永い眠りのはじまり
視界いっぱいのトラック。
焼き付いたように、焼き尽くしたように、それだけが思い出せる全てだった。
暗い部屋。
何も見えない、何も聞こえない、なんの匂いもしない、なんの感触もない。
手も、足も、頭も、何も動かせない。
動かせないというか、ひょっとして繋がっていないんじゃないこれ?
いつからだっけ。分からない。
いつまでだろう。……分からない。
ぞくり。
………………。
あ。
お母さんだ。
ほっぺた、撫でてくれてる。
あったかいな。
なんだか、眠たくなってきた。
起きたら、外に出られるといいな。
おやすみ、お母さん。
起きたらちゃんとおはようって言うからね。
おやすみ、なさ、い……
「では、処置を始めます。お母様、よろしいですね?」
努めて事務的に。
時間は有限。この期に及んで感情に配慮するなんてことは、今は誰のためにもならない。
『はい、分かりました』なんて返ってくるはずもない。恐らくは、いや、間違いなく今生の別れになるのだから。
泣いて縋るのを引き剥がす覚悟くらいはしている。命の灯が消える前に処置を済ませなければ、雀の涙もかくやの僅かな可能性があっさりゼロになってしまうのだから。
けれど。
優しく微笑んで。
ただ彼女は、娘の頬を撫でた。
「ありす、おやすみなさい。未来はきっと、今よりいい世界になっているはずよ」
神も仏もいないこの世で、祈りも願いもなんら意味のないものだと思っていた。
「先生、よろしくお願いします」
彼女は資産と縁と信用を全て換金してこの実験に注ぎ込んだただの一支援者。
時折覚醒状態を示す脳波と、幾ばくかの寿命の他の一切合切を理不尽に喪失した彼女の娘さんは、同意確認すらできないただの一被験者。
荒唐無稽、SFかぶれから詐欺師、人殺し呼ばわりまで後ろ指をさされ尽くした赤貧研究者にとって、彼女らはシンプルにビジネスライクな関係に過ぎない。
だからこそ。
「お任せ下さい。必ずお嬢さんを未来へお届けいたします」
成功させなければならない。蜘蛛の糸よりも細く脆いこの希望を繋ぎうるのは、自分の他にないのだから。
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(……聞こえますか……聞こえますか……?)
声が聞こえる。聞こえるというか、頭の中に直接響いてくる、ような。むにゃ。
(あ、聞こえてるみたいですね、よかった)
どれくらい眠ってたんだろう……あれ、考え読まれてる?
(あまり長くは話せないので簡潔にお聞きしますね。生きたい、ですか?)
あー、知ってるこれ。異世界転生だ。ってことはあなたは神様?
(いえ、神様じゃないですねー)
神様じゃないんだ……なら精霊様とかそんな感じ?てことは私死んじゃったの?生き返れるなら生き返りたい、かなぁ。
(若干の齟齬はありますが、まぁ意思確認は出来ましたのでよしとしましょうか。出来るだけ原状回復に務めますが、難しいところもありますので、そこは最適化する形で補完させていただきます。よろしいですか?)
おー、ファンタジーだー。是非是非、よろしくお願いしますー。
(承りました。では、もうしばらくおやすみになっていてくださいね)
あ、また眠くなってきた。
なんとなく。
……なんとなく、だけど。
お母さんの手の感触が、ほっぺに残ってる気が、ちょっとだけ、した。