺がますます罪人にしか見えないだろおおおお!!!)
焦りすぎた俺は、逆に挙動がエスカレートしてしまう。
ちょうど水中で必死に泳ごうとする素人みたいに、無駄なバタつきが増え、結果的に“余計なところ”に布圧が集中する。
「……んっ……」
再びあかりの口から漏れる声。
テレビを観ながらの何気ない時間のはずが、その表情が一瞬だけピクリと揺れる。
(ぐわああああああああ!! 違うッ! 俺は悪くないッ! 俺はただ“呼吸”を求めただけなんだッ! それなのにこの状況は完全にR-18の領域に突入してるじゃねぇかああああ!!)
俺は必死に動きを止めようとする。
だがパンツとしての俺は「止まる」ことすらままならない。
繊維は伸び縮みし、腰回りにフィットするために常に微調整を繰り返す——それが布としての“本能”。
そしてその“本能的な動き”が、まるで悪魔のイタズラのように、さらなる誤解を呼んでしまうのだ。
「……っふ」
スカートの中という密閉空間。
その中心で、俺は自分の意志とは無関係に“世界最悪のマッサージ機”と化していた。
(やべぇやべぇやべぇ……! このままじゃマジで俺の精神が崩壊する……! 落ち着け、まずは呼吸を整えろ……!)
……呼吸。
そう、俺は今「布」なのに、なぜか呼吸を必要としてしまっている。
魂を宿した物体は、イメージに基づいて“感覚”を補完する。つまりパンツである俺は——素材の伸縮や圧迫を“息苦しさ”として脳が勝手に換算してしまっているのだ。
(はぁ……はぁ……っ……! く、くそ、息が荒い……! このままじゃ布きれ呼吸困難死っていう新しい死因で新聞に載っちまうぞ!?)
俺は必死に挙動を最小限に抑えようとする。
繊維を張り詰めるのを止めて、余分な動きを極力殺して、ただじっと耐える。
——はずだったのだが。
「……んっ」
彼女の声が、また小さく漏れた。
(はあああああ!? なんでだ!? 俺、今完全に静止したはずだろ!? いや違う……俺が“止まった”と思った瞬間、布としてのフィット感が自動調整されて……っ!!)
そう。
パンツは常にフィットする。
座った姿勢、脚を組む動作、腰を傾ける仕草……。そのすべてに“布として応える”本能的なリセットが働く。
そしてその調整が、よりによって一番センシティブな箇所へピンポイントで集約されてしまう。
(マズいマズいマズい……! 俺、これ以上余計なことしたら絶対アウトだ……! どこかに逃げ道は……!)
俺はどうにか“力を抜く方向”に意識を切り替えた。
呼吸を抑え、極限まで動かず、ただじっと存在を薄める。
……その瞬間。
ふっ。
(……!? お、おい、今の“息”みたいなやつ……まさか俺から出たのか!?)
そう、布繊維に宿った俺の魂が、張力を逃がすために“空気を吐き出した”かのような錯覚を生み出したのだ。
その“吐息”が、スカートの中でダイレクトに届いた場所は——当然、彼女にとって最も敏感なところ。
「……っひゃ」
あかりが小さく身体を震わせた。
その表情はテレビの画面からわずかに逸れ、ほんの一瞬だけ、何かを堪えるように強張る。
(ぎゃあああああああああああ!! 俺、なにやってんの俺えええええええええええええ!!? 違う! これはただの物理現象! 悪意ゼロ! 俺の意思は一切関与しておりません!! でもこれ第三者から見たら完全に痴漢だああああああ!!!)
俺はもう泣きそうだった。
息を殺せば殺すほど、余計にその“吐息”は布の隙間から抜け、彼女を刺激してしまう。
動きを抑えれば抑えるほど、布の調整は一点に集まり、結果として最悪の場所へ集中する。
(ふざけんなあああああああ!! 俺はただ呼吸したいだけだああああああ!!!)
だが外から見れば、ただ彼女がテレビを眺めているだけの平和な光景だ。
……その足元に、地獄を抱えた布一枚が存在していることなど知る由もなく。