52-6 人類意思統合システム・リヴィエラの願い - 私たちは必要? -
そこがこの世で最も危険な場所であることに間違いはない。
俺はロゴス・カーネリアンの提案に乗り、彼女の背中を追って眠れる者の寝床を立ち去りました。
それからガレキの墓標と化した大部屋に戻り、門から十分な距離を取る。
正直、俺は混乱していました。
俺はお嬢が好きです。そのお嬢によく似た存在が、俺が憎んできた相手の1人だっただなんて……。
現実っていうのはいつだって悪趣味だ……。
「顔色が良くないようだけど、平気かしら……?」
返答を返す気になれなかった俺は、ただうなづいてロゴス・カーネリアンの顔をじっと見た。
アストラコンさんはリィンベルの母親を殺した、そう聞いている。なのになぜ生きている……。
「あのね、わたしたちは、この世界の秘密に気づいてしまったの」
リィンベルとそっくりな顔が腕を突きだして、バインドの術を2つ放ちました。
1つは眠れる者の寝所に繋がる赤い巨門。もう1つは上の階層へと続くあの長い廊下です。
邪魔者を入れたくない。そういった意図が見え隠れしました。
それと管理者ちゃんの姿が見えない。さっきまでここにいたはずなのに。
「ならせっかくだからこっちも聞きたいことがある。ロゴスさんって、リィンベル・カーネリアンの何?」
お嬢の名前を出すと、俺の仇敵は恐れるように身を震わせました。
少しかわいそうになったけど、これは使えるカードみたいです。
「アストラコンの罪、それはわたしを殺したことじゃない。……わたしを殺せなかった。それが彼の罪よ。殺したことにして、最後はわたしを解放したの……」
「あの人、もしかして俺たちを裏切っていたのか?」
「違う。あのとき、ただわたしを殺さなかっただけ……。いいえ、今はわたしという個の事情より、最後の古なる者として、あなたと話がしたいの」
「ああ、わかったよ。リィンベルに会ってくれるというなら考える」
アストラコンさんは肉親を殺せなかった。それはわかりました。
それはおいといて、俺は優位に立つためにも、さきほど見つけた弱点を利用することにしました。
揺さぶりは動揺となって、ロゴス・カーネリアンを沈黙させる。
どうやらロゴスというシステムは、群体でありながら個々の意志を明確に持っているようでした。
「それは、あなたの返答によって、結果が変わるわ……。わたしたちは、ロゴスはあなたに聞きたいことがあるの。どうしても、あなたに、教えてもらいたいことが……」
しかし古なる者に支配されている事実は動きません。
彼女は個ではなく、群れ全体を束ねるクイーンとして、悲しげに俺を見つめる。
何がそんなに悲しいのか。俺にはとうていわからない。
「わたしたちは、必要……?」
「え……?」
意表を突かれたというか、とても信じられない一言でした。
まさかこいつらから、そんな、自己を疑うような言葉が出てくるだなんて、誰にも予想できない。
「待って……っ。よく、考えてから答えて欲しいの……。わたしたちというシステムは、あなたたちの為に作られた……」
それにまるでその言い方は、自分が古なる者そのものであるかのような表現だ。
ならばこうなる。ロゴスもまた、他の個体と同じく自我に目覚めていた。
「それを、あなたは否定する……。誰よりも鋭く、冷たく、憎悪を込めてわたしたちを憎むわ……。わたしたちは、あなたたちを救うために作られたのに……どうして……わたしたちを拒むの……」
しかしただそれだけじゃない。自己の存在に疑問を抱くほどに、高度な自我が芽生えた。
そいつが俺に聞く。自分たちは必要なのかと。
「これって……罠? 問答無用で、貴女を今すぐ眷属に変えるべきだろうか?」
「違うわ。わたしたちはもう、ただあなたに答えを聞きたいだけ」
「だけどおかしいじゃないか、公都に奇襲を仕掛けてまでして、貴女はあの門の向こう側に眠る者に接触したかった。さっきの場所で、ロゴスさんはこう言えば良かった。アレクサントはこの世に存在しない、とか、アレクサントはもう死んでいる、とかさ」
矛盾しているんです。あそこで話し合いを選んだことそのものが。
なら罠を疑うのが冷静な判断じゃないですか。
「無理だと思うわ。それはきっと無効になる」
「どうして? やってみなきゃわからない。お前たちが他の群れと交渉のテーブルを持つなんて、俺にはそれがどうしても信じられない」
他の群れとわかり合えるなら、あっちの世界は滅びてない。
こっちの世界でだって、もっと上手くやってきたはずです。それが急になぜ、こんな質問を始める……?
「かわいそう……。きっと辛いことが沢山あったのね……」
リィンベルの母親はその容姿を利用して、俺を唐突に胸へと抱き寄せていました。
だがソイツは敵だ、全てを終わりにできる最後の1体だ。
「っ……何のつもりだっ、何でこんなことをする!?」
しばらくして正気に戻った俺は慌ててそのふくよかな胸から逃れることになりました。
「それは簡単なこと、わたしたちが交渉のテーブルを持つ、進化した個体だからよ」
「ならなぜあのとき眠れる者の夢に介入しようとしなかった!」
あの部屋に入った時点で、こいつらは勝利していた。
なのにその勝利を放棄した。わけがわからない……俺の知る連中と違いすぎる……。
「あなたを排除するような願いは、全て無効になるの」
「ははは……ならそれは、なぜ?」
「理由は……とても言えないわ。嘘を暴けば、眠れる者は混乱してしまうもの。どんな危険を引き寄せるかも判らない……」
「そう。はぁぁぁ……わからん。なら、そっちの本当の望みは?」
嘘ってなんだよ……。
マハカーラ・アバロンが願ったこの世界の嘘か?
彼女の願いがオールオールムとのやり直しならば、確かに夢に混乱を与える願いになるのだろうか……。
「教えて……」
「またそれか……」
「わたしたちは、人類意志統合システムは、本当に、必要なのか、どうなのかを、あなたの口から……」
なぜそんな問いかけにこだわるのか俺にはわからない。
だが人類を導き続けた機械仕掛けの怪物、ロゴスには必要なものらしかった。
「わかった、あの場を離れてくれたのはこちらも助かった、それはホント。でも考えるからちょっと待ってね」
「ありがとう」
やさしい人だったんだろうな、リィンベルのお母さん。
その彼女が新たなクイーンに選ばれたことも、何か意味があったんだろう。
俺は誠意を込めてゆっくりと考えた。
ゆっくりと考える。妙なことをしないか、うかがいながら。リィンベルに似すぎているせいで、混乱ばかりだ。
「どうかしら……わたしたちは、あなたに必要……?」
人類意思統合システム。構想そのものはきっと悪くなかった。
人間は他者を騙し、あざむき、利用する。それが多くの不幸や傲慢の温床になった。
「人類意志統合システム、生命の輪……。永久にわかりあえない人間たちを、1つの群れとしてつなぎ合わせる、人類の夢そのもの……」
「そうよ。そう願われて、わたしたちは作り出された」
設計者は救いの無い世界をどうにかしようと思った。
キルケゴール・アダムが誰にも明かさない、生物由来の何かと出会い、それを用いてシステムを実現させた。
「だがそれがあちらの破滅を招いた。全人類を巻き込んだ、最悪のフルーツバスケットゲームってところだ」
「それは……。それは、わたしたちを生み出した、クリエイターが設計ミスをおかしただけ……。正しく運用されれば、わたしたちは、人類を悪の連鎖から救うはずだったわ……」
考えてみると決めた以上、全てを疑ってかからなければならない。
本当にそうだろうか。本当にただの設計ミスだったんだろうか……?
「そうかもね。互いに互いをナチュラルに尊重し合う、夢みたいな世界が生まれてたかもね」
「なら……」
いや、もし設計ミスなんかじゃなかったとしたら……?
仮に設計そのものは完璧だったとしよう。だが、他の部分に致命的な欠陥があったとしたら?
「だけど無理だ」
「そんな……どうして……」
「お前たちに人類は救えない」




