・死んだと思ったら転生してた
気づいたらバッグを抱いて川辺に倒れていた。
足の付かない世界で必死にもがいて、溺れて、それからの記憶がない。
ずいぶんと流れたのか景色もだいぶ変わっていた。
俺はどうやって、溺れずに岸までやってこれたのだろう。
「綺麗だな……三途の川の向こう側じゃなければいいけど……」
ずぶ濡れの散々な状態だったけれど、運河は白く水面を輝かせて澄んでいた。
上着を脱いで立ち上がり、軽く服を絞った。
それからズボンに手をかけて、ふと思った。
「三途の、川……?」
自分の言葉に、自分で疑いを持つなんて変な話だ。
続いて俺は己の手足を眺めて、疑問の確認に水面を見下ろした。
子供みたいに手のひらが小さく腕が細い。
それだけではない、水面に映る姿は少年のものだ。『誰だコイツ……』とつい独り言を言いかけた。
「これが俺……? いや、俺は、俺か」
さっきから記憶が混乱している。
俺はアレクサント。冴えない交易商人の息子だ。つい先ほどまではそのはずだった。
しかし今はこう思う。
自分の姿が自分に見えない。『俺はどこの誰だ?』と。
急に己の正体がわからなくなって、俺はしばらく立ち尽くした。
「あ、そういや死んでるじゃん、俺……っ!?」
俺は俺だけど俺じゃない。
今日まで自分が全くの別人として生きていたことに愕然とした。
「やべー……知らんうちに2週目の別の人生生きてたとか、もっと早く気づけよ、俺……」
俺の目の前の広がる情景は、産業革命とは無縁の別世界だ。
運河の船は内燃機関ではなく帆とオールで動き、軍人たちは自動小銃ではなく槍や剣を持つ。
おまけに俺は当たり前の物として貧しくキツい生活を受け入れ、戦前の日本も真っ青のナチュラル・ブラック生活に慣れ切っていた。
俺、なんでかわかんないけど、既にファンタジー世界で新しい人生や歩んでいる……。
「アレクッ! よかったっ、無事だったんだな!」
「え、あ、ああ……まあね? ぼちぼち?」
俺を捜して父親が駆けつけてきた。
普段は無愛想なのに、今は俺の無事に深く安堵して地に膝を突いて喜んでいた。
これが新しい父親か……。
自分の父に言うのもアレだけど、メチャメチャ冴えない人だな……。
俺は俺の肩を抱える父親にカバンを差し出した。
「カバンも無事だよ。うぉわっ……!?」
記憶の中の父と行動が一致していない。彼は立ち上がると俺に飛びついて、力強く抱き締めた。
それから無言ですぐに離すのだから、どうにも奇妙だった。
「カバンはいいんだ……。お前が無事ならそれでいい……」
「父さんってそういうキャラだっけ……? あ、いや、俺もこういうキャラじゃなかったっけ……」
困ったな……。どうやら俺、俺じゃなくなってしまったみたいだ。
生前の記憶を忘れてこの世界で生きていた俺は、運河に流されてどこかに消えた。
その影響なのか、幼い頃の記憶までもが思い出せなくなっている……。
「心配かけて、その、ごめん……」
「無事ならそれでいい」
しかし冷静に今の状況を見つめてみると、なかなかにこれは最底辺スタートだ。
父も息子の俺も貧乏暇なしで、今の生活から脱却しようにも元手も知恵も足りていないとくる。
父はカバンを確認して、ため息を吐きながらずぶ濡れの帳簿を取り出した。
「これは書き直しだな……はぁっ、憂鬱だよ」
「なら俺がやろうか?」
「俺? やっと男らしい言葉を使うようになったか」
「あ、えっと、まあそんなところかな……。それで帳簿のことだけど、実は父さんたちの仕事を隣から見てたんだ。任せてくれたら代わりにやれると思う」
急に何もかもキャラを変えすぎたら、悪魔に憑り付かれたとでも疑われるだろうか。
「それは明後日からだ。今は休日を楽しもう」
「それもそうだな。じゃなくて、それもそうだね、父さん」
ところが父はあまり俺の変化を不思議がらなかった。
今思えば、彼は錬金釜に身を投げる前の俺を知っていたのだから、それは当然だろう。
「アレク、カバンを守ってくれてありがとう」
「いいんだよ、父さん。これからも一緒にがんばろう」
「そうだな。少しでも生活をよくしよう」
この日から俺の新しい人生が始まった。
この時はただの記憶喪失だと思っていたけれど……。
実際はこの肉体が生まれて1年ほどしか経っていないがゆえに、過去がそもそも存在しないとは、俺は思ってもいなかった。
・
父を助けて東へ西へ。
まだ子供に過ぎない俺は、流されるようにこの新しい世界で己の成長を待った。
日本人をやっていた頃からすれば、絶望してもおかしくないくらいの酷い生活だ。
しかし俺の精神も身体も既にこの世界に順応していた。
生活が苦しいことは苦しかったが、別になんでもないことだった。
周囲を見回せば、俺たちより厳しい状況に追い込まれている人たちがいた。
「今回はかんばしくないな……」
「たまたまそういう時期だったんだよ。赤字が出ていない分いいじゃないか」
「うむ……」
俺を守ってくれる者は父しかいない。彼と支え合いながら生きた。
交易の収支が悪いときは切り詰めて、調子の悪い車輪を自分で直した。
子が大きくなるにつれ、親は少しずつ衰えてゆく。
いつまでこの生活を続けられるのだろうか。もっと早く大人になりたいと焦った。
「どうした。最近、お前は難しい顔をするようになったな……」
「そりゃ、苦労の多い旅だ。いつまでもお子様でいられないよ」
「苦労をかける……」
「いいんだ。別に苦はないよ」
変化といえば、最近どうも頭の方が変だった。錯覚を覚えるようになった。
何か大事なことを忘れているような、誰かと何かを約束したような、そんな答えのない錯覚だ。
『いつか迎えに行くよ。いつか必ず……待っててね、アトゥ』
誰かと、どこかで、会う約束をした。
しかしその約束をしたのは、本当に俺なのだろうか。
俺はこの父親の息子で、生まれてまだ10年も経っていない。
ならばこれは、生前の記憶の断片だろう。俺の人生にはもう関係のないものだ。
今はただ、生き延びるために彼を助けて生きよう。
「お前がずっと、ずっと私の息子だったら……」
未来のことを考えるのはまだ先でいい。
共に支えてゆくつもりの父親が、己がキャスティングした役者の一人だったなんて、そんな真実を知ったところで、なんにもならない。気づかない方が幸せなことだった。
いまだに確証はないが、彼は俺のことを、自分が失った家族の代わりとして愛していたと思う。
父と世界を放浪するあの生活は、貧しいがそれなりに幸せだったと今も思っている。
本日5月13日、コミカライズ版2巻が発売しました。
地方はまだだと思いますが、発売日に本が並ぶようなお店ではそろそろ並んでいるかと思います。
2巻からはアインスやウルカが出てきます。
駆け足気味だった展開から落ち着いて、アトリエ編本編が始まってからは温かなやさしい物語になってゆきます。
もりさとにごり先生のやさしいタッチの絵柄と、コミカルなお話がマッチしています。
もしよろしければ、超天才錬金術師コミカライズ版2巻を応援して下さい。




