136
式典が終わった後、ルーズはキーラたちと共に城へ戻った。何かと忙しい義父と義弟はどこかに消えていきひとり通された部屋で時間を持て余していた。
キーラ公爵家に与えられた城の客間は大きなソファーが置かれている。代々使われてきたのが伝わる滑らかな木の光沢は大事に使われてきた証だろう。部屋の主のように存在を堂々と主張していた。
ルーズはそのソファーの横に控えめに置かれたお気に入りの小さな椅子に座り、窓から広場の火を眺めた。
先程まで王妃がいた祭壇には囲いがされ、誰も入れないようになっている。近くに衛兵が立っているだけのぽっかり穴が空いたようなその場所は、そこだけ時間の流れを遅く感じさせる。
ぼんやり眺めているとドアをノックする音が響く。
『義姉上…』
シヴァンは眉を下げ義姉を呼んだ。『どうしたの?』と振り向いたルーズの顔には感情を何一つ読ませない仮面が付けられていた。
晩餐の用意ができたことを知らせにきたのだが柔らかそうな笑顔に強い意志を感じて言葉が詰まった。
『晩餐ですが…隣国の方々も一緒になります。どうしますか?』
王妃たちは王族の慣わしで英雄の魂を送った夜は人と会わないようにするそうだ。祭壇の火の近くにいたため王族たちに魂が吸い寄せられてしまうと言われている。
式典に離れた場所から参加したアリナーデ以外の3人は丸一日人との接触を避けて過ごす。
そのためキーラ家が隣国から勝手にやってきたボルデティオたちと晩餐をともにすることになっていた。
その場には勿論アシェルもいる。
『……私は、疲れちゃったし部屋でいただこうかな』
ルーズの綺麗な笑いに義弟は寂しさを覚えたが何も言わずに『分かった』と一言残して部屋を出て行った。
窓の外で揺らぐ火は、暗くなり始めた大地を照らしていた。空を恋しがるようにひたすら高く高く燃える赤がルーズには羨ましく見える。
どうしてか、自分もそこに行きたくなる。
『ねぇ…どうしたらいいかな』
ゆらゆらと燃える火に呟く。
『お前はどうしたいんだ?』
ルーズの背後から突然声が聞こえた。驚き振り向けば、ボルデティオが両手をあげて部屋の真ん中に立っていた。
『すごいな、振り向きざまに攻撃態勢がちゃんと出来ている。訓練が身についている証拠だ』
『すみません!まさかボルデティオ殿下とは思わず…』
ルーズは慌てて指先に溜まった水魔法を散らし手をおろした。殿下は当たれば必殺の魔法を撃たれそうになったことに気にする様子もなく、勝手に椅子に座わりはじめた。
『ノックはしたんだぞ?まぁいい。それで、お前はなんでアシェルと結婚しないんだ?』
『する必要がないからです』
直球の質問に表情を崩さずルーズは食い気味に答え微笑んだ。心を覆い隠す綺麗な笑みで。
貴族の笑顔には色んな意味がある。ボルデティオは戦いばかりだが王族だ。どんな些細なことでも目敏く嗅ぎ取り感情を読み取ることは朝飯前。
『何を怖がっている?お前の強さがあれば心配ないだろう』
ただし、感情が分かるだけで助言や解決法は武力になりがちなためあまり意味を成さない。心底分からないといった顔で椅子にもたれ座る隣国の王子にルーズはため息をついた。
『…強くなんかないですよ』
息と一緒に吐き出した言葉はボルデティオに届かず床に消えていった。
『俺は、アリナーデを守りたい。だから結婚すると決めた』
急になんだ、と顔を上げれば真剣な目をした殿下と目が合った。戦場で見た多くの兵と同じ強い目に息の仕方を忘れそうになる。
『最初はとりあえずで婚約したんだ。どうせ死ぬと思ってたしな』
笑いながら話始める内容としてはあまり適していない。ルーズはどんな顔で話を聞けばいいか分からなくなり困ったように眉を下げた。
『モダーナリは一番強いものが国王になる。そして魔法が一番強いものが筆頭魔法士。武に長けたものが騎士団長だ。
国を守るために強い王がいる。ではアシェルや俺が担う役目はなんだと思う?』
『同じく国を守るためでは…?』
ルーズは質問の意味を理解しきれず困惑しながら答えた。
『まぁ間違いではないが、我々は王の盾であり剣。王が倒すべき敵を倒す役目がある。国王の道具だから命を自分のためには使えないんだ。
俺たちは天災の戦いで死ねと言われ育った。
あ、ひどいと思うかもしれないが、王としては激励のつもりだ』
隣国モダーナリは国民全てが戦士になれると言われているほど魔物が多く生息している。天災との戦いまで生き延びろという意味と災いに命を賭け挑めという国王の言葉だ。
『どうせ死ぬと思っていたから幼いアリナーデと婚約を続けていたが、今は自分の手で守りたいと思うようになった。
そのために絶対に生き延びると決め戦った。インダスパの王にも生きるよう言われたしな』
戦うものの目をしながらも優しく笑うボルデティオにルーズは胸が締め付けられる。
守るとはなんだろう。
『ルーズ…お前は、自分の手でアシェルを守りたくないか?』
普通なら師匠のアシェルを守るという考えはないだろう。だがボルデティオはルーズを自分と同じ強者だと認めている。だからこその言葉だった。
『私、は……』
ルーズの胸の中にある絡まった感情と頭の中のただ一つの願望がぶつかる。頭に浮かぶ言いたいことが口から出る前に霧となって消えていった。
守る。守りたい。守れない。
何が出来る?何が一番師匠のためになる?
何が一番私は…
言葉と感情が浮かんでは消えて繰り返され残るのは、怖いという、自分の弱さ。
『ふむ。まぁ答えは急がずとも良いが。アシェルと一度ちゃんと話すんだな。
俺はキーラたちと食事をしてくる。あとは当人同士でやれ』
言いたいことだけ言って去って行くボルデティオ。誰にも咎められない王族らしい。
そんな傲慢さを持った彼が、命令もせずルーズの気持ちを聞いたのは優しさだろう。
『私はどうしたい…?』
息が吸いやすくなった部屋でルーズは自分に問う。師匠に笑って生きてほしい。それは本当の願いだ。
では、自分は?どうしたい?
『私は、師匠……と…… 』
静かな部屋に本音が溢れた。けれど、それを拾ってくれる誰かはどこにもいなかった。
『ボルデティオ様…隣国の筆頭魔法士は剣でも盾でもなく、生贄では。教えて差し上げないのですか?』
ここまで案内をしたペイルは澄ました顔で歩く王子に非難の目を向ける。
『全く堂々と盗み聞きするな。
アシェルが言うなと言うから仕方ない。哀れみで結婚したくないそうだ』
一応申し訳なさそうなそぶりをしながら優秀な文官は、アシェルの考えに納得できないとため息を吐いた。
『事実でもですか…』
ボルデティオは死ぬ覚悟で戦場に立った。だがアシェルは少し違う。
本来なら、筆頭魔法士には天災に初撃で大打撃を与える役目があった。命を全て使った最大限の魔法を以て迎え撃つという大きな役目。
アシェルの命は筆頭魔法士の座に着いた時、天災が現れれば必ず終わる。そう決まっていた。
しかし今回はたまたま魔法攻撃が効かなかったために実行されることがなかった。無駄死にさせるのは勿体無いと王の一声により助かったが、通常であればアシェルは既に死んでいた。
『死ぬはずだった…だが生き延びた。あいつも、俺も』
だから我儘に生きたいように生きたいと、守りたいもののそばで生きたいと強く思う。
『そう素直に言えばお二人とも結婚してもらえそうですがね』
アリナーデもまだ婚約破棄を諦めていなかった。
ボルデティオはペイルの呆れた顔に、心底嫌そうな顔で返す。
『俺にだってプライドというものがある。ちゃんと俺と結婚したいと思って欲しいだろうが』
『あー…殿下のそういうとこだと思いますよ?』
やいのやいのと長い廊下を2人は進んだ。