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『今日のメニューはイノウのステーキとルコリーのサラダでございます』
長めの昼寝から覚めるとタナーから明日からこっちに住むことになると伝えられて『なんで!?』と叫んだ。答えは公爵令嬢に自他共になりましたしね、とのことだった。
説明雑!と悲しみながらあれよあれよとディナーの支度を整えられ、今シヴァンの前に座らされている。
並べられたディナーはどれも素晴らしく見た目も楽しめるように元は何かわからない何かが花の形で飾られたり何か綺麗なのがくっついていた。分からないが美味しそうなのだけは、分かる。
イノウは食べたことがないが美味しそうだ、と喉を動かすと先ほど叫んだ喉が若干痛かった。
喉を抑えると素早く『どうぞ』と水を差し出された。飲んでみると暖かいはちみつ水であった。
のどの痛みを自分が知るより先に知っているとはどういうことだろうか。
執事の顔を見ると『それが我々の仕事です』と答えたがルーズは何も言っていない。ぎこちなく、頷くと彼は満足そうにした。
『義姉上大丈夫?』
シヴァンが心配そうにしていた。
それは喉のことか引っ越すことについてか判断がつかない。ルーズは曖昧に大丈夫と答えた。
どちらにしろ、引越しが確定なら仕方ない。
それにタナーも言っていた。高価なものが今後増えると警備の問題が出てくる、と。
今ですら公爵家の証のエメラルドのブローチも家に置いてあるのが怖いのにそれ以外にも増えたら怖すぎる。防犯面を考えたら引越しが妥当だろう。
ただ、話が急なのよね…
『今使っている部屋を義姉上の好きなように改築するのも出来るし、家具も変えていいから』
好みもあるだろうから、と言うがルーズが懸念しているところはそこではない。改築ってなんだ。
『狭ければ隣の部屋を繋げることも可能です』と執事が補足した。いやいやいや…あの広さを狭いと思う人間がいることを気にしてないのか、貴族すごすぎる。
『ヒロサモ、カグモ、ジュウブン、デス。』
色々な驚きでつい言葉が詰まりながら出た。
シヴァンと執事や使用人たちが安心したように笑った。
貴族分からない…いつか分かるようになるのか分かっていいのかルーズはちょっと悩んだ。
『イノウのお肉は食べられそう?』
イノウとは食用で飼育されている魔物で貴族が好んでよく食べるものらしい。味は濃厚な牛肉のようで魔物の肉を食べ慣れていないルーズにも食べやすかった。
『貴族は魔力が多いから、食べ物から魔力を回復できるように肉食が中心なんだ。中でも魔物の肉は回復量が段違いだから高位貴族は好んで食べている』
野菜からは魔力はあまり感じない。貴族が肉中心というのにも理由があるのか…なるほど。
『ただ、下位貴族の女性はあまり人前では肉は食べない』
肉を食べるのは魔力を回復しなければならないほど魔法を使っているということ。
魔法は日常生活で使用するため、使用人がおらず自分で魔法を使わなければ生活出来ないのだと見えるらしい。
高位貴族の女性は仕事や役割があるため肉を食べるのはそれだけ重要な位置にいると見られる、と。
『なんですかソレ…』
ややこしい。
好きなものを食べればいいのに…
ルーズはイノウのステーキを頬張りながらやっぱり貴族分からないなぁと思った。
シヴァンもこのよく分からない女性貴族の考えには賛同していなかった。魔法は使ったほうが馴染むから使ったほうがいいのになぜ使わないのか、と。
キーラ公爵家は高位貴族なので気にすることはないが一応知識として教えてくれたらしい。
きっと他にも謎ルールが存在しているが、女性だけに適応されているものはシヴァンは分からないと言う。食事は学園で見かけて不思議に思って聞いたことがあり知っていたそうだ。
『魔力が足りずに倒れそうな女子生徒に肉を分けようとしたら断られたんだ。驚いたよ、人前でお肉食べられないんですって言われた』
魔法学校だったら食べられたのだろうが、シヴァンが通っていたのは座学中心の貴族学校。色々あるらしい。
シヴァンが楽しく話しながら食事をしたため、多少緊張しながらでも美味しく手を動かせた。
イノウの肉にかかったソースがぴりっと刺激があり一口食べるごとに食欲が湧き、口の中ですーっと溶けていく。しゃくしゃくと歯応えの良いルコリーのサラダは卵ソースが絶品でいくらでも食べられそうだった。
デザートはレモンパイだった。甘酸っぱく後味がほろ苦く大人のパイ。お酒にも合いそうだな、とこちらも美味しく食べていると、シヴァンが言いにくそうに『義姉上実は…』と話し出した。
ギルド長が謝罪に訪れたらしい。
キーラの判断で追い返してくれたと聞いてほっとした。会いたくないというか会う理由がない。
ギルドの長として管理責任はあるかもしれないが直接何かされたわけでもなく、言いたいことも特にない。会って謝罪されたら許さなければならない、それは嫌だった。
自分に歯向かってこない相手にただ許されに来る行為は受け入れ難い。
さくさくのレモンパイを苛立ちながら一口食べる。メイドが甘い香りの紅茶を淹れてくれた。優しさが染み渡る味に気持ちが落ち着く。
『会わなくていいよ。
それで手紙を預かった。謝罪と調査結果が書かれてた。ごめん、中身は確認しなきゃならなくて先に見させてもらった…』
これ、と封筒を渡された。
無理に読まなくてもいいとシヴァンは笑っていた。
見たい時に見ればいい。謝罪を受け入れなくてもいい、と。
複雑な気持ちが燻るが、あとで読むと伝えた。
『もし今夜寝れなかったら皆んなでお菓子パーティをしよう』
明暗だ!とシヴァンは目を輝かせたがタナーが『男性禁制です。パーティーは私たちとやります』と注意していた。姉弟といえども夜に同じ部屋にいるのは外聞が悪いらしい。しかもシヴァンが未成年なためルーズが責められる。
タナーの正論に義弟は悲しみながらも引き下がった。
『もし何かあれば、タナーにちゃんと言えば欲しいものなんでも用意してもらえるから』
それじゃあお休み、と席を立った。
ルーズも私室に戻り、タナーやメイドに寝る支度を整えてもらった。
湯浴みから戻ると、いつもは眠れるようにラベンダーの香りが焚かれていたが、今は柑橘系の香りが包んでいた。さらにベットサイドにはポットとルーズの好きなマカロン。それからルーズの好きそうな数冊の本。
ルーズの好みを熟知したメイドたちによる励ましに頬が緩む。少しくらい嫌な物を見てもいいかな、という気分になれた。
さて、読みますか…
手紙には、ギルド長としての責任、ギルドとしてあまりに杜撰な体制をしていたことでルーズに不愉快な思いをさせたことなどを簡潔に潔く謝罪の言葉が綴られていた。
ギルド長は勝手に字が汚そうだと思っていた。だが実際はお手本のような綺麗な字にこれだけで許してしまいそうになり、頭を振った。いやいや字の綺麗さは関係ない。
謝罪の言葉も受け取るが、あったことを考えるとギルド長が悪いわけではないため複雑だ。本人たちからの謝罪と反省が欲しい。
ギルド長には今後ギルドを良くしていくことを願うだけだ。
二枚目の調査結果を読んでルーズは、声を殺して泣いた。疑いが晴れたことは嬉しかった。だが調査して分かることをなぜあの時分からなかったのか、悲しみと怒り、虚しさが胸の中で渦巻いた。
叫びたい…
昼のような叫びでは無く、心からの叫び。
ルーズは、部屋の中で声を出さず叫んだ。
部屋が丸ごと暗闇で包まれる。何も見えない、香りもない、音もない世界に1人。
あんなに怖かった黒い世界がルーズに安心感をもたらせた。何もない世界でルーズは力を使い果たし眠りについた。
翌朝、ルーズを起こしにきたタナーは真っ黒になった部屋を見て絶叫した。
手探りで部屋の窓を開け放ち黒い何かをどうにか追い出した。数人がかりで元の部屋にしたメイドたちは、すやすや眠るルーズを叩き起こした。
『部屋の中で黒いのは出さないでください!』
寝起きにあまりの気迫に押されルーズは訳もわからず『は、はい』と返事をした。




