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急ぎ森へと逃げ込んだアリナーデたちは木の根が作った大きな自然の洞穴を見つけ、身を隠した。
『入り口に暗闇を張りますのでちょっと暗くなります』
『ルーズの魔法は内側が黒いのね。両面使えて便利だわ』
光を一切通さない暗闇。アリナーデが怯えてしまうかもと心配していたが目を輝かす彼女を見て杞憂だったとルーズは安心した。
『最近やっと自分の魔法の使い方がわかってきました』
言いながら魔法で火をつける。これで外からすぐには見つからずに済むはずだ。
アリナーデは感心しながら、火の揺らめきから風の流れを確認し頷いた。
『光を通さないけど空気は通っているのね。本当にルーズの魔法はすごいわ!隠れながらこんな素敵な星も見えて』
火の灯りに反射して出口を塞ぐ暗闇の星がいつもより優しく煌めく。手を伸ばし星を撫でるアリナーデは楽しそうだが心なしか寂しそうだった。
『ありがとうございますアリナーデ様。
…あの、ボルデティオ殿下と何かありましたか?』
王女の家出幇助の件は甘んじて罰せられようと覚悟を決めたが、婚約者である隣国の王子からの逃走の手助けは罪が重い気がする。
この可愛らしく聡明なお姫様が理由なく逃げているはずもないので理由次第ではやれるとこまでやるしかないが、念のため話は聞いておきたい。
『…………』
いつもなら都合の悪い質問に笑顔で交わすアリナーデが珍しく怒った顔で無言を選んでいた。
え、どうした?そんな顔しても可愛いだけだけど…まさか言いたくないの?!
眉間に皺を寄せ口を尖らせたアリナーデ。急に子どもみたいになった王女がいつも以上に可愛らしい。
アリーナ様みたい…
初めて橋の上で出会った少し配慮のなさそうな幼女。表情をくるくるさせ、自由でちょっとおませなアリーナ。
今の王女はあの時の彼女に雰囲気がよく似ていた。
懐かしい気持ちと大人びて見えてもやはりまだ子どもなのだと思わされる。
そんな当たり前のことすらも忘れさせてしまうアリナーデを尊敬すると共に悲しさがわずかに滲み出てきた。
『なにかあったんですね?』
優しく頭を撫でながらもう一度質問すると、アリナーデは膝を抱えて顔を埋めた。モッちゃんたちが心配そうにくっつく。
『…………って…』
『え?なんですか??』
小鳥より小さな声が聞こえたが何も聞こえない。よほど言いたくないらしいが、聞かねば分からない。
『…殿下が、私のこと………って言ったの』
『えーと、なんて…?』
犯人はボルデティオ殿下のようだ。それは分かったが、今度は肝心なところが聞こえない。どうしたものかと悩んでいると、アリナーデはぽつりと話した。
『…………
人じゃないって、言ったの』
小さな叫び声だった。震える声はどこかに消えてしまいそうで、ルーズはぎゅっと王女を抱きしめた。
どういった意図で吐き出された言葉なのかアリナーデがどう受け取ったのかまるで分からない。
『アリナーデ様は可愛い女の子です。私が1番大好きな人です』
『ルーズ…っ』
アリナーデはルーズの腕の中で声も上げずに泣いた。それが当たり前のように静かに。
ルーズは冷たくなっていく服の感触でしか涙に気付けなかった。
『モッ!モッ!』
『モッちゃんたちもアリナーデ様大好きって言ってましよ』
『モッ!モッモッ!』
二人の周りをぴょんぴょんと飛び跳ねるモッちゃんたち。ルーズがこの可愛らしい光景に微笑ましく思っていると突然泣いていたアリナーデが顔を上げた。
目が赤く、モッちゃんたちみたいだった。
『違う!見つかったんだわ…』
その瞬間、出口を塞いでいた星空が音を立てて崩れていった。それと同時に侵入者が我先にとなだれ込む。
『アリナーデ…違うぞ!俺は、アリナーデを天使だと思っただけだ!!
それから今はもうちゃんと人だと分かっている!だから結婚をしたいと思ったんだ。ちゃんと俺の手で守りたいと!』
ボルデティオは息を切らせながらアリナーデへ語るが怒涛の勢いに押され、言われた本人は混乱により目を回した。
人?天使?どういうこと??
ぐるぐると考えても理解に届かない。
『アリナーデ、聞いているか?
初めて会った時確かに俺は人ではなく天使と見間違えた。それが嫌だったのか?!すまない』
『…意味が分かりません』
分からないということは、恥ずかしいだけではないとルーズのおかげで知った。だがアリナーデは本当に分かる気がしないことがあると初めて思った。
世の中分からないことはあるものだ。
王女は悟った。
『なんでだ!?確かに!確かに人ではない、と言った。言った、が!違う違うんだ』
『いーえ全然、全く違いません。分かりません。私のことをひどい言葉で言われました!』
なおも必死に弁明をするボルデティオと怒りを隠さずに捲し立て続けるアリナーデ。
城では見れないだろう二人の王族の姿に今度はルーズが混乱した。
『…どうしてこうなった……』
ルーズを宥めるようにアシェルがそばに来て頷く。どういう意味か不明だが、この状況に諦めるしかなさそうで肩を落とした。
『ボルデティオは昔からアリナーデ王女を"天使"だと言っていた。光なのだと』
"光"と聞いてルーズは思い出した。
そういえばそんなこと言っていたな〜と。
『言ってましたね。守るべき光だと…あー!言ってました!人ではないって』
言い方もどうかと思うが、そこだけ聞けばあまり気分は良くない。アリナーデが知れば悲しむのも仕方ないとルーズは納得した。
だがルーズが思うより深くアリナーデは傷を負っていた。
彼女はアダンテが言った言葉を知っていた。
"あれ"呼ばわりされ世界に不要、いや害であると言われていたことを。
無理を言って影に持って来させたアダンテの調書。それを初めて読んだ時、息を呑んだ。
自分はこの世界で生きていていいのかと一人悩み苦しんだ。帰るべき場所はここではないのではないかと。
ひとり泣いた。声を殺し何日も。
誰にも気付かれぬように。
家族やルーズがいてくれたから嘘でも笑っていられた。その日々は辛くても悪くなかっただから、それでもう良いと思った。
でも、そんな時にボルデティオが手を差し伸べてくれたのだ。
守る、と。その言葉に救われた。
もし世界の害になったとしても、彼なら私を殺してくれる。
そんな気がした。
そう思えた。やっと息が吸えたのだ。
そして救ってくれた口で"人ではない"と言われた。
すでに"害"なのだと突き離されたように感じてしまった。
『私は!人です!…この世に生まれた、人…なのです』
涙いっぱいに溜めたアリナーデ。どこも怪我をしていないのに血が流れているように痛々しかった。
『!すまない本当に…すまなかった』
ボルデティオはアリナーデを包み込み、ずっと謝り続けた。子どもを宥めるように優しく、彼女が泣き止むまで。
アリナーデは本当は分かっている。ボルデティオが酷いことを言うわけがないと。
理解しているのに、どうしても耐えられなかったのだ。
ルーズたちとボルデティオが城の一室で集まっていると影から聞いて、遊びに行った。
12歳になったからと、少しだけ大人たちの興じの場に顔を出してみたかった。それだけだった。
どきどきしながら向かった部屋の扉を開けようとした時に聞こえてしまった。
『人ではない』
ボルデティオの声だった。すぐさま自分のことだと理解した。
それから気付けば自室に戻り、自分そっくりな器を作っていたのだ。
影に家出の方法を教えてもらい、城壁の穴からモッちゃんと逃げ出してきた。
辛かったのは言葉じゃない。
ボルデティオだったから。
アリナーデは声をあげて泣いた。誰かではなく、ボルデティオに聞いて欲しくて。