1 誰からも愛されなかった少女
「この鈍間!まだ掃除が終わっていないの!?」
乱暴に開かれた扉と同時にパチン、と扇子の音が頬を打つ。
「こんな時間まで寝ていたのね。卑しい平民の血が流れている癖に随分と偉くなったものね」
倒れ込んだ私を尚も力強く殴りつけるのはパトリシア・バートリンス伯爵夫人____私の継母である。
金の繊細な細工が施された扇子を躊躇いなく振り下ろし彼女が私を殴るのはいつもの光景だった。
「・・・申し訳ありません」
私が床に顔を擦りつけながら謝罪の言葉を繰り返すと、気持ちが落ち着いたのかパトリシア夫人は殴るのを止めた。
「床が汚れてしまったじゃない。はやく掃除して」
「・・・はい。奥様」
虫でも払うかのよう手を振り、パトリシア夫人が去って行く。
これが私の日常だった。
貴族の長女として生まれながら、私は一度も”令嬢”らしい扱いを受けたことが無い。
母は物心つく前に病で亡くなり、父であるバートリンス伯爵は母の死を弔う間もなく愛人を後妻に迎えた。
平民の生まれであり茶色い地味な色合いの母とは異なり輝くようなプラチナブロンドの髪と青い瞳。一目で高貴な血筋と分かる容姿の継母パトリシアは冷めた目で私を見下ろすと一言吐き捨てた。
「泥の様な髪と瞳。汚らわしい血が流れているのがすぐに分かるわ」
私の母と父は政略結婚だった。
平民でありながら魔物の召喚と使役の魔法使いだった私の母は、ある日バートリンス伯爵家の繁栄の為に政略的に嫁ぐ事となった。
しかし、バートリンス伯爵にはすでに結婚を誓った愛する人がいた。継母のパトリシア夫人である。
二人の愛は政略により引き裂かれ、その悲しみは深い憎しみに変わり、その矛先は私へと向かった。
私は朝から晩まで働かされ、些細な事で頬を打たれた。
くたくたになった私に賃金の代わりに渡されるのはほんの少しの残飯。
運が悪ければそれすらも無い。
「あなたって本当に愚図ね」
血で染まった床を拭く私に話しかけてきたのは私と同い年のパトリシア夫人の実の娘、シェリー。
彼女はパトリシア夫人と同じく私を卑しい平民だと見下していた。
ふふふ。と笑い私の手を踏みつけると、去って行ったパトリシア夫人の後を追ってシェリーは走っていく。
「ねえママ!新しいドレスどう?シェリー可愛い?」
「まあ!シェリー。本物の天使みたいよ。パパにも見せてきたらどうかしら?きっと喜ぶわ」
「うん!そうする」
遠くの方で楽しそうな話し声が響く。
キラキラと輝く宝石とフリルを大量にあしらった豪華なピンク色のドレスを纏い、嬉しそうにクルクルとシェリーがステップを踏むのが見えた。
ボロボロに擦り切れて一着しか服を持たない私とは大違いだ。
実の父である伯爵も、虐げられる私に一切口を出すことはなく、彼もまた私を都合のいい「道具」としてしか見ていなかった。
(それでもいつかきっと・・・)
そう思っていたかつての私はなんて滑稽だったのだろう。
どれだけ努力してもバートリンス伯爵家は私を愛さない。絶対に。
回帰した私は知っている。
パトリシア夫人の散財によって家計が火の車となったバートリンス伯爵家は違法カジノ・闇市での人身、魔物の売買へと手を染め、その罪を全て私に擦り付ける事を。
エリサ・バートリンスは誰からも愛されない。
この家に生まれた時点で決まっていた運命だ。
痩せて骨の浮いた手を強く握りしめる
「それでも・・・今度こそ幸せになって見せる」