4 悪魔との契約②
「なら、お願い。私をこの家から連れ出して」
震える声でデュランに最初のお願い事をする。
回帰してからまだ一日経っていないにも関わらず、私はもう、今すぐにでもこの家を出たかった。
薄暗く湿った空気が充満している狭い物置小屋、何度も打たれて腫れあがった赤い頬。
冷たい床の上でで空腹に耐えながら、継母の機嫌に怯える日々。
その全てが限界だった。もう私は耐えられない。耐える理由も無い。
目の前に居るのはどこから来たのかも分からない胡散臭い微笑みを称えた得体のしれない異界の悪魔だったけれど、
そんな事はどうでも良かった。
私を助けてくれるのなら、悪魔に魂を売ったっていい。
それに、痛む頬を気遣う様に涙を拭っていく彼の手は誰よりも暖かかった。
彼ならば、きっと私を救ってくれる。
そんな根拠のない期待が私の中で膨らんでいく。
デュランは少しだけ思案した後、目を細めて困ったように肩を竦めた。
その視線は、先ほどまでの柔らかさを残しつつも。少しだけ現実を突きつけるような冷静な色を帯びていた。
「・・・是非ともその願いを叶えてやりたい所なのだけど、困ったことに私はこの世界については何一つ存じ上げない
通貨の単位も、貴族制度も法律も、地理や魔法事すらもだ。
世間知らずの私たちが無一文で世に出るには余りにも多くの情報や力が足りない。
ともすれば君を余計に危険にさらす可能性もある」
膨らんだ期待が急速にしぼんでいく。しかしデュランの言葉は的を得ていた。
今の私達には何の力も後ろ盾も無い。
「でも、私もう耐えられないわ」
俯く私の頬をデュランは両手で包み、そっと上を向かせた。
自然と視線が上を向き、デュランと向かい合う形になる。
彼は私を安心させるように優しく微笑んだ。
「リトルレディ。・・・半年、いや三か月私に時間をくれないだろうか。
その間に私はこの世界を把握して、地位や資金。必要な物を揃える。
そうして、必ず君が安心して過ごせる住居を提供すると約束しよう」
「信じていいの?」
弱弱しい声が漏れた。
私は誰かの言葉を簡単に信じるには余りにも多くを裏切られてきた。
家族に、神に。そして世界そのものに。
「勿論だとも、リトルレディ。人間と違って悪魔は約束をたがえる事はしない」
そんな私を知ってか知らずか、目の前の悪魔はただ穏やかに私を見つめていた。
「三か月。三か月よ。それ以上は待てないわ」
優しく頬を撫でるデュランの腕をぎゅっと掴む。
デュランはこくりと静かに頷いた。
「ララ」とデュランが小さく呟くと、彼の肩に一羽のカラスが現れる。
ララと呼ばれたそのカラスを私の腕に抱かせる。
つややかな羽毛が私の指を撫で、その感触はとても暖かくて柔らかい。
「これは私の尻尾・・・わかりやすく言えば使い魔だ。何かあれば彼女に語り掛けると良い。きっと君の力になってくれるだろうから」
そう言い終えるや否や、再び白い煙が部屋全体に充満する。
煙が晴れた時にはもう、デュランの姿は何処にもなかった。