105
『さーて。ルーズちゃんはーなんかプランあるー?』
森を背に見通しのいい、どこまでも続くような野原の真ん中で男女が仲良さそうに歩く。
『ごめんなさい。ないです』
ははっと恥ずかしそうに笑うルーズ。
『だよねー。ぼくもー』
じゃあ頑張らなきゃねーと、風が強まり飛ぶことも出来なくなった野原。飛んでくる魔力の塊に一歩ずつ足を進め向かう。
『あーそろそろかなー』
『あ、そうですね』
1人なら何もできず終わったかもしれないがデュオが、師匠が、いる。大丈夫。
どこまでも続く野原と空。
そこに黒が割り込む。
明るくなっていた空に黒が広がる。
まるでインク瓶を倒したかのよう。
空が黒くなるほど肌がヒリつく。熱風を浴びているような魔力の圧が黒と共にやってきた。
なに、これ。吐きそう…
強烈な魔力に船酔いのような気持ち悪さが襲う。
『あ、自分の魔力で自分を覆うようにすると大丈夫だよー』
歩く足が止まった。デュオに言われた通りに、魔力を纏うと幾分か楽になった。なったけれど、ぐわんぐわんと揺れる感覚の中、常に魔力を体全体に放出するのは少々きつい。
師匠はまさかこれを四六時中…?
さすがというか、どんな精神力なのかちょっと人間離れが過ぎないか?
『…来たよ!ルーズちゃん!!』
名前を呼ばれ、はっと前を見ると闇の中に禍々しい大きな黒が見えてきた。
魔力の風が一層強まり、草花が舞う。
『何か聞こえます…!』
瞬間お腹の中が動くような音が届き、体が衝撃で下がる。
恐らく攻撃ではなくただの鳴き声。ルーズは足に魔力を溜め体を維持する。デュオは体制を崩さず、黒の塊を睨みつけていた。
『やばいねー』
ですね。そう返したいが、声が出そうになかった。喉が押さえつけられたような圧が飛んできている。息を吸うのも辛く、苦しい。
落ち着け…纏う魔力をもっと多く…!
無駄な魔力を使わないよう気をつけながら防御を強めていくと、息がしやすい。
呼吸を整え、前を向く。
暗闇が朝日を消した。
大きな黒は徐々に輪郭を現す。
横に広げられた大きな翼。
上下に動かす風圧で気持ちの悪い魔力を撒き散らし周囲を汚染していた。天災が通った後の草が変色していく。
どんどん綺麗な野原が視界から消えていく。
徐々に形が、大きさが、鮮明になる。
恐怖が目の前に姿を見せる。
ルーズは、息を呑む。恐怖の大きさに後ずさる。
目上げた空の黒は…蟻が人を見る時、こんな気分なのだろうかと思わせた。
どうやって、蟻は人と戦うの…?
『よーし。ここで止まってもらおっかー』
いっせーので上に飛んで、あいつを落とそう!と震えるルーズに優しく声をかける。
大丈夫だよーと頭を撫でるデュオの手も震えていた。
『…わかりました。や、やってみます!』
明らかな虚勢だが笑って返事を返す。自分だけじゃない。強がりだって嘘だっていい気持ちで負けないことが、大事だ。
魔法は、心が力になる。
『えらいえらい!がんばろー!
怖かったら目を瞑って、合図するから大丈夫ー』
有難い言葉に、ルーズは目を瞑りその時を待った。
吐き気が強まる。体が重くなってくる。
目を瞑った方が怖かったかもしれない、と反省したが今更目を開ける勇気は出なかった。
怖いものは怖い。そこはしょうがない、と割り切った。そう気持ちを切り替えられたのは、力強く繋がれたデュオの手のおかげだ。
親戚のお兄ちゃん、みたいな安心感が心強い。
『じゃあ…来るよー。閃光弾!からのー
いっせーのー…
せっ!!!』
デュオの合図に合わせて真上へと飛んだ。
天災は、突然目の前に現れた光にスピードを落としていた。
ルーズが目を開けると、足元に野原はなくなり一面の黒、黒、黒。
吐き気が増す。濃厚な魔力が息を吸うたび体内に侵食し気分が悪い。
こんなのが、街に来たら…一瞬で全てがなくなる。
『いっくよー!とりあえず巨大氷をー『おい!待て!』
『ルーズ!!暗闇で奴を覆え!!』
『!!分かりました!』
ルーズは言われた通り、全力暗闇魔法を天災の頭上に一気に吐き出し、包み込んだ。
光のない黒がキラキラ輝く黒に変わっていく。
やがて全身を覆われた天災は、暴れながら地面に落ちていった。
落ちた衝撃で地響きが起こり土が捲り上がる。風圧で遠くの森の木が揺れる。森で暮らす生き物たちの悲痛な鳴き声が響き渡る。
土煙が巻き上がり、奴がどうなっているのかが見えないが、まずは止めることには成功した…
『良くやった!!デュオ!目を狙え!それ以外効かん!』
『はーい』
『暗闇が、もう直ぐ溶けます!』
全力で出した暗闇だったが、消えるのが早い。落ちただけでは大したダメージは与えられてなさそうだ。
土煙が落ち着き、見えたものは…
唸りながらこちらを睨みつける巨大な魔物。
頭に生えた二本の角はうねり曲がり、手足の爪は黒く鋭い。翼は半分たたまれているが、鳥よりも蝙蝠の羽のよう。
全身覆われた硬そうな鱗が鈍く光っていた。
『…うわー、初めて見たー』
『なんですか、あれ…』
禍々しい目は、鋭く、瞳は燃える火ように揺らめく。
本で読んだ燃えるような目…あの表現は適切だったのかと乾いた笑いが出た。高い魔力が透けて揺らいで見える。
『まさか、古代種…』
『ルーズちゃん博識ー!あれは原種に近いねー』
『恐らく、あれはドラゴンだ』
あれが、ドラゴン?
ドラゴンとは、トカゲのような魔物で翼はないはずだ。実物を見たことはないが、本で見たのはあれではなかった。
『大昔はーあれだったんだねー』
生き物は大昔違った姿だったというのは知っているが、こんなにも変わるものなのか…
一般知識のドラゴンと掛け離れた目の前の魔物は、こちらを警戒しながら魔力を溜めている。厄介なことに知能も高そう。
『そーれ!』
デュオは先手必勝と魔法を放つ。
いつの間にか頭上に作られた無数の氷の槍が一斉に落とされた。
透明度の高い氷はダイヤモンドのように輝きながらドラゴンに全て打ち込まれた。
『少しはダメージになるかなーて思ったけどーだめだねー』
唸り声がより一層強くなり、不快そうに体の上に散らばった氷の破片を翼をはためかせ落とした。
唸りが威嚇から明確な怒りを表し、翼を大きく広げた。飛ぼうとしている。
ルーズたちは身構える。
『この攻撃を防いだら、あとは予定地まで誘導する。お前たちはこのあと一度戻り、体制を整えてくれ』
『そんな!このまま一緒に…』
こんなのを相手に師匠1人に押し付けられない、とルーズは連れて行くように頼むがデュオに止められる。
『さっき暗闇出して、けっこうきついでしょー?一回休んで全力パワーで助けに行こう?ねー?
それに、今はこの一撃をどうにしかしよー頑張ろー』
今のルーズは足手纏いだと、遠回しだが伝える。まずは逃げるために余力を使えと。
自分の考えのなさと力不足に悔しさが込み上げる。指摘されたことは何も間違っていない。歯を食いしばり『はい!』と返事をした。
『さーくるよー』
巨大なドラゴンは、翼を一気に広げるとルーズたちよりさらに高くより高く飛び、真上から轟音と黒炎が降り注ぐ。
一瞬にして風圧で体制を崩してから攻撃をしかけてきた。本当に厄介な相手らしい。
防御の魔力を強め、回避したはずが黒炎に触れていない服が燃えた。熱さで燃えたようだ。
『地獄の炎みたいだねー』
抉れた大地を燃やす黒い炎。
アシェルは風を送り酸素を消し、消火するが、土すらも黒く変色していた。
『地獄だな』
『でしょーやばいねー』
力の差を見せつけるように天高くに居座る天災を2人は睨みつけた。