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部屋に向かうとドアの前に兵が立っていた。服装から騎士団の兵ではなさそうだった。少し警戒し近づくと兵士はルーズたちに気づき軽く頭を下げた。
『お待ちしてました。入室は少し待ってください』
小声でそう言うとすまなそうに小さく笑った。彼は騎士団ではなくガニエル公爵だと教えてくれた。
王女は頷き、ルーズはドアの前に立つ。すると少し開けられたドアの隙間から声が聞こえてきた。
ルディアシスが誰かの話し声。男性が倒れた王女を見つけて助けを求め必死だったと芝居掛かった口調で話していた。
その内容から男性の声の主がアダンテ公爵だとルーズは理解した。
お前がやったのだろう…!!
白々しく話す声に苛立ちが湧き出した。
今すぐにドアを蹴破って消してしまいたいが、ルディアシスから入室の許可が出ていない。
上がりそうなる息を抑えながら目を瞑り気持ちを落ち着かせる。部屋の前に待機している自分よりも公爵と対峙しているルディアシスやシヴァンの方が感情を抑え込んでいるはずだと。
私が怒りをぶつけるわけにはいかない。
腹に力を入れ前を向く。息がしっかり整った頃に入室の許可が降りた。
ドアが開かれ中に入ると、口元を大きく歪ませながら嘘を吐き続けるアダンテの姿があった。
醜い…
ルーズがその姿に最初に感じたのは気持ち悪さ。戦場にいた魔物たちよりも、もっと醜悪な生き物の姿に憎しみや怒りが飛んだ。
早く消すべきでは?
あれは既に人ではないのだから消してまえばいい、と義弟のシヴァンに視線を送ると大きく頷いた。どうやら彼も同じ気持ちらしい。
さすがシヴァンくん分かってる。
姉弟でやりとりしていると後ろから袖を引かれた。その合図にルーズは内心複雑な思いだったが渋々一歩横にずれた。
アリナーデの姿を目に入れた途端にアダンテから隠しきれず溢れ出す喜びが止んだ。
代わりに男の口から間抜けな音が漏れる。殺したはずの人間を見た情けない男の声。
理解できない現実をどうにか飲み込もうとする様子は滑稽だった。
義父キーラの友人だったはずのこの男の頭の悪さにカケラほど残していた、腐っても公爵なのだと認めていた気持ちすらも消えた。
もし事を起こしたのがキーラならもっと上手くやっていただろう、もし標的が生きているのが分かったらその瞬間に次の一手を打っただろう。
もっともキーラが王族を害そうなんてことするはずは万が一もないが、公爵とはそういうものだとルーズは義父の背中から学んだ。
コレにはそれがない。
公爵でありながら、情けない。あれは生かす価値などないだろう。
貴族のような考えが自然と湧き上がったことにルーズは違和感がなかったと気付いた。
人としてそれが良いかどうかは分からないが、貴族として生きると決めたのだ。貴族らしくなっていく自分もまた自分だと素直に受け入れた証だ。
ふむふむと自分の変化に納得していると、アダンテの顔つきが恐怖に染まっているのが見えた。
やっと現実を理解したかと横目でアリナーデ様を見れば、笑っていた。綺麗な笑顔がひんやりと心臓に突き刺さる。
ルーズはゆっくり息を飲み込んだ。
静かに音を立てないように細心の注意を払って恐怖を押さえ込む。アリナーデに気づかれぬように震える手をそっと隠した。
あとは彼女のやることを黙って見守るだけだった。何もできずにただそばにいることしかできなかった。
ルーズは意識を記憶から目の前の現実に向けた。アダンテを引き摺り出したあと、ルディアシスやシヴァンたちも去っていき部屋は静かだった。
狭く感じていたこの部屋を改めて見渡すと程よい広さがあり、丸みを帯びた心が安らぐような家具が置かれていた。殺気が溢れていて分からなかったが、ここは随分と落ち着いた雰囲気の談話室だったのだと初めて気づいた。
散歩から呼び戻されてから怒涛の展開が終わったのだと頭が理解し始めると足の力が抜けていく。何もしていないのに体が疲れたと主張する。
『どうしたの?』
たった数時間でさらに大人びたようなアリナーデ。
まだ守られる子どもでいて欲しい、とルーズは寂しく思うがアリナーデはただの子供でいられるような立場ではない。
分かっている。自分とは何もかもが違うと分かっているが、王女とはこんなに強くなければならないのか。
サフィール王女も魔物を前に一歩も引かない強さがあったが、アリナーデの強さは別物だ。
無理している…訳でもなさそう
ルーズの疲れた様子を心配そうにしているアリナーデは今夜の出来事に心をすり減らしている素振りはなかった。自分の方が心労で倒れそうだなんて口が裂けても言えそうにない。
『いえ、アリナーデ様が無事で良かったと安心してました』
誤魔化して答えたが、これも本心だ。身も心も無事で本当に良かった。笑って言ったのにどうやら嘘がバレたようで王女は困った子供を見るように目を細めた。
『ありがとう。今日はもう後のことはお兄様たちに任せて部屋に戻りましょう』
執事に案内され、万が一を考えてルーズはアリナーデと同室で眠ることになった。
『こういうのをお泊まり会、というのでしょ?初めてで嬉しい』
アリナーデがそう言って見せた顔は子どもらしく、やっと力が抜けたような緩んだ表情にルーズは胸を撫で下ろした。
『アリナーデ様、おやすみなさい』
やがて聞こえてきた小さな吐息を聞きながらルーズはどうか優しい夢を見れますように、願いを込めこめかみに口付けした。
もっと強くなろうと気合を入れてすぐに眠りについてしまったため、アリナーデが可愛く笑ったのは気付かなかった。