7 新しいお家と私の「幸せ」
カラカラと回る馬車の心地よい揺れで途中から私はデュランの肩を枕に寝てしまっていたらしい。
目覚めると馬車は既に家の前までたどり着いていた。
「お手をどうぞ、リトルレディ。君の新しいお家だ」
差し出された手を取って馬車を降りると、小さな庭園の向こうに立つ邸宅が目に入る。
バートリンス伯爵邸よりも一回り大きく、それでいてどこか温かみを感じさせるその屋敷に、思わず息を呑んだ。
中へ案内されると、日差しがたっぷりと差し込む大きな窓と、鏡のように磨き上げられた床が広がっていた。
調度品は売ってしまったのか一切なく、シンプルだが繊細な模様が刻まれた質のいい家具が少しだけ置かれている。
質素ではあるけれど、清潔で丁寧に整えられた空間。
二人だけの屋敷の中はとても静かだけれど、
その静けさが今は心地よい 。
「少々物寂しいが、すぐに賑やかになるだろう。
さて、次は君の部屋に案内しよう。あの物置小屋よりずっと素敵な部屋だ」
再びデュランは私の手を引いて歩き出す。
階段を上って左手に曲がり、長い廊下を突き当りまで進んだ角の部屋。
ドアを開けた瞬間、優しい風と共にほのかに花の香りが漂う。
他の部屋とは異なりお金を沢山かけたであろう、とても広い部屋だった。
開け放たれた窓では、備え付けられた、控えめなレースのカーテンがふわりと風と踊っている。
丈夫な木製のベットに机、大きなクローゼットと本棚、傷一つ無い姿鏡。椅子の上では可愛らしい熊のぬいぐるみがちょこんと座っている。
「・・・ここが私の部屋?」
「洋服も沢山用意してあるから、好きな物を着ると言い」
デュランがクローゼットを開けると色とりどりの洋服が所狭しと詰め込まれていた。
文句の出ようも無い、とても素敵な部屋だった。
けれど、私は素直に喜べなかった。
必要最低限の物すら置かれていない、埃に塗れて薄暗い物小屋。
そこで何年も過ごしてきた私には、この部屋をどう扱っていいのかが全く分からない。
「・・・・」
困り果てる私にデュランが優しく声を掛けた。
「お茶会でもしようか」
____
庭園にあるテラスに向かい、白い可愛らしい椅子に腰かけると、テーブルの上に美味しそうなケーキや飲み物がどこからともなく現れる。
デュランは私の向かい側に腰掛けると、魔法で出したコーヒーの香りを楽しんだ後、静かな声で言った。
「幸せになるためにはまず初めに、自分を知る所から始めるべきだ。
花の咲き乱れる庭園に、並べられたお茶菓子。
リトルレディ、君はそれらに何を感じる?」
私はテーブルの上に並んだケーキや紅茶、庭園を彩る花々に視線を移した。
バートリンス伯爵家で監禁されている間に、季節は初夏へと向かったらしい。
熱く照り付ける太陽の下、頬を撫でていく風がとても心地よい。
夏の花々が楽し気に揺れている。
テーブルの上のケーキを見つめる。
今までケーキなんて食べたことも無かった。食べたいとも、思わなかった。
恐る恐るケーキを口に入れると、花の香りと共に甘くとろけるような食感が口いっぱいに広がる。
そうして初めて、私はこれらが「好き」なのだと気が付いた。
「風が気持ちいいし、花も綺麗。このケーキもとても美味しいの」
思ったことをそのまま口に出すと、デュランがカップに口をつけながら満足げに微笑む。
「それは良かった」
「自分の心のありかを知らないままで、幸福を理解する事は出来ない。
何が好きで、何が嫌いで、何を求めているのか。
それを知って初めて”何が幸せなのか”を知る事が出来る」
今まで私は「幸せ」が何かを知らないままそれを求め続けていた。
私が幸せになるためには私の「好き」を知らなければならない。
その事に気が付いた私は、このお茶会で色々な「好き」を知った。
花はデュランの瞳に似た青色が好き。紅茶にはミルクをたっぷり入れるのが好き。コーヒーは苦いから嫌い。
知れば知る程私が「何を求めている」のか分かっていく。
優しく微笑むデュランが私に1枚の少し汚れた紙を差し出した。
三か月前、デュランが勝手に書き加えた「やりたい事リスト」だった。
そこに書かれた「お茶会をする」という文字をそっとなぞる。
リストにはまだ、隙間なく文字が刻まれていた。