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『それで?気づいたら夕陽が朝陽に変わっていたと』


 アリナーデは自分の前に座る目を充血させたルーズを見ながら授業の合間のひと時を過ごしていた。


 詰め込み授業が可哀想だと時間を調整し、1日ゆっくり休む日を設けたはずが休む前よりも目の下に大きなクマを作ってやってきたルーズに皆が驚き、理由を聞き呆れた。


 メイドから渡された蒸しタオルを目に置きながらルーズは『そうなんです…びっくりしました』と呑気な様子にこちらの方がびっくりである。


『次は、ダンスレッスンだったかしら?大丈夫?』

 ルーズは『大丈夫です』と頷いた。





『初めましてルーズさん。

マリアド様は本日来れません。私が代わりに1日ダンス講師をいたします』


 マリアド様とは王室のダンス講師を長年務めた年配の女性だ。今はルーズのダンス講師をしている。厳しくたまに上手くできた時のみ微笑んでくれるような人物だ。

 レッスン後のお茶会では、細やかなアドバイスをくれる親切な先生でもあった。


 そのマリアド先生は今日お休みらしい。代わりに来た女性は彼女より少しだけ若そうだった。きっちり結い上げられ後毛ひとつない綺麗な銀色の髪が女性の性格を表しているようだった。


 変更は聞かされていなかったが、急遽だったのだろうと少し働かない頭でルーズは考えた。

 ぼーっとしていたため呼ばれた敬称と名乗られていないということに違和感を持つことはなかった。



『そうですか、では今日はよろしくお願いいたします』

 素直に頭を下げた。



 レッスンは、度々講師からの小さなため息を聞いたことくらいで順調に進んでいった。

 途中からは、ため息が出そうな気配を察して先に動きを修正できるようになり後半の時間はため息をもらうことがほぼなくなった。


 マリアド先生の叱責は、眉を片方だけ釣り上げてから始まる。予備動作がほぼないため事前に修正ができなかった。

 今日は分かりやすくとてもやり易い。


 ただ不思議とため息の数が減って行くたびに、新しい先生からの視線が冷たくなっているのは気のせいだろうか。

 気になるもののダンスのステップを間違いないようにするのに精一杯でそちらに思考が回せない。


 呼吸を整え、指先に力を入れ、相手の動きに合わせて…


 姿勢が崩れそうになる度にため息の気配を感じ、慌てて直すことを繰り返しながら二時間ほどのダンスレッスンを無事終えた。


 今日は叱責も飛ばず、ステップを間違えずに大分うまく出来たのではとルーズは内心手応えを感じていた。


 『ありがとうございました』笑顔で終えようとルーズは頭を下げたが、相手から何も返ってこなかった。

 ここでやっと、何かおかしいと気づいた。


 どうしたのかと、顔を上げると魔法士団長のイリアを10倍冷たくしたような目線に射抜かれる。

 さすがのルーズもこの視線に足が震えた。


 自分が何をしたのか、この人は何なのか…


 また自分は何も分からない



『ルーズさん、あなた。ほんっっっとうに…はぁ。

貴族の心得を全く学んでないのね』


 早くお茶の用意を!と女性はメイドに指示を出した。いつもより素早いテーブル準備に唖然としていると、金バッチのついたメイドがそばに来ていた。


(ルーズ様、この方はタスペル公爵夫人でございます。イリア様のお母様です)


 小声で、ルーズに給仕をしながら教えてくれた。

 悪い方ではない、と言い残しメイドは夫人の後ろに下がってしまった。


 この方がイリア様のお母さん…

 確かに目元が似ている気がする。



『さて、改めまして私はタスペル公爵家のアリア・タスペルでございます。イリアから貴女の話を聞いていましたが、残念です』


 アリア夫人は一切微笑まずにルーズを見据えた。

 真っ直ぐに見つめられ徐々に口の中が乾き始めたが、体が強張り適温に入れられたお茶に手が出せない。


『全くキーラ公爵家は何をやっているんだか!』


 そうは思わない!?と壁に待機したメイドに話しかける。反応に困る話を振られたメイドたちは、微笑み言葉を濁したが1人のメイドが『思います』とはっきり言い切った。

 1人前を向いた彼女の襟にはイエローダイヤモンド。侯爵家の証が輝く。


『貴女、公爵令嬢の自覚ありまして?』


 何かに怒りながら優雅にカップを手に取り口に運ぶ夫人。

 

 公爵令嬢の自覚…とは?


 こちらは貴族の自覚すら怪しいのだ。そんなもの皆無であるが、素直にそう言ったら怒られそうなことだけは分かる。

 先ほど助言をくれた金バッチのメイドをそっと見ると、自身の顔を指差しながら悲しげに首を振って俯いた…と思ったら顔を上げて手でマルを作った。どういうことだろうか。


『ルーズさん聞いておりますか?』


 金バッチのメイドが後ろで大きく頷いていたため反射的にルーズも頷いた。するとメイドは手でマルを示した。

 

 まさか…


 一か八かで、ルーズは悲しげに首を振り俯いた。




『まあ…ルーズさん!


ごめんなさいね。そんな悲しい顔をなさらないで?

ただキーラ公爵家がちゃんと貴女に教育しているか確かめさせていただいたの』


 途端にアリア夫人の雰囲気が柔らかくなった。

 メイドは両手で大きくマルを作っているので正解だったようだ。

 

 アリアはもう一度謝罪を口にし娘のイリアにルーズのことを聞いて心配していたのだと教えてくれた。


 キーラ家には長年女性がいないため、女貴族のあり方や令嬢教育についての配慮がされていないのではと危惧していた。

 キーラ宰相が女性に気を配るなんて芸当できないだろうと踏んだらしい。

 調べてみれば案の定な状況に居ても立っても居られずに来た、とのこと。



『マリアドは謹慎処分にいたしました』


 えーと。

 アリア夫人は私のために来てくれて…マリアド先生が謹慎……いやなんで?


『本当に気付いてなかったのね。

マリアドは貴女の指導を怠った上に、お茶会と称してねちねち平民だと馬鹿にしていたと複数のメイドたちから証言があがりました』


 イエローダイヤのメイドが盛大に頷いたのが視界に入る。


 馬鹿に、されていた?いつ??


 マリアドの指導はどうやら行き過ぎていたらしい。

 初回から指導とは名ばかりで言いたい放題の講師にメイドたちは眉を顰めたが、ルーズが平気そうな顔で食らいついていたため様子を見ていたそうだ。

 それが、ルーズが回を重ねるごとに成長していきやがて注意することがなくなったのか指一本の角度や呼吸の仕方にまで言及する始末。

 

 お茶会では、ルーズには伝わらなかったが身だしなみが平民みたいで汚らしいと嘲笑っていた、と。


 ルーズからすると、手が荒れていると言われてクリームを買ったし髪の艶がないと言われれば、ああ確かにと思った。


『マリアドの指導が行き過ぎていたのも問題ですが、ルーズさん貴女は自分が見下されても気付かないのは大問題です!』


 平民は個だが、貴族は家なのだと言う。

 ルーズが見下されれば家が見下される。その自覚を持たなければならないし、持てるようにするのが本来キーラ公爵家が行うべきと夫人は力説した。


『貴女は国に四つしかない公爵家の令嬢なの。極端なことを言うと、あちらのイエローダイヤのついたメイドが粗相をしたら引っ叩いても問題ないの』


 言われたメイドが力強く頷く。

 いやいやあなたが叩かれる話だけれど!?ルーズは知らない世界に戸惑った。

 

『ルーズさん、貴女は自分を卑下しすぎです』


 アリアが名乗らなかったことに反応できなかったのは平民の感覚が強すぎるのではないか?自分の価値を知りなさい、とお叱りを受けた。


 その後のお茶会は貴族の心得についての講義の時間となった。ルーズは一番苦手な授業を見つけてしまったと嘆いた。


『相手が名乗りもせずに失礼な態度をとってきたら、家名を聞きなさい。それから魔力で威圧すると効果的よ。今度イリアに教えてもらいなさいな』


 魔力で威圧…魔物避けに使われる技術だった気がする。それを人に向けても良いのだろうか悩むがメイドたちが皆頷いているので良いらしい。貴族怖い…



 徹夜明けの体にはダンスレッスンに難儀な講義は少々無理があったようで、蜂蜜入りの紅茶を飲んで気が抜けたところでルーズはカップを両手で持ったまま、寝た。


 アリアはそんなルーズを見て、子どもみたいで可愛いわねと呟いた。


『誰かこのお子様を運んであげてちょうだい』





 その後、城の一室ですやすや眠ったルーズが飛び起きて状況を把握したのは夜中の1時ごろ。頭を抱え1人ベッドに荒々しく転がったのだった。

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