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『ルーズ様おはようございます。今日は雨のようですよ』
この部屋は散歩の日に使う仮眠室。
最初は城に泊まるなんて、と恐縮したが今ではちょっと慣れた自分が怖い。
『タナーおはよう。急に泊まることになってごめんなさい』
普段は第二王女宮のメイドとして働き、ルーズが来る日だけ専用メイドとして身の回りの世話などをしてくれている。
ルーズが急に城に留まったせいで仕事に支障が出たはずだ。なのに当たり前のように世話をしてくれるタナーに申し訳ない。
『ルーズ様…もう昨日のアリア夫人のお話をお忘れですか?』
タナーはメイドでルーズは公爵令嬢。
メイドが決められた仕事をすることに世話される側の令嬢が謝る必要は一切ない。
こういう所から意識を変えなければいけないとメイドは真剣な目をして語る。
この豪華な部屋に慣れていったように仕えられることにも、いつか慣れるのだろうか。
それは貴族としていい事だがルーズにとって良いことなのか…
『もし、それでも何か言いたいことがあればその言葉が“ありがとう"だと私は嬉しいです』
ああ、そうか。
もし慣れてしまっても感謝を忘れなければ良いのだ。
『タナー、いつもありがとう』
貴族…公爵令嬢としての覚悟はすぐには無理だが、貴族の自分に慣れることを受け入れよう。自分が自分であればいい。
今日は午後から地理学のテストが予定されているため、午前中は図書館で勉強をすることにした。
地方の歴史と特産物や交流について簡単な社交ができる程度で良いので軽く頭に入れてくださいと言われいる。
ルーズの生まれたリーベは国の端っこだったため、他の土地について知っていることが何もなく、軽くの壁が高かい。
こういう時本を読むのが好きでよかったと強く思う。西にあるサザンダ地方の本と南のサザンナ地方の本。本が嫌いなら読めなかっただろう。
貴族の兄弟が興した別の家は名前が似る。なのに長年の歴史で同じ場所から移動していることがあるため似たような名前の全くの別の地方という場所が出てくる。元は同じ家なためか、特産品が似ているという罠付き。
ちなみにサザンダは糸染めの技術が高く、サザンナは布染の職人が多くいる。
最初これを知った時に同じとこでやれとつい思った。どっちでもいい…関わることなんてないだろう。
そんな馬鹿なことを思ったせいだろうか。社交の大切さを実践で学ばされることになった。
『貴女、そこで何なさってるの?ここは許可があるものしか入れなくてよ』
見知らぬ令嬢に、注意を受けてしまった。
冷たい視線で見下ろす年下と思われる女性。襟元に何もついていないため爵位は分からないが、仕事でここにいるわけではないらしい。
『許可をいただいております』
年下で公爵家の令嬢は2人いると昨日アリアに聞いたが、会うことはないし既にルーズのことを知っているため下手に近づいてこないと言われている。
つまり目の前の彼女は自分より立場が下なはず。強気な態度でやり過ごすのが多分正解。
『嘘はおやめなさい。ここはリボンがついたものか身分が確かな成人貴族および王族のみが使用できる場所です。
貴女見たことがないわ。社交界デビューも出来ない貴族がいていい場所ではありません』
早くお帰りなさい。と即刻出て行くように注意を受けた。
彼女の言っていることは通常なら間違ってはいない。ルーズは社交界にまだ顔を出していないし今日は教師としているわけではないのでリボンも付けてはない。
この場合は、名乗っていいのだろうか。誤解を与えたままでは申し訳ないな、と口を開こうとした。
『あら、本当。こんなところにネズミでも迷い込んだかしら?』
厄介なことにもう1人令嬢が増えた。見間違えでなければアメリに絡まれた時に壁にいた人だ。
面倒くさいとうっかりため息が出てしまった。案の定だが壁だった令嬢が怒り出した。
やってしまった…さらに面倒になった…
騒ぎが大きくなる前に鎮めなければ。
『失礼ですが、あなた方はどこのお家の方でしょうか?』
2人の令嬢が目を丸くした。爵位が下の人間から家名を尋ねられたと思ってるなーと分かってはいるが仕方ない。こちらの方が上なのだ。聞く権利がある。
なかなか話してくれないのでもう一度『お名前は?』聞いた。魔力で威圧…は分からないのでやめておいた。次にイリア様に会ったら教えてもらおう。
『は!?あんた平民でしょ!何言ってんのよ!衛兵!不法侵入者よ早く!』
平民だと知っているということはやはりあの時いた人か。ギルドにはいなかったからアメリの友人なのだろう。
『貴女、爵位が下のものが名を尋ねるのがマナー違反だと知らないの?』
最初に注意してきた女性は、何バカなこと言ってるのこいつ…みたいな顔をしていた。
『知っているからこそ聞いております』
最後の猶予を与えたが、彼女たちは名乗らなかった。いつの間にか近くにいたタナーが頷いている。
もっと早く助けて欲しかったが、これも試験のようなものなのかもしれない。
『私はキーラ公爵家のルーズ・キーラと申します。
それで、あなた方は、どちら様でしょうか?』
令嬢らは、ひどく驚いた顔をしているが声が出ていない。
衛兵がやってきてしまった。
不審者がいると騒ぎを聞きつけ来てみれば、いるのは王女の教師をしている公爵令嬢と下位貴族の令嬢だけ。困惑気味だ。
『えっとルーズ様、何かありましたか?』
衛兵に顔を覚えられているルーズは、大丈夫だと謝り持ち場に戻ってもらった。去り際にお気をつけください、とルーズに声かけながら令嬢2人を警戒していた。
真っ先に衛兵が心配したのがルーズだった。
これで2人はルーズの立場を知っただろう。衛兵が名前も顔も覚えるほどに城に来ている立場のある人間だと。
『こちらが名乗ったのです。お教えください』
売られた喧嘩を買ったなら負けてはいけないと夫人に言われている。ルーズではないキーラ家が負けたことになるからだ。
アメリの友人が俯き、か細い声で何か言っている、が聞こえない。名前を名乗っただけで黙り込む姿を複雑な気分で見ていた。
『……た、た大変を失礼いたしました!申し訳ございません!私はサザンダ家が長女、サリー・サザンダと申します』
もう1人の令嬢は顔を青ざめさせながら名乗った。
サザンダ…なんとさっき勉強したばかりの家名じゃないか。思わず『糸染めの…』うっかり声に出た。
『!まさかあんな辺鄙な場所にある我が領地の特産をご存知、で?』
青ざめた顔は今にも泣きそうだ。困った。泣かせたいわけではない。
『…私は!…私は!!知らなかった!あんた…貴女が貴族なんて!だってあの子は貴女が平民だって!』
『そうですね、元平民です。それが何か?今は公爵家のルーズ・キーラとなりました。それであなたは?』
俯かせない。目を逸らさずルーズは言い切った。
相手の瞳が不安げに縋るように揺れるが、許すことはできない。貴族として喧嘩を売ったのなら貴族として謝罪するべきだ。
『も、もう申し訳ありません…でした』弱々しく謝罪したあと彼女は名乗った。領地のない男爵家の令嬢だった。下がるように言うと逃げるように足早に消えていった。
『あ、あのルーズ様、本当に申し訳ありませんでした!』
サリーは一応間違ったことはしていないため、今後は相手が誰か確認してから注意をした方が良いと助言しておいた。
何度も頭を下げながら図書室から退室していく姿に何故かルーズの心が痛んだ。
『貴族って大変なのね…』
タナーに愚痴をこぼすと、その調子ですと褒めてくれた。大変なんだな…
午後のテストはぎりぎりだが合格点をもらえた。なのに全く喜べず疲れが溜まってしまった。
そして後日、男爵家から謝罪の手紙と共に隣国の珍しい本が。サザンダ家からは大変長い謝罪文に領地を知っていたことへの喜びが混じった手紙ととても綺麗なレースのショールが届けられた。
ルーズの本好きを調べた男爵家すごい…これが社交なのかと勉強になった。
ショールはとても気に入りルーズが城で使用していたところアリナーデも気に入ったため、お揃いを作ってもらえないか王女直々にサザンダに手紙を送ったらしい。
『早くお揃いでお茶会したいですね』
『そうね!本当に綺麗。よく今まで流通しなかったわ』
サザンダはこれにより王室御用達を承ったのだが、サリーはそれを聞き倒れたらしい。
どんな縁に繋がるか分からないのが、貴族の社交である。タナーはこの顛末に満足げに頷いた。




