12.懸念するウーマン
その一報は、月曜の朝に訪れた。
瑠遊は上からの指示に従い、自身のチームメートを率いて大会議室へと足を急がせた。
既に他の部署の面々も集まってきており、誰もが緊張した面持ちで静かに顔を見合わせている。これだけの人数が集まっているにも関わらず、私語はほとんど聞こえてこない。
やがて全社員が集まったところで、ひとつの発表が行われた。
社長が交代する、というのである。
説明のマイクを握っている専務の話に依れば、現社長は数カ月前から重い病気を患っており、ここ数週間はほぼ療養に専念しているとの由。
このままでは社長業務の遂行は困難と見た役員会は入院中の社長本人をリモートで交えて交代の是非を論じ、満場一致で現社長退任との結論に至ったらしい。
後任には今まさに説明を加えている専務が昇格するとのことで、彼は極力業務に支障が出ない形でスムーズに社長交代を進めると宣言した。
諸々の手続き自体は既に水面下で進行しており、後は全社員への説明を残すのみという段階だったと、専務即ち次期社長は淡々と語った。
◆ ◇ ◆
自チームのオフィスに戻った瑠遊は、デスクに腰を下ろすなり、緊張の糸がほぐれたかの如く大きな吐息を漏らした。
そこへ泰治、莉奈、勇喜雄といった面々が未だ困惑の色を残した顔つきで歩を寄せてきた。
「いやぁ、びっくりしました。社長、そんなにお身体が悪かったんですねぇ」
とは勇喜雄。
体調が悪いという噂は以前から聞いていたが、退任せざるを得ない程に悪化していたという話は今日初めて知ったと驚きを隠せない様子だった。
しかし次期社長が語った様に、ほぼ全ての社員にとっては雲の上の話であり、業務そのものには支障を出さぬ様に努めると語っていたから、第一ソフト開発課の面々としては従来通りに仕事を進めれば良い筈だ。
「けど、幾つか社内ルールを見直すともいってましたよね」
泰治が大会議室で全社員に配られた説明主旨概要資料を、ひらひらと振った。
そこに食いついてきたのは、莉奈だった。
「そうそう、私一番びっくりしたのが、コレですよ、コレ」
いいながら莉奈は、若干興奮した様子で自身が手にした同じ資料の一角を指差した。そこには、社内恋愛に関する一切のルールを撤廃すると記されていたのである。
従来は、同部署内での社内恋愛はご法度だというのが暗黙の了解だったが、それが解除されるということになる。
つまり、この第一ソフト開発課内でも自由に恋愛することが出来る様になったという訳だ。
「ははは……それが一番のニュースだってことは、藤崎さんは誰か狙ってるのかな?」
若干セクハラに近しい問いかけを放った勇喜雄だが、莉奈は秘密ですと舌を出した。
実はこの社内恋愛に関するルール改正は、瑠遊も内心ではかなり気になっていた。
他をも含めた諸々の社内ルール改正は即日で実施されるという話だから、既に今、この瞬間から同部署内恋愛も解禁になったといって良い。
この時、瑠遊は自デスクでモニターを凝視している厳輔にほんの一瞬だけ視線を流した。
厳輔は大会議室から戻ってきて以降、特に他の誰とも言葉を交わすことなく、自身の業務を再開させていた。この手の話は余り興味が無いのだろうか。
後でちょっとだけ、訊いてみよう――瑠遊は微妙に胸が高鳴るのを覚えながら、部下達に業務へ戻る様にと指示を出した。
そして昼休憩に入ったところで、瑠遊は自席を立った厳輔の後を追った。
「あ、笠貫さん、今日お昼はどちらに?」
「外で適当に喰おうかと思うてます」
厳輔はいつも通り、素っ気無い能面でさらりと答えてきた。
「お邪魔じゃなかったら、御一緒しても良いですか?」
「えぇ勿論」
そんな訳でふたりは、オフィス街近くの飲食店が多く並ぶ通りへ足を向けた。道中、瑠遊は朝一の社長交代劇について話を振ってみたが、厳輔は余り興味が無さそうな反応だった。
「まぁうちらの仕事に支障が無いんなら、それでエエんとちゃいますかね」
「そ、そう、ですね……」
ここで瑠遊はどうやって切り出そうかと大いに迷っていたが、下手に取り繕っても不自然になるだけだという結論に達し、もうストレートに訊いてしまおうと考え直した。
が、流石に勇気が要る。訊き方を誤ればセクハラになるかも知れないから、ここは慎重に言葉を選ぶ必要があった。
「ところで……幾つか社内ルール変更ありましたけど、笠貫さん的にはどれが一番、インパクトあると思われました?」
まずは当たり障りのない形で訊いてみよう。きっと厳輔のことだから、業務に直結するところが気になると答えてくる筈だ――そう考えていた瑠遊だったが、傍らの巨漢はそんな彼女の予想を簡単に覆してきた。
「あぁ、アレですね。社内恋愛の縛りの撤廃ってやつ」
瑠遊は笑顔でそうですねぇと答えながら、内心でどきっとしていた。動揺しているのが顔に出てしまっていないか、物凄く不安だった。
「そ、それは笠貫さん的に、どういう部分で?」
不自然にならぬ様にと、なるべくスムーズな流れで訊いてみた。すると厳輔は更に予想外のひと言を返してきた。
「いや、そんなルールあるなんて知らんかったもんですから。今どき珍しいなって思って聞いてました」
その瞬間、瑠遊は笑顔が引きつってしまった。
厳輔は同部署内での恋愛禁止を知らなかったのか――にも関わらず、彼はあの日の夜、祐一に浮気されて落ち込んでいた自分に手を出さなかったというのか。
瑠遊はてっきり、厳輔が自分に対して何もしなかったのは、同部署内恋愛禁止を遵守する意味合いも含まれていたとばかり思っていた為、この厳輔の言葉はかなりの衝撃だった。
だがあの夜、彼は電話の相手に対し、弱っている女性の心の隙間につけ入る様な真似をするつもりはないとも語っていた。多分それが彼の本心なのだろう。
(じゃあ……ちゃんと真正面から向き合ってなら、受け入れてくれるってこと……?)
瑠遊は鼓動が高鳴るのを感じた。
同時に、危機感を覚える。
もしかすると、激しい争奪戦が始まるかも知れない、と。




