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10.悩み深いウーマン

 瑠遊は掘り炬燵式のテーブルでカシスオレンジをちびちびやりながら、周囲の喧騒を漠然と眺めている。

 この日は、株式会社カネツークリエイティブの役職者懇親会が比較的大きな居酒屋で開催されていた。

 会場には年配の部長課長級と中堅どころの若手役職者が、バラバラに配置されている。普段は余り交流の無い他部署の役職者同士で、懇親を深めようというのがこの宴会の趣旨だ。

 が、どうにも瑠遊は落ち着かない。

 彼女はまだ26歳で、役職者の中では最年少だ。しかも女性ということもあり、周辺にはおっさん臭い連中がわらわらと寄り集まってくる。

 そのいずれもが酔いの勢いを借りて好色な目つきでにじり寄ってきて、やたらと瑠遊を酔わせようと必死になっていた。

 瑠遊が酔えば、ちょっとした粗相をやらかすかも知れないという、セクハラ紛いの期待を押し付けてきているのは明白だった。


(あ~あ……だから来たくなかったんだよね……)


 同じソフト開発課の面々なら、絶対にこんなことはしなかっただろう。しかし他部署の男共は、色目を使うのが当然だとばかりに次々と瑠遊にちょっかいを出そうとしてくる。

 会社での席だから瑠遊は何とか我慢していたが、これがもしプライベートでの宴席だったら早々に帰り支度を整えて辞去していたことだろう。


(大手だったらこんなの、絶対コンプライアンスに引っかかってるわよ……!)


 内心で微かな怒りを募らせながら、それでもこの宴での飲食費はタダだからということで、必死に己を抑えながら兎に角酒と料理だけに集中していた。


「や、若峰……大変そうだな」

「あ……先輩!」


 良い加減くたびれてきたところに、背の高いイケメンがグラスを持って瑠遊の隣に移動してきた。

 彼は、今永憲太(いまながけんた)――瑠遊の出身大学の先輩に当たる人物で、学生時代は密かに憧れていた時期もあった。

 現在は妻と娘の三人家族で、29歳という若さながら一家の大黒柱として第三ソフト開発課の課長を務めるエリートだ。

 瑠遊も入社直後は憲太に相当世話になっていたのだが、そもそもカネツークリエイティブに入社したのも、彼が働いているからというのが大きな理由のひとつだった。

 その憲太が宴席の中でという形とはいえ、久々にサシで言葉を交わす席を自ら設けてくれた。

 瑠遊はどこかほっとした表情で、ビールを呷る憲太に穏やかな視線を向けた。


「最近、評判が良いみたいだな。うちの課にも、お前の活躍が聞こえてくるぐらいだぞ」

「え? いえ、そんな、あたしひとりの力じゃないですよ」


 瑠遊は照れながら頭を掻いた。事実、自分ひとりではどうにもならなかった案件が幾つもあった。それらは全てチームメンバーらの助けがあったから乗り越えることが出来た。

 特に、最近入った巨漢の技術者の力量は只者とは思えず、瑠遊ですら知らないことを、彼は平然とやってのけるということが珍しくなかった。


「そう謙遜するな。優秀なメンバーを上手く使いこなすのも、リーダーの資質と力量に依るんだ。お前は十分、やっていけてるさ」


 憲太に褒められると、何だかこそばゆい気がする。しかし、悪い気はしない。結果を出して認められるということは、それだけで胸が躍る気分だった。


「先輩の方だって、堅調に数字が伸びてるじゃないですか」

「あ? あぁ……まぁ、そうだな……うん、仕事の方は至って順調だよ」


 この時、一瞬だけ憲太の表情が強張った。その端正な面の中に僅かな翳りが見えた様な気がした。

 しかし彼はそれ以上その話題を続けようとはせず、何かを思い出した様子で瑠遊の顔を覗き込んできた。


「ところでお前、大変だったな……あの杉坂って野郎、本当にどうしようもない奴だったらしいな」

「あはは……今その話、振ります?」


 瑠遊は苦笑を湛えてかぶりを振った。

 本当に男運が無い女だと自嘲する気分だったが、かつての憧れの先輩にこうして改めて問われると、何だか居たたまれなくなってしまう。

 しかし相手は、大切な先輩だ。ここで邪険に話を切るのも申し訳ない気がした。


「えっと、まぁ……高い授業料だったと思うことにします。次はもっと、ちゃんとしたひと捕まえようかなって……」

「ちゃんとしたひと、か……」


 ここで憲太は微妙に意味深な表情を浮かべたものの、特段それ以上は何もいおうとはしない。

 一体どうしたのかと内心で小首を傾げた瑠遊だが、憲太の表情からは今の彼の心理を読み解くことは出来なかった。


「それで、新しい彼氏候補は見つかったのか?」

「ん~……残念ながら、それがまだ何です。大学時代の友達が、合コンセッティングしてやるから時間作れってうるさいんですけどね」


 瑠遊は再度、苦笑を浮かべた。

 すると憲太は、合コンなんて時間の無駄だからやめておけと妙に渋い表情で低く唸った。


「え? 駄目ですか?」

「あんまり期待しない方が良いだろうな。それより……」


 と、そこまでいいかけて彼は口をつぐんでしまった。

 瑠遊はその先を促そうとしたが、憲太は何故かぎこちない素振りで首を振るばかりで、そこから先は何もいおうとはしなかった。

 結局、憲太はその後別の席へと移動してしまい、この宴席での瑠遊との会話はそれっきりとなった。

 ところが、事件はその後に起きた。

 懇親会が終了し、二次会に誘われる前にさっさと会場を離脱した瑠遊だったが、スマートフォンのSNSアプリに一通のDMが届いていた。

 憲太からだった。


「近くに良いバーを知っている。少し付き合わないか?」


 瑠遊は、何故かどきっとした。

 憲太の方からこんな形で飲みに誘ってくるのは、実は初めてだったからだ。

 行くべきか、行かざるべきか――悩んだ末に瑠遊は、OKの返事を打ち込んだ。

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