命を預かる男
僕は飛び降りた。
別に空を飛ぼうとしたとか、そういう夢のある理由なんかじゃない。
平たく言うなら、飛び降り自殺というやつだ。
死ぬ理由? そんなのどうだっていいだろ?
学校でいじめられていた? 人生に嫌気が差した?
そんなの、興味ある奴で勝手に想像すればいい。どんなに突拍子もない変な理由を付けられたとしても、それでいいよってことで僕は頷いておく。
とにかく、それなりの理由があって、僕は近所のマンションの屋上から飛び降りたのだ。
20階もある建物のてっぺんから落ちれば、否が応でも全身の骨が折れる。ひょっとしたら頭が割れて中身が飛び散るかもしれない。
まあ、結果として死ねれば格好なんて何だっていいんだ。
首吊りだと時間はかかるし、溺死しようにも近くに深い川なんてないし。刃物じゃ余程上手く刺さないと致命傷にならないって何かの本で読んだことがある。人間って存外しぶとい生き物らしいから。
だから、飛び降りるのが1番手っ取り早くて確実なんだ。
……そう、思ってたのに。
「むやみやたらに自殺なんてするもんやないで?」
どういうわけか僕は無傷のまま地面に到着して、今は目の前に佇む奇妙な男の話を聞くに至っている。
聞く……というか、聞かされている、と言った方が正しいか。
中途半端な関西弁で喋るその男は、僕を問答無用で受け止めて助けた挙句、名乗りもせずに勝手に演説めいた話をし始めたのだ。
その場を離れようにも、妙に力の入った目で見つめてくるものだから、逃げるにも逃げられず。
とりあえず彼の話を聞く以外の選択肢が、僕にはなかったのである。
「命は粗末にしたらあかん。せっかく授かったモンなんやからな、有効活用せな」
自殺志願者を説得する奴が口にする、ありがちすぎる単語を並べながら、彼は『命の尊さ』についてを力説していた。
それで自殺したい奴が自殺を思いとどまって改めて人生を謳歌する……なんて話は、悪いけど聞いたことがない。
1度死のうとした人間は、何らかの理由で助かっても、人生に希望を見出せない奴の方が多いのが現実だ。
だってそうだろう? 生に希望を見出せないから、死に希望を見出して、そうして死んでいくのだから。
彼の話を上の空で聞き流しながら、僕は胸中でナンセンスだと呟く。
早く何処かに行ってくれないかな。変な関西弁を喋る奴ってだけで胡散臭さ満載だし、係わり合いになりたくないのだから。
──その願いが、通じたのかどうかは分からないが。
彼は唐突に語りをやめると、半分困ったようにこめかみの辺りをぽりぽりと掻いて小首を傾げたのだった。
「んん……何や、どうも自分は説明苦手でなァ……上手いよう話できひんわ」
「……話できなくていいですよ。無理して僕に関わらなくたっていいじゃないですか」
「そういうわけにもいかんて」
さり気なく何処かに行ってくれるよう申し出てみるも、案の定受け流されてしまった。
どうやら、僕は相当厄介な奴に命を拾われてしまったらしい。
「せっかく見つけた逸材なんやし。逃すのはもったいないっちゅーか……んん」
「……逸材?」
……と思ったが、どうやらそうでもないらしい。
気になる単語に、僕は眉を顰めて思わず問い返していた。
言うまでもないが、僕とこの男は初対面である。見た感じ年齢もそこそこ離れているようだし、接点は何もないように感じられる。
まさか、君は選ばれた勇者なんだ的なお花畑展開が待っているわけでもあるまいし。
僕が興味を示してしまったのが運の尽きだったのだろう。彼はますます僕との距離を縮めてくると、この場での説明は完全に諦めたようで、単刀直入に言ってきたのだった。
「近くに自分の家があるんよ。そこで改めて説明したるさかい、ちと一緒に来てくれへんかいな?」
誘拐犯じゃないことを証明したいのか、彼は僕が同行を承諾するなり『神木』と名乗った。
もっとも、それが本名である証拠など何処にもないので、僕の中の彼に対する胡散臭さが減ったわけではなかったが。
あの場所にいたのはたまたま通りかかったからで、僕を助けたのも全くの偶然だったのだとか。
まあ、そんなことはどうでも良かった。
僕は、どうしてこの男に付き合って無駄な時間を生きているんだろう?
「ほい。着いたで」
閑静な住宅街の一角にある小さな建物の前で、神木は立ち止まった。
お洒落なカフェテラスのようなガラス張りの建物で、玄関の両脇には綺麗に手入れされた植物のプランターが並べられている。
呼び鈴の上には『神木』と書かれた小さな表札が掛かっており、玄関扉の上には横長の看板が設置されていた。
『神木総合外科医院』
「……病院?」
「せや」
どう見ても病院のそれとは思えない建物を見上げて呻く僕に、深々と神木は頷く。
「自分、此処の院長してますねん」
……全然そうは見えない。
「ま、今日は休診日やから誰もおらんし。お茶出したるさかい、遠慮せんと入って」
「……とか言って、無理矢理診察とかして代金要求する気なんじゃ」
「せえへんて。ほれ、入った入った」
半ば強引に押し入れられるように、僕は建物の中に足を踏み入れた。
中は、待合室だろうか。やはり外観と同じようにカフェテラスの雰囲気を湛えた空間になっていた。それでもちゃんと病院であることを証明する品が、カウンターの奥の方に並べられているのが見える。
神木は部屋の奥──本棚の隣にひっそりと存在していた木製の扉の前まで行くと、持っていた鍵を錠前に差し込んで、扉を開いた。
「こっち。専用の客室があるんや」
開かれた扉の奥は、窓がないのか真っ暗で、何も見えなかった。
僕がそちらに足を運ぶと、神木はさっさと中に入っていった。とりあえず入室するなり閉じ込めようとか、そういう気はないらしい。
……まあ、今更怖いものなんてないんだけど。
僕が部屋に足を踏み入れると、スイッチが入れられたのか辺りが一瞬で山吹色の光に包まれた。
そこは東南アジア系の民芸品が並んだ、微妙にアンニュイな雰囲気の漂う小さな部屋だった。中央に小奇麗なテーブルと椅子が置かれており、一応神木の言葉通りに客室として使用されている場所なのだろう。
壁際に並んでる変な像とか、揃ってこっちを見てて結構落ち着かないけど……
神木は部屋の隅の方で、木彫りのカップに飲み物を入れていた。ジャスミン茶か何かだろうか。独特の芳香がする辺り、日本ではマイナーな飲み物なのだろう。
皿に小さなケーキを載せて、それらを携え、彼はこちらに戻ってきた。
「ほい、お茶入ったで。席はそこ。遠慮せんと座ってな」
「……失礼します」
僕が席に座ると、神木はカップとケーキの皿をテーブルの上に置き、僕の正面の椅子に腰を下ろした。
「一応音楽とかもあるけど。かける?」
「いえ。いいです」
「そう?」
「……それで。僕を此処に連れてきた目的の『話』はいつ聞かせてくれるんですか」
神木が暢気に自分の分の茶を啜り始めたので、気分がだれないうちに僕は本題を切り出した。
僕としては、此処に長居する気はさらさらない。
本当は今すぐにでも此処を出て、次の──
そんな僕の胸中を見透かしたのだろうか、神木はカップをテーブルに戻しながら、眉間に微妙な皺を寄せたのだった。
「何や。せっかち君やなぁ……そんなに死に急がんと、待てば海路の日和あり、ってな」
とりあえず茶を飲め、話はそれからだ。
言うので、僕は大人しくカップに口をつけた。
この男のことだから、茶を飲まないと此処から帰してくれなさそうに思えたのだ。
僕が一応素直になったからだろうか、神木は満足そうに頷くと、その辺の棚に手を伸ばして1枚の紙切れを引っ張り出した。
こんな部屋から出てくる物だから、奇妙なイラスト満載のチラシのようなものなのかと思ったが──違う。
それは、企業の資料のように整然とした文書だった。文字の大半は細かくて此処からだと読み取れず、現時点で分かるのは題目に書かれている一文だけ。
パソコンで作った文書なのだろう。見慣れた書体で、そこにはこうあった。
「……『ヒューマン・バンク』?」
「せや」
神木は頷くと、自分の分のケーキに小さなフォークを立てながら説明をし始めた。
「ざっくり言うとなァ……ドナー契約者の個人情報を扱っとる極秘の情報機関やねん」
神木の説明は本当にざっくりすぎるので、改めて僕が目を通した文書から得た情報を分かりやすく纏めると、こうだ。
ヒューマン・バンクとは、自らドナーになる意志を持った人間の情報を登録管理している機関らしい。
病院側からの要望を受け、必要に応じて適正のあるドナーを紹介し、臓器移植手術を支援する活動をしているのだという。
神木は機関の創設者でもあり、表向きはただの病院経営者だが、裏では機関の人間として他の病院に情報を提供をしたりと色々行っているのだとか。
僕を「せっかく見つけた逸材」と言っていたのは、こういう理由があったらしい。
と、いうのも。
この機関に登録しているドナーは、一般のドナーとは異なるのだ。
此処にドナーとして登録している人間は──その殆どが、僕と同じ自殺志願者。何らかの理由で自殺しかけた人間を拾ってきては、この機関を紹介し、ドナーとして登録させているのだという。
無論、登録は両者の合意の上で行われている。そもそも自殺志願者が、自分の内臓を取られることに抵抗を示すはずもない。殆どの者が、喜んで此処に名を連ねていることだろう。
どうせ捨てようとした命なのだから、誰かのために有効活用してみないか、というキャッチコピーなのだ。
臓器移植手術を望む患者は世界中に数多いる。しかし、臓器提供者はそれとは反して殆どいない。特に日本では、他の国と比較してもその数は著しく低い。
そんな者たちを助力するためにこの機関を立ち上げたのだと、神木は言った。
通常のドナーとこの機関に登録したドナーとの違いは、他にもある。
此処に登録しているドナーは、全てを余すことなく提供素材として活用されるのだ。
各部位ごとに分割され、心臓はあの患者に、肺はこの患者に、という形で個別に運ばれ、使われていく。
当然、完全にバラされた人間が生きているわけがない。ドナーとして指名された時点で、その人間の人生はそこで終わるのだ。
人の役に立ち、感謝されながら死んでいく。自殺志願者にとって、こんなにも理想の死に方はないのではなかろうか。
そう。この機関は、臓器移植手術を望む患者の希望の場所になるだけではない──自殺志願者たちの心を救済し、安息を与える希望の場所にもなっているのである。
「登録に必要なのは、本人の意思だけや。他には何もいらん……どうやろか。無駄に飛び降りなんかで命散らすくらいなら、こういう場所で人のために命捧げてみいひん?」
……胡散臭いなんて言って悪かったよ。
神木は、高説垂れるだけの偽善者なんかじゃなかった。
僕みたいな、真剣に人生のことを考えて結論を出した人間の気持ちを、真っ向からぶつかって汲み取ってくれる人間だったんだ。
僕は、頷いて、神木と固く握手を交わした。
彼の言う通りに……無駄に人生終わらせるくらいなら、最後の最後くらいは、誰か人のために命を遣ってみよう。そう、思えたから。
その日、僕の名前はドナーの1人として機関の名簿に名を連ね、『303』の登録ナンバーを受け取ったのだった。




