61.5
あるお嬢様の話
読み飛ばしても本編に影響はありません。
優しいが厳しい父と母、それに甘やかしてくれる兄。使用人たちも優しく私がわがままを言っても怒りながらしょうがないですね、て許してくれるような温かい人たちばかり。
私の小さな世界は幸福で溢れていた。
優しい家族に優しい家の者たち、優しい世界。
それが全てだと信じていた。
父がある日地方の視察に泊まりで行くと聞き、私は一緒に連れていってとお願いした。
父は困った顔をしたが、何度もお願いしたら一緒に行けることになった。嬉しくて父と母にたくさんありがとうを言ったの。
視察先は穏やかな街で、美味しい匂いがたくさんした。知らない色合いに知らない形が私を出迎え、早く馬車を降りたかったくらいに窓の外はキラキラ輝いていた。
でも、父に『絶対にお父さんから離れないように』と言われていたから飛び降りたりはしなかった。窓の外を眺めながら、どんな味がするのか、どんな触り心地なのか想像し楽しんだ。
滞在先の子爵家に着くと、父は子爵当主たちと話があるから街に行くのはまた明日と言われてしまった。早く行きたかったのに。
悲しんでいたら、子爵が騎士志望の息子と街に行ってはどうかと言ってくれた。父は断ろうとしていたが、私が『行きたい!』と言ったために子爵家の子息と急遽街歩きが決まった。
『護衛の言うことをちゃんと聞くんだよ?』
私は笑顔で『もちろんです』と返事をした。
『お嬢様はどこか行きたい場所がありますか?』
子息は6つも下の子どもにもしっかり礼儀正しく好青年だった。
『私はこの匂いの元が気になります』
街に入ってからずっと気になっていた、胃を刺激するようなよだれが勝手に出てくるいい匂い。
『ああ、この匂いはこの街の特産品なんです。他では食べられないんですよ』
子息の案内で、おすすめの特産品のお店に連れていってくれることになった。
連れて行かれた先は一番大きなお店じゃなくて、こじんまりした店でにこにこしたおばあさんがやっているお店だった。
『あらあら、シュン坊いらっしゃい。まあまあかわいいお嬢さん連れて』
『もう、シュン坊はやめてくださいって言ったじゃないですか。こちらは父の上司のお嬢さんですのでいつもよりおいしいのお願いしますね』
小さな頃からきているお店らしく、平民と思われる店主のお婆さんと親しそうに話していて少し驚いた。
護衛に聞いたら、田舎ではよくあることらしい。
『じゃあとっておきのを作らないとね。ちょいとお待ちくださいな』
おばあさんが裏に行くと、何やら入口が騒がしくなった。
『なんだこの汚ったねぇ店はよお!』
『ネズミでも食わされんじゃねぇかあ?』
ちげぇねぇ、と大声で笑う男たちが店に入ってきた。護衛がさりげなく子息と私を背にし、そっと壁による。
『お嬢様声を出さないようお願いします』
護衛が小声で伝えてきたので、頷いた。
『あーいっらっしゃい。なんだいアンタたち。ネズミなんか食わせやしないよ。うちのはもっと美味いよ?
シュン坊お待たせ、家でゆっくりお食べ。またね』
おばあさんがいい匂いと共に奥から出てきた。
子息はお礼を言い、護衛が商品を受け取った。早く食べたい気持ちに急かされて思わず声が出た。
『まぁ!なんていい匂い!楽しみだわ』
私の声を聞いた男たちが立ち上がり近づいてきた。護衛が素早く動き、警戒しているのが伝わった。
言いつけを守れなかった!と焦る気持ちとこれから何が起こるか不安な気持ちが混ざり泣きそうになって、子息の手を思わず握った。
彼は声を出さず口の動きで"ダイジョーブ"と笑った。
子息は男たちの前に歩み出ると穏やかな口調で話しかけた。
『私はラシュン・ガナス。この街を管轄するガナス子爵家の者。
何か用かな?』
続けて彼はおばあさんに奥に行くよう言いつけ、小声で警ら隊を呼ぶように言った。
貴族が身分と家名を明かしたのだ、平民は平伏すしかない。これでもう大丈夫だと安心した。
しかし、彼らは違った。
『あーっはっは!こんな細腕のガキが何言ってんだ。しらねぇよ』
『護衛も弱そうだしなあ』
貴族を平気でバカにする態度に驚いた。
『俺らには身分なんて関係ねぇのさ。金になればなんでもいいんだよ!』
そう叫ぶと男たちは小さなナイフと火の魔法を手にしていた。護衛が前へ出て応戦するが狭い店内で剣を抜けず制圧に手間取る。
その間に入り口からもう1人男たちの仲間が現れた。
『おい、何やってんだ早く潰すぞ!…あ?なんだこの貴族のガキいい服着てんじゃねぇか。こいつ連れてけば金になる行くぞ』
貴族の子供は売れば金になる。女は特に。
人攫いに会えばどうなるか、は貴族は小さいうちに習う。命が助かった後の末路さえも。
男たちの目的を知り青ざめる。
足が震え、初めての恐怖に息が吸えない。
男が手を伸ばそうとしたのを見て、もうダメだと目を瞑った。
瞬間に派手に金属音が店内に鳴り響く。恐る恐る目を開けると家具と男が吹っ飛んでいた。
『…いってぇなにしやがんだ!クソガキ!』
ラシュンが、男を殴り飛ばしたのだ。
『お嬢様失礼しますっ!
あとは頼んだ!!』
ラシュンは一言謝ると、私を丸ごと抱え込み走った。馬車が店の近くの通りにある。そこまで行けば、車内は防御魔法に守られており安全だ。
『お嬢様申し訳ありません。私の街でこんなことに巻き込んでしまって…』
走りながら謝るラシュンに『違う貴方のせいじゃない』と伝えたいが声がでない。必死で違うと首を振った。どうか伝わって欲しい。
馬車まであと少しというところで御者が、何かを察し慌てて扉を開けてくれた。滑り込み入ろうとした間際、背後からナイフが飛んで来た。
風魔法でスピードに乗せ投げつけたのだろう。恐ろしい速さに誰も反応ができなかった。
私を抱えていなければ、
私が強ければ
私がいなければ
『お嬢様、お怪我はないですか?』
ラシュンは、右腕に深く刺さったナイフなどなかったように、私の無事を確かめると馬車に滑り込んだ。
『もう大丈夫です』の言葉に、はっとして息を吸った。いつの間にか呼吸を止めていたらしい。
少し冷静になるとぬるっとした感触に気づく。知らない感触に気持ち悪さを感じた。
手のひらを見る。
自分の手が、赤い。
赤い。
誰の赤?私の?ううん痛くない。
じゃあ誰の…?
誰のせいの赤?
その後の記憶が消えた。
次に目覚めた時は、伯爵家の自室だった。
全て夢だったのかと思った。誰もその時の話をしなかったから。
違う…嫌な夢だったのだと思いたかっただけかもしれない。
嫌な夢のせいか、平民が嫌いになった。近づかれるのも嫌だった。
魔法学校を卒業後、漠然と強くならなきゃという思いで魔法士になった。
魔商ギルドでの就職も決まり、嫌な夢のことは忘れていた。
ギルドに入社初日。
騎士志望で、学校で優秀なんだと自慢の息子だと笑った子爵に似た顔の事務職の男性に出迎えられた。
『魔法士なんてすこいじゃないですか!がんばったんですねお嬢様』
夢が終わる直前の笑顔。
『わー泣かないで!』なんて無理でしょう。ごめんなさい。ごめんなさい。
あなたの夢を奪って、ごめんなさい。
『意外と事務方の仕事が性に合ってたので今楽しいんですよ。それに私はお嬢様をお守りできた。
ちゃんとあの瞬間騎士になれたのだと誇りに思っています』
こんなに優しい貴方がなぜ辛い目に遭わなくてはならないの?
世界は優しくなんてなかった。




