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救われる、ということ

 ドナーとしての『指名』があると、機関に名前を登録した時に一緒に教えた連絡先に神木から連絡が入る。

 当然、それまでは勝手に身投げしたりしてはいけないので、日常生活に戻らなければならないのだが、その我慢はそう長く続くものではないらしい。

 簡単に言うと、ドナーはそれこそ何人いても足りない状況なのだとか。

 無論、適正等の問題もあるので、ドナーがいれば良しという話でもないのだが。

 それでも、提供者の数が多ければ多いに越したことはない。

 ……話が逸れたが、そのくらい需要が多いので、遅くても一週間もすれば御指名が入るという現状らしいのだ。

「機関を創設した理由?」

 残りの人生を悔いがないように過ごせ、と神木は言うのだが、そう簡単にすべきことが浮かぶわけもなく。

 そもそも、問答無用で飛び降りしようとした身なのに、今更そんなことを言われても……

 そんなわけなので、僕は、神木と出会ってから好奇心を抱いた物事を処理することに残った時間を使おうと思い立ったのだった。

「そんな話、聞いてどうするんかいな。あぁ、ひょっとして冥土の土産が欲しいとか、そういうことなん?」

「話したくなかったら、話さなくていいです。単に僕が気になったから訊いただけなんで」

「ん。まあ別に構わへんよ。教えたるさかい」

 神木は飲んでいた紅茶のカップを目の前に置くと、左腕の袖を捲り始めた。

 肘くらいまでを露出させたところで、掌を上に向けてそれをこちらへと突き出してくる。

 日焼けしていない、骨ばって痩せた腕。

 その手首の部分には、醜く刻まれた何本もの赤い傷痕があった。

 ……これって、ひょっとして……

「自分もなァ、君と同じくちやったんよ。若い頃に自分で自分の命にとどめ刺そうとしたことがいっぺんだけあるんや」

 神木はへらりと力の抜けた笑みを浮かべながら、語り始めた。


 中学生の頃……ひょんなことから人生に嫌気が差した神木は、自殺しようと家の台所にあった包丁を盗んできてそれで自分の手首を切った。

 それこそ手首を丸ごと落とさんとする勢いで、何度も切ったのだという。

 だが、死ねなかった。彼がリストカットしている現場を親に発見されて止められて、頬を張られてしこたま説教される羽目になった。

 どうしてこんな馬鹿なことをしたんだ、とか親より先に死ぬなんて何て親不孝なことをするんだ、とか。そういう内容の話を無理矢理聞かされ続けたのだという。

 自分は生まれてきたくなんてなかったのに。どうして生かされているのか、その理由すら分からないのに。

 自分の命なのに、どうして自分の好きなように扱うことを許されないんだ。

 親の『説得』に納得できなかった彼は、その日のうちに家出した。

 当てもなく街を彷徨い、どうせ死ぬ気だったのだから空腹を満たすためのパンを買う小遣いすら持っておらず、しかし空腹感を我慢することができなくて公園で水を飲んで気を紛らわせた。

 此処は都会だから、道路には多くの車が走っている。駅が近いから電車も通っている。高層ビルなんてその辺に幾らでもあるし、足を踏み入れるのなんて簡単だ。

 飛び降り。飛び込み。死のうと思えば、それに利用できる手段などそこかしこに転がっている。

 しかし、車に轢かれたり電車に撥ねられたりなんていう方法は、自分と何の関係もない大勢の他人に迷惑をかけることになる。

 それだけは、御免だった。どうせ死ぬのならば、人に迷惑をかけない方法を選びたいというのが彼のこだわりだった。

 どうせだから、強盗でも現れないだろうか。人質に取られて、急所を刃物で一撃。そういう展開ならば少なくとも『自分が』他人に迷惑をかけることはない。

 そんなことを期待しながら、偶然通りかかった書店へと足を踏み入れた彼。

 何気なく目についた雑誌を手に取って、適当にぱらぱらとページを捲って長し読みをして──

 その時目に留まったのが、ある一文。日本の臓器移植希望者とドナーに関する実情を綴った記事だった。

 現在の日本には、ドナーの数が患者数に対して絶対的に不足している。そのことを彼はこの時に知ったのだ。

 ドナーとは、自分の臓器を──言わば命の一部を、患者に提供する人材である。

 その行為は、極論を言えば合法の上で命を削っているようなもの。結果として死んだとしても誰からも責められることはない。何故ならこれは『他人の命を救う善行』なのだから。

 もしも。

 彼は考えた。


 もしも、自分の全てを余すことなく使ってくれる、そんな臓器提供の場が存在していたら──今の自分のように、自殺を願っている者たちは悩みや苦しみから解放されるのではないか?


 その日以来、彼は自殺することをやめた。

 必死に勉強して医学の道を志し、外科医としての資格を取得して医者となり、自らの病院を設立した。

 その裏で臓器提供とドナーに関する勉強をして、ヒューマン・バンクを設立した。

 ドナーの臓器を全て摘出して、結果的に殺してしまうことになる臓器提供の仕組みと場所。無論そんな存在が現代日本において認められているわけがない。

 故に秘密裏に存在する非合法の機関という形にはなってしまったが、彼はようやく少年時代に思い描いた『理想の場所』を手に入れることができたのである。

 これからは、自分がかつての自分と同じ悩みを抱えている自殺志願者を一人でも多く救済する。

 そして、いつか。自分の後継者となってくれる存在が現れたら。

 その時は、自分のことも──


「自殺志願者にとっての救済は、死ぬこと。それ以外にはありはせんのや。生きることの素晴らしさを力説したところで、その人間にとっちゃ単なる雑音以外の何でもないねん。余計に悩んで苦しむ羽目になるだけ。そんなことをしてまで長生きしたところで何になる? ……せやったら、同じ苦しみを味わった人間として、彼らの『心』を救ってやろうと、そう思ったんや。そのために、自分はこの機関を作ったんよ」

「……それが、先生が見つけた生き甲斐ってやつなんですか」

「うーん……生き甲斐、なんやろか。よう分からんなぁ。自分かて自殺志願者やめたわけやないしな。この歳までずるずる生き永らえてきてしもたけど」

 神木は微苦笑して、差し出していた左腕を引っ込めた。

「でも、そこまで悪い人生でもなかったで。ドナーたちに感謝されて、生きたい願う患者の命も救えるいうんは。自分のこの手でドナーの体にメス入れる時、実感するんよ。ああ、自分はようやくこの子の心を救ってやることができたんやなって。自分が医者になったんは間違いやなかったんやなって、思うんやわ」

「そうですか」

 僕は食べかけだったケーキの残りを口に運んだ。

 神木はケーキを食べるのが好きだった。故に休診日はこうして駅前の喫茶店に繰り出して紅茶とケーキを堪能しているのだが、今日は僕もそれに付き合っている。

 僕は、ケーキはあまり好んでは食べない方だ。だが菓子が苦手な奴でも美味いと思える一品だと神木が選んでくれた抹茶のムースケーキは、素朴な味がしてそこそこ美味しいと思えた。

 不思議なものだ。ちょっと前まで死ぬことしか考えられなかったこの僕が、喫茶店でお洒落なケーキを食べて、それを美味しいと思っているのだから。

 これも……全て、神木のお陰なのだろう。彼が差し伸べてくれた手を掴んだから、僕はこうして穏やかな気持ちでひと時を過ごすことができている。

 本当に、感謝してもしきれない。

 と。唐突に軽快な某大喜利番組のテーマソングが鳴った。

 神木のスマートフォンの着信音だ。

 結構大音量だったので、周囲の客の何人かが笑いを堪えきれずに噴き出している。何とも微妙な表情をしている者もいる。

 ……そりゃそうだよな。物静かで優雅な音楽がゆったりと流れていた環境の中に、いきなりこれだもんな……

「ん、すまんな。電話やわ」

 神木は腰のポケットからスマートフォンを取り出すと、通話に出た。

「もしもし。神木です。何や緊急かいな? ……うん、うん、ほう、で……」

 通話時間は三分ほどだった。

「了解。丁度一緒やし、今から伝えますわ。ああ、いや構わんて。そっちこそ、休診日やってのにすまんかったのう。ほな、そういうことで」

 通話を終えて沈黙したスマートフォンを元通り腰のポケットに突っ込んで、神木は真面目な面持ちをして僕の方へと向き直った。

「成瀬君。今、機関からお達しがあったんや。君の臓器の提供を望む患者が現れたってな。何やら急を要する状況らしくてな、二日後に手術してほしいゆうて依頼されてしもた」

「……はい」


 彼のその言葉に、僕は全身が引き締まるのを感じた。

 いよいよ、その時が来たのだと。実感した。


「二日後……自分の病院に来て欲しい。そこで手術して、君の人生も終わる。せやから、心残りは綺麗に片付けておくんやで。後で恥ずかしいもんが見つかったら黒歴史になってしまうからのぅ」

 冗談めいたことを言って笑う神木は、やっぱり微妙に胡散臭い雰囲気を漂わせた中途半端な関西人だった。

「執刀医は自分が担当するさかい、痛いことも苦しいこともないからな。こう見えても腕は折り紙つきなんやで、安心したってな」

「……手術って麻酔してからやるんでしょう。それじゃ痛みも苦しみも分かるはずないじゃないですか。寝てるんだから」

「ま、そらそやな。希望者には局部麻酔にして完全に眠らんように処置してから自分がバラされるところ見学させとるんやけど……どうする?」

 自分が死ぬ瞬間を見学できるなんて、普通じゃまず体験できないことだ。

 何気にとんでもないことをさらりと言ってのけたな、この男は。

 自分がどんな風に死んでいくのか。確かに興味がないとは言わない。

 でも……

「いえ……いいです。全身麻酔にして下さい。感覚がなくても、自分の体が切られてるところ見てるだけで痛いって錯覚しそうなんで」

「そう? これこそ究極の冥土の土産! って感じするんやけどなぁ。まぁ、それが成瀬君の希望やったら、自分はそれで構わへんよ」

 彼はそう言って、僕の右手をそっと握った。

「ほな……二日後に。自分の病院でな」


 二日後に、僕は死ぬ。

 だから、僕は残された時間を使ってできる限りの身辺整理をした。

 部屋の掃除をして、残しておけないなと思ったものは全部捨てた。

 テストの答案用紙。くだらない妄想を書き連ねたノート。写真。貰った手紙。

 僕が急に部屋の大掃除を始めたものだから、母親が不思議そうな顔をして僕のことを見ていた。

 今まで自分から掃除したことなんてなかったのに、急にどうしたんだと言われた。

 僕はそ知らぬ顔をして適当に「そういう気分になったんだよ」と言って誤魔化した。

 こうして親と会話をするのもこれで最後。母親の手作り料理を味わうのもこれで最後。

 ……もしも、僕が死んだことを知ったら。その時両親はどんな顔をして何と言うだろう。

 悲しむ? 怒る? 呆れる? それとも……


 からからと、僕を寝かせたベッドが何処かへと運ばれていく。

 この病院、外観はそれほど大きくはない建物だが、地下があるので実際は相当な広さがあるらしい。手術室や霊安室など、大きな病院に揃っているような設備は一通り揃っているのだという話を聞かされた。

 僕は、まどろんだ意識の中で、ぼんやりと自分の顔を見下ろしている神木のことを見上げていた。

「……そろそろ麻酔が完全に効いてくる頃やな。君が完全に眠ったら手術に入る。いよいよや」

「…………」

 僕はこくりと頷く。

 全身が痺れているように動かない。辛うじて指先や首が動く程度だ。

 この意識がなくなるまでもう幾分もないことを、僕は実感していた。

「最後に……何か、言いたいことがあるんなら聞いたるで。何でもええよ。遠慮なく言い」

「…………」


 最後の言葉。すなわち遺言。

 何か気が利いたことを言えれば良かったんだろうけど、生憎僕はそこまで頭が回るできた人間じゃない。

 今にも眠りそうな意識の中から引っ張り出せる言葉など、種類も程度も限られている。

 だから。


「……先生」

「ん?」

「僕……先生に出会えて、良かったです……僕の人生、本当にろくなものじゃなかったけれど、最後の最後で僕の気持ちを理解してくれる人に出会えたこと……それは、僕にとっての最後で最高の、幸せ、でした」

「何や、そないなこと面と向かって言われるなんて照れるのぅ」

 自分はそんな立派な人間やないで? と言って苦笑する神木に、僕は微笑みかける。

「先生……僕の体、無駄にしないで、使って下さい。生きたいと願っている人を、一人でも多く、僕の体を使って助けてあげて下さい……そうしてもらえれば、僕がこの世に生まれてきたことに意味ができるから……そうなったら、僕が死んだ後、この世を恨むことも、ないだろう……から」

「分かった。約束したる」

 力強く頷く神木の笑顔に、影が差していく。

 もう、時間だ。僕はこれで眠る。

 穏やかに……安らかに。

 瞼を閉ざして、僕は小さな声で呟いた。


「……ありがとう……先生」



 その後──僕から取り出した心臓を移植された患者は、無事に一命を取り留めて、現在も元気に何処かで暮らしているらしい。

 ドナーの個人情報を守るという理由があるため、患者にはドナーに関する情報は一切渡されない。だが神木の気遣いで、その患者には僕が君のことを絶対に助けてあげてほしいと願っていたということだけは伝えられたという。

 臓器提供という形で命を救われた患者。心を救われた元自殺志願者であるドナー。

 神木が自らの願いを元に作り上げたこの仕組みが果たして本当に正しいものだったのか、僕には分からない。

 でも。

 結果として患者の命は救われ、僕は心を救われた。結果的に、どちらも本人が望む『幸せ』を手にすることができたのだ。

 それならば、例え日陰の技術であったとしても、こういう技術が存在していてもいいんじゃないかと、僕は思うのだ。


 今日も、人知れず救われている命があり、奪われている命がある。

 そこにあるのは、人間が生み出す願いと想い。ひょっとしたらそれは究極のエゴなのかもしれない、救済の形。

 いつか、自分自身も救済されるために。

 その日が来るまで、彼は誰にも知られることなくメスを振るい続けている。

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