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朝起きると化粧はなくなり肌はすべすべだった。服装も気付けば寝巻きに。
ベットサイドを見れば、ひんやり冷やされたレモネード水が置かれていた。
これが、貴族の朝…
もし一人暮らしなら肌はかさかさの砂地に、髪はぼさぼさの一塊になっていたことだろう。
ルーズは寝起きから格段に上がった生活レベルに怖さと有り難みを体感させられた。これに慣れたらもう戻れないことが分かっている。慣れるべきか否か究極の選択だ。
落ち着け。とりあえず水を飲もう、とコップを手に取る。すると僅かな音からルーズが起きたのを察したメイドから『おはようございます、起きられますか?』とドア越しに声をかけられた。
『あ、はい!おはようございます』
今日も音を出さないよう気をつけたはずがダメだった。毎度繰り返される小さな攻防戦。
そう思っているのはルーズだけだが。メイドは音以外の気配で主人の行動を察しいる。音だけに気を遣っているルーズのことなどお見通しであった。
涼しい顔をして入室したメイドたちは第二王女宮から来てくれている。普通のメイドより特に優秀なものばかり。貴族の生活に慣れないルーズにも優しく、そして遠慮がない。
『さぁ湯浴みに行きましょう。急ぎますので早く起きてくださいね』
彼女らの優しい笑顔にルーズは素直に頷く。
断っても笑顔が増えるだけだと学んだ。仕事を効率的に進めるとても優秀なメイドたちに囲まれる。
そんなメイドたちの手で朝の支度は整えられた。
数ヶ月前ならあり得なかっただろう日常に馴染み始めたルーズの姿を、彼女たちは満足そうに見つめた。
支度に時間がかかったため、いつもり少し遅くれて食堂に向かうと客人2人とシヴァンがすでに待っていた。
『やぁ、ルーズおはよう』
家主のようにルーズを出迎えてくれたボルデディオ。馴染みすぎていてちょっと引く。
遅れたことを謝罪しながら座ると師匠は頷き、義弟は"大丈夫。殿下は諦めよう"と真顔で伝えてきた。
『殿下は今日の予定は?』
『先ほど入国手続きが終わったとルディアシスから知らせがあった。で、この後城から迎えがくるそうだ』
シヴァンは自分の知らない話に頭が痛い。
『なんで私にその連絡をしない…!あいつは』
憤慨しながら食事を進めようとしたその時『失礼します』と食堂に入ってきた急いだ様子の執事。
『シヴァン様、今城から手紙が…』と丁度良くルディアシスからの知らせを持ってきた。
『まぁそういうことだ』
手紙を読みながら眉間に皺がよっていくシヴァンを気にせず食事を進める隣国の王子。
自国の王子からの手紙には大雑把に意訳すると[そういうことでよろしく]と書かれていた。
似たもの同士め…と心中で悪態をついてから、義兄弟になるのかこの2人…アリナーデ様お可哀想に。と同情した。
『全然分かりたくはないですが、承知いたしました』
食事を終え少し経った頃に城から迎えが来た。如何にも貴賓用の豪華な馬車がキーラ邸に乗り付けられ、騎兵まで揃っていた。圧巻の光景にルーズはそういえばボルデティオが王族だったと思い知らされる。
知っているし分かっているのに忘れる現象はなんだろうか、と王子らしい顔をしながら話す彼の姿を眺めた。
彼の切り替えが上手いせいなのか、自分が王族に対して敬意が足りないのか…
笑顔で迎えの馬車に乗り込む殿下と嫌そうな顔のシヴァン。本来なら夜会の次の日は休みの予定だったらしい。客人さえ来なければ…と割とはっきりとした呟きを主張していた。
『頑張って』とルーズは励ましたが、それに答えたのは何故かボルデティオだった。『ああ、ありがとう』じゃない。何故だ。
義弟には飛ぶはずのない思念で激励をしパレードのような馬車の団体を見送った。
『師匠は行かなくてよかったんですか?』
行くと思っていた師匠がなんとお留守番だった。他に用があるのかと思えば、ただ単に行くのが面倒だったそうだ。
本当に何にも縛られず自由に生きる権利があるようだ。筆頭魔法士がどんな仕事なのか不明すぎる。今度詳しく聞いてみようと。
さて、今日は何をしようかな。
引っ越しの予定だが、荷物は全部まとめてキーラ邸に送られてくるそうだ。ルーズがすることは荷物が届いたら好きな場所へ配置の指示を出すだけ。
流石に、すぐ荷物が届くわけではない。義弟と公爵家について聞きたいこともあったがいなくなってしまった。つまりルーズは暇であった。
どうしよっかなぁ…心で呟いたはずが口から出ていたらしい。
『暇なら魔法指南するか?』
アシェルは暇そうな弟子を見かねて誘った。
彼自身も暇だった。
急遽決まった魔法指南に、ルーズは期待に胸を膨らませた。やっと師匠に自分の成長を見てもらえるとやる気がみなぎる。
キーラ邸で魔法を放てる場所があるか執事に聞くと、地下室が防魔法室になっていると教えてもらえた。
さすが、公爵家…
膨大な魔力量を持つ人間が何人もいたのだろう。ルーズが全力で魔法を打ち込んでも壊れなそうなほど頑丈な壁で囲まれた空間が地下に広がっていた。
『うっわ。これはすごいですね…』
なにしても良さそう…と呟くと執事から常識の範囲内で訓練するようやんわり注意が入る。それを聞きアシェルが『俺が見ている。大丈夫だ』と保護者のような返事をしていた。
執事もそれなら、と安心したように下がっていったがルーズは不満顔である。
『まだ一度しか失敗していないのに、信用がなさすぎる…』
普通は成人していれば命の危機以外で暴走することはあまりない。信用をなくすには一度の失敗は十分だろうとアシェルは思ったが、弟子が可哀想なので沈黙を選んだ。
お互い部屋着だったため。動きやすい服に着替えて一時間後に地下室に集合することになった。
この日がいつ来てもいいように頑張った。
『よし!師匠に"すごい"と言わせるぞ!』
ルーズは私室で気合いを入れ、天井に向けて拳を突き上げた。
タナーはそんな主人の後ろ姿に若干の嫌な予感を感じたが、大丈夫だろう…と言葉を飲み込み微笑んだ。




