3 悪魔との契約①
あまりの衝撃に何も言えず黙り込んだまま一言も返せないでいると、デュランと名乗った悪魔は困ったように笑いながら周囲を見渡して呟いた。
「どうやらリトルレディの深い欲が異世界から私を呼び寄せてしまったようだ。ここは私が住んでいた所とは随分趣が違う」
非常に不愉快そうに蜘蛛の巣を払うとデュランはパチリと瞬きを一つした。
すると、何かに操られる様に蜘蛛の巣は消え天井も床もピカピカになった上に絨毯まで新品に入れ替わってしまった。
ついでとばかりに照明も追加されている。
回帰前に魔法の研究をしていたから私には分かる。
こんな大規模な魔法を一人でしかも魔法陣も呪文も無く発動させるのは不可能だ。
またもや石造の様に固まる私を尻目に、デュランは嬉々として部屋を物色し始めた。
そしていつの間にやらその手には私が必死に箇条書きにした「しあわせになるためのやる事リスト」が握られている。
それを真剣な面持ちで眺めていたデュランは次第に顔をしかめ、難しそうな顔でもごもごと言いにくそうに私に向かって言葉を発した。
「しあわせになるためのやる事リスト・・・・これはリトルレディが?」
こくりと頷くとその綺麗な顔がより険しくなった。
「悪くは無い・・・悪くは無いのだけれど、少し花が無いと言うかなんというかこう・・・」
と言いながらいつの間にか取り出したペンでやる事リストに文字を追加していく。
くしゃくしゃの殴り書きの上に洗礼された綺麗な文字が重ねられていく所をこっそりのぞき込むとそこにはこう書かれていた。
①家族を作る
②お茶会をする
③綺麗なドレスを買う
など、「愛されないエリサ・バートリンス」には考えられないような言葉が連ねられており、思わず私はデュランに抗議の声を上げた。
「これじゃあやる事リストじゃなくてやりたいことリストだわ」
「そうだとも。欲を喰らう悪魔を招いたんだ。これくらいの欲を提供する義理はあるだろうに」
そう語りながらもデュランはやる事リスト・・・やりたい事リストと化した紙にどんどん項目を書き加えていく。
彼は何も知らないからそんな事が言えるのだろう。
ものすごい早さで書き進んでいく手をそっと押さえると、ようやくデュランの手が止まった。
「無理よ。だって私は、誰からも愛されない「稀代の魔女」エリサ・バートリーなんだから」
デュランから目をそらしながら呟くと、彼の唇が弧を描き藍色の目が一瞬赤くきらめいた。綺麗だけれど何処か胡散臭い微笑みだ。
「その話、詳しく聞いても良いだろうか?」
獲物を狙うヘビのような視線に少しだけ躊躇った。
人生を、回帰しているだなんて馬鹿げた話を誰が信じてくれるだろうか?
それに回帰前の私は清廉潔白ではなかった。無知で愚かな私は、
バートリンス伯爵に言われるがまま、魔法で魔物を召喚し、従え、違法と知りながら彼らを売買していたのだから。
言葉が喉元までこみ上げてくるのに、それを吐き出す勇気が出ない。
デュランは先を急かすことはなく、ただ穏やかな微笑みを称えながら私を見つめている。
「……私、回帰してるの」
ようやく出た言葉は、あまりにも短くて、唐突だった。
けれど、デュランの顔はまるでそれを予想していたかのように変わらない。
「リトルレディ。つまり君は一度死んだにも関わらず過去にもどって生きていると」
「ええ。そう。
過去の私は魔物を召喚して、使役してそれを伯爵は売って金銭を稼いでいたわ。
違法だって事も知ってた。
でも、そうすれば、家族に愛されるって信じてた。
本当、私って本当に馬鹿よね。
結局、誰も私を愛してなんかくれなかった。」
壊れた蛇口のように言葉が溢れてくる。
喋る度にポロポロと勝手に涙が零れていく。
もしかすると私は誰かにこの話を聞いて欲しかったのかもしれない。
デュランがすかさずハンカチを取り出し私の涙を拭い取る。
その手は暖かくて優しかった。
「それで、私・・・
もう、どうでもいい。全部壊れてなくなってしまえばいいって思って
アルステリア王立学校の地下で封印されていた魔界の扉を開いたの。
最期には王国騎士団に首を切られて死んだわ
・・・もう二度と、あんな惨めな思いはしたくないの。今度こそ幸せに暮らしたい」
私は唇を噛みしめ、誰にも言えない本音を絞り出した。
跪き、私と同じ視線でデュランがパチリと瞬きを1つする。
「なるほど、どうやら随分とお困りのようだ。
ならばその願い。この私が叶えて見せようか?」
「助けて、くれるの」
「勿論だとも。
君の腹の底に沈む全ての欲が尽きるその時まで私は君の力になることを約束しよう」
私の涙を拭いながら、その悪魔は天使のような微笑みを浮かべていた。