そうして変態が誕生した
崖に面した洞窟、入り組んだ洞窟の奥は海とつながっている。
その洞窟の中には色とりどりの小瓶が所狭しと並べられていた。
洞窟内の海面から顔を出した一匹の人魚は静かに目の前の黒いローブを着た魔女を見上げた。
人魚の透き通るように透明感のある白い肌と煌めく赤い鱗は、薄暗い洞窟内にあっても輝いているのではないかと思うほどの美しさである。
魔女は人魚の前にいくつかの小瓶を並べていく。
「よく聞きなさい、この薬を飲めばあなたは人間の足を手に入れることができるわ。ただしそれだけじゃ人間になったとは言えないの」
「本物の人間になるのに必要なのはね、真実の愛よ」
「真実の愛・・・」
人魚は確かめるようにその言葉を口の中でころがす。
「そう」
「・・・そういう名前の宝石?」
そう問う声は美しいが、鈴を転がしたような明るさも甘える子猫のような愛らしさも一切存在していない。
低音の落ち着いた声音はどこからどう聞いても成人男性のそれだった。
「・・・・。」
「もしくは一部地域でしか取れない果物とか。」
何も答えない魔女になおも言いつのる人魚。
実際果物には○○の心臓とか、○○の王様とかいう異名があったりするものもあるので、まあ探せば無くはないだろう。
魔女は堪えるようにぶるぶる肩を震わせ、顔は怒りで赤く染まり、その目は人魚に対する殺意でみなぎっている。
その様子から、どうやら本気で言っていることを察した人魚。
言葉を探すようにきょろきょろとあたりを見渡し、何もないことを確認して視線を魔女へ。
そのまま、すんっと表情を落とす。美しく整った相貌は、そうしてなんの表情も浮かべていないと宝石のような冷たい印象を受ける。
そうして何の表情も浮かべないまま静かに口を開き。
「正気か?」
「アンッタのそういう所------!!!」
人魚の美しさなんてもはやどうでもいいほど怒りが頂点に達した魔女は力いっぱい叫び、その叫びは洞窟内に反響し、殴りかかろうと大きく振り上げた拳のせいでパサリとかぶっていたフードが落ちる。しかしそんなことで怒りがそがれるわけもなく気持ちのまま並べた小瓶をを人魚に投げつけた。
「何でアンタ人魚なのにそんな性格なの!」
「ちょ、まて!危ない!!」
避けた小瓶が壁に当たり砕けて中身が流れ落ちる。
「人魚って言ったらもっとこう、可愛い存在じゃないの!?」
「今投げたの何!?水の色オレンジ色だぞ!」
「美容にいい成分よ存分に浴びたらいいじゃない!」
「なら顔に向かって投げるな、容貌には不自由してない」
「キイイイィ!百万歩譲って男なのはまだいいわよ!」
「俺の性別そんなに譲らないと認められないの!?」
「せっかく綺麗な顔してるんだからもっと若い時に会いに来なさいよ!もっと夢とか希望とかあるうちにさあ!!」
「んな無茶な!って今度は紫だぞ、これ健康に害ないよな!?」
「っていうか若いまま成長止めときなさいよ!だれが得するってのよオッサンの人魚なんて!!」
「人魚だって生きてたら年ぐらいとるよ。差別はよくない!」
「私の人魚に対する夢を壊しやがってこのがっかり人魚!!」
あらかた投げつくし、魔女は地面に突っ伏して泣き出した。
この魔女、非常にロマンチストである。
どのくらいロマンチストかと言えば、とある童話を読んで感銘を受け食べると小さくなるクッキーを作ったり、どこぞのカップルの為に仮死状態になる薬を作ったり、ときにはお菓子の家の建設の為建築士の資格を取得しようとするぐらいである。
ちなみにこの海域に時々起る嵐や渦潮すらとある人魚恋物語の再現を狙って嵐を自前で再現しているとの事なのだからその行動力は計り知れない。
そんな物語に傾倒した偏ったロマンチストのため、人魚という種族には並々ならぬ期待と夢があったのだ。
だからはじめてこ人魚を見たときは性別など関係なく物語の世界から飛び出してきたような美しい見た目に心躍らせた。
しかし今となっては、あぁ人魚ってヘソ無いのね、程度の気持ちしか抱けなくなってしまった。
故に割と本気で泣いていた、信じていた夢を壊された悲しみは深い。
これには人魚も困り、顔を出していた水面から腕力のみで魔女が突っ伏している地面に上がってきて背中をさする。
別に水面が謎の琥珀色だったから水の中に居たくなかったとかではない。
「で、なんだって人間になりたいわけ、ついに海から追われるようなことしでかしたの」
「ついにってなんだよ。友人から妹さんの結婚式の招待状が届いてね、これを逃すと次はどちらかの葬式になりそうだから参加しようと思って」
「あら、おめでとう」
しかしその友人、陸地を挟んで向う側に住んでいる。
泳いで向かおうと思ったらこの細長い国を陸に沿ってぐるりとほぼ一周しなくてはならない。
その点、陸路は門さえ超えられればすぐである。
つまり陸路を行く方が行き来が楽なのである。
住み慣れた土地を離れて幾日も海を行く、祝いたい気持ちを差し引いても重労働である。
もう若くもないのでできればそんな遠征したくない。
人魚である限り向うへ行く手段は泳ぐか、入国する船に入り込むか。
人魚は解決策を一生懸命考え、一つの結論に達した。
「そうだ、人魚辞めよう。」
そうして割と軽い気持ちで一匹の人魚は、陸に上がることを決意した。
妹の結婚式とか、メロスかよとは思ったが魔女は口には出さなかった。
種族を変えるにしてはあまりに軽い理由に呆れていると、人魚は唐突に金貨の詰まった袋を魔女のそばに置いた。
「なにこのお金」
人魚は先ほどの魔女の怒りから、難を逃れた無事な瓶の一つを手に取る。
その便のラベルには女性の名前が書いてある。魔女は人魚に会うのが自分が初めてだと言っていたのできっと別の種族のものだろう。
棚に並んでいるという事はこの瓶も商品だということだ。
「俺の声の代金だよ、対価の声は売りに出る。なら俺が入荷予定の商品を予約したって問題ないだろう」
いやー、先にやっておかないと声がなくなってからだと交渉が難しいからねぇ。などと人魚は朗らかに笑っている。
「欲しい人には売るんだろう商品なんだから。そして現状で、俺の声を一番必要としてるのは俺だろう」
朗らかな笑みを崩さず、否定されるなんて微塵も思っていない声音に魔女は嫌な顔をする。
本当に、嫌な男だ、いつか泣かす。
しかし今は一応客だ、ゆっくり深呼吸をして気分を落ち着かせる。
「あーもういいわよ、足の代金は直にお金で。それにしても持ってきすぎでしょ、ちゃんと値札みなさいよ」
魔女は並んでいる瓶詰めになっている声の値段の三倍以上はある金貨を目視で雑に数える。
「見たうえでその金額だけど」
「・・・・・。」
「俺の声がその辺のと同じ価値だとでも?」
人魚は心底不思議そうな表情で、金貨を数える魔女を見つめる。
なにせ人魚。見てくれと声に極振りして船乗りを誑かして沈めるのがライフワークの種族である。
声は立派な武器の一つ。
その辺の陸上生物の、同種族とコミュニケーションを取ることを目的とした声帯と一緒にされるわけにはいかない。
というような気持ちであるがそんなこと知らない魔女は「アンタってそういうとこあるわよね」と引きつった笑顔を浮かべた。
まぁいいわと薬の準備を始める魔女。
先程盛大に叩き割ったのですぐに手渡せる薬はないらしい。
可愛くないわ、金に物言わせるわ、軽率だわ、何もしないくせに肌綺麗だわ、あームカつく。
文句をいいつつもしっかり手は動かし、必要な薬を準備する彼女は優秀な魔女である。
「声の買取が可能でよかったよ」
「声の持ち主にはに売れなかったらどうする気だったの」
「その時は上半身を魚にしてもらって生ものとして郵送かな」
魚なら声要らないし、と当たり前のように言う。
人魚の上半身を魚に変化させることと、下半身を人間にすることではだいぶ差があるように思うが人魚的にはどちらでもいいらしい。
「いきなりデカイ魚を受取る友達の身にもなりなさいよ!?最悪ディナーとして食卓に並ぶわよ!」
「見分けつくように返事の手紙に何枚か鱗入れたから大丈夫だとは思う」
手紙から友人の鱗が出てくるなんて、想像するとホラーかミステリな雰囲気しかないがわかっているのだろうかこの人魚は。ちなみにどちらの場合ももれなく第一被害者としての登場である。
そもそも友人の鱗という言葉自体がおかしい、陸上生物に例えると髪の毛みたいなものだろうか。
考えつつも手は止めない魔女は人魚に二つの薬を差し出した。
片方は人間になるクスリ、片方は人魚になるクスリである。
「この薬って、陸で飲んだ方がいいの?」
人魚が問いかければ魔女なにかを考えるように自らの顎に手をやり少し間を置く。
「飲んでからすぐ効果が出て、十五分くらいで変化し終わるわ。その間に人に見られるとまずいからここで飲んでいきなさい。」
なにか思いついたのかそういうと魔女はさぁさぁと人魚に薬を急かす。薬を飲み切ったのを確認してから魔女はいつになく幸せそうににっこりとほほ笑みかけた。
「さてここでアンタに二つの選択肢をあげるわ。」
魔女は人魚から見えるように二枚の洋服を取り出した。
一枚は大きめの花柄がプリントされたかわいらしいワンピース、もう一枚は男ものだと思われる大きめのシャツである。
「どっち着る??」
この女、正気か?
明らかな女性ものを選択肢の一つに並べられ人魚はまず魔女の精神状態を疑った。
とりあえず女装を楽しむ趣味は無いのでシャツを指さしてみる。
「あら、こっちでいいの?こっちだと下かくれないけど??」
ふふふと笑う魔女。
この選択肢はどちらかを選べばいいというものではない、どちらを選んだとしても正解なんてないのである。なにせ声を買い戻す事で結果的に金品で足を得た人魚に対する嫌がらせなのだから。
まともな選択肢が無いことに文句を付けたいが、自分が買ったのは人間の姿になる薬であって、その後の装備一式については交渉していない。
なにせ普段から半裸、いや鱗は自前なのでむしろ全裸である。そんな姿なので服のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。
いまから交渉しようにも魔女は物凄く悪い笑みを浮かべている、これはダメだ楽しんでる。
時間を掛ければ別の服を用意させることもできるだろうが。そもそも下半身が魚状態ではズボンははけない。
陸まで泳いで五分、既に薬を飲んでしまっているためすっかり人間の姿になれば泳ぐ速度がどうなるかもわからない。ここで時間をかけずに陸に向かうべきだ。
女装趣味と露出狂、露出のほうが圧倒的に罪が重いだろうが、これは罪の重さでは無く気分の問題である。
というか女装した姿で陸に上がってそれが普段着だと思われたらその後の活動も女装ということになるのでは。
「時間もないし、潔く全裸でもいいわよ」
飲んでから何分経過したかわからないがヒレの感覚がなんとなく普段と違う。薬が効いてきたのだろう。
人魚は二枚の服をひらひらさせる魔女からワイシャツを奪い取る。
「ほらほら、早くしないとエラ呼吸できなくなるわよ!」
急いで、水で張り付くシャツを身に着けた。
「次あったらその地味なローブをクッソダサいレインボーカラーに染めてやるからな!!」
「やれるもんならやってみなさいよ!その間抜けな恰好で捕まらなかったらね!!」
そうして半裸の変態が陸に誕生した。