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部屋の中には、前回謁見の間にいた気がする文官が目の下にクマを作りながら笑顔で座っていた。
ひぃ…思わず声を上げてしまったが、誰も動じない。そのことが余計に怖さを増す。
何事もなかったかのようにキーラに座るよう促され、挨拶もそこそこに説明が始まった。
『この書類は第二王女殿下の指南役の契約書だ。
週2回の指南と緊急指南の時は呼び出すことがある旨記載されている。給金や待遇はここにある。不満があればすぐ言うように。よく読んでからサインしなさい。
次に、ルーズの養子縁組は、我が公爵家に決まった。
こちらは今そちらの両親に説明しに部下が行っている。サインはここだ。
両親の承諾書類が揃えば、すぐに提出する。
あとは、行かなくてもいいが…魔法士団から話があるそうだ』
宰相から手渡された書類は三種類あった。指南雇用契約書、入城申請書、養子縁組書。
各書類を読みながら、嘘みたいな話が徐々に現実になっていく感覚について行くのがやっとで、ルーズは目を通すだけで神経が擦り切れる疲労が溜まる。
細かな説明はクマを作った文官が分かりやすく補足してくれたおかげでルーズは大いに助かった。
魔法指南といってもルーズが教えられるのはコントール技術くらいだが、それで良いらしいと聞いて安心した。魔法基礎などの座学は苦手だ。
ルーズが支給される制服やリボンは、文官でも魔法士団でもなく青地に黒いラインが真ん中に一本入っていた。
『青は王族を表します。そこに白線なら座学、赤線なら剣、ルーズ殿の黒線は魔法。
つまり王族の教師たちのリボンですね』
宰相は王を支える立場だから青と清廉潔白の心で支えるという意味に加えて文官を束ねる立場でもあるので白の二色になっている。
王族の青と聞いて、少し怖気付いたがキーラが気にするなと言ったためルーズは早速貰ったリボンをつけてみた。
襟に加わった僅かな重さに背筋が伸びる。
これから、ただの平民が城で働くということがどれほどの苦労があるかは分からないが、出来る限り尽くしていこうと気を引き締めた。
『それを着けこの部屋を出たら、ルーズ殿あなたは、平民のルーズ・ベクタールではなく、王族の教師という立場です。
当主後継者以外の貴族、ラインの入ってない勤め人には下手に出なくて良い立場となります』
すごいですよね、なんて他人事のように文官は笑っている。キーラはさらに、エメラルドのピンバッジが付けば公爵家以外の後継者なら無視してもいいと付け加えた。
耳から入る余計な情報にルーズは、書類にサインをする手が震えたが、魔力を込め丁寧に"ルーズ・ベクタール"と記すことができた。
なんとか気が遠くなりそうになりながらの書類手続きを終え、ルーズは今案内人の文官に連れられ魔法士団の塔に向かっていた。
青色がついたリボンの影響か、すれ違う人たちに会釈されているせいでそわそわしながらの移動となっている。
『やっぱり落ち着きませんか?』
文官は笑いながらルーズに声をかけ、苦笑いで『私にも少しだけ気持ちがわかります』と話をしてくれた。
彼は地方都市出身の平民で、子供の頃から優秀だったために奨学金をもらい王立学校に通っていた。そこで待っていたのは、偉そうにする貴族の子息たち。
勉強ができるわけでも剣が振れるわけでもない令息にやっかまれ、よく揶揄われていたそう。
だが年齢が上がるにつれ、嫡男でもない何もない令息たちは立場を知る。才能を研げなければ自分たちも平民になるのだと。
『私は奨学金をもらう代わりの条件が成績を優で卒業することと城で勤めることだったんです』
卒業間際には成績に優が確定し、文官に就くことが内定した。すると、いつの間にか頭を下げるのは自分ではなく相手になっていた。
最初は気が晴れたが、だんだんと苦しくなっていったという。自分は何も変わってないのに頭を下げられる居心地の悪さにむずむずしたと笑った。
『またここに来て頭を下げる側に回って、ちょっとほっとしたんです』
おどけて言う文官に、羨ましそうなルーズ。
その目線が可笑しく感じた彼は『身分を手に入れて偉ぶるような方でなくて良かったです。安心致しました』とまた笑った。
平民の城勤め人たちは、平民であるルーズが身分を手に入れた後の行動が予想できず心配頻りであった。
実際に身分が高くなるのだから傲慢になろうが身分に合ってさえいれば問題ないのだが、そういった傲慢な身分なった元平民の辿る人生はあまり良くないというのを、経験上知っていた。
尊敬するキーラ宰相が目をつけた平民が、穏やかな人生を歩めることを願っていたが、大丈夫だろう。
身分によって手に入るモノより自分の手で手に入れたモノを信じるだろう彼女なら。
『私たち金バッチは貴方を陰ながら応援いたします』
文官は頭を下げる。深く深く。
金バッジとはリボンの留め具に宝石のついていない平民の証だ。平民だと見下す者もいるが、己の努力のみで勝ち取った証を彼らは誇りにしていた。
城には使用人やメイドを含めると多くの金バッジが存在している。困ったら金バッジを探してください、と。
『ありがとうございます、ですかね?なんか秘密結社みたいでカッコいいですね』
平民が貴族になることは稀にあり、金バッジを持つ者はその元平民が悲惨な人生にならないように手伝う密命を受けている。
そのためルーズが言うことはあながち間違いではなかった。
確かに、と文官は吹き出した。じゃあ秘密ついでにと言うと急に小声になり『金バッジのボスは第一王子殿下です』と教えてくれた。
金バッジの後ろ盾が思ったより強い…
本当にただの秘密組織じゃないか
貴族には貴族の、平民には平民の役割と誇り。どちらが、上とかではなくどちらも必要なもの。
そのバランスを取る王子殿下すごい…
衝撃的な事実を知らされ、ありがたいやら驚きやらの混乱の中、文官の足が止まった。
王宮の敷地で第二王女宮とは反対に位置するであろう場所に、見上げるほどの高さの塔が聳え立つ。
『こちらが魔法士団の塔の入り口です。中に入りましょうか』




